「極楽通信・UBUD」



ウブド歴史年表





◎紀元前500年〜紀元後1-2世紀にかけて東南アジア一円に広まったドンソン文化の遺品・青銅製の銅鼓がペジェン村にて発見されている。
現在、銅鼓はプナタラン・サシー寺院に保管。


8世紀初頭:ヒンドゥー教の高僧ルシ・マリカンディアがジャワ島からウブドへ。
ウブドの歴史は、ルシ・マリカンディアがチャンプアンの地に立ち寄った時から始まったと言っても過言ではない。
チャンプアンにあるグヌン・ルバー寺院を建立。


10世紀〜14世紀:ペジェンを中心にワルマデワ王朝が栄える。《プクリサン川の神話》


11世紀初頭:高僧クトゥランがジャワ島からバリへ渡る。


1343年:マジャパイト王朝のガジャ・マダ将軍率いる軍勢によってワルマデワ王朝は征服される。王朝時代の遺跡は残っているが、王宮の痕跡がまった見つからないのが謎である。


14世紀:《巨人クボ・イオの伝説》


14世紀末:ゲルゲル王朝の始まり。


1515年:マジャパイト王朝瓦解。これ以降、バリ独特のヒンドゥー文化が醸成されていく。


16世紀:高僧ニラルタ、マス村に滞在。


16世紀半ば:ゲルゲル王朝の最盛期。バリ宗教文化の原型がつくられた時代だと考えられる。


18世紀:ゲルゲル王朝崩壊。クルンクン王国を中心とした9王国に分割される。


1880年:イダ・チョコルド・グデ・スカワティ(Ida Tjokorde Gede Sukawati)初代ウブド王に。


1899年:初代ウブド王の次男として、チョコルド・グデ・ラカ・スカワティ(Tjokorde Gede Raka Sukawati)が生誕。


1905年:アナック・アグン・グデ・ングラ・マンダラ(Anak Agung Gede Ngurah Mandera)、プリアタン村に生まれる。プリアタンの芸能を世界の知らしめた。「グンカ=偉大なる父」と慕われる。


1906年:バドゥン王家ププタン


1908年:クルンクン王家ププタンにより、オランダのバリ島支配完成。


1910年:バリ島がオランダの統治下に置かれる。
:チョクルド・アナック・アグン・グデ・スカワティ(Tjokorde Anak Agung Gede Sukawati)生まれる。のちサレン王宮の王様。


1917年:バリ大震災の後、初代ウブド王の長男とその妻が病死。(1920年火葬式)。チョコルド・グデ・ラカ・スカワティ家長に。オランダの植民地政策に協力することで、その政治的な地位を獲得してきた。原住民植民地官使・プンガワの就任。このころから住居をカントール王宮と呼ばれる。


1920年代:オランダ王立郵船会社の定期船がシガラジャ港へ就航。バリ観光化の始まり。


1925年:4月、ヴィルター・シュピース(Walter Spies)ウブド訪問。


1927年:ヴィルター・シュピース、ウブド滞在が始まる。


1928年:画家ルドルフ・ボネ(Rudolf Bonnet)滞在が始まる(1958年まで)。


1930年:シュピース、チャンプアンにアトリエ。芸術家達が住み着き、欧米へのバリ文化の紹介者となる。また土着の芸術家との交流の結果、活発な文化活動が成立し、バリ・アートに新しい様式が生まれる。また、人類学者や芸術家等のバリの紹介により形成された。バリ・イメージがバリ文化として固まっていく。


1931年:パリ植民地博覧会に、バリ舞踊初の海外公演。プリアタン村を中心としたグループ(のちのグヌン・サリ歌舞団)が出演。


1932年:チャーリー・チャップリン、ウブド訪問。


1936年:芸術家組織「ピタ・マハ画家協会」結成。
:グレゴリー・ベイトソン、マーガレット・ミード夫妻、訪問。


1937年:シュピース、イセ村に移住。1938年12月11日逮捕。


1938年:プリアタンのガムラン・グループ「グヌン・サリ歌舞団」が、バリ史上最初の全島あげてのアート・フェスティバルでガムラン音楽コンテストに優勝。


1942年:1月18日、シュピース没(1895〜1942、享年47歳)。
:2月19日、日本軍サヌール海岸に上陸、占領。


1945年:日本の敗戦、オランダ軍の侵略始まる。
:インドネシア独立宣言・スカルノ初代大統領。


1947年:ウブドの王族・チョコルド・グデ・ラカ・スカワティが東インドネシア国の初代大統領に就任。
:7月25日、伊藤博史名古屋で生まれる。


1950年:12月、インドネシア共和国として独立。


1952年:画家アントニオ・ブランコがウブドに滞在。


1955年:ウブド最初のホテルがサレン王宮内にオープン。続いて、ムティアラ・ホテル、チャンプアン・ホテルがオープン。


1956年:プリ・ルキサン美術館開館。(ラトナ・ワルタ財団)。


1960年頃:画家アリー・スミットがペネスタナン村に住み地元の少年たちに指導する。


1965年:9月30日、共産党勢力によるクーデター。バリでは推定10万が虐殺される。


1967年:スハルト大統領就任。
:チョコルド・グデ・ラカ・スカワティ死去。


1968年:インドネシア五カ年計画において、バリの開発における観光の重視が方向づけられ、国際規模の観光推進がうたわれる。本格的ツーリズムの始まり。


1969年:ングラ・ライ国際空港開港。


1974年:ウブドに電気開通。


1976年:ネカ美術館開館。政府から正式に美術館と認められたのは1982年7月7日。


1978年:ウブドに郵便局開設。


1979年:サレン王宮の家長チョクルド・アナック・アグン・グデ・スカワティの火葬式。


1981年:チャンプアン橋開通。
:ティルタ・サリ歌舞団結成。


1982年:日本人経営の宿泊施設「マタハリ・ペンション」オープン。


1983年:ビナ・ウィサタ(観光案内所)開設。シルビオ・サントーサ氏の提案によって村民有志が運営。


1984年:ウブドに電話開設。


1985年:芸能の定期公演始まる。


1986年:サヌール・バリ・ビーチ・ホテルの建築=マス・ツーリズムへの展開の始まり。
:日本人経営のレストラン「ウブド・ラヤ」オープン。
:12月1日、アナック・アグン・グデ・ングラ・マンダラ死去(享年81歳)。


1988年:スマラ・ラティ歌舞団結成。


1989年:デンパサール及び新規開発エリアにおける15メートル(ココヤシの高さ)の建築高さ規制。
:6月、ビナ・ウィサタがウブド村議会主導となる。
:ウブド市場にセンゴール(夜市)がオープン。
アマンダリ・ホテルオープン。高級リゾート化への幕開け。


1990年:5月7日、伊藤博史のウブド長期滞在始まる。


1991年:7月10日、日本食レストラン「影武者」オープン。


1993年:11月22日、センゴール閉鎖。閉鎖理由はレストランからの圧力。


1996年:6月9日、アルマ美術館開館。


1998年:スハルト大統領辞任。
:ガス・ステーション一号(テガス=Teges)。


1999年:画家アントニオ・ブランコ死去(享年88歳)。ブランコ・ルネッサンス美術館開館。


2003年:2月、信号設置第一号はアンドンの交差点、続いてテガスの交差点。


2004年:大型リゾートのホテル・ロイヤル・ピタマハがオープン。



様々な資料をもとにまとめてみました。不備な点が多々ありますが、訂正しますのでアドバイスください。




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