「極楽通信・UBUD」



高僧ルシ・マルカンディア(Rsi Markandeya)





バリのヒンドゥー教が現在みられるような形になったのは、幾人かのヒンドゥー教僧侶の功績と長い年月がかかっていると思われる。
ルシ・マルカンディア、高僧クトゥラン、そしてダンヒャン・ニラルタの名が歴史上に登場する僧侶だ。


ウブドの歴史は、そのひとり、ルシ・マルカンディアの登場によって始まる。
ルシ・マルカンディアが、どのようにしてバリ島に渡り、またヒンドゥー教を広めていったかは、ロンタル・ルシ・マルカンディアに記述されている。
翻訳者によってそれぞれ解釈が違うので、ここでは足して割ったものを紹介する。


それは8世紀のことだ。
ルシ・マルカンディアはジャワ島中部にあるディエン高原山麓の村で、ヒンドゥー教の瞑想生活をしていた。この頃ディエンは、マタラム王朝のヒンドゥー教信仰の中心地とされていた。
マタラム王朝時代の建造物であるプランバナンは、ルシ・マルカンディアの時代のあと9世紀の遺跡になる。
仏教遺跡・ボロブドゥールが824年頃の建造物と言われているので、8世紀から9世紀の中部ジャワは、インドの大乗仏教とヒンドゥー教が共存していたことになる。


ルシ・マルカンディアはその後、ディエン高原を離れ、ジャワ島東部のラウン山の麓にあるアガ村に居を移した。
アガ村は豊かで村人は働き者だった。
ルシ・マルカンディアが移って来て以来、村は彼の豊富な知識によってさらに豊かになっていた。
ルシ・マルカンディアは、いつも村人に役に立つ助言を与え、村人も彼を賢者と仰いでいた。
ラウン山での瞑想中のある日、彼は東の空に閃光を見た。
閃光は、山脈を西から東へと光りの帯を作った。
その遙か東方に、大空を貫く高峰がそびえていた。
しばらくして、光りは消え、霧雨とともに暴風が吹き始め、稲妻が大地を鞭打った。
それから間もなくして、彼は空にとどろく不思議な声を聞いた。
山の頂から頂まで、光明を帯びた領域をそなたに託そう」
ルシ・マルカンディアは、神のお告げを受けたのだ。
彼は、神のお告げをアガ村の人々に伝えた。
村人は彼の受けたお告げに興味を持ち、偉大なルシ・マルカンディアの新天地への旅にぜひともお供したいと申し出た。


そして吉日、ルシ・マルカンディアに率いられた800人の従者は、東方の島に向かってラワン山を出発した。
東方の島というのが、今のバリ島である。高峰はグヌン・アグン(偉大な山)と呼ばれた。
この頃のバリ島は、危険な精霊に満ちあふれた地で、これまで多くの旅人が戻ってこなかった。
バリ島に渡った一行は、ジャワ島から眺めることができた美しく偉大な山アグン山に向かって進んだ。
しかし旅の途中、信者たちの幾人かが、疫病や飢え、野生動物の襲撃によって命を落とした。
ルシ・マルカンディアは深い悲しみに沈み、なやまされ、恐怖におののく従者たちの健康と安全のために、1度ジャワ島に戻ることにした。


ルシ・マルカンディアは、再びラウン山に戻って瞑想し、願いを聞き入れてくれるよう神々に祈願した。
彼がバリに再び出発する際には、アガ村から新たに400人の従者が同行した。
彼らは新しい村で食料を作るための農工具を持って行った。
パワーのある、5つの金属(金、銀、銅、錫、鉄)を持参した。
(現在、ルシ・マルカンディアに由来する寺院には、必ずこの5つの金属が埋蔵されていると言う)


再度の旅は、光りとエネルギーに引かれるようにして、島の中心部に向かっていった。
途中、2つのWos(ウオス)川(Lanang=男性、 Wadon女性)が合流する美しい渓谷が目にとまった。
谷あいから眺めると、まわりを小高い丘が取り囲んでいる、深い深い渓谷だ。
2つのWos川が合流することと、この地で、ルシ・マルカンディアがこれから進むべき道の思考を混乱させられたことにちなんで、チャンプアン=Campuhan(古代ジャワ語・現在バリ語で、混ざるという意味のチャンプー=Campuhに由来する)と名づけた。
一行は、豊富な湧き水の出るチャンプアンのほとりで生活を始めた。
ルシ・マルカンディアは、チャンプアンの北2キロほどの地で瞑想に入った。
この地はのちに、瞑想する地・パヨガン(Payoganはyoga瞑想から由来)と呼ばれ、プチャ・パヨガン(Pucak Payogan)寺院が建立された。
パヨガン寺院
プチャ・パヨガン寺院は、わたしが以前から気になっていた寺院のひとつで、是非一度訪れてみたいと思っていた。
今年(2004年)滞在15年目にして、やっと寺院祭礼で訪れることができた。
これまで、森の中に深閑と建っていた寺院だったが、このたび改修工事が行われ、寺院祭礼の規模が大きくなったようだ。
ルシ・マルカンディアが瞑想した位置はわからなかったが、村人と一緒にお祈りすることができた。
しかし、わたしには何も閃くものはいただけなかった。


話しが横道にそれてしまったが、もとに戻そう。
ルシ・マルカンディアが瞑想中、神に啓示されたインスピレーションは、Wos川をたどって進路を北へ向かうことだった。
従者の幾人は、美しい渓谷の地に留まり、あと一行は、ルシ・マルカンディアとともに聖地を求めてチャンプアンを出立した。
この時を記念して、2つのWos川が合流する地にグヌン・ルバ寺院(Pura Gunung Lebah=小高い丘の寺院)を建立した。
グヌン・ルバ寺院はバリ最古の寺院のひとつである。



グヌン・ルバ寺院の見える風景


チャンプアンに留まった従者は、この地に豊富な泉と多くの薬草があることを知った。
ウブドの村名の由来は、ウバット=ubad(薬草)からきていると言われる。
チャンプアンの2つの川のほとりには、いくつもの泉が湧き出ている。
西の川辺の泉は寺院祭礼のための聖水として、また東の川辺の泉は沐浴(マンディ)のために使われ従者の健康を取り戻した。こうしてウブドの村は始まったのだ。


移動した一行は、植物が実り居住に適した場所に着くまで、2つのWos川に挟まれた丘を北上していった。
そして、必要なものがすべて揃った肥沃な地を見つけた。
この地に、里を拓こうとルシ・マルカンディア一行は、奥深いジャングルを切り開いていった。
ジャングルを開墾し、持参した作物の種を植えていった。
彼らはその地をサルワアダ(現在のデサ・テガラランにあるタロ村)と名付け、そこにグヌン・ラウン(Pura Gunung Raung)寺院を建立した(のちにアグン・グヌン・ラウン寺院となる)。
チャンプアンからタロ村にかけて、クリキ(Keliki)村にグヌン・カウイ寺院(Pura Gunung Kawi)、イエ・トゥンガ(Yeh Tengah)村にグムン・グンパル寺院(Pura Gunung Gempal)、ブロソロ(Braselo)村グヌン・サリ寺院(Pura Gunung Sari)を建立している。これ以外にも、ゆかりの寺院は多い。
ルシ・マルカンディアは、タロ村から霊峰アグン山に向かい、現在ブサキ寺院の建っている地点に、5つの金属を埋蔵したと言われる。
ブサキ寺院は、その後11世紀前半に僧侶クトゥランによって新たに建立された。
彼はこの地で、バンジャールとデサ(村)の組織、そして、見事なライス・フィルドに整備された潅漑システム=スバックの基礎を作成した。


スバックは、同一の水路を利用して稲作を行う水利組合でもある。水路は、上方のタロ村から、いくつものスバックを経由して、下方のグヌン・ルバ寺院近くにあるスバリ村まで利用されている。
これが、グヌン・ルバ寺院はスバック寺院だと言われる由縁だ。
ルシ・マルカンディアの生涯は、その後、謎に包まれたままだ。姿を消したのも、瞑想中に、天上に昇っていったと言い伝えられている。
なんと、11世紀頃の遺跡といわれているタンパクシリン村のグヌン・カウィ(Gunung Kawi)より200年も古い話である。



チャンプアン橋                  グヌン・ルバー寺院周辺



オダラン@グヌン・ルバ寺院




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