「極楽通信・UBUD」



スバック(Subak=水利組合)





《バリ島の水利組合システム「スバック」が世界文化遺産に!》
2012年6月24日〜7月06日、ロシア・サンクトペテルブルグにて開催された国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「第36回 世界遺産委員会」にて、バリ島の水利組合システム「スバック」が世界文化遺産として登録された。バリ人の信仰する宗教「ヒンドゥー・ダルモ」の哲学「トリ・ヒタ・カラナ=Tri Hita Karana」に、密接につながる水利組合システムが評価されたようだ。Triは三つ、Hitaは幸せ、調和する、Karanaは原因と言う意味になる。
「トリ・ヒタ・カラナ」とは、バリ人の世界観“Parhyangan(パラーヤンガン)=神と人間” “Pawongan(パウォンガン)=人間と人間” “ Palemahan(パレマーアン)=人間と自然 ”の3つの調和を現している。
登録されたのは「バトゥカル山林保護区内ジャティルウィ地区 (タバナン県)」「 タマ・ンアユン寺院 (バドゥン県)」「 プクリサン(pekerisan)川流域 (ギャニアール県)」「ウルンダヌ・バトゥール寺院 (バンリ県)」を含む五つの棚田地域合計約19,500ヘクタールとのこと。


スバック


バリの風景で印象的なのは、いつでもどこでも視界に入ってくる田んぼだ。田んぼのことは、インドネシア語でサワ(sawah)という。
バリの田んぼは、ほとんど斜面にあると言っていいほどで、日本ならさしずめ段々畑というところだ。巨大な階段のように作られたライス・テラス(棚田)が丘陵をおおい、山裾から平地へと広がっていく。
世界遺産であるフィリッピン・ルソン島コルディレラ山の世界最大ライス・テラスには遠く及ばないが、渓谷を利用して作られた箱庭的な美しさでは、ほかの国に類がないと言われているほど風光明媚だ。


チュキン・テラス
チュキン(Ceking)村のライス・テラス
写真提供:田尾美野留氏


人ひとりが、やっと歩けるだけの細い畦道を残して、切り取られた田んぼは、人工的とは思えないほど、芸術的自然美だ。ウブド近郊では チュキン(Ceking)村のライス・テラスが有名だ。ここは自然が作った屋外演劇場を思わせる。タバナン県のジャティルイの棚田は、360度眺望で等高線を見ているようだ。カランガッサム県のアバン村からは、波打ち際の波紋を見るような美しく続く曲線のライス・テラス望まれる。ほかにも数々のナイス・スポットがある。
日本の田植えは4月下旬から5月上旬で、稲刈りは10月から11月だと聞いた。
四季のない常夏のバリは、どうしてかわからないが、1年中いつでも田植えができる。
稲刈りが終わった田んぼは、しばらく放置されたあと水が引かれ、カルガモ(インドネシア語はベベ=バリ語はイテ)が放される。余談だが、ハヌマン通りにある人気レストラン「ベベ・ブンギル」は「汚れたカモ」の意で、看板にはダーティー・ダックと英語でも表示されている。


スバック


農夫を先頭にしたベベの行列は、バリのゆかいな風物詩だ。時には、100羽を越える行列もある。農夫の持つ細い竹ざおの先端についた白い布を目印にして、ベベたちは服従する。ヒョコヒョコとついて行く姿がユーモラスだ。従順で礼儀正しく歩く姿は、ガイドに引率された、ひと昔前の日本人団体観光客を連想させる。
水が引かれた田んぼを、鹿のようなキャラメル色をした牛が耕す。よく見ると、顔も鹿に似ていて愛くるしい。水が張られた田んぼは、鏡のモザイクのようだ。
田植え前には、豊饒と安全を願って儀礼が行われる。持ち主ごとの田んぼに、小さな祠がある。


スバック


田んぼの神様は、デウィ・スリ。デウィ・スリは女神。そんなことから、田植え稲刈りは男性の仕事だ(今では女性もする)。
除草剤がまかれる田んぼもあるようだが、リンドゥン(田ウナギ)、カックール(タニシ)、コド(カエル)などが棲息するところを見ると微少だろうと考えたい。水が張られ稲が植えられた田んぼには、明るいうちはココカン(白鷺)エサをついばみ、夜は蛍が群舞する。暗月の夜、満天の星を見上げると、粉雪のように星が舞い落ちてきたことがあった。ところが、落ちてくるように見えた星は、おびただしいほどの数の蛍だったのである。この世のものとは思えない、幻想的な風景だった。
バリの稲作は、2期作から2.5期作のところが多い。田植えから稲刈りまでが、なんと3ヶ月というスピード収穫だ。こうして新たに田植えが始まる。
水稲栽培で最大量の水が必要とされるのは、農耕周期の開始期ないしは、その直後であり、その後周期が進むにつれしだいに必要量が減り、最終の取り入れ時には完全に排水した乾燥耕地で行われる。
斜面の多い田んぼは、水の利用法を考える必要がある。それには水を効率良く利用する水利組合がなくてはならない。
水稲耕作における完璧な水利組織が、ひとりの僧侶の提案によって始まった。
8世紀のこと、高僧ルシ・マルカンディアが提唱したのが「スバック」と呼ばれる組織である。
(碑文の研究によれば、スバック・システムは1071年から発見されたとある)


スバック スバック


スバックとは、水の供給源を同じくする水田のことで、その組織のことは、スコ・スバックという。スコ(Seka/Sekaha)とは集団、団体、組合を意味し、水田の近接する人々の潅漑農耕のために構成された組合である。
スバックは発祥の地名から命名されたと聞く。その後、変遷を重ねて今のスバックとなっているのだろうが、彼の功績は多大だ。
スコ・スバックは、バンジャールやデサ・アダット(慣習村)デサ・ディナス(行政村)とは独立につくられ細区分されている。スバックの成員は潅漑用水上区分内の耕地の所有によって決定される。したがって1つのバンジャールの組合員たちがいくつかの異なるスバックに所属していることもある。
スコ・スバックの長プカセ(Pekaseh)は組合員の中から選挙で選ばれる。プカセは潅漑を管理し、土地税を徴収し、水流の整備のために必要に応じて共同作業(ゴトンロヨン)を組織する。組合員は潅漑用水を利用する一方、このようなスコ・スバックのゴトンロヨンに参加する義務が課せられ、水路や堰の維持、水が盗まれないようにするための水路の巡視などをする。また、米を運ぶための道やスバックを結ぶ道路などの維持・修理、さらに集会場・寺院・穀物倉の建築・維持・補修などの仕事もある。作業の程度は各組合の水の配当分によって定められている。バリの風物詩であるベベを田んぼに放すのも、スコ・スバックによって義務づけられていると言う。


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水路の利用法を、ここで紹介しよう。
まず、山から海に向かう斜面上の、上方にあるスバックほど通水日が早くなっている。例えば、最上部にあるスバックが農耕活動を1月に開始したとすれば、海岸に近い最下部のスバックは農耕活動を4月に開始する。中間に位置するスバックは、その中間ということになる。田植え時期が同時でなく、上方から順をおって水を使用していくことで、水資源の有効利用をしているのだ。
その結果、下方に向かって農耕周期が1段階ずつ進むという形になる。上のスバックが田を耕すのに備えて水を引いている時には、下では耕地の準備を始めるところで、下が水を引いている時には、上では田植えをしているというわけだ。水路は複雑に分岐し、時にはトンネルを掘って通水している。途中、幾カ所で吸水される。
山麓の村では田植えをしているのに、少し進むと稲が少し伸びでいる。さらに進むとかなり伸びたところと変化していく。さらに稲は、黄金色に色づき、たわわに実った稲を重たげにもたげている。稲の成長過程を示す教材のような不思議な光景に出合うことになる。
そして最上部の田では、稲刈りの真っ最中。脱穀作業が、バレーボールのトス練習のようなリズミカルで軽快な音をたてている。竹で編んだ大きなカゴの端に叩きつけて米穀をカゴの中に落とす、昔からの脱穀方法だ。
また、スコ・スバックは、それぞれ寺院を持ち祀っている。それは、一種の信徒集団でもあると言える。組合員は、スバックの寺院で行われる祭礼に参加し、祭礼の費用を負担する。


スバック


こうして、バリの観光名所でもあるライス・テラスは守られているのだ。しかし観光名所であるライス・テラスが、逆に観光開発によって損なわれていくのではないかという心配も生まれてくる。自然大好き人間にとっては、調和のある開発を望んでやまない。


写真は、スバリ村・文化トレッキングで撮ったものです。
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(2012/07/25)