「極楽通信・UBUD」



タジェン(Tajen = 闘鶏)





ウブドを散策していると、道端で、大事そうに鶏を抱える男たちがしゃがみ込んでいるのをよく見かける。
ときおり、首のうしろや羽根をさすっている。
闘鶏の軍鶏をマッサージしているところだ。疑似戦をおこなっていることもある。
のんびりしたバリの風景だ。
たくさんのバイクが駐車していれば、たいていはその奥の空き地で闘鶏が催されているはずだ。
食用になる鶏は放し飼いだが、闘鶏に使われる軍鶏は、竹で編んだ釣り鐘型の大きな籠に入れられて大事に扱われている。
ひとり2羽から3羽が普通だが、10数羽も飼っている者もいる。
闘鶏に、女性の参加は認められていないようだ。
バリ人の男尊女卑が、こんなところに見受けられる。


闘鶏


闘鶏はバリ語でタジェン(Tajen)と呼ばれ、インドネシア語ではサブンガン・アヤム(Sabungan Ayam)と言われている。
バリの闘鶏は、軍鶏が戦いで流す数滴の血を下界の神々であるブト・カロに捧げ、ブト・カロが人々の活動を邪魔しないようにという宗教的な意味をもっている。
つまり闘鶏は神聖なる供儀で、オダラン(寺院祭礼)や火葬式をはじめ、大きな儀礼(Upacara)にはかかせないものである。
儀礼として催される闘鶏は、3試合と決められている。


しかし、実際の闘鶏は3試合で終わらず、このあとギャンブル性の強い闘鶏が始まる。
純粋にギャンブルだけの闘鶏が催されることも多い。
インドネシアではいっさいのギャンブルは法律上禁じられているが、宗教儀礼であるという理由から、バリでは半ば黙殺されている。
時には、本格的な取り締まりで、追いかけられることも逮捕されることもある。
取り締まりに目をつむるという理由で、小遣いをせしめる不届きな警察官もいる。


いずこの国にも、ギャンブル好きはいるもので、バリ人の男たちの中にも、いわゆる闘鶏狂いがいて、仕事をさぼり、かなり借金をして、周辺の村々のどこかである闘鶏に毎日のように出かけていく者もいる。
中には警察官もいるそうだ。
ギャンブルで財産を失った者もいるという話も聞いたことがある。


バリの闘鶏の特徴は、雄の軍鶏の右足首に10センチほどの鉄の鋭利なナイフを糸でしっかりと縛りつけて戦う。
ナイフはバリ語でタジ(taji)と呼ばれ、タジェンの語源になっている。
タジはジャワ語のタジャム(tajam=先がとがった)からきていると聞いた。


闘鶏はバリ人の男たちにとって、もっともポピュラーな娯楽のひとつだ。
カランガン(Kalangan)と呼ばれる闘鶏場には、2重3重にもなった大勢の男たちの人だかりでいっぱいだ。
闘鶏は四角く仕切られた空き地の中で行われる。
闘鶏場の端では、サテ・アヤム(鶏肉の串焼き)の露天が店開きしている。
負けた軍鶏の肉ではないそうだ。
軍鶏は、放し飼いの地鶏よりも肉が締まっていて、美味だと聞く。
しかし、揚げると歯が立たないほど固いので、もっぱらスパイスととも煮込むそうだ。
負けた鶏の肉は「Ayam Cundang」と呼ばれ、買うこともできるらしい。
男たちは殺気だち、賭博者のような刹那的な危機感に満ちている。
まわりで見ている観衆がどっちの軍鶏が勝つかを賭けているからである。
軍鶏の動きに合わせて、同じ動作をしている男もいる。
試合の直前に大声をあげて賭けの金額を交渉しあい、軍鶏が戦いはじめるとその喧噪が一挙に消えて、静まりかえる。
静まりかえった中で男たちは食い入るように勝負を見つめる。
そして勝負が決まるとまた騒々しさが戻り、お金の精算をし、しばらくのち別の軍鶏の試合がはじまる。
生き生きとした、というよりもギラギラした眼と、勝負が終わって緊張と興奮が収まった時の表情は、いつも穏和な微笑みを絶やさないバリの男と違う一面だ。


2羽の軍鶏を向かい合わせて、手を放すと軍鶏は首の毛を逆立たせ、地上高く跳躍し相手に跳び上かかっていく。
跳び上がったかと思うと、着地した時には1羽が倒れている。
一瞬のうちに勝敗が決まる時もあるが、血みどろの長期戦のこともある。
どちらかが戦意を喪失して逃げまどうと、今度は、軍鶏を飼っている竹籠よりひとまわり大きな竹籠に入れられて勝負が決められる。
2羽が入るには狭い。
竹籠に入れられて、死を賭けての闘いだ。
時々、タジをつけたまま観衆の中に飛び込んでいく軍鶏もいるそうで、参加者も命がけだ。
勝敗は、まず死んだほうが負け。
次に逃げ出したら負け、死ななくても両膝が地面につき11秒カウントされたら負けとなっている。
勝った軍鶏のタジは丁寧にほどかれるが、負けた軍鶏は無惨にもタジがついたまま脚を切り落とされる。
屍は勝者が持ち帰ることになっているようだ(とは限らない)。


ウブドの隣、彫刻の村として有名なマス村では、ガルンガンに大きな闘鶏が催される。
闘鶏場には500人ほどの男たちが見守る中で、お金が賭けられる。
ギャラリー、ホテル、レストランなどの金持ちオーナーがこぞって参加する。
遠くジャワやロンボクより駆けつけるお金持ちがもいるそうだ。
こういう大きな闘鶏は、行政も許しているようだ。


ところで、アメリカの文化人類学者がこの闘鶏を分析して、闘鶏はたんに金銭を賭けるだけのものではなく男にとってもっとも重要な名誉や地位、威信を賭けるものなのだと言っている。
戦う軍鶏は分身であり、闘鶏に参加する者は自分の親戚や同じ村の人が出している方の軍鶏に賭け、逆に敵対関係にある者とは逆の方に多額の金を賭ける。
そうして自分や自分の人間関係を誇示したり、相手の地位を攻撃したりするのだという。
確かにそういう面はある。
しかし、それはあくまでも闘鶏がもつ一面に過ぎないと思われる。
闘鶏はある者にとっては地位と名誉を発現させる舞台だが、ある者にとっては、一攫千金を狙う賭博の場であり、ある者にとっては日本人にとってのスポーツ観戦やパチンコなどと同じく、レクリエーションの場である。


ウブドでは、毎日のように夕方から男たちが集まって、少ない賭け金で和気あいあいと、日暮れまでのしばらくのあいだ、闘鶏を楽しむ。
それは地位や名誉とはほとんど関係はない、純粋な娯楽である。
日本人の参加(外国人なら女性でも許されるようだ)も許してくれるそうだが、くれぐれも財産がなくなるほど、のめり込まないように注意してください。


そう言えば、タジェン・ジャンクリック(Tajen Jangkrik)と呼ばれるコオロギを闘わせるギャンブルもある。
バリ人の男たちの、飽くなきギャンブル根性がうかがわれる。


参考文献:吉田竹也著「バリ宗教と人類学・解釈学的認識の冒険」発行所:風媒社。定価(本体3.200円+税)。
本書より一部を引用させていただきました。
「バリ宗教ハンドブック」発売元:アパ?(50.000ルピア)もお買い求めください。


家寺のオダラン(創立記念祭)にて。撮影:2016年12月4日


※特別付録・南米コロンビアの闘鶏(撮影:2015年4月)

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