「極楽通信・UBUD」



11「知られざるマジャパイトの陰謀」





マジャパイト(Majapahit)、そして、ガジャ・マダ(Gajah Mada)の名は、バリの歴史をひもとくと必ず登場してくる。
現在われわれが眼にするバリの宗教、芸能は、このマジャパイトの影響が大きい。
マジャパイトは、1293年から1520年まで東ジャワで栄えたヒンドゥー王朝。
ガジャ・マダは、マジャパイト王朝の14世紀頃に活躍した将軍で、のちに大臣から首相の地位まで登りつめた人物だ。
バリは、このガジャ・マダ将軍の率いる軍勢によって、1343年に制服された。
いずこの王朝にも栄枯盛衰はあるもの。ご多分に漏れずマジャパイト王朝も滅亡する。
原因は、イスラム教勢力であった。ジャワ島を追われたマジャパイト王朝は、バリに逃れた。
この結果、バリ文化のジャワ化、そしてジャワ・ヒンドゥー教の華が開いていくわけである。
ガジャ・マダ将軍は、バリ人からすると(ほとんどのインドネシア人かも)征服されたにもかかわらず、どういうわけか英雄扱いである。
そんなわけで、インドネシアのどの島に行っても大きな街には、ガジャ・マダの名がついた大通りが必ずあると言われる。
ところが、この英雄ガジャ・マダ将軍も、西ジャワのスンダ人からは極悪人扱いである。
それはなぜか。まず、これから話す「Perang Bubat (ブバット戦争)」の物語を読んでほしい。

友人のランギン・スンバダ(Rangin Sembada)は、ジャワ島出身のインドネシア人で大阪に20年住んでいた人物だ。
ジャワ島に産まれて育ったインドネシア人は、皆「ジャワ民族」だと思っていたわたしは、スンバダに「あなたはジャワ人ですよね?」と訊いたことがある。
しかし、それがどうやらそうではないらしい。
その時の彼は「私はジャワ人ではない。スンダ人だ」と、なにか侮辱されたことでも言われたように口を尖らせて応えた。
バリ島人は90%がバリ人で、ほとんど1民族であるが、東隣のロンボク島には、ササック民族とバリ人が同居している。
フローレス島は4民族。
その他の島々は、もっと多くの民族が分布し、インドネシアが多民族国家であることがわかる。
インドネシアは多民族の統一を国家のスローガンにしている。
そんなわけで、ジャワ島にジャワ人とスンダ人がいるのは不思議ではないのだが、スンバダがジャワ人と言われて、褐色の首筋に血管を立てるのはどうしてだろう。

その怒りを露わにした、スンバダから聞いた話である。
ブバット戦争とは、マジャパイト王朝とスンダ王朝(Pasundan )との戦いである。
マジャパイト王朝のガジャ・マダ将軍は、ヌサンタラ(Nusantara=今のインドネシアからタイまで)を統一するためにある誓いを神にした。
これが「パラパの誓い(Sumpah Palapa)」と言われるものである。
ガジャマダの、この誓いは「統一するまでは結婚はしない。
美味しいもや贅沢なものは欲しがりません」というものであった。
この誓いは、学校で歴史の時間に習うので、ほとんどのインドネシア国民は知っているそうだ。
統一するにあたっては、大きな弊害があった。
それはスンダ王朝である。
スンダ王朝は小さな国であったが、いくど攻めても失敗に終わってしまう難攻不落な国であった。

そこでガジャマダ将軍は、ある策略を立てた。
マジャパイト王朝の王とスンダ王朝の王の娘との結婚であった。
これは明らかに、政略結婚である。
スンダ王朝の王は、大国マジャパイトとの戦を避けたかった。
戦によって多くの民を亡くすことを嫌った王は、この申し込みを受けざるを得なかった。
そして、結婚式はマジャパイトの王宮で行うことになった。
日取りが決まり、スンダ王朝の王族はマジャパイトの都へ向かって旅立った。
結婚式を明日に控え、途中の村BUBATで一夜の宿をとることになった。

史実では、単なるマジャパイトとスンダの戦となっている。
がしかし、すでに陰謀は張りめぐらされ、この村でスンダ王朝の王族たちは闇討ちに合い全滅したのだった。
戦わずして全滅してしまったのだ。
こうして、スンダ王朝は王族の滅亡で消滅してしまった。
「これはだまし討ちだ」とスンバダは鶏のように首を長くして、青筋を立てた。
「その光景は悲惨なものだったそうだ。
これが事実なんだよ」と、声を落としてそう言った。
そんな歴史があるからか、スンダ人は、マジャパイト王朝を嫌う。
そしてスンダ人のプライドが許さないのか、西ジャワ島の民族をスンダ人、東ジャワの民族をジャワ人と、頑固に区別している。
「スンバダの怒る気持ちはわかる。
しかし、時は戦国時代のことだ。
時は移った。
同じインドネシア人で、いつまでも根に持つのも大人げないぞ」と、わたしはスンバダをなだめたのだった。
どの国の歴史にも、今日に伝えられている史実の影に、こんな知れれざる事実が隠されているものだ。
温厚に見えるインドネシアの国民も思わぬところで、こんな怒りが出たりする。

話が少々それるが、日本だってこんな平和な国々を一時は植民地にして、ひどいことを行ったのだ。
昔の話、として片づける前に、われわれはちゃんと歴史の事実を知り、それを心に留めた上で、この国の人々と接していきたいものである。




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