2006年12月31日(雨、のち曇):スポーツ・センター開設
プンゴセカン通りにあったスーパー・マーケット「ホレホレ」が閉店して久しい。今月、そのあとに「バレ・ウブド・スポーツ・センター」が開店。地元民が好むビリヤード、卓球、バトミントンのスポーツ施設が用意された。オープニングに、ビリヤードのウブド杯が行われている。
2006年12月30日(曇):餅つき
ウブド日本人会主催恒例の「もちつき」が、朝11時からカフェ・ビンタンで行われた。会費大人20,000ルピア、子供無料。親子合わせて50人ほどが集まり、賑やかに和気あいあいと進められた。
2006年12月29日(曇、時々晴):ワルン開店
プンゴセカン通りはカフェ・アルマの前、ネット・カフェのあとに12月26日ワルンが開店。店名はSpesial menu ikan laut「Warung Ubud(ワルン・ウブド)」。看板にあるように、メインは魚料理。Spesial Paket”Montok”(nasi,soup,ikan goreng)が15,000ルピア。今のところ食事メニューは6品(ご飯を含めて)しかないが、将来シーフードを充実する予定とのこと。営業時間:朝10.00~夜10:00。
2006年12月28日(曇、時々雨):スクマ通り
トゥブサヨ村にあるダラム・プリ寺院前の道は、スクマ通り(Jl:Sukma)だと、アパ?スタッフは思っていた。HIS発行の情報誌バリ・フリークにもそうある。しかし、もう一つイダ・バグース・マイッ通り(Jl:Ida Bagus Manik)という名称もあった。地球の歩き方、シルヴィオ・サントウサ氏発行の地図「Bali Pathfinder」にはそうある。どちらが正解か、今、確認中である。
そのスクマ通りを南下すると、道は左に大きく湾曲して、川に出る。川には、バイクがやっと通れる程の狭い橋があり、川端は村人のマンディ場になっていた。この道がいつのまにか、自動車がすれ違える程の広さになって、トゥンガ村集会場の横に出て、プリアタン大通りに繋がっていた。プリアタン王宮のある十字路が混んでいる時には、回り道ができて便利になった。
2006年12月25日(雨、時々曇):フランス料理店・開店
ゴータマ通りに、またまた新しいスポット「Pignou di Penyu」が、17日にオープンした。これまでで、もっともレストランらしい風情の店。フランス人女性オーナーシェフの作る、味もgoodで値段も高くない。電話08-283-677012。営業時間:朝8時から夜11時。
2006年12月12日(晴、時々曇):一夫多妻(poligami)
インドネシアのイスラム教宗教的指導者、A・A・GYMが二人目の奥さんをもらった。宗教上、一夫多妻(poligami=ポリガミ)は許されているようだが、今、多くの国民は、一夫一妻が望ましと考えている。A・A・GYMの重婚は、国民感情を逆撫でし、特に婦人層の不評をかっているようだ。
2006年12月9日(晴、時々曇):Anuna通り完成
Hari Raya Kuningan(クニンガン)祭礼日
9月9日の《ウブドnoニュース》で報告したAnuna通りの道路工事が終わった。カジェン通りのように洗練された感じではないが、コンクリート畳になってスッキリした。
2006年12月7日(薄曇):パダン料理店
ウブドにあるパダン料理店の味が落ちた、と言うツーリストの声をこの頃良よく聞く。ウブド滞在17年のI氏は、早速すべてのパダン料理店を試食してまわり、お薦めの店を教えてくれた。I氏推薦の店は、ウブド大通りのワルン・イゲランチャの左隣にある「PUTERI MINANG」。モンキーフォレストに姉妹店があるが、何故か姉妹店でもここの方が美味しいと言う。
2006年12月3日(曇):バロンのジャランジャラン
Hari Ulian(ウリアン)の吉日
ガルンガンとクニンガンの期間中、バロンが路地を練り歩く。家々の前では、家族がお布施を持って待ちかまえ、厄払いのため舞ってもらう。
2006年12月1日(晴):バンジャールのバザール
ウブドの十字路にあるワンティラン(集会場)でバンジャールのバザールが、12月1日から4日までの会期で始まった。協賛なのか、タバコ会社のノボリが、会場回りに賑やかに立っている。
2006年11月29日(晴):ガルンガン祭礼日
公務員や学校は休日。商店の休みも目立つ。バリ人は家寺と村の寺院に参拝する。街には、正装のバリ人が行きかい、日本の正月の風情だ。車の数が少ないせいか、空気が澄んでいる。
2006年11月28日(晴):プナンパハン
今日は、プナンパハン。早朝から、豚の悲鳴が聞こえた。バリ料理のラワールが作られる準備がはじまった合図だ。 家々の前には、ペンジョールが立てられ、いよいよ明日のガルンガンを待つのみだ。
2006年11月23日(晴):スギアン・ジャワの吉日
今日はHari Sugian Jawa(スギアン・ジャワ)の吉日。
明日はHari Sugian Bali(スギアン・バリ)の吉日。こうして、11月29日のガルンガン祭礼日に向けて、今日から一連の儀礼が続いていく。バリ人が日頃にも増して忙しくなる時期だ。家々の前には、普段より多くの供物が捧げられていた。
2006年11月21日(晴):トラック横転事故
昨夜9時、プンゴセカン村アルマ・ミュージアム付近で、トラックの横転事故があった。近くにいたアパ?スタッフが衝撃音を聞き現場に駆けつけた。トラックは単独事故で、沿道の街路樹に接触して横転したようだ。街路樹の幹には、大きく抉られた痕が残っていた。運転手は車から出ていたし、巻き添えをくった車もいないようだし、他に怪我人もなかったようで幸いだった。車の事故は、ウブドでは珍しいことだ。
2006年11月20日(晴):ティルム(暗月)
今日は月の無い夜・ティルム(暗月)。
バリの小・中学生は、満月(Purnama)と暗月(Tilem)、そして、毎月のようにある祭礼日に、パケヤン・アダット(正装)で登校する。ツーリストとしては、バリらしい晴れ姿が見えるのは嬉しい。本人たちに直接聞いていないが、彼らは、喜んで正装していると思いたい。家々の前には、暗月のための供物が供えられ、夕方には、供物を頭にのせた婦人たちが寺院を行きかう。
2006年11月16日(晴):自由筆記帳・私の定宿
永らくご愛読いただいた「自由筆記帳」と「私の定宿」を休止することになりました。今後共、APA?のホームページを利用していただけることを願っております。スタッフ一同
2006年11月8日(晴):雨季入り
4日の深夜から、毎日深夜になると、ウブドは激しいスコールに見舞われている。いよいよ雨季に入ったという感じだ。朝から夜に掛けては、晴天が続いているので、今のところ日常生活には支障がない。このスコールが徐々に時間をずらして、日中に降り出す。4日の深夜のスコールで、ハヌマン通りの民家の塀が倒れた。この事故で、駐車中の軽自動車が被害を受けた。
2006年10月25日(晴):IDUL FITRI
24,25日はインドネシアの祭日。イスラム教の断食明け祭です。両日のウブドは、パサール(市場)を中心にしてインドネシア人ツーリストで溢れていた。バビ・グリン(豚の丸焼き)料理専門店のイブ・オカと、ベベ・トゥトゥ(鴨の蒸し焼き)で有名なレストラン・ベベ・ブンギルが盛況であった。
2006年10月23日(晴):月のない夜に/紙と光と音のコラボレーション
21日(土)暗月。ウブド在住のアーチストたち。コンテンポラリー・ワールドミュージックグループ「PLANET BAMBOO」、バナナペーパー作家成瀬氏、舞踊家サコ嬢、舞踊家ニョマン・スラ氏らによるコラボレーションが開催された。心地良い音楽に身を任せ、ウブドの涼風を肌に感じて、前衛舞踊を鑑賞するのもおつなものでした。
2006年10月13日(晴):Mama’s Warung
「Mama’s Warung」の小さな看板の掛かった、2坪ほどのスペースに、2人掛けの竹製テーブルが2セットある。チッキンもカウンターも見あたらない店にビックリ。もちろん従業員の姿も見えない。店名看板の脇に、民家の中に誘導する看板があった。店は、民家の中にあるようだ。2000年に開店したと聞いたが、これでは見つからない。
知らない人の家を訪ねるように緊張する。横にある民家の門をくぐって中に入ると、すぐ右手に、レストランらしきスペースがある。ここがママズ・ワルンだ。ロスメンに泊まった経験のないツーリストには、興味が惹かれると思われるワルンだ。バリ人の庶民生活が見られる、貴重な体験にもなるだろう。ナシ・ゴレン6,000ルピア、ナシ・チャンプール7,500ルピアetc。営業時間:8am-11pm、年中無休 / Jl.sukma BrTebesaya No29 Peliatan.Ubud / phone:+62-361-977047・973211
2006年10月12日(晴):ウブド植物園オープン
ウブド大通りとティルタ・タワール通り(Jl.Tirta tawar)が交わるT字路から、1.5キロ北上したクトッ・カジョ村に、6月17日、「BOTANIC GARDEN UBUD=ウブド植物園」が開園した。のんびり散策して1時間ほどの、安全なジャングル・トレッキングといったところだ。入場料50,000ルピア(ローカル30,000ルピア)。
営業時間:8am-6pm、年中無休。
phone:+62-361-746 3389
E-mail:info@botanicgardenbali.com
website:www.botanicgardenbali.com。
2006年10月6日(晴):ウブドのフリー・ペーパー
ウブドだけのフリー・ペーパー「ウブド・コミュニティ」が登場。単行本より1センチ縦長サイズ。表紙写真をミニ写真館に追加しました。創刊は10月で、月刊誌。英語版だが、近い将来日本語版も出版の予定。内容は満足しているとは言えないが、まず取っかかりとしては充分だろう。今後を楽しみにしたい。発行者:Ruslan(ルスラン)/ 連絡先:携帯081-239-78366 / 085-237-163115
2006年9月30日(晴):アパ?お薦めショップ
Hari Tumpek Landep(トゥンプッ・ランドゥップ)の祭礼日
パサール駐車場前に、7年ほど前からあったシャリマール(Shalimar)は、2年前に現在の位置(ハヌマン通りのT字路近く)に移転した。ユニークでクオリティの良い商品(アンティック、布地、アクセサリー)に、今でもツーリストの人気は高い。Tel:62 361 977115 / Fax:62 361 975367 / E-mail:shalimar@idola.net.id。
2006年9月21日(晴):火葬儀礼の準備
プリアタン王宮内では、24日の火葬儀礼を控え、毎日のように儀礼が催されている。昨日は、ウブド・サレン王宮から竜の形をした棺(遺体を入れて燃やす)が、プリアタン王宮に運ばれた。また、プリアタン王宮からトゥブサヤ村にある火葬場までの沿道の街路樹が、片側すべて切り倒された。遺体を運ぶワデ(またはパドマ)がいかに大きなものか、が想像できる。当日は、電線も一時切られることだろう。
2006年9月20日(晴):プスピタ移転
●Hari Pagerwesi(パガルウェシ)の祭礼日
ハヌマン通りにあった、老舗ヴティック「プスピタ」が、昨日19日に移転した。移転先は、同じハヌマン通りのデウィシタ通り入り口。ウブドの十字路に近くなって、ツーリストには便利になり、嬉しい移転だ。
2006年9月16日(晴):バレ・バンジャール
●Hari Suci Saraswati(サラスワティ)の祭礼日
Anuna通り(9日のニュース「道路工事」をご覧ください)の入り口角にあったウブド・クロッドの集会場(バレ・バンジャール)が、この度、サッカー場横に完成した2階建ての大きな建物に移転した。今後、ウブド・クロッドの催事はこの建物で行われることになるだろう。
2006年9月14日(晴):日本食レストラン・オープン
9月2日、ハヌマン通りの真ん中あたりに、日本食レストランがにオープンした。店名は、大和(YAMATO)。日本人オーナーの店だ。間口が狭いので入りにくいが、奥に座敷とテーブル席があり、気取らない落ち着ける雰囲気の店だ。 営業時間:年中無休/10.00AM~10.00PM。TELP:(0361)971194。Jln.Hanoman No38 Padang Tegal-Ubud。
2006年9月11日(晴):サテ・クリンチ
ウサギ(クリンチ=Kelinci)肉を使ったサテ(串焼き)を出すワルンがある。場所は、スウェタ通りを2キロほど北上し、ホテル・タマン・サクティ(Taman Sakti)のエントランスを右手に見て、左手にあるからすぐわかる。1年前にオープンし、地元の人々に人気を得ているが、ツーリストにはあまり知られていない。クリンチのサテはしっかり肉していて、鳥肉よりは重い味だ。意外と旨い。サテ、スープ、ご飯で20,000ルピア。営業時間:昼12時から夜10時まで。
2006年9月10日(晴):ティンジュ(Tinju=こぶし)
9日夜、WBA・フェザー級のタイトル・マッチがテレビで放映された。インドネシア語でボクシングは、ティンジュ(Tinju=こぶし)と言われている。チャンピオンはインドネシアのクリス・ジョン(Chris John)。彼は今、テレビCMに引っ張りだこの有名人だ。挑戦者は、パナマのレナン・アコスタ(Renan Acosta)。勝敗は12回戦の判定。どこかの国の疑惑を呼ぶ判定とは違い、公平な判定でチャンピオンの防衛となった。
2006年9月9日(晴):道路工事
Anuna通りの道路工事始まる。ウブドに、そんな名前の通りがあったけか、と疑問を持たれる方が多いでしょう。まったく知名度のない通りなので、ほとんどのツーリストは知らないと思う。しかし、通っていなくても、きっと前を横切っている通りです。
ウブドの十字路からモンキーフォレスト通りに入り50メートルほど行くと、コンクリート・ブロックの敷き詰められた道が終わる。その右手角に集会場の建物がある。その横に通っている道がAnuna通りだ。突き当たりのT字路を右折するとウブド大通りに出る道だ。ここは古くからロスメンの多い通りで、下町に紛れ込んだ雰囲気のある通りです。さて、どう変身するか楽しみです。
2006年9月7日(晴):P村とP村のイザコザ
今日は満月・プルナモ(pernama)
あるバリ人男性が死亡した。そこで、火葬前の埋葬を、どこの墓地にするかで問題が起こった。その人はプンゴセカン村に住んでいた。バンジャールもプンゴセカン村に参加していた。ところが、実家はパダンテガル村にある。バリでは、実家の村で埋葬するのが慣習だ。プンゴセカン村では、遺体をプンゴセカン村のダラム寺院の墓地に埋葬するのを拒み、パダンテガル村に送ることを決めた。一方パダンテガル村では、日頃バンジャールの相互扶助(ンガヤ/ゴトンロヨン)に参加しない人の協力をする必要はないと引き取らない。そんなことが原因で、両村の大勢の村人による一悶着が起こったようだ。警察のトラックが3台出動して、一触即発の現場を危険から回避した。ギャニアール県知事が仲介に入り、遺体はパダンテガル村に運ばれることで決着がついた。これは昨日の事件。深夜には、全国版のTVニュースで放送され、翌日の今日は地方紙に載っていう。
パダンテガル村とプンゴセカン村は、バンジャールに納める金(警備に関する)で、もめたことがある。その確執が未だに残っていて今回の事件になったのではという噂もある。
2006年9月6日(晴):カフェ・バタン・ワル
ウブドの人気レストランのひとつ「Kafe Batan Waru」が、店舗を拡張して、開放感のある店になった。ヴティック・オララが移転した後、建物は撤去され、敷地にはバタン・ワルの客席が増築された。床面積は小川まで伸びて、オープン・テラスの感覚になっている。エントランスから見た風景に、お洒落度がアップ。人気は、さらに高まりそうです。
2006年9月3日(晴):お知らせ
恒例のウブド古本交換会がカフェ・ビンタンで開催されます。会期は9月10日と11日の両日。時間は12.00~14.00までです。
また、これも毎年恒例のバリ日本人会主催「夏祭り盆踊り大会・第16回」が、10月7日に、ヌサドゥアのバリインターナショナルコンベンションセンターを会場にして開催されます。午後6時開場、6.30開演~9.30終了。在留邦人、地元の方、観光客、多くの方の参加を呼びかけています。
2006年8月25日(晴):ウパチャラ渋滞
ウブド地域の、クトゥ村とプンゴセカン村で集団葬。バトゥブラン村では、王族の大きな火葬式が行われた。サヌールでは、サヌール・フェスティバルが25日から27日まで開幕される。そんなことで、今日は各地で渋滞がみられた。
2006年8月23日(晴、時々曇):ウパチャラ渋滞
今日は、月がまったく出ない日・暗月(ティラム=Tilem)。
先週の賑やかさが嘘のように、今週は観光客の姿が少ない。ウブドの十字路にあるパサール(市場)前の観光バスによる渋滞がなくなったはずなのに、何故か、車が停滞している。原因は、10日のあった集団葬に関係する儀式の行列だった。
情報:サヌール地域で8月25日から27日にかけて、サヌール・フェスティバルが開催される。
2006年8月22日(晴):カフェ新規オープン
タマン村のスリウェダリ(Sriwedari)通りが、ウブド大通りのぶつかるT字路の突き当たりの、以前インターネット・カフェだったあとに、カフェが7月5日に新規開店していた。バリ南部セミニャックにあるカフェ・モカ(Cafe Moka)のウブド店だ。カフェ・モカは、以前から長期滞在者の間で、フランス・パンやケーキが美味しいと評判の店だ。プチ・ケーキ(9,000ルピア)とドリップ・コーヒー(8,000ルピア)で、午後のひとときをのんびり過ごすには最適なスペースだ。営業時間:年中無休/7.00am~10.00pm。TEL:972881。
2006年8月21日(晴):インドネシアの連休
17日の独立記念日の祭日から、21日のイスラム教の祭日の、金曜(18日)、土曜(19日)、日曜(20日)を挟んでインドネシアでは連休だった。日本のお盆休みと重なって、今年のウブドは久しぶりに賑わいをみせていた。このところのインドネシアは、天災、人災に見舞われ不幸続きであるが、なんとかこと逆境を乗り越えて欲しいものだ。
2006年8月17日(晴):インドネシア独立記念日の祭日
インドネシア独立記念式典とThe UBUD FESTIV 2006閉幕イベントが重なり、会場であるサッカー・グランドは、大勢の人々で埋まっていた。祭日ということもあってか、家族連れが露天を覗いている光景が多く見られた。晴天のウブドに、明るい歓声が溢れていた。
2006年8月13日(晴):インドネシア独立記念日
8月17日は、インドネシアの独立記念日だ。1945年に独立し、今年で61年目になる。独立記念日を間近に控え、家々にはメラ・プティ(紅白)の国旗が掲げられた。
現在の5万ルピア札の肖像画は、独立戦争の英雄、バリ人のグスティ・ングラ・ライ将軍(GUSTI NGURA RAI)だ。ングラ・ライは、ムングイ(Mengwi)の北にあるチャナンサリ(Carang Sari)王宮の子息だ。彼の名前は、バリの国際空港に冠されている。
スハルト(SOEHARTO)の肖像画で印刷された新札5万ルピアは、当時1番大きな額面だった。今は10万ルピアも出ている。スハルト政権が崩壊すると同時に、国歌インドネシア・ラヤの創作者、ワゲ・ルドルフ・スパルマン(WAGE RUDOLF SOEPRATAMAN)に変わった。ングラ・ライは三代目だ。三代目から、5万ルピア札は10万ルピア札と同様に、小さくスマートになった。
2006年8月12日(晴):モンキー・フォレスト
ウブドに観光名所は無い。しいて言えば、王宮、市場、そしてモンキー・フォレストだろうか。そのモンキー・フォレストの奥、寺院の裏手にあった、7頭の鹿が飼われていた金網フェンスが取り払われ、さらに奥の谷間に移動していた。これまでの長屋店舗も壊され、新たに店舗が建築中だ。ニュークニン村へ抜ける小道も整備された。将来、クオリティの高いショッピング・エリアにするのだろうか。
2006年8月11日(晴):ウブド・フェスティバル
ウブド・フェスティバルも残すところあと1週間。フェスティバルの内容は、前半が芸能で後半はスポーツ中心となった。今日は午後4時から、自転車のおそのり競争とバレーボール大会が、サッカー場で行われ、大勢の観衆で盛況だった。自転車おそのりの選手は子供達で、皆、真剣に取り込んでいた。バレーボールは青年たち。これも選手、応援団が熱く燃えていた。ウブド・フェスティバルの目的は、ウブド人による、ウブド人のためのフェスティバルだ。そういう意味では、成功したイベントだと思う。このあとサヌールでも、サヌール・ヴィレッジ・フェスティバルが催される予定らしい。
2006年8月10日(晴):集団葬(ガベン・マサル・ngaben masal)
8月は火葬式に適する時期だ。ウブド近郊のバンジャール(最小単位の集落)では、 近々行われる火葬式の準備で忙しい。タマン村、トゥブサヨ村、ポンゴセカン村などで、墓地に運ばれたなきがらを 納めて焼く張り子の棺・プトゥラガン(patulangan)制作過程が見られる。
2006年8月2日(晴):夜間出張マッサージ・サービス
日本から、夜9時頃にウブドに到着。飛行機の長旅で疲れた身体を癒したいのだが、すでにスパなどは閉店している。カタガタの身体を引きずってベッドに横たわる。こんな思いをした人はいませんか。そこでアパ?では、夜9時過ぎでもマッサージをしてくれるスタッフを探しました。
料金:足のマッサージ(1時間):100,000ルピア
全身+足のマッサージ(1時間):150,000ルピア
予約:前日までに、アパ?まで予約をいただければホテルへ伺います。
時間:21.00PM~24.00AM(もちろん、朝、昼も可能です)
2006年7月31日(晴):ブティック・オララ移転
デウィ・シータ通りのレストラン・バタン・ワルの隣にあったブティック・オララが、26日に移転開店した。新店舗は、ワルン・ビアビアなど、このところお洒落な店が増えたと評判のウブド・ニュースポット、ゴータマ通りだ。ユニークなデザインで根強い人気のオララは、店舗のデザインも斬新で人目につく。
2006年7月25日(晴):ティラム(Tilem)は暗月
今日は、月がまったく出ない日・ティラム(Tilem)だ。満月はプルナモ(Pernama)と言う。バリ島を紹介する本には、この日を新月と書いてあるが、新月(陰暦の月が初めて出る細い月)は月が見えている状態に使う言葉で適切ではない。吉田禎吾著「バリ島民」弘文堂には、暗月とある。そこでアパ?では、これからから、ティラム(Tilem)を暗月と呼ぶようにする。暗月の夜は、星や蛍の明かりがいっそう美しく見える。
2006年7月23日(晴):ミクシィにワヤン君
コミュニティ・エンターテイメント [mixi(ミクシィ)]に、アパ?スタッフ、ワヤン君が加入しました。辞書を片手に、日本語に奮闘しています。ミクシィに加入の方、ワヤン君あてにマイミクの追加を要請してください。
2006年7月22日(晴):ウブド・フェスティバル
Hari Tumpek Kandang(トゥンプッ・カンダン)の祭礼日
昨夜は、ワヤン・クリッ(影絵芝居)が公演された。今、バリでもっとも人気があると言われているCenk Blonkがダラン(人形遣い師)をつとめた。さすがの人気で、1000人ケチャを上回る今までの最高の人出だ。会場のサッカー場は、立錐の余地も無いほどの人であふれ、モンキーフォレスト通りはもちろん、デウィ・シータ通りもバイクが2重駐車し、歩道にも乗り上げている。ガング(脇道)までいっぱいだ。観客は、爆笑し、時に拍手がわく。ワヤン・クリッで、これまでに見たことのない盛り上がりであった。
2006年7月18日(晴):ウブド・フェスティバルによる弊害
17日のニュースで、ウブド・フェスティバルの毎年開催を続けて欲しい、と書いたが、それによって被害を被る人がいた。ひとつには、今まで、道端でチケットを売っていた人々に影響が出た。毎夜、無料で芸能鑑賞が出来るため、定期公演の客が激減し、それによって、チケットが売れなくなったのだ。今後、これ以外にも、被害を被る人が出てくることも考えられる。すべてを考慮したイベントになることを期待したい。
2006年7月17日(晴):ウブド・フェスティバル開催
16日午後3時、オープニング・パレードでウブド・フェスティバルが開幕された。会期は8月17日までの一ヶ月間続けられる。各種芸能が公演された初日の昨日は、会場であるサッカー場は場内人であふれ、道路まで人だかりだった。人も凄いがゴミも凄かった。これは、今後解決しなくてはいけない問題点だ。サッカー場には大きなステージが設営され、仮設のワルンも一部作られていた。最終のロック演奏が深夜1時近くまで続いた。町には活気にあふれ、有名レストランは満席の忙しさだ。毎年開催予定のようだが、続けて欲しいものだ。
2006年7月16日(曇):PKB終了
第28回バリ・アート・フェスティバル(PKB=PESTA KESENIAN BALI)が、盛況のうち15日に閉幕しました。待望の地域別ゴン・クビアール大会は、バドゥン県が優勝。第二位はギャニアール県でした。
2006年7月15日(曇):展覧会開催
14日夜6時30分、アルマ・ミュージアムで展覧会「TRADISI dan REPUTASI」のオープニング・セレモニーが行われた。サブタイトルは「Exhibition of 100years of Balinese traditional paintings」。バリ絵画の歴史を作った人々とその弟子たちの作品が展示されている。他の美術館やコレクターから集められたバリ絵画は、素晴らしい作品ばかりだ。バリ絵画の各スタイルが理解できるチャンスでもある。
2006年7月14日(曇):ローカル・レストラン開店
ゴータマ通りにあるバリ料理専門店「ワルン・ビアビア」の斜め前にジャワ料理の店「KEDAI NASI GOOTAMA」が今月12日にオープンした。パダン料理のように、ショーケースに並べられた作り置きの料理を注文する。ローカル価格なので、ジャワ人のコミュニティーになりそうな店だ。営業時間は11:00AMから。閉店は、これはナシ・チャンプール店のように料理が無くなったら終わりだそうだ。小綺麗な店舗なので、ツーリストも安心して入ることができる。
2006年7月11日(晴):The UBUD FESTIV 2006
ウブドでは「Ubud Capital of Calture for the World」と銘打って、7月16日(日)から8月17日(木)の1ヶ月間アート・フェスティバルが開催される。16日の開会式は、午後2時。会場は、モンキーフォレスト通りにあるサッカーグランドを中心に行われ、小学生からバンジャールの大人まで、ウブドの村民総出でイベントは繰り広げられる。今回のイベントが成功すれば、毎年開催される予定である。これはツーリストにとっては嬉しいニュースだ。
2006年7月7日(晴):Sei-Sui開店
ウブドからチャンプアン橋を越えたあたりからサンギンガン村に入る。しばらく行くとホテル・コリ・ウブドがある。コリ・ウブドから20メートルほど行ったギャラリー・TAROの入り口に、Antique & Used KIMONO「Sei-Sui」が開店。Sei-Suiは、日本の着物を素材にした袋物などを販売している。営業時間:10.00am~6.00pm/年中無休
2006年6月21日(曇、時々雨):ピリピリ開店
デウィ・シータ(Dewi Sita)通りは、ヴティック・ニラカンディ(Nilakandi)の左2軒隣に、昨年9月にオープンした店がある。クタにある「ピリピリ=PILIH PILIH」のウブド店だ。衣類、雑貨、袋物などが、バティックやイカット素材で作られている。営業時間:09.00-20.00 年中無休 / Telp:(0361)7454858
2006年6月17日(曇、時々雨):バリ島芸術祭・開催
Hari Tumpek Krulut(トゥンプッ・クルルッ)の吉日
第28回バリ島芸術祭(Pesta Kesenian Bali=P.K.B)が本日17日から7月15日まで、デンパサールのアートセンターを中心に開催される。今日は大統領を迎えてのオープニングが、午後3時から6時30分まで行われた。ウブドでは、18日(日曜日)からデサ寺院のオダラン(寺院祭礼)が始まる。21日までの4日間、毎夜奉納舞踊がある。19日(月曜日)はスマラ・ラティがジャウックとバロンを各5つ奉納する。
2006年6月15日(曇、のち晴):バリアン住所録
アパ?への問い合わせの中で、意外と多いのがバリアンについてです。お客様のお役に立てればと、アパ?では今後、各バリアンの得意とする治療を調べ、バリアンの住所録を作成していく予定でおります。住所録は、オリジナル・ツアーの中のバリアン・スピリチャル・ヒーリング・ツアーのあとに掲載されます。
2006年6月7日(晴):バリの風物詩
Hari Pegat Uwakan(プガッ・ウワカン)の吉日
バリでは、稲刈りのあと、刈り取ったワラは田んぼで燃やす。ライスフィールドに立ちのぼる白煙と背景の椰子並木は、バリの風物詩と言えるだろう。この風情を、ウブドで見ることが難しくなった。道沿いにレストランやホテルが軒を連ね、田んぼが見えなったからだ。かろうじて、ハヌマン通りを南下したあたりで、少し見られるくらいだ。レストランの裏手に田んぼが残っていることもあるが、ここも住宅が密集し始め、近い将来、すべてが宅地となるだろうことは容易に想像できる。猫の額ほどの田んぼで、ワラが燃やされると大変なことになる。四方を建物に囲まれた田んぼの煙は立ちのぼらず、低くたなびく。たなびいた煙は、風のおもむくまま流れていく。そして、レストランや住宅の中を我が物顔でたちこめていく。借景が売り物のレストランでは、メニューがかすむほどだった。もちろん、景色は霧がかかったように真っ白だ。白いだけなら許せるが、煙だから吸うと咳き込んでしまう。咳き込みながらコーヒーを啜るのは、お薦めできない。ウブドでは、バリの風物詩も迷惑なものになりつつあるのか。
2006年6月6日(晴):コラージュ展
Rie Mandalaさん(福岡1978年生まれ、沖縄芸大卒、ジョクジャカルタISI卒)の個展「Nomadic Journey 2006」がジャズ・カフェ前の[Sukma Gallery]で6月5日から22日まで開催されている。日本テーストが満載のコラージュ作品展。
Email:riemandala@yahoo.ca
サイト:www.mandalaworldmusic.com
2006年6月5日(晴):レストラン開店
レストラン・ベベ・ブンギルの隣にあったレストラン・マイマイ(MAI-MAI)のあとに、6月1日、レストラン「Ayam Tulang Lunak・Malioboro」がオープンした。店名に、鶏の柔らかい骨(Ayam Tulang Lunak)と変わったタイトルのついた、ジャカルタ、ジョクジャカルタ、その他の地域にチェーン展開しているレストランだ。メイン料理は、Prestoと言われる圧力釜で一度蒸したあと料理する、中部ジャワの料理だ。タイトルどおりに、Ayam Presto Goreng Crispyは、蒸したあと揚げた(Goreng)鶏肉で、やはり骨まで食べることが出来る。一人前9,500ルピア、白飯3,000ルピア、コーヒー4,000ルピアとお手頃価格。デリバリー・サービスもある。年中無休。朝8時から夜10時まで営業。Telp:0361-978524
2006年6月1日(晴):ジョクジャ地震・義援金
5月27日のジョクジャカルタ地震で、亡くなった人5、000人と言われる。被害者、倒壊した家屋も多く、すでに5日を経ているが、未だに救援は遅れているようだ。人々は、一刻を争う援助を望んでいる。
問い合わせのあった義援金の振り込み先について、アパ?では、次をお薦めしています。
1)ジョクジャに長期滞在しいて、被害者の救済に奮闘している人です。
口座名義:広田緑
振込先銀行:三菱東京UFJ・藤が丘支店
口座番号:普通預金・441439
確認のため、お手数ですがメールで振り込んだ旨をお知らせください。とのことです。
midori_ape@yahoo.co.jp
■取り急ぎ、お知らせまで。
2006年5月30日(晴):レストラン開店
デウィ・シータ通りにあった日本料理店「乾杯」が閉店した後、長い間、空店舗となっていたが、この5月15日新たにレストラン「DRAGONFLY]がオープンした。営業時間は、昼の2時から夜11時まで。ライブ・ミュージック(6:30から)もある。
PHONE:(0361)972-973 FAX:(0361)972-974 EMAIL:dragonflyubud@yahoo.com
2006年5月29日(曇):豚の遁走
午後3時45分。シンガカルタ(Singakarta)からニュークニン(Nyuh-kuning)に抜ける道路で、小渋滞があった。バイクで前に出ると、100kgはあると思われるピンクの豚が、道の中央を右往左往している。近くの家から遁走したのだろう。村人たちが追い回している。しばらくして、豚は小路を入っていった。こんな大きな豚が、ぶつかって来たら、トンだ事故になるだろう。なんて冗談も言っておれない。バリならではの、珍事件、珍渋滞でした。
2006年5月28日(曇):ジョクジャカルタ地震
27日早朝のジョクジャカルタ大地震の影響で、ジョクジャカルタ空港が麻痺している。プランバナン遺跡も少し崩壊して、これでは観光もできまい。もっともこんな時期、被害にあった人々にも申し訳なく、ジョクジャカルタを観光する気分にもならないだろう。アパ?では、ジョクジャカルタ観光を当分の間、自粛することになりました。復興のあかつきには、再開いたしますので、それまでお待ちください。被害に合った方々の冥福を祈りたいと思います。
2006年5月25日(晴):アート・フェスティバル
6月17日(土)から7月15日(土)まで開催される、第28回アートフェスティバル(Pesta Kesenian Bali)のスケジュールが公開された。目玉演目であるゴン・クビヤール大会の本年度優勝グループ発表は、最終日15日に発表・公演される。詳細はwww.bali.go.idを参照くださるか、アパ?にお訊ねください。さて、今年はどんな芸能が見られるか、今から楽しみです。
2006年5月23日(曇、時々晴):日本人会大運動会
21日。好天に恵まれた日曜日、サヌールにあるサッカー・グランドにて、バリ島日本人会主催による第3回大運動会が開かれた。多勢の出場者と観戦者を集め、競技が順調に進められたのは、運営委員の努力のたまものだろう。競技は例年のごとく、ヌサドゥア&ジンバラン地区、クタ地区、デンパサール地区、サヌール&ウブド地区の4チームで得点を競います。結果は、サヌール&ウブド地区の2年連続優勝で幕を閉じました。途中、急激は運動から肉離れを起こした人、騎馬戦にて落馬して負傷した人、日射病にかかった人などが出ましたが、参加者一同、楽しい休日を過ごしていました。朝9時から始まった運動会は、昼食休憩を1時間挟んで、3時まで熱い戦いが続きました。
2006年5月3日(曇、一時雨):ガルンガンの祭礼日
ツーリストの姿より、正装のバリ人老若男女の姿が目立つウブドの町です。時折、バロンの行列が、バレガンジュールの音も賑やかに、ペンジョールの町並みを通り過ぎて行きます。
2006年5月2日(晴):プナンパハン
ガルンガンの前日は、プナンパハン=Hari Panampahanの日。早朝(深夜)からポトン・バビ(豚の屠殺)が行われ、ラワール料理が作られる。この日の午前中までに、家々の前にはペンジョールが立てられる。
2006年4月28日(晴):展覧会
Hari Sugian Bali(スギアン・バリ)の日
ARMA・ミュージアムでバリ人の絵描きによる8人展が、5月4日から6月27日まで開かれる。入場無料。
2006年4月27日(晴):開店
Hari Sugian Jawa(スギアン・ジャワ)の日
プンゴセカン村、ザ・ウブド・ヴィレッジ・リゾートの前に、レストラン「Pawitra Sari」が 4月23日にオープンした。バリ風建築のオープンエアー3階建で、エントランスのパーキング・エリア両側には土産物店がある。料理は、Balinese&International Food。1,2,3階、奥庭のあずまや数棟がレストラン。3階部分の座敷席は、天守閣にも登った城主感覚。涼風が通り抜ける座敷で、ひなが読書で一日過ごすのもよいかも。将来、台湾系ツアー会社とのジョイント計画があるようだが、ツアーの団体客が来るとなると、一般客は敬遠するのではないかと危惧される。Tel/(0361)972840.971448
2006年4月26日(晴):Panorama Indonesia 2006
すでにご存じかと思いますが、「日本最大級の規模で開催するインドネシアのお祭りです!」と銘打って、5月4日(名古屋)、5日(大阪)のゴールデン・ウイーク中に開催されるイベント。コンサートの収益金は、事故・災害等で親をなくしたり、生活困難のため義務教育を受けられない子供達の支援を目的として、インドネシア国内で信頼のおける各関係機関へ寄付いたします。支援方法等の詳細についてはwww.formasi.netをご覧ください。(原稿はチラシより引用しました)。
せっかくゴールデン・ウイークにバリに訪れる旅行者の方々には残念ですが、4日、5日の両日に、踊り子ユリアティ嬢が出演するため、プリアタンでの定期公演に彼女は出演しないもようです。出演者などの詳細は、イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュールの予告をご覧ください。
2006年4月24日(晴):オープン
パサール・ウブド(ウブド市場)駐車場の北側、これまでアンティック・ショップのあったあとにレストラン「Rendezvous doux」が3月下旬にオープンしていた。陽射しの強い昼間のパサール見学あとには、エアコンがきいている「Rendezvous doux」は良いかも。読書コーナーがあって、個人のお宅を訪ねたような落ち着いた雰囲気。年中無休。営業時間/8:00am-11:00pm。Tel/(0361)7470163
2006年4月14日(晴):ガソリン・スタンド
ガソリン・スタンドのことをインドネシアでは、ポンパ・ベンシン(Pompa bensin)と言う。直訳すると、ガソリン給油ポンプとなる。これまでウブド地区に一店舗も無かったポンパ・ベンシンが、今年に入って2店舗開店。1件は、アンドンの交差点からスーパー・デルタ・デワタを越してしばらく行った左手。ここはすでにオープンしている。もう一件はプンゴセカンで、テガスからの道が交わるT字路の北東角で近日オープン。もとノマド建材店があったところだ。南東角も整地されて、T字路は見通しがよくなった。これまでガソリンを小売りしていた近辺の小店に、ポンパ・ベンシンの出店は、影響があるだろう。
2006年4月12日(曇、時々晴):ブサキ寺院
ブサキ寺院のオダランが、今日(12日)から22日にかけて行われる。この祭礼は、ウルン・ダヌバトゥール寺院とブサキ寺院の2寺院を巡って参拝することになっている。バリ全島からヒンドゥー教徒が参拝に集まり、毎年、凄い人出だ。アパ?では、ブサキ寺院オダラン・ツアーの希望者を募っています。
4月15日:パダンテガル(ジャティ・ホームステイ)の火装式が予定されている。火葬場は、トゥブサヨのダラム・プリ寺院。
2006年4月10日(曇):洪水(Banjir=バンジール)
1昨日、昨日と、夜6時頃になると、朝からの快晴が嘘のように、大雨にたたられた。ウブド大通りとハヌマン通りの交じ合うT字路とデウィ・シータ通りの中央(橋のある付近)、そしてプンゴセカンからニュークニンに向かう道の一部が洪水となる。ハヌマン通りは、激流の川と化す。大雨は、深夜まで続いた。
2006年4月8日(晴,のち曇):深谷陽・文庫
Hari Tumpek Uduh(トゥンプッ・ウドゥー)の日
ブンブン・カフェにあった「深谷陽・文庫」が、アパ?に移動しました。ご利用ください。
2006年4月6日(晴,のち雨):Pincuk cafe
スーパーマーケット・デルタ・デワタのエントランスに、6ヶ月前にオープンしたレストラン「Pincuk cafe」がある。イタリア・レストラン「ピザ・バグース」の姉妹店だ。辞書を見ると、Pincukとはインドネシア風の果物のサラダとある。ジャズが流れる店内は、ほどよくエアコンのきいている。大きなフィックスのガラス窓から見る景色が、どことなく駅前のロータリーを見るにも似た雰囲気で、地方都市の喫茶店にでも入った錯覚をする。ハンバーガー14,000ルピア、フレンチ・フライ5,000ルピア。チキン・バーガーが美味だった。
2006年4月5日(晴):Barberkyu Kafe
モンキーフォレスト通りに2軒あった「バリ・ペスト=Bali Pesto」のうち、1号店であるヴィラ・ラサ・サヤン店が「Barberkyu Kafe」と店名を変更した。赤いアンドン看板が目印だ。これで「バリ・ペスト」は、ヴィラ・ラサ・サヤンから20メートルほど南下した3階建ビル・1Fの1店舗のみとなった。(2005年7月9日《ウブドnoニュース》バリ・ペスト(Bali Pesto)の続報)
2006年4月1日(曇):ニュピの外出
ニュピ当日に、テガラランの某村の村人2名が、トアックを採りに外出したそうだ。彼らは、巡回中のプチャラン(村の自警団)に見つかり逮捕された。2人には罰金1人につき5万ルピアが言い渡された。もしこれが、闇夜の徘徊で、泥棒と間違えられたら、死を覚悟しなくてはいけないかも。ヒンドゥー教徒以外の人が外出を見つかった場合、村を汚されたとして村ではムチャルの儀式をやり直さなくてはいけない。そうなると、罰金は5万ルピアでは済まないだろう。これは笑い事ではない。
2006年3月31日(曇):SELAMAT HARI NYEPI
30日のニュピは、サコ暦1928年の新年でした。ニュピ前夜に一昨年の汚れをすべて落とし、ニュピ当日は穏やかに暮らし、新たな年を迎えるに備える。今年が平和な年でありますように。
2006年3月29日(晴):ニュピ前夜
午後6時、すでにシャッターを下ろしている店も多い。家の前には、悪霊除けの供物が捧げられ、寺院でもムチャルの儀式が行われている。モンキーフォレスト通りにあるサッカー場とハヌマン通りには、オゴホゴ達が勢揃し出番の日没を待っている。あちこちから爆竹の音が聞こえてくる。さあ、オゴホゴの行列を見に行こう。
2006年3月28日(晴):スンダ料理
トゥブサヨ村のダラム・プリ寺院前にあったワルン「ミー・ジャカルタ」が閉店して、「HOGA」というレストランに変わっていたというニュースをお知らせしたのは、1月4日だった。3月26日、今度は「WARUNG SUNDA」と変わった。ウブドの店舗の開店、閉店はめまぐるしいものがある。アパ? スタッフは、さっそく覗いてみた。ウブド在住のスンダ人が増えたのか、ローカル相手のワルンだ。メニューはなく、カウンターに並べられた料理を選ぶ。値段は超安いのだが、味は、スンダ料理専門店の草分け「イゲランチャ」のほうが、日本人の口には合うだろう。
2006年3月27日(晴):オゴホゴ
30日のニュピまで、あと4日となった。過去2年、オゴホゴの出番がなく、静かなニュピ前夜を過ごした。今年は久々に、オゴホゴが登場する。すでに完成した、悪霊オゴホゴ達が、出番を控えて手ぐすね引いて待っている。今年のニュピ前夜はどうなるか、今から楽しみだ。
2006年3月25日(晴):謎の集会
9:00PM、トゥブサヨ村のワンティラン(集会場)周辺が、バイクでごった返していた。スピーカーから聞こえてくる歌声の先を見るとワンティランの中も人がいっぱい。何やらコンサートの雰囲気だ。手近にいる人に聞くと、役員の交代のためのフェスタだと答えたが、具体的には何の集会かは知らないようだ。コンサートのあと、ドラマ・ゴンが上演されると言っていた。ウブドでは、よく集会が催されている。招待された、会場の前列以外の観客は、何も知らずに芸能を鑑賞しているのだ。
2006年3月23日(晴):続報・ポカポカ地球家族
《ウブドnoニュース》3月8日に、「日本料理店・影武者」の女将・由美さんの、テレビ朝日「ポカポカ地球家族」出演決定を報告した。その撮影が18日から始まり昨日22日に、無事終了した。どんなバリが紹介されているか、楽しみです。放映予定は、5月13日(土曜日)となっているが、正確な放映日が決まりしだい、続続報としてお知らせし ます。
2006年3月21日(曇、時々雨):一触即発
2月15日の《ウブドnoニュース》:自警団(Pecalang)で、徴収金のことについて報告した。その自警団の徴収金について、パダンテガル村とプンゴセカン村は今、一触即発状態になっている。ことの起こりは、両村の境界があいまいのためだ。これまでは田んぼばかりで見向きもしなかった地域が、今は、住宅や店舗でぎっしり埋り、プンゴセカン村としては重要な財源となった。行政上はプンゴセカン村に属すのだが、パダンテガル村は「昔、道路を整備したのはうちの村だ」と主張して縄張りを譲らない。プンゴセカン村に納金すればよい地域の住人や店舗は、縄張り争いの渦中、両村にお金を払っているのが現状だ。
2006年3月20日(曇、時々雨):インド料理専門店
サッカー場の奥、レストラン・デリキャットの隣に、インド料理専門店が1月20日にオープンしていた。外観、インテリアは、どことなくインド風。ウエートレスのユニフォームもインド風で、気分はインドだ。ウブドで初の水タバコ、1時間50,000ルピアも試してみたい。営業時間8:00AM~11:00Pm。アーユルヴェーダ・スパ&マッサージ「Bollywood」も併設している。
2006年3月18日(晴):珈琲専門店
スーパーマーケット・ビンタンにある書店・PERIPLUSの中に、珈琲店が2月4日にオープンしていた。喫茶店でなく珈琲専門店だ。西ジャワのボゴールから、コーヒーのメーカー、MERDEKAの直営店「PERIPLUS・CAFE」だ。コーヒー豆の小売りもしている。エアコンのほどよくきいた店内の大テーブルで、コーヒーをすすりながら読書もいいかも。
2006年3月14日(晴):ニュピのオゴホゴ
あと2週間するとニュピ(3月30日)だ。昨年、一昨年と中止になっていた、ニュピ前夜に繰り出されるオゴホゴみこしが、今年は練り歩くようだ。すでにオゴホゴ作りに入っているバンジャールもある。
プナタラン・サシ寺院のオダランが明日15日から始まる。今日は、近郊に村々からススオナン(ご神体)が運ばれる。
2006年3月13日(晴):ラ・ビアン・ローズ閉店
2002年10月12日、バリ南部クタの爆弾テロが起こる少し前にオープンした、ウブド初の本格的バー「ラ・ビアン・ローズ」が閉店した。3年半、ウブドの夜を楽しいものにしてくれた功績は大きき。
2006年3月8日(晴):ポカポカ地球家族
「日本料理店・影武者」の女将・由美さんがテレビ朝日の「ポカポカ地球家族」に出演決定。放映予定は5月13日。土曜日の夕方18:30~19:00。爆弾テロの影響で激減しているツーリストが、「ポカポカ地球家族」を見て、少しでもバリに戻ってくれることを願っています。www.tv_asahi.co.jp/chikyukazoku/
2006年3月4日(晴):リサイクル・ショップ
Hari Tumpek Landep(トゥンプッ・ランドゥップの吉日)
トゥブサヨ村スクマ通り、ジャズカフェの南10メートルほどのところに、リサイクル・ショップ「Seashore・シーショア」がオープンした。古着専門の店はウブドで初めてだろう。他人の着た衣服を着るのに抵抗のある人もいるだろうが、アメリカン中古衣料の愛好家だったアパ?スタッフI氏は、個人的に応援すると言っています。http://www.malali-debali.com E-mail:mmmi64@dps.centrin.net.id
2006年3月3日(曇、時々晴):バリ・フリーク
エイチ・アイ・エスのフリー・ペーパー「バリ・フリーク=BALI・FREAK」がウブドを訪れるツーリスト、さらに長期滞在者の間でも、大変役に立っている。月刊の情報誌で、すでに5年も続いているという。強力なスタッフで運営されているのが想像できる。これからも、さらに精進して欲しいものです。入手先は、ワルン・ビアビア、カフェ・アンカサ。もちろん、エイチ・アイ・エスの事務所(モンキーフォレスト)でももらえます。
2006年3月1日(曇):火葬式
王族の火葬式(プレボン=plebon)が、昼過ぎから曇空の中、行われた。ウブド王宮の前(カジェン通り)から、張り子(プトゥラガン)の黒い牛(lembu)2台とワデ2台が出棺していった。火葬はダラム・プリ寺院(トゥブサヨ村)で、大勢の親類縁者、村人、そしてツーリストの見守る中、盛大に執り行われた。
2006年2月28日(曇、時々晴):ドゥダル
27日は、ウク歴の第2週(Landep)のKajeng Kliwonの新月だった。家々の前に、竹で作られた簡素な供物台が用意され、地霊にお供え物が捧げられた。あと1月後のKajeng Kliwonの次の日が、ニュピだ。
昨夜、ドゥダル(カゲロウの一種)が明かりを求めて飛び交った。雨季入りに発生する虫だと聞いていたが、雨季の終わりに出没するとは。どうやらドゥダルは、雨の季節で、地面が暖かくなった時に、地上に出てくるようだ。
3月1日、ウブドで火葬式があります。
2006年2月27日(曇、時々晴):茶話会
26日、日本人会ウブド支部の茶話会が日本食レストラン・影武者で昼12時から催された。参加者は18人ほどで、例年より少なかったようだ。昼食後、次期役員の人選や、5月21日に開かれる日本人会の運動会の報告があった。その後は、歓談をして会員の親睦を深めていた。
2006年2月25日(雨):ミー・アヤム・ジャカルタ
1月半ほど前、ウブド大通りのハヌマン通りと交わるT字路を10メートルほど東に行った北側に、「ワルン・ミー・アヤム・ジャカルタ」がオープンした。1月4日の「ウブドnoニュース・閉店、開店」で紹介したワルン・ミー・ジャカルタの再出店かと、取材を怠っていた。出かけてみると、「ワルン・ミー・アヤム・ジャカルタ」はデンパサールに2店舗あり、ウブドは3店舗目だという。よく見ると、店名もアヤムがついている。メニューのミー・アヤム・ジャカルタは7,000ルピア、ナシ・ゴレン10,000ルピアとお値打ち。ミーが旨い。すでに人気だが、今後さらに人気がでそうなワルンだ。
2006年2月24日(雨、のち曇、時々晴):戻り雨季
20日の夜半から今日まで、雨が降り続いている。ウブドのあちこちの道で洪水。雨季が戻って来たか。例年なら、この雨が終われば雨季明けだろう。
2006年2月20日(晴、のち曇):アンタリクサ
Hari Soma Ribek(ソマ・リバッ吉日)
ビザの取得や土地の購入などのサポート会社「アンタリクサ」が、2006年2月7日にウブド支店を開設しました。これでウブド在住者も便利になりました。住所はプンゴセカン村、アルマ美術館正面玄関のある通り。月曜日から金曜日までは8:30AM~17:00PM、土曜日は8:30AM~14:00PMの営業となっています。電話(0361)7899327。
2006年2月19日(雨):ブラック・マジック
Hari Banyu Pinaruh(バニュ・ピナロ祭礼日)
プリアタン村の有名なグループで踊っているJ君は、咳のともなう胸を締め付けられるような病にかかっていた。病院に行って検査をしてもらっても、どこも悪いところはないと言われる。6ヶ月ほど、あちこちの病院に行ったが、薬を持たされるだけでいっこうに体調は良くならない。思い余って、カランガッサムにある瞑想道場に行った。山中にある高名なグルの居る所だ。J君は、瞑想するうちに吐き気をもよおしてトランスした。そして、大量の汚物を吐いた。汚物には、鮮血に混じってどす黒い血の塊や長い髪(J君は短髪)と髪の毛の玉、さらに小さな蛇のような虫の塊などが、出てきたと言う。その後、数回道場に通ううちにJ君の病は治まりつつある。J君は、マジックをかけられていたのではないかと言う。
2006年2月18日(曇、時々):サソリだ!
Hari Suci Saraswati(サラスワティ祭礼日)
アパ?スタッフI氏が、バイクに乗るためヘルメットを持つと、中に体長4センチほどの昆虫が尻尾を立てていた。なんとサソリ(バリ語でkledu、インドネシア語でkalajengking)です。I氏にとって、緑色の蛇と同様にバリでの怖い物のひとつにあげられるものです。刺されても死ぬことはないが、蜂に刺されたように腫れると言う。誰かのいたずらか、はたまた、ブラック・マジックか。「もう少しで、サソリの入ったヘルメットをかぶってしまうところだった」と鳥肌を立てて話していた。
2006年2月17日(晴):A1グランプリ
バリ西部・ジュンブラナ県で、インドネシア初の国際レース級サーキットが建設されると言う噂が立ったのは、いつの頃だったろう。賛否両論が交わさせたが、バリの環境にそぐわないと言う理由で、地域住民の猛反対に合い実現しなかった。その後、サーキット建設はジャカルタに移ったようで、2月10日から12日にかけて、ジャカルタ郊外のサーキットで[A1グランプリ]が開催された。インドネシア初開催に、世界20数カ国のチームが集まった。もし、バリで開催されていたら、どんな影響があっただろうか。
2006年2月16日(晴):ボヤ騒ぎ
昨夜8時前後、レストラン・ベベ・ブンギルの物置付近から黒煙が立ちこめた。レストランは真っ暗で、送電線に不気味な火花が走っていた。火元は小さく、近くにガス・ボンベ室があったが、大火にはならなかった。ウブドは火事の少ないところ。ボヤでも珍しい。テロに神経を使っている時期。こんなことでも「もしや」と心配になる。
18日のHari Suci Saraswati(サラスワティ)の日、スバリ村のジェメン寺院では村人による奉納芸能(ケチャほか)があるそうだ。
2006年2月15日(晴):自警団(Pecalang)
ここ数年の間に、常駐の自警団を持つ村々が増えた。これまで、オダラン(寺院祭礼)のさいに、寺院の警護を主とし組織されていた黒い正装(白黒柄の腰布)の男衆だ。プリアタン村、プンゴセカン村はパトロール用軽トラックを自前で購入、パダンテガル村は軽トラックとバイクを揃えた。自警団は、村の安全をはかるため、村内を警備する。村内にある商店、ギャニアール県以外から来ているバリ人やバリ島以外から来ているインドネシア人、外国人住人から運営費を徴収する。彼らを村の一員と認めて保護するという名目だ。一方的に金額が決められ、強制的に徴収されるのが、気になるところだが。
2006年2月14日(晴):晴天続き
聖バレンタイン ・デー(Saint Valentine’s Day)
5日から(6日を除いて)晴天が続いている。雨季の終わりを告げには少し早い。2005年は2月15日に雨季が明けた。
2006年2月12日(晴):天気予報
《ウブドnoニュース》に天気をつけ始めたのが、昨年の2月12日から。ウブドの天気は時に、1日に晴、雨、曇が巡ってくる。1キロと離れていない隣村で、天気が違う。どんな雲模様になっているのだろう。テレビでインドネシア全国の天気予報を出しているが、こんな複雑なバリの天気が当たることは珍しい。
2006年2月8日(晴):プリ・ガーデン
モンキーフォレスト通りに中程のあるレストランの老舗「カフェ・ワヤン」の真向かいにあった、これも老舗のホテル&レストラン「プリ・ガーデン」が改名。新たに「CINTA GRILL & INN」となりました。
7日から、グヌンサリ寺院のオダランが始まり、正装姿のバリ人を多く見かけるようになった。
2006年2月7日(晴):入道雲
晴天に恵まれると、青空に絵に描いたような入道雲がモクモクと立ち上り、熱帯の強い陽射しが椰子の木をくっきりと浮かびあげる。
2006年2月6日(曇):大雨の被害
インドネシア各地で、大雨のため洪水や崖崩れの被害が相次いでいる。山あいにあるウブドには、そういった災害はない。しかし、大雨のため道路に穴がポッカリとあいたり、側溝の大きさが雨量に見合わず、道路に水があふれたりする。歩きの方、特に自転車やバイクの方は気をつけてください。
2006年2月5日(晴):露店
このところ夕方のウブドで、小さなテーブルを道端に出して、上にナシ・チャンプール(インドネシア風弁当)を並べた露店や、軒先を借りてサテ(串焼き)を売る人々を、たくさん見かけるようになった。これは不景気が原因の現象だろうか。今日も小雨の中、ムラスティ(浄化儀式)に行く、大勢の村人を乗せたトラックが、賑やかに通り過ぎて行く。
2006年2月4日(曇、時々雨):グンタ=GENTA
Web版自由筆記帳に問い合わせのあった、鈴(グンタ=GENTA)の写真をミニ写真館に掲載しました。写真はアパ?スタッフ、ニョマン君のお兄さんです。お兄さんは、プリアタン村の寺院(Pr:Madya)のプマンク(pemangku=司祭)です。
2006年2月3日(晴、時々曇):結婚式
近頃、門の左右に椰子の葉で作られたアーチが飾ってある家を見かける。アーチの名前はプルンクガン(PELENGKUNGAN)と呼ばれ、これが飾ってある家では、結婚式などの儀式が行われている。ニュピ(3月30日)、ガルンガン(5月3日)の祭礼を控え、それまでに済まそうと考える家が多いようだ。
2006年2月2日(曇、時々晴):ムランティン寺院
昨日は、市場の寺院(Pura Melanting)のオダラン。ウブドのパサール(市場)にある寺院もお参りの人々で賑わっていた。商売を営んでいる家々は必ず訪れる。また、お金を支払ってはいけない日とも言われている。でも、給料は別だと知り合いのバリ人は言っている。夕方のスコールあと青空に、夕焼けが一段と美しかった。
2006年1月30日(晴):中島らも
アパ?の買い出し文庫に、中島らもの「水に似た感情」(集英社文庫)という小説がある。2000年に単行本として出版されている本なので、すでにほとんどの人はご存知かと思いますが、アパ?スタッフは、読んだばかり。題名からバリを連想できなかったが、内容はバリ島珍道中。ジェゴグのスウェントラ氏、高名なバリアン、テジャ氏など馴染みの人物が出てきて、バリ好きな人には保存版の一冊でしょう。
2006年1月29日(晴):IMLEK(旧正月)
陰暦2557年の新年。テレビでは昨夜から、インドネシア各地のIMLEKの賑わいを報道しているが、ウブドではスーパーの一角で正月の装飾が見つられる程度。ウブドから一番近い中国寺院(10キロ南東)Vihara Amurya Bhumi寺院では、儀式がしめやかに行われていた。
新月。今日は1日晴で、洗濯物がよく乾きました。
2006年1月28日(曇、時々雨):ウパチャラ渋滞
Hari Tumpek Wayang(トゥンプッ・ワヤン)の日
午後3時、火葬式のためプンゴセカン通りが大渋滞。
2006年1月27日(曇、時々雨):強風のシーズン
昨日、デンパサール市内で街路樹が道路を塞ぐように倒れ、交通渋滞になった。この時期(バリ・カレンダーのSasih Kaulu)バリは、強風をともなう大雨が降る。降り続く雨で根元の弱くなっている木が、強風で倒れる。バリには、根をはる木種が少ないため簡単に倒れてしまうのだ。ウブドのトゥブサヨ村では3、4日前、電話ケーブル専用の鉄柱が足下の腐ったところから折れて倒れていた。強風で椰子の木が傾ぎ、ケーブルを引っ張ったのが原因のようだ。
2006年1月26日(曇、時々雨):バリ島珍道中
アパ?に、増田先生から寄贈していただいたDVDが数枚ある。すべてバリに関するものだ。その中の一枚にビング・クロスビーとボブ・ホープ演ずる喜劇映画『バリ島珍道中』がある。1952年(アメリカ)製作という古い映画だ。タイトルにバリ島とあるが、1952年以前のバリが観られるかと期待するとがっかりする。しかし、「そこは何処」というミスマッチの設定には思わず微笑んでしまう。内容は、1952年という時代背景の中で人気を博したことが想像できる喜劇映画だ。アパ?のDVDは無料貸出ししていますので、興味のある方どうぞ。
2006年1月25日(曇、時々雨):リゾート&スパ
近年バリのエステサロン、スパの人気は目を見張るものがある。ウブドもご多分にもれず、このところスパの出店が目白押しである。スパ専門店以外に、ホテルの多くがスパを併設するようになった。ホテル名も、これまでのホテルやバンガローが、スウィートやリゾートと変名し、さらにスパを名称に加えて、顧客の確保に努力している。
2006年1月19日(晴、時々曇):火葬式の準備
トゥブサヤ村クスマ通りで、火葬式のためのお棺や供物作りが村人たちによって、あわただしく行われている。火葬式は、6日後の25日に行われる。
2006年1月16日(晴):「Bar&:Lounge・CASA・PASTA」
モンキーフォレスト通りにあるレストラン・ベベ・ブンギルが「Bar&:Lounge・CASA・PASTA」と店名を変更し、 昨年末リニューアルオープン。従来のレストランに、別棟のBar&:Loungeが併設された。 Bar&Loungeは、空調設備の行き届いたゆったりした空間。営業時間は、10:00PMから03:00AM。
2006年1月12日(晴):好天気
ツーリストがたくさん訪れた年末年始のウブドは、雨模様が続いた。 皮肉なことに、ツーリストがいなくなった9日からは、うって変わって好天気。 ひっそりとしたウブドは今、まったりとした時間が流れている。 2006年のウブドは、どんなことが起こるでしょうか。今後の《ウブドnoニュース》をお見逃しなく。
2006年1月8日(曇、時々雨): Bali 1912
ドイツ人Dr GREGOR KRAUSEによる写真集「Bali 1912」が再販された。 バリが観光化される以前のバリ人、そして風景がモノクロで紹介されている刺激的な一冊だ。 スーパーマーケット「ビンタン」のブック・ショップで、売っている。
2006年1月7日(晴、時々曇、そして雨): 本屋開店
ウブド西チャンプアン橋を越えたところにあるスーパーマーケット「ビンタン」にブック・ショップがオープンした。間口10メートル奥行き20メートルほどの大型書店。洋書が中心のところをみると、ツーリストと長期滞在の欧米人向けの店だろう。
2006年1月5日(晴、時々曇、そして雨): 雨合羽
出かける時に晴れていても、いつ降り出すかわからないウブドの雨。バイク乗りに雨合羽は必需品だ。ウブドで売っている雨合羽の種類は少なく、形はポンチョ式(Rp20,000から)。色数も少なく、工事現場に似合いそうなラクダ色と濃紺に、派手なエメラルド・グリーンとシルバーの4色くらいだ。これでは、同色の雨合羽を着たバイクに、すれ違うのはしょうがない。雨合羽でおしゃれをしようとする人もいないだろうが。
2006年1月4日(晴、時々曇): 閉店・開店
トゥブサヨ村のダラム・プリ寺院前にあったワルン「ミー・ジャカルタ」が閉店して「HOGA」というレストランに変わっていた。美味しいミー・ジャカルタ(ジャカルタのラーメン)が食べれた老舗店だった。
影武者の近くアルティニ3バンガローに入る道沿い、ガラス・ショップの隣にレストラン「flava lounge」が開店。深夜まで営業しているバーで、欧米長期滞在者達で賑わっている。
2006年1月3日(曇、時々雨):ウブドの天気
2日は、朝から薄曇りの天気だった。時々太陽が顔を出し、珍しく今日は雨が降らないかなと思っていたら、夜10時頃になって大雨になった。ウブドの天気は気まぐれで、特に雨期は、1日に雨、晴、曇が変則的に繰り返す。不思議なのは、1キロも離れていない所で天気が違うことだ。ウブドの十字路で雨が降っていても、南隣の村プンゴセカンでは晴れだったり、ウブドの十字路が晴れていても、マス村では大雨だったりする。こんな天気に困惑する、ツーリストの顔が浮かぶ。
2006年元旦(曇、時々雨):謹賀新年
昨年は、皆様にお世話になりました。今年も昨年に変わらず、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。皆様にも、今年が良い年になることをアパ?スタッフ一同願っております。