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火葬儀礼 (ガベン・ngaben)(プレボン・plebon)





lumbu

バリ・ヒンドゥー教の葬儀は、火葬だ。
この儀礼が彼らヒンドゥー教徒にとって最大のセレモニーである。
不謹慎と言われそうだが「火葬儀礼」はバリ島観光のハイライトでもある。



バレガンジュール

激しくシンバルを叩くガムラン隊(バレガンジュール)の音に急かされるように、行列は足早に墓地に向かう。
たくさんの男衆に担がれた2台の神輿が、ダイナミックに練り歩く。神輿の一つは、なきがらを墓地(スモ・sema)まで運ぶ塔バデ。もう1つは、墓地に運ばれたなきがらを納めて焼く張り子の棺で、プトゥラガンと呼ばれるものだ。
神輿は四つ辻に出ると、上下に激しく揺すりながらぐるぐると回る。これは、死者の霊が戻ってこれないように、道を惑わすためだ。
プトゥラガンは、墓地に用意された真新しい白布の天蓋が取り付けられた屋根のある火葬堂(バレ・パバスミアン)に置かれる。
なきがらはバデからプトゥラガンに移され、燃やされる。プトゥラガンが燃えはじめると、バデにも火がつけられる。
遺族に悲しみの顔が見当たらないのは、死者の霊は炎とともに舞い上がり天界に達し、よりよい存在となって生まれ変わると信じているからだ。




亡くなった人の霊を浄化し、最終的に「神」へと、いわば祀りあげるための一連の儀礼はピトロ・ヤドニョ(死者儀礼)と言われる。ピトロ(pitra)は死霊の意味。
まず、人が亡くなると埋葬して、ムプガット(mepegat)つまり「わかれ」の儀礼を行う。バリの暦に従い、この儀礼に適切である日が選ばれる。もちろん、そうでない日に人が亡くなることもある。その時は、とりあえず遺体を墓地に埋葬し、日をあらためてムプガット儀礼を行う。火葬されるまでに長い時間が経過しているからか、遺族が火葬の当日に泣き顔を見せることは少ない。しかし、バリ人も人の子。それまでの数日間は、悲しみ打ち沈んでいる。やはり、人の死は悲しいものだ。
埋葬後、しばらくしてから火葬を行う。


火葬儀礼は、14世紀のマジャパイト王朝時代に入ってきたもので、それまで庶民は土葬であった。 ジャワ・ヒンドゥー教の影響を拒絶した村―バリ・アガと呼ばれている村―では、今でも土葬か風葬(遺体を地上に放置)だ。
火葬儀礼のことはスードラ階層では「ガベン(ngaben)」、トリワンサ階層(プダンダ、クシャトリア、ウエシャ)では「プレボン(plebon)」と 呼ばれる。 バリのカースト(階級)には、今だに名称と言語の違いが残っているのだ。 遺体を墓地まで運ぶ塔もスードラは「バデ(bade)」と呼ぶが、 トリワンサは「ワデ(wadah)・パドマ(padma)」と異なる。


もっぱら経済的な問題から火葬の実施は延期される(火葬儀礼には、莫大な費用がかかる)が、できるだけ早めにすることが望まれる。 火葬が済んでいない死者は生者でも祖霊でもない、中途半端で危険な存在だと考えられるからだ。
できれば埋葬せず、亡くなったらずぐに火葬にするのがよいとされる。とくにプダンダ(高僧)は埋葬せず、できるだけ速やかに火葬される。


このように埋葬に関してこと細かにこだわるのは、彼らが「死者が出たことによる穢れ(スブル・sebel)」を非常に忌み嫌うからだと思われる。




wadah lumbu

まず死者の家で儀礼を行い、そのあと遺体が墓地に運ばれる。
バデ、プトゥラガン、さまざまな供物やシンボル、バレガンジュールなどが行列をつくる。
墓地に着くと遺体はバデからおろされ、バレ・パバスミアンに置かれたプトラガンに納められる。
さまざまな供物やシンボルが捧げられ、聖水がかけられたのち火がつけられる。
ツーリストとして遠巻きに見ている限りでは、火葬の儀礼は愉しい祭りのようである。
燃えたのち、骨片が家族によって拾い集められる。骨片は人型に並べられ、プダンダによって死者に霊を浄化してもらう。骨片の一部を、家族が石臼ですりつぶし、プスポ(puspa)と呼ばれる椰子の若い実でつくられた容器に納める。
遺族は遺骨の入った容器を持って川か海に行く。そこで儀礼をし、お祈りを終えると容器は流される。
火葬ののち、最終的に死者の霊を祀りあげる儀礼は、スードラではニェカー(niekah)、トリワンサではガスティ(ngasti)、王家はマリギオ(maligia)と呼ばれる。
この儀礼を行ったのちブサキ寺院に行き、その周辺にあるいくつもの寺院や祠にお祈りして、ピトロ・ヤドニョ(死者儀礼)は終了する。
こうして、亡くなった人の霊は、ガルンガン祭礼からクニンガン祭礼までの10日間、祖霊神(kawitan・カウイタン)となって家寺に戻ってくるとされる。




スードラのバデは、屋根が1つだ。屋根は、インドの霊峰マハメルにあやかってメル(meru)と呼ばれている。メルの数は奇数と決まっていて、クシャトリヤ、ウエシャのワデは、地位の高さによって3層から11層まである。メルの頂上には、黄金のリンガの飾りがのっている。リンガはシヴァ神の象徴だ。


プダンダのパドマには屋根はない。プダンダや高度の宗教家の場合、シヴァ神の世界と直結し解脱を得るため天界とはかかわりがないのだ。


wadah wadah bade
   王家のワデ      クシャトリアのワデ    スードラのバデ

バデ&ワデは、バリ人の三項の世界観を現している。
メルのある上部は、トゥンパンと呼ばれる天界だ。下層部は地界を現し、正面には地界に棲む世界を支える亀ブダワン・ナラにバスキとアナンタボガの2匹の竜がからみ、後面にはボマ(悪霊を祓う森の守護神)とガルーダ(ヴィシュヌ神の乗り物)と極楽鳥の飾りが取り付けられている。
天界と地界の間に遺体を納める空間がある。これが人間界だ。




プトゥラガン(patulangan)には、さまざまな形がある。カーストによって形が決まっていて、スードラは、獅子(singa ambara)や半象半魚(gajah mina)、時には、木で作られた四角い箱状の簡素な物であったりする。
プダンダ(高僧)やマンク(僧侶)は白い牛(lembu)、王様は竜(naga banda)、クシャトリヤ、ウエシャ(貴族)は、黒い牛(lembu)を使うのが基本だ。ちなみに、男性は雄牛で女性は雌牛だ。


棺 gajah mina
     簡素な棺           gajah mina


lumbu naga raang
     singa            ambaranaga raang




合同火葬儀礼(ガベン マサル・ngaben masal)
火葬は個人で行う場合もあるが、何年かごとに村で共同で、たくさんの死者の火葬を一括して行う場合もある。合同火葬儀礼の場合、個人葬に比べて、各遺族の経済的負担が軽くなる。
今まで、数年から10数年、中には数10年も仮埋葬したままの遺体があった。それを思わしくないとするインドネシア政府によって、3年から5年の周期で村の合同火葬儀礼が定められた。




※はみだし情報
火葬式の多い時期は、サコ暦のサシー・カロ(sasih karo=第2月)。毎年7月から8月頃にあたり、火葬式を見学したい人は、この時期を狙うとよい。






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