2005年のウブドnoニュース

2005年12月31日(曇、時々雨):デウィ嬢

28日、30日の両日に行われた年末超特別公演「TRANS CULTURE」は Sanggar Seni Nritta Dewiの旗揚げ公演でした。グループは、タルナ・ジャを踊らせたら、今、バリ島一番の呼び声高い、デウィ嬢がリーダー。若い女性がリーダーは珍しく、今後が楽しみのグループだ。両日とも、あいにくの大雨にたたられて客足はもう一つでしたが、出演者は熱演でした。

2005年12月30日(曇、時々雨):バンジャール主催バー

ウブドの十字路にあるワンティラン(集会場)で、年末恒例のバー「UBUD PEACE PARTY…BALI・NOW MORE THAN EVER」が開かれている。28日から31日までの日程で、連夜ライブ・ミュージックがあり、31日の大晦日にはカウントダウンがある。ツーリストも入場可で、地元の人々との交流を深めることができる。

2005年12月29日(曇、時々雨):展覧会開催

マス村のビダダリ・アート・ギャラリー(BIDADARI Art Gallary)で、SHA・A・YA 「THE ROOTS OF ASIA」と銘打った展覧会が開催された。会期は、今月27日から来年1月16日まで。インドネシア人4名、マレーシア人1名、日本人3名によるグループ彫刻展。

2005年12月28日(曇、時々雨):新店舗開店

日本人に人気になりそうな雑貨の店がオープン。店名「Puss」は、ウブド大通りからハノマン通りに入り、50メートルほど行った右手にある。濃緑色のテントのひさしがが目印。商品構成は、シルク・バティックをメインに、シルバーのアクセサリーや小物雑貨。クオリティーの高い品揃えだ。

2005年12月27日(雨):雨期

12月になって、本格的な雨期に入った。この1週間は、連日の雨模様。雨が止んだすきをねらって外出し、時々にしか顔を見せない太陽が出ると慌てて洗濯物を干すという、ウブド生活。夜7時頃になると、Dudalu(=ドゥダルー・バリ語。インドネシア語・ラロン=laron)と呼ばれる羽虫が大量発生し、明かりに群がる。ドゥダルーは、8時過ぎに羽だけを残して姿を消す。

2005年12月24日(晴 後 雨) Web版 自由筆記帳(掲示板)リニュアル

長らく使えなかった、掲示板を移転させリニュアル・オープンしました。ドシドシ書き込んでください。(アドレスが変更されていますので、ブックマークに登録されている方は変更お願いいたします。)

2005年12月1日(曇):新札

5万ルピアの新札が出回りました。従来の札より一回り小さくなって、すでに使われている10万ルピア札、2万ルピア札と同じ大きさになって登場。今回は表にバリの空港名になっている、インドネシア独立戦争の英雄I GUSTI NGURAH RAI氏、裏は、ブラタン湖に浮かぶウルン・ダヌ・ブラタン寺院。始めてバリ人とバリの風景が札にデザインされました。

2005年11月26日(晴):パッケージ・ツアー

この度アパ?では、アパ?ならではのオリジナル・パッケージ・ツアーを販売することになりました。ご利用ください。なお、デイリー・ツアーもアパ?のオリジナルとなっています。他社との相乗りデイリー・ツアーも従来通り取り扱っております。今後とも、アパ?をご愛顧くださることを願っております。スタッフ一同。

2005年11月24日(晴):オダラン渋滞

クトゥ(Kutuh)村・デサ寺院(Pura Desa)のオダランが19日に始まって以来、毎日のようにオダランの長い行列があり、通行規制による交通渋滞になることが多い。隣村のオダラン通行規制と重なり、挟まれた状態でどちらからも出られず、2時間以上もバイクで立ち往生した友人がいる。ウブドは車の洪水による渋滞よりオダランによる交通渋滞のほうが多い。

2005年11月21日(曇):ピザの老舗・閉店

10数年前、ウブドで一番美味しいと言われたピザ店がトゥブサヨ村・クスマ通りにあった。土のオーブンでじっくり焼かれたピザは、待たされる価値のあるものだった。このピザ・ショップの老舗「PIZZARIA ROOM]」が閉店した。同じくクスマ通りのレストラン「RIZKA」も閉店。どちらも良心的な料金で、節約旅行者には有り難い存在だった。

2005年11月11日(晴):バリ・カレンダー

2006年度版のバリ・カレンダーが発売されています。スーパー・マーケット「デルタ・デワタ」では、文具コーナーで5,500ルピアで販売していました。

2005年11月10日(晴):古本交換会のご案内

バリ日本人会ウブド地区主催の古本交換会が13日(日曜日)に催されます。場所は、CAFE BINTANG(ウブド王宮を北へ1,5キロ/Tel:972303)。古本、文庫本が、売値、買値とも1冊1000ルピア。ひやかしもOK。親睦も兼ねた有意義な催しです。

2005年11月9日(晴):Bali Jazz Festival

Hari Pegat Uwakan(プガッ・ウワカン)祭礼日
Bali Jazz Festivaが11月18日から20日まで各地で開催される。ウブドは12日に「Jazz at the Galleries」と題して、モンキーフォレスト通りにあるKOMANEKA FINE ARTS GALLERYでライブが催される。出演:Urs Ramseyer trio。開演時間は7:30PM。詳しくは、www.balijazzfestival.comへ。

2005年11月7日(晴):オダラン情報の更新

2006年5月29日までを更新しました。ニュピは3月30日、ガルンガンは5月3日です。

2005年11月6日(晴):オダラン(寺院祭礼)

ブラバトゥ村のプセ寺院で、50年に一度巡ってくる大きなオダランが始まります。奉納舞踊の予定は、オダラン・奉納芸能スケジュールに掲載しました。

2005年11月2日(快晴):Art Among Friends

爆弾テロ事件の影響で縮小された「Art Among Friends」は、Bukit Shalom Community Centerの教会堂で開催された。オープニングには、日本人の尺八演奏ほか、海外からのアーチストの舞踊、朗読が上演された。展覧会には、日本人の坂田氏の作品が出品されている。

2005年11月1日(晴):ウブドに長期滞在

ウブドに長期滞在したい人!! アパ?がお手伝い致します。詳細は「快適滞在メニュー」をご覧ください。

2005年10月31日(晴):Web版自由筆記帳

ウブド在住の方々から「売ります、買いますのコーナーを作って欲しい」という声がありました。長期滞在で不要になった物、長期滞在に向けて必要となる物、などなど、フリーマーケット感覚のコーナー。将来はウブド青空自由市(フリーマーケット)を開催できるといいなと思っています。専用のコーナーが出来るまでは「Web版自由筆記帳」に間借りすることになりました。Web版自由筆記帳が、今まで以上に活用されることを希望しています。

2005年10月28日(晴):Warung Hokkian

東モンキーフォレスト通りに、おじさんがひとりでもくもくと料理を作っていた「ワルン・ホッキアン」がウブド大通りに移って、およそ一年が経つ。美味しいと言う評判の店が、立地に恵まれたのか、以前にも増して繁盛している。今では、従業員の女性が2名もいる。料理はインドネシア中華料理。ナシ・ゴレン(炒飯)8,000ルピア、ナシ・チャップチャイ(野菜あんかけ炒飯)10,000ルピア、牛肉の甘酢焼き20,000ルピアなど、諸物価値上げの折、節約旅行者には嬉しい低価格だ。

2005年10月26日(快晴):ウブドに長期滞在

『ウブドに長期滞在したいと思っているのですが、インドネシアのビザの取得には、大変手間がかかると聞いて、困っております』 アパ?では、そんな方のために長期滞在ビザ取得の、お手伝いをすることにしました。詳細は「快適滞在メニュー」に近日中に掲示されます。

2005年10月25日(曇、のち晴):ハヌマン通りにケーキ屋

ハヌマン通りの南にCoffee & Bakeryの店がオープンした。見落としてしまいそうな、小さなカフェだ。行ってきました。ピザはまあまあでしたが、ケーキがもう一つ。10年前のウブドなら、このケーキでも興奮して食べただろうが、今、この味では満足できない。ジュースの味もひどかったので、手厳しくなってしまいました。

2005年10月22日(晴、時々曇):ガラス屋さんオープン

21日に紹介した「エディズ・ワルン(EDI’S WARUNG)」の隣りに、バリで人気のガラス製品のショールーム「BALI SUMBER GELAS」がオープン。皿、グラス、灰皿などの小物から大きなオブジェまで揃っています。オーダーも受け付けます、とのことです。
Jl:Sugriwa No.3 Padang Tegal , Ubud Phone:0361-971486
携帯電話:0816-470-3827

2005年10月21日(晴、のち曇):エディーズ・ワルン

ペネスタナン村、ガジャ・ビル・レストランの向かいにある「サリ・ラバ・ボガ・カフェ」の2号店がスグリオ通り、サテ・イカン屋の隣りに出店した。昔々、プリアタン村にあった「エディズ・ワルン(EDI’S WARUNG)」としての復活だ。魚、イカ、エビの衣揚げに、ガドガドのついた ナシ・チャンプール・イカンがRp12,000-で食べられる。

2005年10月20日(曇):ライブ・レストラン、オープン

「日本料理店・影武者」より南、カフェ・アルマ前のS字カーブあるPURI DEWATA HOTEL前に「ワルン・オペラ(Warung Opera)RESTO CAFE & BAR」がオープン。バリ島で有名なミュージシャン、バラワン氏がコーディネイトするライブが売り物。
ライブは、火曜日・Acoustic Blues 、木曜日・Blues Band 、金曜日・Jazz 、日曜日・Jazz , Top40 & Latin。営業時間:8・00AM~11・00PM。ライブの日は12・00PMまで。
Jl.Pengosekan,Ubud 80571・Bali Phone:0361-977564 E-mail:warungopera@yahoo.co.id

2005年10月19日(雨):雨期に入った、か?

17日、18日、19日と雨の日が続いている。雨期に入った気配だ。ツーリストの方々は、くれぐれも雨具を忘れずに持ってきてください。足下もぬかるんでいます。履き物にも気をつけましょう。

2005年10月17日(雨):サンギンガンのケーキ屋

ウブドの西・チャンプアン橋を越えると、サンギンガン村だ。最近のこの通りは、お洒落なレストランやギャラリーが増えている。スーパーマッケット・ビンタンを過ぎて、すぐ左手に、4ヶ月ほど前に開店した「Tropical Boutique Bakery & Cafe」も、そのひとつだ。店名 Bakeryとあるだけに、パンとケーキの美味しい店だ。借景のライステラスを見ながらのティタイムに最適だ。
TEL:0361-745-9667/0361-748-9601
E-mail:tropical_boutique@hotmail.com

注意事項1:快適滞在メニュー :アパ?の車チャーターとトランスポート・サービスの価格が変更しました。
注意事項2:プラマ社のシャトル・バス :価格の変更がありました。

2005年10月15日(快晴):クニンガン祭礼日

朝から、シンバルを打ち鳴らす賑やかな音が聞こえる。バロンが、バレガンジュール(シンバル楽器を中心としたガムラン)を引き連れて厄払いのジャランジャラン(散歩)だ。商店では店先でバロンに舞ってもらい、ご祝儀を払う。正月の獅子舞に似ている。

2005年10月5日(晴):ガルンガン祭礼日

クタ爆弾テロ(2002年10月)の惨劇の記憶も薄れ、やっと平穏が戻り始めたバリに10月1日再び爆弾テロ。やり場のない怒りが島民、そしてツーリストに充満している。4日が経った今日はガルンガン。ウブドは、そんな怒りを抑えて、祭礼に没頭している。外見はいつものガルンガンと変わらない。

2005年10月4日(晴):ホテル・ヴィラ価格改定

「APA? 厳選 バリ島ウブドのホテル・ヴィラ ご予約・案内」の価格改定(1部改訂)をいたしました。ホテルによってクリスマス、大晦日に、特別ディナー・パーティーが料金に含まれることがありますので、ご確認ください。

2005年9月30日(晴)Hari Sugian Bali(スギアン・バリ):10月のオダラン情報更新

10月はガルンガン(5日)、クニンガン(15日)の祭礼、各地でオダランが目白押しです。バリ人は忙しい毎日ですが、われわれツーリストにとっては、見るべき物の多いシーズンです。

2005年9月29日(晴)Hari Sugian Jawa(スギアン・ジャワ):オダラン・奉納芸能スケジュール

テガララン・マヌアバ村のグリヨ・サクティ寺院で、50年に一度巡ってくる大きな寺院祭礼が始まります。

2005年9月28日(曇):「ティティ・カフェ」オープン

ゴータマ通りの南端、元「エンジェル・カフェ」のあとに、ジョゲピンギタンを主催しているスバリ村出身のグスティ・ヌラー氏が「ティティ・カフェ」オープンした。喧噪から離れて、静かにくつろぐには最適なスペースです。メニューはインドネシア、ヨーロッパ料理が中心。カレーRp16.000~18.000-、ナシチャンプールRp18.000-。セット・メニューもあり、お値打ち価格です。年中無休。営業時間は08:00am~10:45pm。phone/fax:0361 972932 E-mail/info@titicafebali.com Website:titicafebali.com

2005年9月27日(曇):盆踊り大会・IN・バリ

10月1日(土):第15回盆踊り大会がグランド・ハイアット・BTDペニンシュラ特設会場で催されます。入場料は無料で、どなたでも参加できます。時間は17時45分から21時30分まで。飲食・アトラクション用にはRp20,000のクーポン券(Rp2,000×10枚綴り)が発売されます。会場への飲食物の持ち込みは禁止されています。年々盛況になっていくバリの盆踊り大会。あなたも参加してみてはいかがですか。

2005年9月26日(曇):復活!!

パソコンのアクシデントによって、2ヶ月以上もの間、更新が滞りましたことをお詫びいたします。以前にも増して努力をいたしますので、今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

2005年7月14日(晴):オダラン

ニュークニン村 デサ寺院(Pr.Desa)のオダランが13日から始まりました。イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュールに奉納芸能スケジュールを掲示しました。

2005年7月12日(晴):儀式と祭礼の島

パダンテガル村タマン・サリ寺院のオダラン奉納芸能でチャロナラン劇を鑑賞して深夜の帰宅。今夜は、いつもより犬の鳴き声が騒がしい。頭数も多いようだ。今日は、特に霊力の強い日というわけではないはずだ。しばらくして(3時30分)、ニュークニン村のデサ寺院のあたりから断末魔の嬌声が聞こえてきた。ビ~と長く叫ぶあの声は、いったいなんだろう。嬌声は何度も続いた。よくよく聞けば、豚の泣き声。深夜に豚が屠殺されているのだ。デサ寺院のオダランが明日と控えて、豚料理の準備がされているところだ。朝8時30分、クルクルが叩かれる音で起床。こんな光景がバリの至る所で繰り広げられている。バリ島が「儀式と祭礼の島」と言われる由縁だ。

2005年7月11日(曇):Coffee & Silver

トゥブサヨ村のスクマ通りにあったレストラン「Coffee & Silver」が、モンキーフォレスト通りに移転した。レストランは、モンキーフォレストの急坂の途中にある。エントランスのなだらかな曲線階段が優しく誘ってくれる。メニューの料金はトゥブサヨにあった時よりリーズナブルになったようだ。モンキーフォレスト通りを散策する人々を、大きなフィックスのガラス窓から見下ろしてウオッチングするのも一興だ。

2005年7月9日(曇):バリ・ペスト(Bali Pesto)

モンキーフォレスト通りはヴィラ・ラサ・サヤンの入口にある、パスタが美味しいと評判の店「バリ・ペスト」。チャンプアン・ホテルの前にあった「バリ・ペスト」は数ヶ月前に閉店している。新たに、ヴィラ・ラサ・サヤンから20メートルほど南下(モンキーフォレスト寄り)した、3階建ビルの1Fに2号店が2週間前に開店。メニュー内容・価格はほとんど同じ。ゆくゆくは、ヴィラ・ラサ・サヤンの「バリ・ペスト」は店名を変更すると言うことだ。

2005年7月8日(曇):ビナ・ウィサタ

ウブドの変則十字路にあるウブド村営観光案内所・ビナ・ウィサタ(Bina Wisata)は、この度、U・T・I(Ubud Tourist Information=ウブド・ツーリスト・インフォーメーション)と名称を変更されました。間違いがないように、当分の間は、ビナ・ウィサタの名称も並行して使われるようですが、近い将来、完全に変更されるようです。

2005年7月6日(曇):オダラン

今日は暗月。市場の寺院の(PR.MELANTING)祭礼日です。この日はお金に感謝します。商売に携わっている人は必ずお参りに行きます。
パダンテガル村タマン・サリ寺院のオダランが始まった。6日から11日までの6日間。イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュールに奉納芸能スケジュールを掲示しました。

2005年7月4日(曇のち雨):バンジャール・バー

6月29日から7月2日までの4日間、プリアタン・カラ村でバザールがあった。ウブドにテガス村から来て始めての信号のある左側いったいが、通常バンジャール・カラと呼ばれている村だ。バザールは、信号の角にあるワンティラン(村の集会場)で行われている。連夜、地元のミュージシャンによるライブ・ミュージックがあり盛り上がっていました。

2005年7月2日(曇):制服姿の暴走族

今日はHari Tumpek Wayang(トゥンプッ・ワヤン)の日。
プンゴセカン村の交差点で、30台以上のバイクを連ねた高校生の一団にすれ違った。7月1日(金)は、インドネシアのSMU(高校)の卒業式だった。全員がノーヘル、白い開襟シャツの制服にはカラースプレーでいたずら描きしてある。いつの頃からか始まったのか、カラースプレーでのいたずら描きは、卒業式の恒例となっているようだ。頭髪、ズボンにもカラーがついている学生もいる。互いにらく描くし合う、学生時代のメモリーだ。

2005年7月1日(晴):予告

スダマニ東京公演8月15日(月)西東京市とDewa Nyoman Irawan年末特別公演12月28日(水)ウブドをイベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュール、予告のコーナーに掲載しました。

2005年6月30日(晴):ワルン・キタ(warung KITA)

パダンテガル通りの中ほどにあったミー・テガルが閉店して、そのあとに「ワルン・キタ」が新装オープンした。「ワルン・キタ」のオーナーは、カフェ・テガルの初代オーナーだったイワンさん。イワンさんが不在になってからというもの、カフェ・テガルもミー・テガルも味が落ちたと巷で噂。イワンさんが帰って来たのでこれで安心だ。カフェ・テガルの人気メニュー、サプタフ、カンクンゴレン、ビーフンゴレンとミー・テガルの人気メニュー、ナシチャップチャイが復活する。6月29日オープンで、1ヶ月間、食べ物のみ25%割引です。

2005年6月29日(晴):小さな喫茶店

パサール(市場)の駐車場の道を隔てた前に、コンビニ・DELTA MARTとfootマッサージ・KENKOと並んで、小洒落たカフェがある。門の上部にGeriya Mangasramiのプレートが掛かった屋敷の入口にある小さなあずまやが、今回紹介する軽食喫茶の[Kayumanisu] だ。あずまやにはテーブル席が2つで6人しか座れない。庭に2テーブルあるがここも5人しか座れない。満席でも11人だ。雨の日や陽射しが強い時間の庭席は使えないだろうから、実質2テーブルの小さな喫茶店だ。風景は、パサールに発着する観光バスやラクダ色のベモ(乗合バス)と道行く人々の雑然としたものだが、リラックスした空間からバリの喧噪風景を見るのも面白い。目印は、同じ敷地内にあるバティック・ショップ [Rwa Bhineda] の伝統的家屋の小さな一棟だ。パサールの買い物で疲れた時の一服にどうぞ。

2005年6月28日(晴):深谷陽・文庫

ウブドに関わりの深い漫画家、深谷陽さんの単行本「スパイシー・カフェ・ガール」が、宙(おおぞら)出版から2005年5月31日発売されました。アジアンテイスト溢れる人気作、待望の単行本化です。定価 [ 本体1,100円+税 ] ブンブン・カフェの深谷陽・文庫に「スパイシー・カフェ・ガール」は寄贈されました。読書希望の方は、是非ごブンブン・カフェへ。

2005年6月26日(晴):ジェゴグ日本公演

ジェゴグと言えば「スアール・アグン芸術団だ」と言われるほど、日本では馴染みの深い老舗グループ。今年もスアール・アグン芸術団、恒例の日本公演が近づいてきました。ファンの皆様には、待ち遠しかった日程が発表されました。今年も昨年にも増して、熱演を期待しています。日程表は、イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュール、予告のコーナーに掲載しました。

2005年6月25日(晴):ロンバ(ガムラン合戦)

午後8時、プンゴセカン村のワンティラン(集会場)でガムランの演奏があった。ワンティランでガムラン演奏があるのは日常のことだが、今夜は外国人のグループだった。外国人グループは、アートフェシュティバルに出演予定のアメリカからのグループで、今夜はサンガール・スダマニとロンバ(ガムラン合戦)だ。サンガール・スダマニの胸を借りて、本番前に練習というわけだ。アメリカからのグループは、ガムランにチェロ、パーカッション、シンセサイザーを加えた新曲を披露した。

2005年6月23日(曇):インド料理

6月21日、シャトルバスのプラマ社前(プンゴセカン通り)に、新しくレストランがオープンした。名前は「INDIAN delites」。プレートで出てくるインド版ナシチャンプールThali(ターリー)は、45,000Rp(ベジタブル)~ 65,000Rp(エビ入り)まで。ナンが7,000Rp~19,000Rpの11種類。 Chai 7,000Rpと、お手頃価格。ムトン料理、サモサもあるインド料理専門店だ。目印は、店頭の白いガネーシャ像。駐車場有り。HOTLINE:7444-222.

2005年6月21日(晴):推薦ワルン

プンゴセカン村からニュー・クニン村に向かって50メーターほど行った右手にある、ナシ・チャンプールの店「ワルン・ニュークニン」。ギャニアールから来ているイブ(お母さん)の味は、辛さ控えめで日本人の口にあう。今、人気沸騰中の店。店内には、イブの息子さんの絵が飾ってある。ジョクジャの芸術大学で学んでいる息子さんの絵はユニークな画風で、それも一見の価値あり。隣りをギャラリーにするのだと言ったイブの顔が、実に嬉しそうで好感がもてた。

2005年6月19日(晴):バリ・アートフェスティバル

6月18日(土)、第27回 Pesta Kesenian Bali (ペスタ・クスニアン・バリ=バリ・アートフェスティバル)は、オープニングにインドネシア大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ氏を迎えて盛大に行われた。PKBは、年に一度のバリ最大の芸能・文化のイベント。バリ島はもちろんインドネシア各地、さらに海外から毎年多数の見学者が訪れる。会場:デンパサール・アート・センター。会期:6月18日(土)~7月16日(土)。

2005年6月18日(晴):推薦する個展

メキシコ人アーチスト、セルジオ・ロペス・オロズコの個展が、アルマで6月9日から7月9日まで開催されている。樹皮から作られたキャンパスに描かれた抽象的な模様は、キャンパスのもつ素材感からか自然色な彩色からか、古代の匂いがする。久しぶりに刺激を受ける作品だ。

2005年6月17日(晴):公共料金

ウブド近郊の村では、水道、電気の公共料金を村営金融業であるLPDに支払う。水道局、電話局の請求書はLPDが一括管理し、村人は一定期間内にLPDに支払うのだ。LPDは局の請求金額に手数料を追加して徴収する。手数料は村によって違うようだ。ニュークニン村は5,000ルピア徴収している。例えば、100家族(100メーター)あれば、毎月50万ルピアの収益となる。この利益をLPDの営業資金に運用するのだそうだ。ニュークニン村に住む外国人も、自動的にこのシステムに加入することになる。
※L.P.D(Lembaga Percreditian Desa)行政村金融団体。B.N.I(インドネシア国立銀行)が親会社として、Desa(行政村)に開設した金融機関。

2005年6月16日(晴):ブラック・マジック

デサ嬢が治療を受けたバリアンが、私を呼んでいると言う(6月14日のニュース、ロ・ハルス)。なんでも私にブラック・マジックがかけられているということだ。このところで身体に活力がないので、半信半疑であるが、デサ嬢の薦めでもあるので訪ねることにした。正装に身を包み、チャナン(供物)を持って出掛けた。道すがら、デサ嬢のようにトランスしたらどうしようなんて、多いに不安であった。訪れるた家のテラスには、治療を受けに来たバリ人が数人いた。トランスする人を目の当たりして、不安が増大した。私の番が巡ってきた。お祈りをしたあと治療だ。私の隣りでは、女性が痛さにもがいている。悪霊が彼女の身体から出るのを拒んでいるようだ。幸い、わたしはトランスすることはなかった。治療した男性は、グンカと呼ばれていた。彼はバリアンではなく、神に導かれた人物でラトゥとも呼ばれている。グンカによると、私の身体から竹の皮についている粉がたくさん出てきたらしい。粉はブラック・マジックの材料で、大量に体内に入ると死に至る。マジックは、最近かけられたものばかりでなく、滞在15年で累積していたと言う。3日間通って、治療は終わった。本人にブラック・マジックにかかっているという自覚がないので、治療が効いたのがどうかは判断できない。しかし、ブラック・マジックがバリ人の生活で日常に起こっているということは、3日間、様々な人の話を聞いて理解した。(情報提供:ウブドの閑人から)

2005年6月15日(曇):運動会

日本人会主催の運動会が、6月12日、南部バリのサヌールで行われた。好天に恵まれ、約200人が集まった。種目は女男50メートル走から、二人三脚、玉入れ、 障害物競走、対抗リレーなどの13種目。エリアによって分けられた4チームで、各種目対抗戦が行われた。 優勝は、サヌール・ウブド合同チーム。サヌール・ウブド合同チームは、昨年の最下位からの快挙でした。日頃の運動不足を再確認して「明日から運動しよう」と言う声があちこちから聞こえ ていた。(情報提供:カフェ・アンカサ、コテツちゃん)

2005年6月14日(晴):ロ・ハルス

ブンブン・カフェのスタッフ、デサ嬢が体調を崩した。原因不明でバリアンに相談。バリアンは、カフェに10体のロ・ハルスが棲みついていると告げた。ロ・ハルスは、プンゴセカン村、バトゥアン村など、あちこちの村から来ているようで、ランダになったり猿になったりして、毎晩飛び回っているそうだ。ブンブン・カフェには食事もあるし、棲み心地がいいと言う。その10体のロ・ハルスがデサ嬢に取り憑いたのだ。バリアンの治療で、デサ嬢は6人の男に取り押さえられても跳ね返すほどの力でトランスしたそうだ。3日間の治療で、デサ嬢からロ・ハルスは退散し、それぞれの村に帰っていったらしい。デサの体調はもとに戻った。

2005年6月11日(晴):チャロナラン劇 (シンドゥ村)

10日、サヤン・シンドゥ村のダラム寺院で、日本人女性の友人が奉納舞踊するというので出掛けた。グループはヤマ・サリ。夜10時、小雨がぱらつく中で、チャロナラン劇は始まった。友人はベテランに混じってテレックを熱演した。日本人に人気のユリアティ嬢がシシアンで参加していたので、ファンの皆様のために写真を撮っておきました。写真館で見てください。最前列の向かって右側です。(連夜チャロナラン劇鑑賞の織田蘭丸氏からの報告)

2005年6月10日(晴):チャロナラン劇 (プンゴセカン村)

9日夜11時、チャロナラン劇の幕開けを告げるテレック舞踊を横目で見ながら、出番を控えたクリス・ダンスの一団の前を通り過ぎて寺院に入る。タマン寺院のジェロアン(奥の境内)には、まったく人々の姿がない。すでにお祈りのを終えて奉納芸能を鑑賞しているのだろう。私はひとり祭壇の前に腰をおろした。お祈りを終え、聖水をいただくのを待っていると、上半身裸の男たち10人ほどが、それぞれ正装の村人に抱えられて入ってきた。ワヤン、グスティ、グデ、ニョマンがいる。皆、プンゴセカン村の知った顔だ。先ほどまで嬌声を上げていた、クリス・ダンスを演じた青年たちだ。彼らはクラウハン(トランス)してしまったのだ。友人のコンピアンは、バロン、ジャウッ、カルーダと3度演じ、カルーダではクラウハンしてしまった。深夜3時、ランダのクラウハンで、チャロナラン劇は幕を閉じた。(織田蘭丸氏からの報告)

2005年6月9日(晴):バリ人の宗教について

5月31日のニュース「 いよいよ発売」で紹介した、吉田竹也著「バリ人の宗教について」の小冊子(50,000ルピア)を、ウブド・エリア内なら無料でお届けにあがることになりました。ご用命の方は、アパ?まで、ご一報ください。

2005年6月8日(晴):サンヒャン・ジャンゲール・ムボルボール

6月21日(火)満月の日に、ツアー実現。アパ?が赤字覚悟で久々に実行。この機会を逃すと、次はいつになるかわかりませんゾ。たくさんの応募者が集まることを期待しています。予約の方は、アパ?まで連絡をください。

2005年6月6日(晴):ウブドの水道事情

乾季に入って水不足なのか、公共の水道が時間制限で配給されるようになった。水道が設備される以前のウブドは、マンディは川で、飲料水は井戸や村はずれにある貯水タンクで貰い水をしていた。水道が1日中出ると信じていない村人でも、深夜3時から朝5時まで2時間の配給にはうんざり。ウブド北部のテガララン村の主婦たちは、深夜に起きて水を貯めなくてはいけないという状況に反発して、サンバハン村にある水道局に直談判。結果、配給時間は朝8時から12時までと変更されたが、この対処に今度は男たちが怒り水道局にデモ。デモをしたからといって好展開はしない。給水パイプが少ないので、年々増加する住民の消費量に追いつかないのだ。そんなことから、水道を新たに引くことが難しくなった。再び井戸を掘る人が増えてきている。根本的な見直しが必要である。

2005年6月4日(曇):得々情報

アパ?では、このたび[カフェ・アンカサ]の協力を得て、アパ?のアクティビティに参加していただいたお客様に[クラブ・アンカサ・メンバーシップ・カード]を進呈しています。カフェ・アンカサの飲食代20%OFFを始め、49軒というアンカサ協賛店の各種割引が受けられます。是非この機会に、アパ?のアクティビティに参加してください。

2005年6月3日(晴):バリ島の日本人在住者

ギァニヤール県の広報パンフレット(6月1日ニュース/友好都市)に、在デンパサール駐在官事務所所長・野村氏のコメントがあり、その中にバリ州の在留日本人の数が出ていた。2004年10月1日現在、日本人在留者は1453名、ウブドのあるギャニアール県には約250名とあった。ちなみに、1995年の発表では595名。そのうちギャニアール県は69名だった。10年強で約2.5倍の増加。ギャニアール県は約3.6倍だ。ちなみに、織田蘭丸氏が滞在始めた1990年は、バリ島の長期滞在者と永住者の総数は221名だった。この推移が多いのか少ないのか判断が出来ないが、確実に増えているのは確かだ。

2005年6月2日(晴):オダラン(寺院祭礼)

6月1日から、プンゴセカン村のタマン寺院でオダランが始まった。プンゴセカン村はハヌマン通りを南下した、ロットゥンドゥー村に入る手前にある村だ。タマン寺院は、ロットゥンドゥー村と境界となる川の辺りの、下り坂が始まる左手にある。マス村にゆかりの深い寺院と言われている。今回は30年に一度巡ってくる大きな祭礼で10日間続き、連夜、芸能が奉納される。オダラン による交通渋滞が予想されるので、急ぎの方は、迂回した方がよいでしょう。

2005年6月1日(晴):友好都市

マス村と島根県邑智町との協力関係が結ばれたのは1993年のことだ。それ以来、両村の関係は友好的に続いているという。この度、ギァニヤール県の島根県邑智町向け広報パンフレットが完成した。その中で、ギァニヤール県知事アナッ・アグン・グデ・アグン・ブラタ氏は「ギァニヤール県と日本のある特定の県とがより広範な協力関係と友好を築くことを切に願っています」とコメントしている。パンフレットは、アパ?に数部置いてありますので自由にお持ち帰りください。

2005年5月31日(晴):いよいよ発売

お待たせしました。長い間品切れだった 吉田竹也著「バリ人の宗教について」は、装いも新たに「バリ宗教ハンドブック」となってアパ?より6月1日より出版されます。バリのヒンドゥー教をもっと詳しくお知りになりたい方におすすめの一冊。わかりやすく解説してあります。 定価50,000ルピアで、アパ?、ブンブン・カフェ、影武者、カフェ・アンカサで販売しておりますのでお求め下さい。
さらに詳しくバリを知りたい方には、吉田竹也著「バリ宗教と人類学」風媒社、定価(本体3,200円+税) をお薦めします。

2005年5月30日(晴):ガラス屋

日本食レストラン・影武者の近く、アルティニ3・バンガローの入口に [ Art Glass Production ] という手作りガラスの店がオープンした。 職人は、もと日本人の経営するガラス工場に8年間勤めたプトゥ君。受注生産のようで、店に商品は少ない。経営者のマデ君は「価格設定をお求めやすいように安くしていますので、是非、お訪ねください」と言っています。

2005年5月29日(晴):これはお薦め

信号のあるアンドンの交差点からデルタ・デワタ・スーパーを通り越して20メートルほど行った左手、グヌン・モルタ・バンガローの真ん前にTaman Sari kompleksがある。この一角の最左端に間口の狭い店が、新しくオープンしたアジアン料理の店[ Koi Steamboat Restaurant ] だ。レストラン部分は中庭を持つ奥にあり、以外と広く落ち着く。看板にスチームボートとあるくらいだから、お薦めはスチームボートだ。スチームボートがメニューにある店は、ウブドで始めてだと思う。1人前35000ルピア、2人前60000、3人前95000ルピアとなっている。夜は肌寒くなってきたウブド。夕食に鍋料理もいいだろう。

2005年5月28日(快晴):Tシャツ販売

祭礼日・トゥンプッ・カンダン(Hari Tumpek Kandang)
アパ?では今、隠れた人気のナシゴレン・Tシャツと、密かに人気のAPA・Tシャツを各65000ルピア(M・L)で販売しております。旅の思い出に、是非お買い求め下さい。

2005年5月27日(快晴):ホレホレ閉店か?

日本食レストラン・影武者の近くにあるスーパーマーケット・ホレホレが、最近シャッターが半開きになっていることが多い。覗くと、店内は什器も商品もなく電気も消された状態で閑散としていて、店頭で在庫処分商品の販売をしている。スーパーマーケットの過当競争に負けたのか、それともリニューアルされるのか。最寄り店として利用していた人々にとっては、気になるところだ。

2005年5月26日(快晴):ワルン・オープン

モンキーフォレスト通りのカフェ・ワヤン前に [ the WARONENG] が23日に開店した。WARONENGは旧書体のワルンの意。ジャズ・カフェのオーナーが経営するインドネシア、バリ料理を中心としたナシ・チャンプールのワルン。惣菜は作り置きなので、11時開店そうそうの作りたてを狙うのがお薦めだろう。研究熱心なオーナーのこと、味は期待できそうです。ジャズ・カフェが閉店して移転するという噂が立っていたが、ジャズ・カフェは健在です。ご安心ください。

2005年5月25日(快晴):仏教寺院

昨日の5月24日はWaisak。Hari Raya Budha(仏教の祭日)で、かの有名なジョクジャカルタのボロブドールでは年に一度の大きな祭礼が行われた。この日、ウブドの近くクムヌ村のプタヌ川ほとりにあるPura Vihara Amurya bhumiという仏教寺院でも小さな儀式が行われた。車で走っているとわからないが、橋のたもとに中国寺院特有の赤い屋根が見える。参拝は可能で、祭壇にガボガンやチャナンが置かれているのがバリならではの光景だ。

2005年5月24日(快晴):乾季

Hari Raya Tri Suci Waisak (仏教大祭)の祝日。
3月半ば頃から雨期が明け、バリは今、乾季に入っている。ウブドは、4月15日からまったく雨が降っていない。井戸の水が干上がりそうで心配だ。(今朝6時に30分ほどスコールがあったのを思い出した) 日本が夏の時、ウブドでは寒い季節になる。何年か前に、14度を記録した日もあった。日増しに寒くなってきているようですので、渡バリの時には長袖の服を持参した方がよいでしょう。

2005年5月23日(快晴):ワルン、オープン

満月。
このところ、ゴータマ通りにギャラリーやワルンの開店が目立つ。日増しに賑やかくなるゴータマ通りだ。そして今回は、ローカル向けのナシ・チャンプールのワルンがオープンした。名前はアユーズ・ワルン(Ayu’s warung)。デワ・ワルンよりは値段が少し高いようだが、ワルン・ビアビアよりは安い。経営者はバンリ県の人だが、従業員に日本食レストラン・影武者で永年勤めていたコプリン君がいる。彼は、焼き鳥と手打ちうどんを作るのが上手かった。と言っても日本食をメニューに出すつもりはないらしい。コプリンを知る人、訪ねてやってください。

2005年5月22日(快晴):相次ぐ盗難

ブンブン・カフェに展示してあったガムラン1台の青銅鍵盤部分が盗難にあった(4月25日)1週間後、プンゴセカン村のガムラン5台の青銅鍵盤部分が盗まれた。同時期にプリアタン村でも盗難があった。ウブド近郊の村では、ガムラン・セットは壁のないワンティラン(集会場)に置いてある。盗むつもりならいつでも持っていかれる状態だ。これまで盗難にあったことがないので安心していたのだ。プンゴセカン村では、タマン寺院のオダランを6月1日にひかえて、ガムランが無くなって困っている。

2005年5月21日(快晴):ウブドの絵画事情

ウブドにギャラリーが増えた。ウブドは絵画の村と言われているから、不思議なことではないかもしれない。しかし、絵画の村と言われたのはバリ絵画を指してのことだ。バリ絵画のルネッサンスは、スピースに影響された1930年代のことだ。その後、バリ絵画はバリ土産の人気アイティムであった。近年、バリ絵画の人気が下降するに伴って、バリ島以外のインドネシア人画家の進出が目立つようになった。2000年頃から、そんな彼らによる第2期ルネッサンスに入ったようだ。彼らに影響されて抽象絵画を手がけるバリ人画家も増えた。新たに開店するギャラリーは、ほとんどが抽象絵画を展示している。こうして、バリ絵画と言われていた細密画が衰退していくのだろうか。そしてウブドが、新たな絵画の町として発展していくのだろうか。

2005年5月20日(快晴):給水対策

スゥエタ通りサクティ村にある水道局の給水場ポンプが壊れ、只今ポンプの補修中。そのため一部の地域で断水中。昨日で2日目の断水だ。村人は川でマンディ、洗濯、トイレと昔の生活に戻っている。昔に戻れないツーリストたちはどうしているのでしょうね。
これまでも時間制限で給水されていた地域があったほど、ウブドの水道事情は良くない。急激な人口増加と都市化により給水対策が遅れているのだろう。都会になると断水や停電は、生活の動脈を切られたように身動きできなくなってしまう。

2005年5月19日(快晴):Cafe Pujer

モンキーフォレストの裏、ニュークニン村にあるカフェ・プジョールが閉店することになりました。カフェ・プジョールからこんなメッセージが届いていましたので、お知らせします。
「カフェ・プジョールは、賃貸契約の終了のため、一旦閉店させて頂くことになりました。この2年半の間、あたたかく見守って応援してくださったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。5月28日(土)の閉店までに、またみなさんとWorld Wideなお話ができることを楽しみにしています」
phone:974062 www8.ocn.ne.jp/^d-camp/Pujer

2005年5月18日(快晴):蚊取り線香に新製品

蚊取り線香は、万国共通で渦巻きタイプだ。そんな常識をうち破る、なんと渦が6角形になった蚊取り線香が登場した。6角形でも渦巻きと言うのだろうか。インドネシアのメーカー、ティガ・ロダ(TigaRoda=3輪)が販売。従来のジャンボより少し大きくて10時間タイプだ。
「日本の夏・キンチョウの夏」なんてキャッチコピーがあったが、年中夏のインドネシアでは蚊取り線香が必需品だ。インドネシア国内の蚊取り線香の消費料は膨大だろう。そんなことからか、インドネシアには蚊取り線香業者が多い。[Garuda][Baygon][Domestos Nomos][cap Dua kelinci][ABC][Pohon][Perahu][Top][Moon Deer][cap Beruang][Mortein]、そして、日本のフマキラー社が[Elephant]という蚊取り線香を出している。
販売競争は激しく、あの手この手とアイデアを出していかないと、いけないのだろう。[ガルーダ]の1巻に3つのタイプ、5色セット、2巻サービスやラベンダーの香りを出している会社もある。都会でマンション住まいの方には縁の遠い話でしょうが、バリに来るときには、蚊がいるということを思い出して、蚊よけ対策を忘れずに。

2005年5月17日(快晴):ブンブン・カフェ

[ブンブン・カフェ]に、11日閉店した[カフェ&バー・アロンアロン]のスタッフが移籍して、メニューも充実。営業時間は当分の間、従来どうりの朝11時から夜7時までだが、将来的には夜9時まで営業する計画がある。日曜日が定休日になりました。[ブンブン・カフェ]では[APA?CARD]で飲食10%、雑貨5%の割引が利用できますので、ご利用ください。
APA?CARDは協賛店の割引カードです。協賛店には、カフェ・アンカサ10%。ナチュル・オン・99、10%。ワルン・ビアビア10%。影武者10%です。なんとアパ?では、定期公演の入場料が5%割引です。このカードが無料で手に入るとは、画期的な出来事ではないでしょうか。さっそくアパ?に立ち寄って[APA?CARD]をゲットしよう。ブンブン・カフェを応援しよう。

2005年5月16日(快晴):茶話会

15日の日曜日、日本人会ウブド支部の面々がカフェ・アンカサに募って茶話会を開いた。インドネシア人と結婚して住んでいる人、ビジネスをしながら長期滞在をしている人、リタイヤ組など23名ほどが集まって交流を深めた。日本人会主催の運動会(6月12日)の予告や次回の古本交換会などの報告がされた。茶話会、運動会、古本交換会は旅行者も自由に参加できます。情報を耳にしたらは、気軽に立ち寄ってくださいとのことです。

2005年5月13日(快晴):モンキー・カフェ新装

アパ?の奥隣りにあるモンキー・カフェが、部分改装した。厚天板のテーブルと椅子の脚に椰子の木の丸太が使われ、ワイルドな雰囲気だ。陽射しの良く入る開放されたスペースに、竹琴楽器・ティンクレックのBGMが優しい音色で心地よい。メニューは、これまでのベジタリアンにタイフードが加えられ、充実をはかっている。

2005年5月12日(晴):中華料理店

チャンプアンからペネスタナンに抜ける坂の途中に、中華料理店が2週間前に開店した。100人は入れる立派な店で、店名は「食為天(SEK WAI TIN)」。広東と四川料理だそうです。メニューの品数は少ないが、北京ダックじゃない四川風ダックがメニューにありました。オーナーは中国系マレーシア人で、クタのダイナスティ、ヌサドゥアのニッコー・ホテルなどの中華料理店を歴任したシェフ。味は本格的かどうかは私にはわかりませんが、野菜炒飯(S)13800ルピア、(M)22800ルピアと値段が安い。チャンプアンの景色が窓外に見え、豪華で快適なスペースです。営業時間は昼12時から夜9時までで、日曜日は休日。6人以上の予約なら休日も営業するそうです。

2005年5月11日(晴):アロンアロン閉店

トゥブサヨ村のスクマ通りあった、カフェ & バー「アロン・アロン(ALON ALON)」が5月11日に閉店しました。開店から1年と8ヶ月、やっと人気が出てきたところで閉店とは残念です。「アロン・アロン」のメニューは「ブンブン・カフェ」で近日中に復活します。「アロン・アロン」のメニューのファンだった方々は、しばらくお待ちください。また「アロン・アロン」のファミリー・カードは「ブンブン・カフェ」で使用できますのでご利用ください。

2005年5月10日(晴):レンパット

昨年(2004年)12月3日に(株)文遊社より発売された「バリ、夢の景色・ヴァルター・シュピース伝」(著者:坂野徳隆)を読んで、ウブドの画家レンパット(Lempad)に興味を持った人も多いことだろう。イ・グスティ・ニョマン・レンパットの生家は、ゴータマ通からウブド大通りに出たT字路の突き当たりにある。生家は現在、孫のイ・グスティ・グデ・ウダヤナのギャラリーになっていて自由に訪れることができる。レンパットの有名な作品のほどんどは、ネカやアルマのギャラリーに展示されているが、生家にも24点ほどの作品が保管されていて鑑賞できる。家寺の隣りにある建物・バレ・ダジョに、作品とレンパットの写真、そして多くに表彰状が所狭しと置いてある。充分な管理されていない様子で、今後の保管が心配される。TEL:0361-975618

2005年5月9日(晴):喫茶・図書室

ハヌマン通りにあるブティック・プスピタから10メートルほどウブド大通り寄りに、新しく店がオープンした。珈琲をすすりながら本を読んでくつろげるスペース[L’arbre a plumes]です。新書販売と貸本、貸しDVDもある。残念なことは、フランス語と英語の本が専門であることです。日本語専門のカフェ・ライブラリーが開店されることを切望する。

2005年5月8日(晴のち曇、雨):ウブドの定期公演

定期公演(乱立するウブドの定期公演)のグループ追加、訂正をしました。ウブドでは、一晩に5ヶ所以上の定期公演が催され、選択にお困りの人も多いことでしょう。そこで今回から「極楽通信・ウブド」を担当している織田蘭丸が、独断と偏見によって各曜日のお薦め芸能を選ぶことになりました。いつまでも栄光が続くと思っていてはいけませんぞ。お客は優れた芸能を欲しているということを、グループ各位は認識しなくては。

2005年5月7日(晴):Mi Ayam Jakarta

ラーメンが恋しくなった時 [ The Noodle] のMi Ayam Jakartaを食べていたツーリストも多いことだろう。Mi Ayam Jakartaは、麺とAyam(鶏肉)の入った椀とスープに入った小椀が別々に出て来る。お好みに応じて、麺の椀にスープを入れてラーメン風に食べてもよし、別々に食べてもよしという Jakarta 風ラーメンだ。その [ The Noodle] の看板が下りて、新たに[ HOGA ]の看板が掲げられていた。絵画や雑貨が雑然と飾られ薄汚れた感じだった The Noodleの店内と違って、今度の HOGAは少し小綺麗になっていた。メニューに、Mi Ayam Jakarta は健在だった。[ HOGA] の場所は、ウブド大通りをアンドンの交差点に向かって、右にスクマ通り左にジェロ・ガンディン通りの変則十字路のジェロ・ガンディン通りの角にある。ウブド大通りを挟んでダラム・プリ寺院に反対側と説明したのがわかりやすいかもしれない。

2005年5月4日(晴):早朝のウブド

1990年のウブドに、街灯がなかった。四つ辻の電柱に、ワット数の小さい裸電球がついている程度だ。いつの頃からか水銀灯が設置され、今ではウブドの十字路付近にヨーロッパ調の街路灯が立っている。夜明け前のウブドの十字路を10年ぶりに歩いてみると、十字路は街路灯の灯りで本が読めるほど明るかった。パサール(朝市)で働く人々にまじって、早朝ウォーキングやジョギングをする人々とすれ違う。ウブドもここまで町になったかと眼を見張る。オダランのチャロナラン劇を見た帰り、暗い道や10数頭の犬が群れる十字路を通るのが怖かったことを懐かしく思い出す人も多いことだろう。

2005年5月3日(晴):ウブドの十字路

ウブドは、これといった名所旧跡があるわけではないが、訪れるツーリストは多い。ウブド全体がかもし出す雰囲気に訪れる要素があるのだろう。ツーリストとして要望するとすれば、風景や人々をウオッチングできる憩いの空間が欲しい。そんな要望が聞こえたのか、ウブドの十字路にある王宮のウブド大通り沿いに、ベンチが2つ設置された。王宮やパサールを訪れるツーリストは多いので、休憩スペースがあるのはいいことだ。しかし利用者はもっぱら、トランスポートの運転手やチケット売りや物売りだ。ツーリストのために設置したわけではないと思うが、これではたとえ座れたとしても、物売りがうるさくてゆっくりしておれないだろう。物売りが徘徊する土地で、野外でくつろぐことは難しい。ツーリストにとって憩いの空間になるのは、今のところレストランということになる。

2005年5月1日(晴):ガムラン・ボール

バリ土産の人気アイティムであるガムラン・ボール(ブンブン・カフェではドリーム・ボールと呼んでいる)が、スーパーマーケット・デルタ・デワタのエントランスに出店しているシルバー・ショップで売っている。デザインは豊富でないが、価格がどこの店よりも安い(これまではブンブン・カフェが安くて、デザインは豊富だった)。小ボール35,000ルピア。大ボール5~85,000ルピア。ネックレス用ヒモ(皮)が35,000ルピア。携帯電話のストラップ(ビーズ付き)が30,000ルピア。
バリの土産と言えば、他にコピ・バリ、インドネシア・ティ、サンバル等々、これらもスーパーで売っている。「バリの土産は、スーパーで揃えよう」なんて、今回はスーパー・マーケットの回し者のようなニュースになってしまいました。

2005年4月30日(曇):得々情報

5月中にアパ?をお訪ねいただいたお客様全員に、只今[APA?CARD]を進呈しております。[APA?CARD]は、協賛店の割引カードです。[アンカサ・カフェ]10%、[ナチュル・オン・99]10%、[ワルン・ビアビア]10%、[影武者]10%、[ブンブン・カフェ]10%・雑貨5%、[アパ?]パフォーマンス・チケット5%とお得なカードです。是非、アパ?を訪れて[APA?CARD]をゲットしてください。

2005年4月29日(曇):ドライクリーニング

ウブドも先進したもので、今では、ドライクリーニング店もある。高級ホテルのお泊まりのお客様は、何を今さらドライクリーニングだと思うでしょうが、そのドライクリーニングが今までウブドにはなかったのです。ウールのスラックスをクリーニングに出して見事に縮んでしまったり、シルクのブラウスが黄ばんで返って来たりと、これまでは無惨な結果でした。洒落たレストランも増え、ディナーはドレスアップして出掛けたいと思っているツーリストも、これまでのクリーニング事情では大事な衣裳は持ってこれなかった。これからは、せいぜいオシャレしてナイト・ライフをお楽しみください。
ドライクリーニング店は、ハヌマン通りからクスマ通りに抜ける新道ジャタユ(JUTAYU)通りの橋のたもとにある、ちょっと豪奢な邸宅風の建物です。店名は[ PERDIKAN LAUNDRY] Tel.0361 972804 。日本人に人気の高いホテル[ TEGAL SARI ]の経営です。TEGAL SARIのスパ[ PERTENIN BODY CURE ]もPERDIKAN LAUNDRYと同じ建物に移動しました。
蛇足ですが、ドライクリーニングの[ PERDIKAN LAUNDRY]のある、ハヌマン通りからクスマ通りに抜ける通りの名称であるジャタユ(JUTAYU)は、ラマヤナ物語の出てくる猿王ハヌマンがシータ姫を助けに行く時に乗った鳥の名前です。パダンテガル村はあくまでも、ハヌマンにこだわって通りの名称を付けているようだ。

2005年4月28日(晴):チャロナラン劇

ウブド・デサ寺院のオダランが24日から27日までの日程で始まり、王宮での定期公演が中止になっていた。最終日の27日は、スゥエタ通りを通行止めして午後10時からチャロナラン劇が奉納された。ツーリストが、こんなふうにバリの宗教儀礼や奉納芸能を頻繁に眼にし、バリを身近に感じることが出来るのがウブドのよいところだと思う。おかげで、近辺のレストランは商売あがったりでしたが。チャロナラン劇は終演の深夜2時30分まで、1000人はいると思われる正装の観衆の熱気で充満していました。

2005年4月27日(晴):デジカメ・データのプリント

カキアン・バンガロー(プンゴセカン通り)の斜め向かいにあるコダックDPE店[ラクサマナ] が、デジタル・カメラの写真データのプリントが出来る写真店に新装オープンした。掲示板の問い合わせに紹介した店のひとつで、もっとも安価の店だ。試してみましたが、従来のフイルムでのDPEと変わらないスピードと仕上がりでした。ホテルへの無料お届けサービスもしているようです。30,000ルピアで、CDにデータを焼いてもくれます。ウブドも時代の波に遅れていないようだ。
掲示板と重複しますが、デジカメ・データ・プリントの写真店を紹介します。
1.ラクサマナ・フォト(Laksamana )
2.ウブド・ミュージック(モンキー・フォレスト通り:アパ?の近く)
3.ウブド・ミュージック(ウブド大通り:王宮から西へ100m位)
4.アリス・デジタル(ウブド大通り:王宮から西、アリーズ・ワルン並び)
ウブドには以上の4店で、1~3までがコダック系、4がフジ系です。[Digital Services”]などと書いた看板がでています。2は3の店にてプリントされます。料金は3R ( サービス版大 ) Rp1,100-Rp1,500、4R ( はがき大 ) Rp1,400-1,700です。 これより大きいものも可能です 。時間は混んでいなければ1時間位(100枚)だそうです(2は2時間位)。仕上がりはデータに依存すると思いますが、まず普通だと思われます。各店とも各種メディア( CF , SM , SD , xD , MS )に対応しているそうですが、最新のものやミニサイズの場合は別途アダプターを持参された方が無難だと思います。

2005年4月25日(快晴):アルマのケチャ

アルマ・ミュージアムで、満月と新月の日に公演を行っている[ケチャ]のチケットが、23日から飲み物(コーラorスプライト)と少しのお菓子がついて75,000ルピアに値上がりした。カフェ・アルマでのディナー付きチケット、120,000ルピアも発売している。
アパ?芸能担当の織田蘭丸は「シータ姫の登場が加えられたのはオマケとして、フォーメーションの工夫には、さすがリノのグループだと感心させられるが、値上がりは不満だ」と言っている。さらに「この料金なら、トータルに見てタマン・カジョ村の50,000ルピアのケチャの方が良いと思う」と厳しい意見を述べている。さて、貴方の判断は。ちなみにタマン・カジョ村の定期公演は、水曜日と土曜日の2回です。

2005年4月24日(快晴):サムアン・ティガ寺院

サムアン・ティガ寺院のオダランは、サコ暦の第11番目の月・Sasih Desta (サシー・デスト)の満月の日に始まる。今年は、4月23日の満月から5月4日までの12日間だ。ツーリストにとって、芸能が毎夜奉納されるというは嬉しい。スケジュールは、サムアン・ティガ寺院の奉納芸能・予定表をご覧下さい。さらに、100軒以上の屋台店や露店が、祭気分を盛り上げてくれる。

2005年4月23日(快晴):Apa Kabarが閉店していた

1995年、デウィ・シータ通りに開店した、ウブドで初の本格的スパゲッティの店 [ アパ・カバール ] が、いつの間にか閉店していた。確かに、ピザ・バグース(プンゴセカン通りにあるイタリア人経営のスパゲッティとピザの店)が開店してから客足は減ったように見えたが、まさか閉店してしまうとは。これを栄枯盛衰と言ってしまうには、あまりにも悲しいことだ。10年前、これまでのバリ人の作るスパゲッティにガッカリすることの多かったウブドで、アパ・カバールの開店は嬉しいニュースだった。また1つ、アパ・カバール(ご機嫌いかかですか?)と言って入る店がなくなった。本当に残念なことです。

2005年4月21日(晴):路上チケット売りに通達

ウブドには、路上で定期公演のチケットを売っている人たちがいる。各公演主からチケットを預かり、コミッションをもらっている人たちだ。チケットの料金は、公演会場でもアパ?でもチケット売りから購入しても同額だ。しかし今回、問題が起きた。3月19日のクニンガン明けから、ウブドを中心とした村々ではオダランが相次ぎ、定期公演のキャンセルが相次いだ。チケット売りは、キャンセルに気づかずチケットを売ってしまった。会場に着いてキャンセルに気づいたツーリストから、村営のツーリストオフィス [ビナ・ウィサタ]にクレームが殺到。チケットは、ビナ・ウィサタで払い戻しを受けることができる。さっそくウブド村の役員は、路上チケット売りに集合を掛けた。そして通達事項は、公演の有無を前もって確認すること。また、しつこく売り込むことを慎むようにと注意された。
こんなことがないように、アパ?では必ず公演の有無を確認しています。定期公演チケットは、アパ?で購入すれば安心だ。

2005年4月19日(快晴):新紙幣発行

インドネシアの通貨単位はルピア。現在紙幣8種、硬貨6種が流通している。インドネシアは偽造紙幣が横行する国。このたび偽札対策で10万ルピアと2万ルピアが新紙幣に変わったと聞いているが、ウブドで頻繁に出回りだしたのは今月に入ってからだ。日本のように新聞、テレビなどで新紙幣発行の報道をしないので、現物をみるまでは単に噂で過ぎない。10万ルピアは、これまでのプラスチック製から紙製になった。インドネシア独立の英雄、スカルノ氏とハッタ氏の肖像画は変わらない。2万ルピアは少し小さくなって、肖像画は俳優・嵐勘十郎(鞍馬天狗のおじさん)のようなおじさんKI HADJAR DEWANTARA (教育の父)から、ちょっといかついちょっと若いおじさんOTO ISKANDAR DINATA(バンドゥンの英雄)に変わった。しかし、この作りで大丈夫かと心配になる印刷だ。5万ルピアも新紙幣が発行されたと言う人がいるが、自分の目で確認するまで信用できない話である。

2005年4月17日(快晴):エアーパラダイス国際航空

2004年12月27日より、バリ島を本拠地とするエアーパラダイス社が大阪・関空へ、週3便の定期便を就航している・・・・予定だ。
どうもその定期便は、あまり就航していないという噂だ。エアーパラダイスでバリ島を訪れる予定だった友人が、ガルーダで到着。4月24日までエアーパラダイス社のキャンペーンで、2名70000円のチケットが発売された。彼らは、出発2日前にキャンセルの連絡をもらって仰天。キャンセルの理由は「故障」。フライトを予約した友人は「そりゃ~故障なら飛べないや」とエアーパラダイスを試乗してみたかったのをあきらめ、代理店から同じ日のガルーダに振り替えてもらって事なきは得た。どうやら乗客が少ないとキャンセルになることが多いようだ。ところで、エアーパラダイス社直接購入の場合はどうなっているのかが心配だ。友人はマイレージが加算されたので「不幸中の幸い」とアクシデントを良い方向に考えて笑い飛ばしていた。

2005年4月16日(晴):ユドヨノ大統領

2004年10月20日、インドネシア初の国民による直接投票で選ばれたスシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)大統領選の新政権は、誕生して以来、旅客機の墜落(2004年11月)から始まり、洪水、崖崩れ、スマトラ島(アチェ)の地震・津波(2004年12月28日)、デング熱の流行、ニアス島地震(震度8・7、3月28日)と問題が相次いでいる。石油燃料の値上げ問題は、これまで政権交代の重要要素だった。こんなことから、ユドヨノ政権が危ぶまれている。

2005年4月15日(晴):石油燃料の値上げ

2005年3月1日より石油燃料(BBM=Bahan Bakar Minyak)が値上がった。各地で値上げ撤回のデモが行われているが、どうやらこのまま押し切られそうだ。ガソリンは、1800ルピアから2400ルピアと大幅値上げとなり、マイカー、マイバイクの人には厳しい支出となりそうだ。さらに、野菜、雑貨などの物価に波及的値上げがジワジワと押し寄せてきている。日本の100円ショップの方が、バリより安い品物があると聞く。このままでは、バリは物価の安いどころか、高いというイメージになってしまいそうだ。

2005年4月14日(曇、時々雨):グリーン・ハウス

3週間ほど前、モンキーフォレスト通りのプルティウィ・リゾート入口に、結婚式場かと思わせる白亜の館が建った。ネオン看板の文字「グリーン・ハウス」が、レストランだと主張している。プルティウィ・リゾートが経営するレストランで、グランド・オープンは今月29日。外見の高級感から、メニュー価格も高いと想像していたが、以外とそうでもない。従来からある、ちょっと高めのレストランと変わらない価格だ。味もバグース。ウブドの新たな人気スポットになりそうな予感。詳しくは、グランド・オープンしてからお知らせします。営業時間:朝7.30~夜11.00 Phone:62.361.978189 Fax:62.361.975559 E-mail:pertiwi@indosat.net.jd

2005年4月12日(曇、時々雨):アイスクリーム専門店

モンキーフォレスト通りにあるクルタ・アコモデーション(ワヤン・クリッの定期公演会場)前とモンキーフォレスト入口手前に、2004年10月アイスクリームの店「タナ・メラ(Tanah Merah )」がオープンした。メニューは、アイスクリーム(13種類以上)とジュース、クレープ。モンキーフォレスト店にはコーヒーもある。クレープはイマイチだが、アイスクリームは旨い。営業時間10 AM~6:30PM。

2005年4月11日(晴):カフェ・アンカサ8周年

スゥエタ通りにあるカフェ・アンカサが、4月21日に8周年を迎えます。自家製焙煎コーヒーとカルボナーラが、根強い人気の店です。4月18日から24日まで、ご愛顧感謝週間として、コーヒー、紅茶を半額で奉仕するという、アンカサ・ファンには嬉しいニュースもあります。これでカルボナーラが奉仕価格だったら、毎日でも通ってしまいそうだ。21日は記念行事として、ウブド在住ミュージシャン(プラネット・バンブーのメンバー3名)により、ライブが夜8時より上演されます。こちらも見逃せない情報です。「是非とも、ご来店ください」と、店長コテツちゃんが頭をチョコンと下げて、お願いしております。

2005年4月10日(晴):Nature on 99

自然成分100パーセントの雑貨店「Nature on 99」がワルン・ビアビア前のブンブン2にコーナーをもうけました。新製品も完成し、充実してのお目見え。ウブドの中心地に近くなり、便利になりました 。Jl.Jembawan 店は、工房となりました。
※得々情報:「アパ?からの紹介」と、一言告げれば10パーセント割引です。

2005年4月9日(曇、時々雨):バンジール(bajir=洪水)

雨期も終わったというのに、この2、3日、雨模様が続いている。
ウブドは、山間部にあるためスマトラ島のように1~2メートルという大洪水にはならないが、それでも大雨が降ると必ず洪水になる箇所がある。たいていそういう場所は下を川が流れていて、渓谷に架かる橋がかなり低い位置にあるため土地が低くなっている。アンドンの交差点からウブド大通りに入ったすぐのところと、しばらく行った郵便局への入口あたりがそうだ。洪水のため、車やバイクが立ち往生している事がよくあり。あまり気がつかないが、ウブドは南北にいくつも川が通っている。
側溝の水はけが大雨に追いつかないために、洪水になる箇所もいくつかある。ウブド大通りのハヌマン通りのT字路と、ハヌマン通りに真ん中あたりがそうだ。側溝からあふれ出した水は、道路を川と化し、たくさんのゴミを流していく。道路のアスファルト敷きや樹木の減少などで、雨が地面に浸透しないのも洪水の要因の1つだろう。下水の完備が急がれる。

2005年4月8日(曇、時々雨):ワルン「MADE RAY」

ウブド大通りからスグリオ通りに10メートルほど入った右手に、3月25日ワルン「MADE RAY」が開店した。ウブドでは珍しいサテ・イカン(魚をツクネ状にした串焼き)をメニューに出している。ペペス・イカン(魚のすり身をバナナの葉で包んで蒸し焼きしたもの)とバッソ・イカン(魚のすり身の肉団子入りスープ)という魚づくし3品だけのメニュー。3品のセット・メニューとテ・ボトル(甘い紅茶)で9000ルピアのローカル・ワルン。笑顔の優しい気さくな主人は、ギャニアールから来ている教えてくれた。電話:0361-971487。携帯電話:085-2371-40550。

2005年4月7日(雨):モンキーフォレストの鹿

モンキーフォレストの裏手で、鹿が飼われているのを知っていましたか。10×20メートルほどの金網フェンスに囲まれた小さな池のある屋外に、7頭放されている。モンキーフォレストに、野生の鹿がいたとは思えないので、何故、そんなところに鹿がいるのか疑問に思う人も多いだろう。
鹿はインドネシア語でキジャン(kijang)。キジャンは、角の小さい小鹿のこと。トヨタのランドクルーザー・タイプのインドネシア名がキジャン。バリ舞踊にもキジャン・クンチャナと呼ばれる踊りがある。若い女性の舞踊で、チャーミングな振付が印象的だ。キジャンは、インドネシアの寓話に出てくる主人公。バリでは、ラマヤナに登場する黄金色のキジャンが有名だ。
ラマヤナには猿も登場する。なんと言ってもモンキーフォレストの地主は、ハヌマン通りを有するパダンテガル村だ。通りの名称になっているハヌマンは、ラマヤナではラマを助けて大活躍する猿の戦士だ。こんな因縁から飼われているのかもしれない。
ちなみに、バリ西部にあるダイビング・ポイント、ムンジャガン( menjangan)島は 牡鹿のこと。これは大きな鹿のようだ。西部自然公園に野生のムンジャガンが棲息しているそうだ。雌鹿は menjangan betina(雌)と言う。他にrusaという呼び名の鹿もいるようだ。
モンキーフォレストが今後、動物園になるとは思えないが、どう変化していくのかも楽しみのひとつとなった。

2005年4月6日(雨):駐車場前の貸店舗がオープン

2004年12月07日、モンキーフォレストの旧駐車場前に崖にへばりつくようにあった土産物店の長屋が取り壊された、とニュースした。跡地は今年(2005年)3月、新たにコンクリート作り2階建て貸店舗としてお目見えした。1階は、間口2.5メートル、奥行き3メートルほどの店舗が10軒並び、2階はオープン・スペースの店舗になっている。並びの悪い歯にようだったこれまでの店舗が、矯正されてスッキリとした。煩雑感のないのは、購買意欲を誘うだろう。すでに1階には、4軒の土産物店が入店して、活気づいている。

2005年4月5日(晴):4月4日4時44分

あなたはこの時間、何をしていましたか。仕事をしていましたか。それとも、夜更かしで遊んでいましたか。もちろん、寝ている人の方が圧倒的に多いことでしょう。
あなたは、この4の連続をシ・シ・シ・シと読むか、死・死・死・死の符号と解釈するか。長期滞在者Aさんは、この日、こんな経験をしました。
夜半、自分に経営している居酒屋へ出掛けた。開店しているはずの店は、ネオン看板の灯りも消え、真っ暗だ。従業員にでも何かあったのか、と心配になる。入口の引き戸に手を掛けて驚いた。引き戸のガラスが割れている。これはただごとではない。慌てて、引き戸を開ける。店内に足を踏み入れる前に、天井が抜けていて桟しか残っていない屋根から夜空が見えた。どうしたんだと考えようとすると、同時にゾクゾクとする嫌な物が全身を突き上げてきた。これ以上、この状況を考えると恐ろしいことが起こりそうだ。この夢から覚めた方がいい。
眼を開けると、窓から誰かが覗いている。急いで、枕元の電気スタンドを灯した。時計を見ると、ちょうど4時を指していた。心臓の鼓動が、激しく拍っている。今にも爆発しそうだ。身体を丸くして落ち着くのをまった。4時に眼を覚ますことは多いが、こんな夢は初めてだ。44分の符号が気になって、5時まで起きていた。夜明けとともに睡魔に襲われた。
前夜は霊力の強いカジャン・クリオンの日で、あちこちの死者の寺院でチャロナラン劇が奉納されたと思われる。チョロナラン劇に登場するランダは、ダラム寺院の墓場で屍を貪る。そんな日だったから、こんな夢を見たのだろうか。それにしても怖い夢でしたね。

2005年4月4日(晴):チャロナラン劇

4月3日は、クニンガン祭礼日から15日後のカジャン・クリオンに行われている、トゥブサヨ村ダラム・プリ寺院の祭礼日だった。1日だけの特別な祭礼で、夜には例年通りチャロナラン劇が奉納された。スクマ通りを通行止めにして簡易舞台が作られ、周囲には屋台店が出店する。毎年、多勢の観客が押し寄せ、開演前数時間から席を確保して置かないとゆっくりと鑑賞できないほどだ。5重6重の人だかりで、背の低い人は前の人の背中を見るだけになってしまう。女性には、痴漢という嬉しくないオマケまでついてしまうということでも評判のチャロナラン劇だ。今年も多勢の人で賑わった、チャロナラン劇の奉納でした。
ちなみに、ダラム・プリ寺院前の道は、3月16日のニュースで[妖しげな煙]が立ちこめた場所です。

2005年4月2日(晴):推薦図書

2004年12月3日発売の文遊社発行「バリ、夢の景色・ヴァルター・シュピース伝」著者:坂野徳隆。
ヴァルター・シュピースは、ヨーロッパのお金持ち道楽息子の気まぐれか、そうでなくても当時の王族の援助で悠々自適に生活をしていたかと思っていた。しかし実際はそうではなかったようだ。彼も、現在長期滞在している外国人と同じように、滞在するための資金作りに四苦八苦している。そんな姿を想像して、親近感を強めた。
バリ島滞在以前の、彼の生い立ち、歴史、交友関係などが詳しく調べられており、それを知ることで彼のウブド滞在の背景がよく理解できる。彼がバリに残したものの偉大さが、この本を読んで新たに関心させられる。バリ好きには、必読の一冊だ。定価:本体5800円は安いかも。

2005年3月31日(曇、のち雨):ビスマ通りの不思議な話

ビスマ通りには、こんな話がある。某コテージに泊まっていた日本人女性ツーリストが、ある夜、チリ人形(説明はいずれ)のような物体が、竹を裂いて編んだ壁を抜けて入って来たのを見た。この女性は霊感の強い女性で、日頃から霊の見るので、このくらいのことでは驚かない。10センチほどのチリ人形のような物体は、部屋をフワフワと舞うように移動し、しばらくして出ていったそうだ。翌朝、家主にその話をすると「そんな物は、いっぱいいるよ」と平然と答えた。そして「夜になると、この奥の大きな木の周りを、オレンジ色の光りを放って飛んでるよ」と教えてくれたそうだ。「あ、そうなの」と彼女も納得し、さっそくその辺りを見に行ったそうだ。まわりが田んぼばかりの道端で、そこには小さな祠が立っていた。1990年の話です。この頃は、この祠の辺りでUFOを見たとか、宇宙人と交信したという人がいても、疑うこともなく信じられるほどの不思議が普通の時代だった。蛍のような小さな光りを放つ物体は、UFOの偵察機だとか、チリ人形は宇宙人だと言い切る人もいた。
もうこんな話も信じられなくなるほど、ビスマ通り今、明るく綺麗に道路が整備された。

2005年3月29日(曇、のち雨):お得な情報

アパ?では4月を、お客様感謝月間として、推薦アクティビティーのラフティング、エレファント・キャンプ、エレファント・トレック、ホース・ライディング、マウンテン&ビレッジ・サイクリング、ジャングル・トレッキング、ワーゲン・ドライブを、10%から35%の割引をしております。ご利用ください。なお、アクティビティーのページも見やすくなりましたのでご覧下さい。

2005年3月27日(曇、のち雨):ビスマ通り(Jl.Bisma)

ゴータマ通りに続いて、ビスマ通りの道路が整備された。ウブド大通りをチャンプアン橋に向かってしばらく行くと、左手に高等学校(S・M・A)がある。高等学校とミロス・レストランとの間を入って行く坂道がビスマ通りだ。ビスマ通りはモンキーフォレスト通りと並行していて、将来、モンキーフォレストの入口付近で交わる計画だ。ビスマ通りはウブドの十字路と同じように20センチ角のコンクリート・ブロックが敷かれ、ゴータマ通りより、はるかに綺麗だ。ブロックは入口から約150メートル奥のグスティ・ハウスまで完成していた。これまで土埃の凄かったガタガタ道路と不規則に建っていた建物は、境界である足下がはっきりすることですっきりとなった。これで雨の日の泥道や水たまりがなくなくなる。辛い中途半端な歩道がないのもいい。オシャレな店もチラホラと見られ、今後発展することが予想できる通りだ。

2005年3月26日(晴):デウィ・シータ通り

今、モンキー・フォレスト通りに次いで人通りの多いのが、ハヌマン通りと結ぶデウィ・シータ(Jl.Dewi Sita)通りだろう。今でこそ人気のデウィ・シータ通りも、その昔はガイドブックにも明記されない道路だった。ガイドブックに明記され始めたのは98年頃からだ。あるガイドブックでは、なんと94年から97年までビマ通り(JL.Bima)と明記されている。いかに注目されていなかったかがわかる。ビマ通りと明記された頃は、この通りでナシ・チャンプールの店、カチュ(Kacu)がツーリストに注目を集め出した時代だ。クデワタン村とテガス村のナシ・チャンプール屋も、この頃から評判が立ちツーリストが訪れるようになった。今でもこの3店は、地元の人はもちろん、ツーリストにも人気を得ている。
94年4月発売の「極楽通信UBUD」に、デウィ・シータ通りがJL.Rama Sitaとある。これは、通りに「RAMASITA」と道路標識のようなロスメンの看板があったので、当時のスタッフが間違えたのたようです。遅まきながら(なんと11年も経っている)、この場を借りて訂正とお詫びを申し上げます。

2005年3月24日(晴):ゴータマ通り道路整備終了

今年1月初旬から始まったゴータマ通りの道路工事が、約束通りガルンガン前に完了した。側溝に蓋がされ、道幅が広くなって整備された。夜の暗闇で側溝に足を突っ込み、泥んこになった人もいた。田舎道の雰囲気はなくなったが、これも年月を経ればウブドらしい散策道に変わっていくことでしょう。通りの名前になっているゴータマは、世尊(せそん=バガヴァン)の呼び名。世尊とは、ほとけ・釈迦を尊敬して呼ぶ称号。そんなことからか、ゴータマ通りの出入口には、左右にブッダ像が設置されている。
デウィ・シータ通りからウブド大通りに向かって一方通行になりましたので、車の方はご注意ください。バイク、自転車、もちろん歩きの方は、どちらからでも通行できます。
バリ料理専門店のビアビアは、ゴータマ通りのほぼ真ん中にあります。

2005年3月23日(晴、時々薄曇):ブティック・オープン

ハヌマン通りプナタラン・クロンチン寺院の大きなブリンギン樹の前に、新しい店がオープンした。黒地にアンティック・バティック布をあしらった洋服のチリ・マニス(Chili Manis)とオリジナルTシャツのバル・バングン(Baru bangun)が同居した、チリ・チリ・バングン(Chili Chili Bangun)というブティックだ。バル・バングンのトゥブサヨ村スクマ通り店は、チレボンの伝統的バティック柄メガムンドゥン(Megamendung)をデザインしたバティックTシャツのショップとして、すでに知名度がある。チリ・マニスの洋服たちは、厳選された1点物だ。どちらもオリジナル商品で「世界に同じ物が2つとない」がコンセプトのようだ。
連絡は、TEL:0818-35-7590 Mail:barubangun@infoseek.jp
URL http//barubangun-bali.web.infoseek.co.jp

2005年3月22日(曇):スマイリー・カフェ閉店

エイチ・アイ・エスの日本語情報誌・バリ・フリークに広告が掲載されていた、モンキーフォレスト通りのスマイリー・カフェ(Smiley Cafe) が閉店。可愛いインテリアと挽き立てコーヒーがオススメのカフェでした。コーヒー好きには残念なニュースです。

2005年3月21日(晴):所変われば儀式も変わる

19日のニュースに、クニンガンの日はタミアンと呼ばれる椰子の葉で作られた円形の飾りが門や扉に取り付けられる。と書いたが、どうやら地域によって違うようだ。バンリ県の山村では、ペンジョールの先にも取り付けられる。またこの村では、ニュピの3日前に行われる浄化儀礼(ムラスティ=melasti)も海へ行くわけではなく、丘の上からサヌールの海に向かって儀礼を行うようだ。たとえ日時をずらすとは言え、バリのヒンドゥー教徒は300万人もいる。彼らが一斉に海岸に出掛けるとしたら凄いことになるだろうと想像していたら、どうやら山間部の村々では丘を海に見立てて儀式を行っていると聞いて納得した。

2005年3月20日(晴、時々曇):喧嘩神輿

クニンガンの日はトゥンプッの吉日でもあり、寺院の建立記念日・オダランが多い。昨日アパ?では、クルンクン県パクサバリ村にあるパンティ寺院のオダラン・ツアーがあった。参加者は4名。この寺院は、喧嘩神輿の奇祭として有名だ。神輿の担ぎ手が続々とトランス。さて参加者は、壮絶なシーンを目の当たりにして、どんな感想を持ったでしょうか。次はあなたも参加してみてください。極楽通信UBUD「トランス・その1喧嘩神輿」で概要を紹介しましたのでご覧下さい。

2005年3月19日(晴、時々曇):クニンガン(Kuningan)祭礼日

ガルンガンの10日後がクニンガンだ。タミアンと呼ばれる椰子の葉で作られた円形の飾りが、門や扉に取り付けられる。ガルンガンと同様に、レストランや商店の休日が目立つ。

2005年3月18日(晴):オダラン・ツアー

昨夜は、タバナン県クランビタンのティスタ村ダラム寺院でオダランがあった。レゴンとランダがサンヒャン(トランス)奉納される寺院だ。アパ?では、例年通りオダラン・ツアーを行った。今回の参加者は日本人女性5名。
ティスタ村のサンヒャンはこうだ。2人の踊り子のレゴンが続く。ここまでは、普段オダランで見られるレゴンと同じだ。踊り子が絶叫とともにトランスに入った。間近にランダがいたからだ。レゴンの踊り子はランダに向かって、何ごとが叫びながらクリス(剣)を振りかざす。沿道に座っていた村人男性たちが、次から次へと叫び声とともにトランスに入っていく。すでに10数人がトランス状態になっている。トランスした男性たちにクリスが手渡される。男性たちはクリスを突きだし、数メートル離れた位置から助走をつけてランダに飛び込んで行く。ランダはクリスを胸で受け止め、後ろへ飛ばされる。ランダは、どんどん突いて来いとでも言うように胸を出す。男たちは、前後左右から止めどもなくランダに向かって行く。
文章で説明するとこんなところだが、この状況を目の当たりにすると、バリのミステリアスな部分が一層深まることでしょう。次回は、あなたもティスタ村のオダラン・ツアーに参加してみてはいかがですか。
3月はこのあと、19日のパクサバリの喧嘩神輿、19日と20日はバリス・チナ、27日はプンゴレボンガンの白昼集団トランス、29日はジャンゲール・ムボルボル(サンヒャン・アピ)、31日はティヒンガン村のチャロナラン劇とトランス儀式目白押しです。興味のある方は、お問い合わせください。

2005年3月17日(晴):ニュピの日の不思議な体験

「深夜2時頃、飛行機が飛んでいましたよね」と友人に訊ねると、「そんなはずはないよ。ニュピの日は、飛行機は飛ばないんだから」と答えが返ってきた。友人は私の話を聞き流し「ニュピの夜は星が綺麗だったよね」と感想を述べた。その言葉を聴きながら私は、そうするとあの音はなんだったのだと考える。ゴーという飛行機の爆音が過ぎると、今度は、屋根の上ギリギリ辺りをバタバタと人が通り過ぎるような音がした。と同時に、誰かが歩いたように、ベッドの上が2歩沈んだ気がした。私は身体をねじって、そのあとを見つめたが、何もなかった。気のせいにしては、あまりのもはっきりした感覚だ。いったい、あれはなんだったでしょうね。友人にはこの話はしていない。ウブドに長期滞在する変なおじさんの体験談です。

2005年3月16日(晴):妖しげな煙

「今、ラヤ大通りからトゥブサヤ村のスクマ通りに入ってすぐの歩道の辺りから、煙が立ちこめているのを見た。火を燃やしている様子もないのに不思議だ」ニューヨーク在住のイタリア人女性ツーリストが、そんなことを言った。その辺りは、ダラム・プリ寺院前の道で、道を隔てた所には火葬場がある。彼女はその事を知らないようだ。おそらく、火葬の残り火が煙を出していたというのが真相だろう。さっそく、確認に行ってみると。彼女が指さした辺りに、大人1人分が横になったくらいの一塊りの煙が、地上1メートルほどに立ちこめていた。彼女には見えなかったのだろう。「確かにこの辺りから煙が出ていたのだが」と火葬場前の歩道を示した。もうその時には、煙は消えていた。昨夜(15日)の11時頃の事です。いったい、あの煙はなんだったのだろう。知っている人がいたら教えてください。

2005年3月15日(晴):バロンのジャランジャラン(散歩)

この時期、ウブドの通りを歩いていると、あちらこちらからシンバルの音が響いてくる。しばらく待っているとバロンを先頭に、シンバルを打ち鳴らす一団が現れる。ガルンガンからクニンガンまでの間、バロンが辻々を巡って除霊する。かつては、それぞれの家をまわり、特に不幸があった家や病人のある家の前には供物が用意され、バロンがお払いして廻った。今では、おもに子供達が演じるバロンが寄付を求めて通りを練り歩く。呼び止めてRp5,000-ほどのお布施をすれば、快く舞踊を演じてくれる。レストランや商店などでは、厄払いのために店先で演じてもらうことも多い。

2005年3月14日(晴):ウパチャラ(儀式)渋滞

バリは交通渋滞ばかりでなく、儀式のための交通渋滞がしばしばある。今日は、トゥブサヨ村の南端にあるバトゥール寺院からモンキーフォレストにあるダラム・アグン寺院まで、ススオナン(ご神体)の行列があったため、ハヌマン通りからモンキーフォレストまでの道路が交通規制された。バロンランダなどのススオナンの行列が通る時は、車やバイクは、すみやかに隅に寄り止まり、沿道の人々はススオナンより背を低くして通り過ぎるのを待つ。ガルンガンからクニンガンの間は、ススオナンの行列が多い。われわれツーリストにとっては、これもバリの風物詩のひとつと言えよう。

2005年3月13日(晴):寺院祭礼の資金集め

Hari Ulian(ウリアンの日)
7日に目撃したニュークニン村の闘鶏開帳は、どうやら3月19日から始まるダラム寺院のオダランの資金集めのようだ。5日から9日まで続いたバンジャールのバザールも、同様にオダランの資金集めのようだ。13日から、テガランタン村とペジェン村でもバンジャールのバザールが始まる。近いうちにオダランがあるのだろう。

2005年3月12日(曇、時々晴):ニュピ翌日

ニュピ前夜のウブドは、8時にパダンテガル村の子供達が担ぐオゴホゴが3台、ハヌマン通りを練り歩いただけで静かだった。爆竹の音が深夜まで響いた。 ニュピ当日は、ただひたすら静かにを過ごし、翌日、夜が明けた12日に普通の生活に戻る。

2005年3月11日(曇):ニュピ

Selamat Hari raya Nyepi Saka 1927

2005年3月10日(曇、時々雨):マニス・ガルンガン、そしてニュピ前日

ニュピは、サコ暦の第9番目の月の最終日で暗月の日と、翌日の第10番目の月の初日の2日間に渡って行われる祭儀です。サコ暦の1ヶ月は29日ないし30日からなり、太陽暦とほぼ同じ。毎年3月頃がニュピにあたります。ニュピは、チャル(悪魔払い)の最大の儀礼であり、暗月の日に冥界のヤマ神が大掃除をするので、悪霊ブタ・カロが地下から追い出され、地上にやってくると考えられています。各家では門の前に竹で作られた小さな台を立て、その上に悪霊ブタ・カロに供物を供え、村から去ってくれるように祈ります。村内のあらゆる十字路にも供物が置かれる。そして明日の11日は、ニュピ(Nyepi)当日。サコ暦の新年で1927年だ。「根に帰るを静と曰う」根本に帰ってゆくことが静寂だと老子は言っている。この日1日だけでも、心静かに暮らそう。

2005年3月9日(曇、のち晴):ガルンガン祭礼日

Selamat Hari raya Galungan:ガルンガン祭礼日は、薄曇りで幕開けした。昼からは快晴となり、家々のペンジョールが美しく黄金色に輝き始めた。通りには正装した人々が行き交い、時々、子供達のバロンの行列が賑やかなバレガンジュールを奏でている。これがバリの風景だ。

2005年3月8日(曇、時々雨):プナンパハン とムラスティ

プナンパハン (Hari Penamphhan):ガルンガンの前日。善と悪の力の違いを理解するために、必要な力を手に入れるための儀式が行われるとされる。その一方で、豚や鶏を生贄に捧げる。それぞれの家々では、早朝からラワール料理が作られる。家を離れて働きに行っている家族も、この日には帰ってくる。
ムラスティ(海での浄化儀礼):ニュピの3日前、バリ島中のヒンドゥー教徒は浄化儀礼(ムラスティ=melasti)のために海へ行くことになっている。今年はガルンガン祭礼のプナンパハンと重なったため、6日前の3月5日からムラスティは始まった。近年、海岸での混雑を避けるため、3月5日はプリアタン村、6日はペジェン村というように、各村ごとに日時が指定されるようになった。ウブド近郊の村々は、スカワティ村のプルナマ海岸でムラスティは行われる。大勢の村人が参加するため、数台のトラックやピックアップが用意される。村人は荷台に立ったまま分乗していくことになる。

2005年3月7日(曇、時々雨):ガルンガン祭礼の準備始まる

ガルンガン祭礼のためのペンジョールが、家々の門前に飾られ始めた。ウク暦の最大儀礼の幕開けに向けて、ハレの舞台に模様替えだニュークニン村の広場にテント小屋が建ち、大きな闘鶏が開帳されている。ギャンブル禁止のインドネシアで、バリ人だけが公然と賭け事に興じる。闘鶏開帳の名目は、ウパチャラ(儀礼)のためが主だが、ニュークニン村の闘鶏の名目はガルンガンか、それともオダランの資金集めか。
●ホゴホゴ情報:ウブドのホゴホゴはキャンセルのようだが、ウブドより東に5キロほど行ったブドゥル村では、たくさんのホゴホゴが準備されているらしい。サムアン・ティガ寺院へ入る十字路で、練り歩くという。

2005年3月6日(曇、時々雨):ウブドの天気

テレビなどでバリ島の天気予報が出ているが、これほど当てにならないものはない。このところウブドのニュースに、ウブドの天気を載せているが、ウブドの天気は7変化で、朝快晴だったと思うと、もう昼には大雨。朝大雨でも、昼過ぎには快晴になっている。これなら晴のち雨、雨のち晴でよいのだが、こんな単純にはすまないのがウブドの天気。快晴のち曇り、時々晴れ間が見え、のち雷をともなった豪雨となる。雪やミゾレが降らないだけで、1日にほとんどの天気が顔を出す。さらに困ったことに、ウブド王宮の辺りが晴れていても、2キロと離れていないプリアタン村では雨だったりする。雨と晴れの境目に遭遇することも良くある。奥深い山あいの村ならいざ知らず、背後に山があるわけでもないウブドが、どうしてこんなに天気が変わるのだろう。こんな地域の天気予報するのは難しい。

2005年3月5日(曇、時々雨):バイク・ファッション

シンガポールやマレーシアでも見かける光景だが、この頃ウブドでも、バイクを運転している人が、長袖の上着を前後ろを逆にして袖を通している姿を良く眼にする。あまり格好良いものとは思えないので気になっていた。日焼けよけか、埃よけだろうと思っていたら、どうやら風に当たると疲れるからというのが理由らしい。
数年前に友人から聞いた友人の友人の話だ。眼の前のバイクがいきなり左に飛んだ。対向車線から暴走してきた乗用車に、はね飛ばされたのだ。バイクは運転者を置き去りにして、数10メートルを横滑りしていく。運転者はヘルメットを縁石で裂かれ、道端に横たわった。後続の友人の友人は、バイクの運転者に駆け寄った。血みどろの顔は上空を向いている。だが上着は背中を見せている。友人の友人は気が動転していたのか、顔をもとに戻そうと力を入れた。その後どうなったかは、友人から聞いていない。こんな間違いを起こさないためにも、上着は普通に着ていた方が安全だろう。
●ホゴホゴ情報:ニュークニン村で制作中のホゴホゴを見たという情報は誤報でした。ニュークニン村のホゴホゴは、バンジャールのバザールで使われるディスプレイでした。

2005年2月28日(曇、時々晴):SBY大統領バリ訪問

26日:プナタラン・サシー寺院のオダランで、祭礼期間中、一般車両の通行止めとなる寺院前の道路を、サイレンを鳴らして通過しようとする車があった。沿道には、大勢の警察官が交通整理に動員されていた。このものものしさは、いったいなんだ。緊急用車両とは思えない黒塗りの大型乗用車が数台、寺院前を通り過ぎていった。よほど重要ポストの政府高官だろう。
翌日のテレビ・ニュースで、スシロ・バンバン・ユドヨノ、インドネシア大統領がバリを訪問しているのを知った。大統領は各地を精力的に飛び回り「バリ観光の将来について」地元の声を聞いていたようだ。われわれツーリストとしては、バリ島がバリらしく発展することを希望してやまない。大統領の手腕に期待したい。
●ホゴホゴ情報:ニュークニン村で制作中のホゴホゴを見たという情報がありました。

2005年2月27日(曇、のち晴):オダラン・ファッション

年々、女性たちのオダラン・ファッションがお洒落になっていく。レースのクバヤ(ブラウス)は、民族衣装と呼ぶには不釣り合いなほど、ドレッシーなデザインになった。近頃の若い娘は、足下はミュール、手には可愛いポーチを持って颯爽と歩いている。そのまま日本のパーティに出席したら、それでなくてもチャーミングな彼女たち、必ずや、会場の皆が振り返ることだろう。

2005年2月26日(晴):オダラン(寺院祭礼)

例年、サコ暦の第10番目の月Sasih Kadasa(サシー・カダソー)の満月の日(今年は2月23日)に始まるペジェン村、プナタラン・サシー寺院のオダランが、今年は満月の次の日(24日)から始まった。寺院前の駐車場に、100軒あまりの露店が軒を並べ祭礼の雰囲気を盛り上げている。オダランは11日間続き、24日から3月5日まで毎夜芸能が奉納される。25日は、ペジェン村のガムラン・グループによるチャロナラン劇が、夜11時から奉納された。あいにくの曇り空で、おぼろ月ではあったが、涼風が通り抜ける芸能鑑賞にはもってこいのコンディションだ。きっとどこかで織田蘭丸氏が、コチョカン(サイコロ賭博)の合間にチャロナラン劇を鑑賞していることだろう。

2005年2月25日(快晴):オゴホゴ制作

22日のニュースで紹介したスグリオ(Sugriwa)通りに、制作途中のホゴホゴを1つ見た。竹の骨組みだけの小ぶりなものだが、確かにオゴホゴには違いない。小規模になるかもしれないが、今年のオゴホゴ行列が実現に向けて第一歩を踏み出したと思いたい。オゴホゴを見つけただけで、文化遺産でも発見したような思いだ。

2005年2月24日(曇):アパ?休日のお知らせ

ガルンガン(9日)、マニス・ガルンガン(10日)、ニュピ(11日)を連休にさせていただきます。ニュピ以外の休日は、前もって連絡をくだされば、ツアー、チャーターなど要望があれば応じられ用意をしております。今後とも、お客様の要望に応えることが出来るように努力いたしますので、末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

2005年2月22日(晴):ペンジョール

ハヌマン通りの東筋を並行して走っているスグリオ(Sugriwa)通りに、先のしなった竹がそれぞれの家の前に横たわっているのを見つけた。ガルンガン祭礼のためのペンジュール用の竹だ。3月9日のガルンガンが近づき、そろそろペンジョール作りの準備が始まるようだ。しかし、ホゴホゴの準備は未だになされていない。
ご存知だと思うが、スグリオはインドの古典叙事詩「ラーマヤナ」に登場する猿の王の名前だ。アルマ・ミュージアム・オープンステージで満月と新月の日に行われる、ソアロ・プルナモ演じるケチャは、スバリとスグリオ兄弟の戦いの話だ。ハヌマンも猿で「ラーマヤナ」に登場するスグリオの家臣だ。ウブドには「ラマヤナ」や「マハバラタ」から引用されたジャラン(Jalan=通り)の名称が多い。

2005年2月21日(晴のち曇):日曜スケッチ会、お休みのお知らせ

APA? 推薦情報に紹介されていた、アルマ・ミュージアムの日曜スケッチ会。好評でしたが、会場の都合で2月20日をもって一時休止となりました。主催していたアート・ポイントは、次の会場を探していますので、見つかりしだい再開する予定だそうです。
18日のニュースで、ペジェン村のプナタラン・サシ寺院(ペジェンの月と呼ばれる巨大な銅鼓が安置されている寺院)のオダランを23日満月の日とお知らせしましたが、今年は24日からということになりましたので、訂正しておきます。

2005年2月20日(晴):サシー・カサンゴ

2月9日から、サコ暦の第9番目の月サシー・カサンゴ(Sasih Kasanga)に入った。この月は、雨期明けを迎える月で、雨が止みはじめ、暑い。確かにこの6日間、雨が降らないし、暑い。またこの時期は昔から、悪霊たちの勢力が強まりマラリアや伝染病が流行りやすいと言われている。悪霊退治はニュピの時にするとして、ツーリストの我々はマラリア、デング熱、チフスに気をつけよう。
サコ暦は暗月(ティルム=Tilem)の翌日から次の新月までを1ヶ月(サシー)とする暦で、サシーの変わり目は必ず暗月の翌日となる。そして第10番目の月サシー・カダソー(Sasih Kadasa)の第1日目がニュピだ。今年のニュピは、ガルンガンとクニンガンの祭礼日の挟まれた3月11日(金曜日)だ。

2005年2月19日(晴):カフェ・オープン

ハヌマン通りの中ほどに新しくできたカフェ。名前もそのまま「KAFE」。アンティックと家具のTEGUN・ギャラリーの経営する、ナチュラル思考のカフェ。店内は禁煙で、喫煙者はテラス席に座ることになる。道路に面していながら、落ち着いた雰囲気が人気を得ている。2Fにカリマンタン島のオランウータン保護のヤヤサン(YAYASAN=利益を目的としない団体)事務所、3Fにヨガ教室、隣りには、オランウータン、車いす生活者などのヤヤサン10グループの商品販売をしている店がある。1月13日に今は無き「カフェ・エグザイルス」でアチェの津波被害の人々のためにチャリティー・コンサートを行ったグループだ。アチェの寄付は今も募っている。「KAFE」でくつろいで、ほかの店を覗くのも楽しい。

2005年2月18日(快晴):オダラン(寺院祭礼)

ニュー・クニン村バンジャール寺院のオダランが16日に始まった。今年に入ってこれまで、オダランが少なかった。「極楽通信・ウブド」の書き手、小田蘭丸氏にとっては、寂しい毎日を送っていた。2月22日からオダランが増え、23日の満月の日にはペジェン村のプナタラン・サシ寺院(ペジェンの月と呼ばれる巨大な銅鼓が安置されている寺院)やパヤンガン(Payangan)村のダラム・アグン寺院(Pr.Dalem Agung)などでオダランが始まる。今年のダラム・アグン寺院は、大規模なオダランだという情報だ。「奉納芸能に、必ず、 チャロナラン劇のがあるはずだ」と俄然、張り切り出した織田蘭丸氏です。

2005年2月17日(快晴):漫画家・深谷陽氏来ウブド

ウブド熱愛症候群の人なら誰でも知っている、深谷陽氏。「アキオ紀行バリ」「踊る島の昼と夜」などバリ漫画を描かせたら、彼の右に出る人はいない。今回は、2005年2月に新潮社から発行された「プリズナー・イン・プノンペン」を提げて登場。P・I・Pは沢田鯨氏原作の小説を漫画化したもので、深谷さん特有の構成と筆のタッチで、興奮度満点の面白い本に仕上がっている。P・I・Pは、カフェ・アンカサとカフェ&バー、アロン・アロンの深谷陽文庫に寄贈された。ウブドには彼のシンパ(sympathizer=後援者)が多く、P・I・Pは奪い合って読まれることになるだろう。深谷氏はウブド滞在中、新たな漫画の構想を練ると言っています。どこかで黒いハンチングをかぶった深谷氏を見つけたら気軽に声を掛けてみてください。きっと100キロ近い巨体で、笑顔を返してくれることでしょう。滞在中、素晴らしい閃きが産まれることを楽しみにしています。

2005年2月16日(快晴):インドネシア・マンガ展

インドネシア人作家によるマンガ展が2月15日から3月15日まで、アルマ・ミュージアムで始まった。DEMOKRASI(民主主義)をDEMO-CRAZYと文字って、2004年10月21日に大統領に就任したスシロ・バンバン・ユドヨノ(Soesilo Bambang Yoedoyono)と副大統領ユスフ・カラ(Jusuf Kalla)の「100日でインドネシアを新しくする」という公約を風刺したマンガ展だ。シンカタン(singkatan=省略)好きなインドネシア人は、大統領と副大統領をSBY-KALLAと呼ぶ。展覧されたマンガは、かなり辛口の風刺が多く、漫画家たちの政治への関心の深さが感じられる。技術的レベルも高い。

2005年2月15日(晴):SISIが移転

トゥブサヨ村のスクマ通りにあった、カバン屋とマンガの多い「SISI」がハヌマン通りに移転した。新店舗は、カバンと雑貨の店。マンガ本は姿を消した。マンガ好きな人々には、寂しいニュースとなりました。ところで、あのたくさんマンガ本はどこへ行ったのでしょうね。

2005年2月14日(晴、時々雨):聖バレンタイン ・デー(Saint Valentine’s Day)

スーパー・マーケット・デルタのチョコレート・コーナーに、13日若い男女が殺到した。バレンタイン・デーにチョコレートをプレゼントをするのは、日本の専売特許だと思っていたら、なんとバリでもチョコレートをプレゼントするのが流行っているようだ。キリスト教徒の習慣をキリスト教徒でもない日本人が取り入れるのおかしいことだが、日本人の節操がないのは昔からのことで、今更目くじらを立てることでもないが、なんと敬虔なヒンドゥー教徒であるバリ人が異教の習慣を取り入れてしまうとは驚きだ。楽しいことなら何でも取り入れてしまおうという、日本人と同じ感覚なのだろうか。
引っ込み思案な女性が、この日だけは勇気を出して、好意を抱く男性にチョコレートを贈って愛を告白する、というのが日本式だが、バリでは男女どちらも好意を寄せる異性に、カードやチョコレートを贈る。3年前までのウブドに、こんなことは無かったと思うが、いつからどうしてチョコレートをプレゼントするようになったのだろう。やはり日本と同様、チョコレート業界の陰謀があるのだろうか。どちらにしても、これで若い男女が幸せ気分にしたってくれればそれでいいのだ。
12日から14日まで、テガス村のバンジャール・カラでバンジャール寺院のオダラン(寺院祭礼)が始まったが、まさか寺院内でバレンタインのプレゼントを渡すということはないと思うがだろうが。

2005年2月13日(曇、時々雨):お店紹介・アンプロップ(AMPLOP)

ハヌマン通りにある、今、人気の雑貨屋「アンプロップ」。インテリア雑貨から帽子まで、今すぐ使える物がいっぱい。なんでも揃ってて、おまけに良心的な値段だ。 オススメは、日本の着物の生地から作ったカバンや財布などの小物。丈夫でかわいく 質もいい。お土産に困ったら、 まず アンプロップをチェックしよう。ぜったい何か見つかるはず。スタッフもお店も 暖かく ゆっくり買い物も楽しめます。ペネスタナン村に、現地の人向け価格でTシャツショップも出店している。
神戸店のアンプロップに寄れば、ウブドのテーストが満喫でできる。
神戸市中央区栄町2-1-2日東ビルB1 TEL/FAX : 078-331-5666 WWW5.ocn.ne.jp/~amplop/

2005年2月12日(曇、時々雨):雷鳴轟くトゥンプッ・ウドゥー(Hari Tumpek Uduh)

今日は、ウク暦に従って210日に一度巡ってくるバリの吉日だ。人々に恵み与えてくれる植物に、特別な供物を捧げる日。この日、バリ人たちは、それぞれの家寺で、ささやかな儀式をあげる。午後1時、レストラン「バリ・ブッダ」裏の民家にある大きなマンゴの木に雷が落ちた。凄まじい雷鳴とともに、雷は木を裂いて郵便局側の電柱頂に走り、さらに北横5メートルほどにオレンジ色の稲妻を光らせて止まった。「バリ・ブッダ」のアランアラン葺き屋根から出火し、従業員総出で消火につとめた。さいわい火種は小さく、バケツ・リレーで事なきを得た。その後、雷鳴の轟くどしゃ降りの雨となった。雷の目にでも入り込んでしまったのか、集中砲火のような雷鳴が連続して2時間ほどウブドに響いた。果物のなる植物に感謝をする日だというのに、マンゴの木が被害にあった。これは吉凶なのだろうか。バリ人に訊ねると「ティダ・アパ・アパ」と答えた。

2005年2月11日:酒屋オープン

ウブドの大通りSMP(高等学校)前に、酒屋が出店。クロボカンにあるBEST Wines & Spirits Shopの支店だ。酒類はスーパー(デルタ、ビンタン)でも置いているが、値段と品揃えはBEST がすぐれている。BESTよりさらに値段が安いのが、デリ・キャットだ。デリ・キャットはサッカー場の東にあるレストランで、小売りもしてくれる。レストランでの飲みたければ、チャージRp20,000-を払えばよい。これまで日本から持ち込んでいた酒飲みたちには、これは朗報かも。

2005年2月10日:エグザイルスがサイサイ・バーに

カフェ・エグザイルス(Cafe EXILESE)が無くなって、サイサイ・バー(SAI SAI BAR)となった。10年前、ロバート・ハリス(FMジャパン・J-WAVEのナビゲーター)とその仲間、ツカサとマーチンとの3人で始まったエグザイルス。数々の歴史を残して、惜しまれて閉店。新たに、サイサイ・バーが復帰した。ウブドで最初にライブ・ミュージックを始めたのがサイサイ・バー。週3回のライブと厳選されたBGMをセールス・ポイントに、ランドゥン(37才)が5年ぶりに現場に復帰。ソフト・オープニングには、たくさんの友人たちが訪れて盛況だった。ランドゥンがマネージャーをすると店が流行るというジンクス、今回はどうなるか。サイサイ・バー、そしてランドゥンのファンの方、お祝いと励ましのメールを。SAI SAI BAR/ TEL(0361)074812 E-mail : sai2bar@yahoo.com

2005年2月9日:インドネシアの連休

9日はイスラム教徒の祝日、10日は仏教徒の祝日と、インドネシアは2連休。ウブドのパサール(市場)は、インドネシア人のツーリストで賑わっています。9日は、仏教徒の新年(IMLEK)でもあります。今日から干支が猿から酉に変わります。酉年になって、何か変わるかな。

2005年2月8日:ガス料金値上げ

ひと昔前、ウブドの家庭台所燃料は、薪と灯油焜炉(コンロって、こんな難しい字を書くのですね)を併用していた。近年、便利だということで、ガスレンジを使う家庭が増えていた。しかし今回、LPGガスの値上げでボンベの中身が1年前のRp40000のからRp54000となった。この価格は、家計にかなりひびき、薪に逆戻りした家が増えたという。天然ガス産出国だというのに、これは笑えない話である。

2005年2月7日:古本交換会

6日、CAFE BINTANG(ウブド王宮を北へ1,5キロ/Tel:972303)でバリ日本人会ウブド地区主催の古本交換会が催された。親睦も兼ねた有意義な催しで、すでに恒例となり、回を重ねるごとに参加者が増していっているようだ。今回も盛況であった。古本、文庫本が、売値、買値とも1冊RP1000。売るだけの人も、買うだけの人も、ひやかしもOK。次回は、3月の予定だそうです。

2005年2月6日:ウブド電話事情

ウブドの公衆電話やWALTEL(電話サービス)が減った。電話はしたいが携帯を持っていないというツーリストには、これは困った現状だ。もちろん、現地の人々の中にも困っている人はいるだろう。
ウブドに電話が数台しかなかった15年前、電話を掛けようとすれば、電話局かノマドの電話サービスを利用するしかなかった。その後、電話は一般家庭にも普及し、パサール(市場)の前やその他数カ所に公衆電話が設置された。観光客の急増ととも営業用の電話需要が増え、またたくまに回線は満タンになった。回線増設が不可能になると、今度は携帯電話が普及始めた。同時にインターネット・ショップも増える。こうしてウブドの公衆電話は消え、WALTEL(電話サービス)が減っていった。日本も携帯電話の普及で、近い将来、赤電話、電話ボックスという言葉が死語になるのではないだろうか。ひょっとすると、もうなっているのかな。

2005年2月5日:日本食材が充実

2004年9月9日に、ウブドの西にあるチャンプアン橋を渡り、サンギンガン村に向かって500メートルほど行ったところにオープンしたスーパー・マーケット「ビンタン」に、このたび、日本食材コーナーがお目見えした。日本人の滞在者が増えたからなのか、それとも日本人以外に日本食材を求める人口が増えたのか、かなり充実した商品構成だ。もちろん値段は日本より高いが、これで「日本食恋しい症候群」の長期滞在者が減ることだろう。

2005年2月4日:モダンな看板

このところ、ウブドで新たに開店する店舗に、大きなガラス張りのファサードが目につく。ウブドの街にマッチしているかどうかは別として、都会感覚のショップが増えた。どの店もロゴ・タイプ、ロゴ・マークにセンスが見える。店名もこれまでは、アグン・ラカ・バンガロー、アグン・ライ・ギャラリー、カフェ・ワヤンなど、どれも経営者の名前がついていたりしたが、近年、英語などの外国語が増えた。影武者がオープンした頃は、漢字の店名は御法度だと通達があり、やむなくコキラとつけた経過を聞く。時代が変わってそんな制約もなくなり、看板も、アクリル電飾やネオンなどモダンなタイプが見られるようになった。なんとバビ・グリンのイブ・オカ(オカおばさん)までも、お洒落な真新しい看板になった。村の集会場を間借りしてにバリ料理バビ・グリンの店が、コカコーラのスポンサーでグレードアップか。

2005年2月1日:ウブドの駐車場問題

ハノマン(Hanoman)通りを南下して、レストラン・ベベ・ブンギルの手前30メートルあたりに、左に入る道がある。5年ほど前までは、20メートルほど進むともう一度左折して、ヌリアニ・ゲスト・ハウスとウブド・ビュー・バンガローの前で行き止まる道だった。今はスグリオ(Sugriwa)通りと連結され、さらにトゥブサヨ村のスクマ(Sukma)通りに抜けられる近道となった。行き止まりの頃、ウブド・ビューは名前のとおりライス・フィルドの望める宿だった。もちろんヌリアニからの景観も良かった。景観は、BIYUKUKUNG・Suites and Spaの建物で数年前に無くなった。BIYUKUKUNGは、田んぼを100メートルほど突っ切って、渓谷に建てられたホテルだ。
今度、BIYUKUKUNGへの道とウブド・ビューの間に少し残っていた田んぼが整地され、ベベ・ブンギルの駐車場ができた。建物が増えるのは、時代の流れでしかたがないことだ。また、路上駐車をするよりはプライベート駐車場を確保することは良いことだ。おかげでベベ・ブンギル前の渋滞が無くなった。駐車場問題は、観光地ウブドとして早急に手を打たなくてはならない課題だ。近い将来、ウブドに月極駐車場だ出来ることになるだろう。その頃のウブドの変貌を想像したくない人も多いことだろう。とにかく、われわれツーリストとしては、ウブドがウブドらしく変貌することを望むだけだ。

2005年1月29日:新しいワルン・発見

アンドンの交差点を北に30メートルほど進むと、右手にオープン・スペースのカフェが眼に入る。店名マンガ・マドゥ(Warung Mangg Madu)。8ヶ月前にオープンしたと言うから、昨年の5月頃なのだろう。地元人向けに開店したが、値打ちな料金と店舗の清潔感からツーリストも入って来てしまう、という結果になった感じだ。インドネシア料理専門のワルンで値段はワルン価格だが、ワルンと言えども味はレストラン並みだ。広々とした店内を、涼しい風が通り抜けて心地よい。営業時間:朝9時から夜9時30分/定休日:日曜日。

2005年1月28日:オレオレ(oleh-oleh=土産)

バリのオレオレが割高感を持つようになったようだ。「これなら日本の方が安い物もある」という声を聞く今日この頃。そんな中で、未だに割安なのが縫製代だろう。この安い縫製を利用しない手はない。お気に入りの服を、お気に入りのイカットやサロン布で作ろう。モンキーフォレスト通りのアパ?の近くにあるショップ&テーラー「WECA」で縫製してもらえば500円ほどで縫製してもらる。但し、サンプルが必要です。サンプルさえあればまったく同じ型の服が出来上がる。「WECA」は腕がよいという評判ですが、ウブドには、ほかにもたくさんの縫製屋があります。友人知人などに紹介してもらおう。「WECA」の電話は970879。

2005年1月27日:当たり詐欺

携帯電話に電話会社「インドサット」などの有名社名を偽って「海外旅行が当たりました」「自動車が当たりました」などというメッセージが入ってくることが多くなった。これはデポジットを先取りして消えてしまうという「当たった詐欺」です。日本では、「オレオレ詐欺」。オレオレと聞いて、てっきりインドネシア語のオレオレ(土産)のことかなと思っていた。そんな可愛いものではなく、悪質な詐欺が流行しているようだ。気を引き締めて、注意しよう。

2005年1月26日:アチェの津波災害

インド洋地震・津波からちょうど1ヶ月が経った。テレビでは各局特別番組が組まれ、地震と津波の被害状況を毎日報道している。瓦礫と化した家々が無惨な姿を残し、人々は路頭に迷っている様子が映し出されている。バンダ・アチェの被害は多大で、復旧に手間取っているようだ。被害にあった人々の冥福と、一刻も早い復旧を祈りたい。

2005年1月25日:マルチ商法の流行

不況になると出てくるのがマルチ商法だ。今ウブドで、香港からの金販売が流行っている。これもデング熱と同様5年周期で現れるようだ。一時期日本を騒がせた金販売の豊田商事やイヤモンド販売のベルギーダイヤモンドなどの大きな詐欺は、20年周期で現れる。そろそろ日本では、そんな時期かな。もしバリ人に、手っ取り早く金を手に入れたいという、胆略的な気質があるとすれば、こんな話しにのってしまうだろう。Hati_Hati(注意)。

2005年1月24日:デング出血熱のシーズン

デング出血熱は蚊によって媒介される疾患です。約5年周期で雨期、特に末期に流行すると言われている。予防策は、蚊取り線香を焚いたり、虫除けスプレーで肌を保護したり、長袖長ズボンをはいたりと蚊に刺されないように気をつけることです。宿泊施設の周囲に水たまりは無いかチェックし、もし水たまりがあれば棄てるか消毒しよう。そして、なによりも健康体でいることです。身体の弱っている時に、病魔は襲って来ます。くれぐれも注意してください。

2005年1月21日:I・S・I 卒業制作試験、その4

4日間で40以上の制作発表がありました。ワヤンあり舞踊、音楽のコンテンポラリーあり、もちろんバリ舞踊もガムランもありました。全体的に完成度は高く、アイデアにも創造性があった。バリ舞踊の衣裳はパステル・カラーが主流でパーティ・ドレスにしてもおかしくないほどエレガントなものが多かった。彼らのカラー・センスは抜群だ。中谷薫さんの「雪女」は、落ち着いた踊りで好感が持てた。今年の卒業生の中から、今後のバリ芸能を背負って立つ人がたくさん現れることを期待したい。

2005年1月19日:I・S・I 卒業制作試験、その3

18日のニュースで、I・S・I 卒業制作試験20日の最終日に日本女性が制作発表します記載しましたが、日本人女性の名前は、中谷(ナカヤ)薫(カオル)さんでした。ウブド在住の日本人なら知っていると思いますが、その昔(と言っても数年前ですが)カジェン通りあたりのホームステイに滞在して、カフェ・アンカサでよくまったりとお茶を飲んでいた女性です。ウブドで彼女の顔を見なくなって久しいが、I・S・Iに入学してガムランやワヤン・クリッを習っていると聞いていたが、まさかI・S・Iのステージに舞踊部門で立つほど熱心にやっていたとは驚きです。なにはともかく、彼女の努力の成果を応援しましょう。

2005年1月18日:I・S・I 卒業制作試験、日時の訂正

17日から20日までの4日間、夜7時からの開演です。訂正します。最終日20日の最後に、日本女性が制作発表します。健闘を祈りたい。17日には、1998年頃から、すでにオダラン(寺院祭礼)に頻繁に奉納し活躍しているプンゴセカン村のトゥンジュン君が、ワヤン・クリッで制作発表しました。ほとんどプロの彼に、教授陣はどう採点するのでしょうか。

2005年1月17日:I・S・I 卒業制作試験、始まる

デンパサールにあるI・S・I(インドネシア国立芸術大学)バリ校の卒業制作試験が始まる。1月17日(月)~19日(水)の3日間、夜7時30分から12時近くまで、卒業を迎える生徒たちの新作が発表される。一般の人も入場できるので芸能に興味ある人は鑑賞してみてはいかがですか。

2005年1月16日:バリの祝日と吉日

2005年、一年間のバリ祝日・吉日を「イベント&ウパチャラ(儀礼)スケジュール」に掲載しました。説明は、近日中に「極楽通信・ウブド/ バリ島見聞録」に入稿します。

2005年1月13日:Save Ache ~ Benefit Concert

12日の夜、Cafe EXILES でアチェの津波被害の人々のためにチャリティー・コンサートが UBUDのIdep Foundation主催で行われました。UBUDの日本人・西洋人長期滞在者を始めとする沢山の方々がコンサートを聴きに来て、その結果 寄付金はRp10Juta(日本円で12万円)を超えたもようです。今回の寄付は Idep Foundation を通じて迅速に Aceh に届けられるとのことです。正確な総額・使い道などはサイト www.idepfoundation.org にて確認ができるそうです。
ところで世界各国からの津波緊急支援が合計US$717Juta(日本が内約25%拠出)になり、こちらもまた支援金の使途はインターネットを通じて公表されるらしいです。また、11日にインドネシア国軍によりアチェでの津波支援の外国団体に関して、外国人の安全確保を目的に治安(活動)規制が設定されてます。

2005年1月12日:インドネシアのテレビで”おしん”

「おしん」を見て涙ぐみ「風雲たけし城」で爆笑するバリ人。そんな姿を見て、日本人と感受性が似ているのかと考える。15年前、インドネシア国営放送で放映され人気を博した、NHK連続ドラマ「おしん」が今、再放送されている。15年前バリ人の多くが、テレビの「おしん」を見て、今でも日本は「おしん」のような境遇の女性がいると信じ、日本人女性に同情することもあった。さて、現在はどうかな? (ちなみにNHKは、インドネシア語読みでエン・ハー・カー)

2005年1月11日:道路工事中のゴータマ通り

ウブド大(ラヤ)通りからレストラン・ノマド横を南下する道がゴータマ通り。300メートルほどの短い通りだが、今後、注目を集めるであろうと思われる、ジャラン・ジャラン(散歩)に最適の通りだ。すでにワルン・ビアビア、スペース・コロニー、ブンブン・2など人気の店が軒を連ねている。
ゴータマ通りの道路工事は、村人の相互扶助で年始めから始まった。進行状況から見て、まだ1ヶ月は続くだろうと考えられる。徒歩ならよいが車やバイク(15日現在通行可)は通り抜け出来ない。「不便になりますが、これまでと変わらずご利用下さい」と、各店の主人は言っております。ゴータマ通りは、ジャラン・ジャランに適した脇道。歩行者優先の整備がされることを期待したい。できれば、緑の立木が切り倒されないことも望む。

2005年1月10日:暗月(Tilem・月が隠れる日)

今夜は暗月。バリでは暗月の翌日から新しい月(Sasih)になる。月の満ち欠けを基準にした暦はサコ(Saka)暦と言い、12の月がある。210日を一年とする暦がウク(Wuku)暦で、バリの人々はこの2つの暦を使って生活している。昨日はサコ暦7番目の月(Sasih Kepitu)の暗月の前日。この日はシワ・ラトリと言われる、シワ神が地上から穢れと罪がなくなるように、夜通し瞑想を行うという重要な日。バリの人々は、この日、寺院でお祈りする。あちこちで正装姿の若い男女がたむろする光景を見かけるのは、夜通し瞑想するという理由で、デートしているのだろう。

2005年1月9日:崖崩れに注意

ウブドの十字路から西に向かいチャンプアン橋を渡ると、左手にアントニオ・ブランコのミュージアム(http://www.blancobali.com)がある。さらに進むとミュージアムを回り込むようにして、鋭角にまわる道がある。ペネスタナン村へ行く、急な坂道だ。この坂道の入口付近の崖が、雨期の大雨で崩れた。現在は道路の土は撤去されているが、今後、大雨の時には通過に気をつけたほうがよいだろう。

2005年1月8日:トゥンプッ・ランドップの日

この日バリ人は、大工道具や包丁、ナイフ、ミシンなどの鉄製道具に日頃の感謝を表し供物をささげます。車、バイク、コンピュータにまで供物が捧げられ聖水がかけられる。ひょっとすると、手術道具やジェット機にも供物が捧げられ聖水がかけられているのでしょうか。かつて、クリス(剣)や槍などの武器にお供えをした重要な日だ。その昔、鉄に深く関わっていた鍛冶屋(パンデ)の階層(カスタ)の家では、今でも盛大な儀礼が行われる。

2005年1月6日:カスピ海ヨーグルト/ Caspian Sea Yogurt

1981年から2004年まででバリ訪問35回目というバリ通の狩野氏が、日本からヨーグルトを持ってきた。このヨーグルトのルーツは、日本の家森教授の「カスピ海ヨーグルト」で、今、日本中に広まっているという。今回、ウブドに上陸し広まりつつある。カフェ&バー・アロンアロンとワルン・ビアビアのメニューで使われているので試食できます。アロンアロンで、種菌を無料でお分けしていますので申し出ください。尚、作り方のおたずねはブンブン・カフェの居候・伊藤氏まで。

2005年1月4日:バリ土産、今人気のアイテム

バリ土産で密かに人気のアイテム、ミニャ・オレ・ボカシ(MINYAK OLES BOKASHI)。身体につけてよし、飲んでよし、ココナツ・オイル60パーセントのナチュラルオイル。皮膚病、筋肉痛、リューマチ、腹痛、虫刺され、かゆみ止めなどの万能薬。10ml:10000ルピア、40m:25000ルピア。土産に喜ばれること受け合い。あなたの常備薬にもどうぞ。なんとメード・イン・バリ。

2005年1月3日:ウブドの長寿・長期滞在者

ウブドの長期滞在者で長寿ナンバー・ワンは女性で、Mさん80才だ。彼女は、毎日の散歩と、週一回アルマで開催されているスケッチ会に参加し、地域の人々とも仲良くしている。男性では、トゥブサヤに滞在しているSさん79才が最高齢者だ。Mさん、Sさん、今年も元気にウブド生活をエンジョイしてください。

2005年1月2日:自然成分100パーセントの雑貨店オープン

ウブド郵便局のあるJembawan通りを南下し、しばらく行くと、左手に2階建のカワイイて建物が眼に入る。ここが自然成分を使った商品を扱う「Nature on 99」だ。健康・環境・品質にこだわった、自然から得たナチュラル・ソープ、ヘアー・オイル、ボディ・オイルなど、純粋な製品のみを取り扱う店だ。コンセプトは、インドネシア国内で厳選された専門の生産者や農家と共に製作を行い、他では手に入らない、高品質かつ健康に良い製品を作り上げる事。一見の価値あり。