「極楽通信・UBUD」



5「バンジャールのバザール」





デサ嬢から、バザールの飲食券がまわってきた。
申し訳なさそうに渡されたブルーの飲食券は、1枚Rp25,000-だ。わたしが1990年に初めて行ったバザールはRp3,000-だった。こちらも、年々値上がりしていく。
バザールとは、バンジャールの青年団(Pemuda Pemudi = 未婚青年、未婚女子の組織)が主催して、通常年に1、2度、3日間ほど、村の集会場(ワンティラン)で特別に開店するナイト・レストラン&バーのことだ。
ホスト、ホステス、それにコックまで、それぞれの役はすべて青年団のゴトンロヨン(相互扶助=無料奉仕)でおこなわれ、収益は、バンジャールが管理する寺院や集会場、道路の維持などに利用される。

段取りは、2ヶ月ほど前からはじまる。
青年団の会議によって、まず、売上目標が決められる。売上目標が決まると、目標額分の飲食券が印刷される。飲料券は、バザール開催前に村人たちによって売られる。村人には、強制的にノルマの枚数が当てられる。そんなわけで、デサ嬢のノルマ分がわたしに回ってきたというわけだ。
わたしは快く買った。わたしは、知り合いが持ってきたバザールの飲食券は、寄付のつもりでできるだけ買うようにしている。自分が行けない時は、知り合いの若いバリ人にでもプレゼントすればいい。
事業主などは、まとめて5〜10枚の飲食券を寄付感覚で買う。これもゴトンロヨン(相互扶助)の精神からきているのだろう。時には、観光客が地元の人から誘われることがある。これは、レストランよりは安くて、めったにない機会を体験させてあげようという好意でもあるが、本来の目的は売上向上に協力してもらうためだ。もし、あなたが、バリ人の友人からバザールの誘いがあったら、寄付感覚で飲食券を買ってあげよう。
いつもはガランとしている村の集会場に、近くの学校から寸借した机と長椅子が運び込まれる。テーブルには可愛い布が掛けられ、壁や柱はバナナの葉っぱやパパイヤの木で装飾される。さらに色とりどりの電飾まで取り付けられて、まるで学園祭のノリだ。

そして、バザール当日。
営業時間は、夕方から始まり、夜11時頃まで続く。
入り口で、バンジャールの青年が笑顔で客を迎えてくれる。芳名録に記帳が終わると、青年のひとりが席までエスコートしてくれる。地元の青年なら、お目当ての女性のテーブルに、一直線だろうが、わたしはデサ嬢を指名した。わたしの来ることをあらかじめデサ嬢から伝えられてあったのか、青年は「あちらです」と薄明かりの店内を指さした。
客は、ほぼ満席。もっぱら地元や近辺の村人たちだ。すでに、盛り上がっているグループがある。
わたしは、デサ嬢が担当する2番テーブルを探した。
テーブルには、クバヤ姿のデサ嬢がホステスとして座っていた。わたしと友人が来たのがわかると少し恥ずかしそうな顔をして、椅子をすすめた。
ホステスといっても、彼女たちは、日本の飲み屋のような対応はしない。彼女たちは、静かに座っているだけ。知り合いなら話もするが、あくまでも、オーダーを取るだけのホステス役だ。
メニューは、ミー・ゴレン、ナシ・ゴレン、チャプチャイ、サテ・カンビンなどの、10種類にも満たない料理と、これも種類の少ない飲み物。ビール以外は、コーラなどの炭酸飲料水だ。一緒に来た友人は「バーなのに、地酒のアラック(椰子酒)がないとは何ごとだ」と、ちょっぴり立腹気味に残念がっていた。
アラックはビールに比べて強い酒で、泥酔する客がでて喧嘩騒ぎにでもなったら困るという配慮から置いてないのかも知れない。といっても、まわりを見回すと、ビールの空ビンが10数本も並んだテーブルが、そこかしこに見られる。そうとう飲んでいると思われる。

オーダーのメモが青年に手渡された。飲み物や料理は、彼らが運んでくるのだ。
スピーカーから、わたしと友人の名前が流れた。来店した客に「ご来店、感謝します」とでも言っているのだろう。これがサービスかどうかはわからないが、わたしと友人は、背中がこそばゆい思い出でメッセージを聞いた。こういうサービスがあるから、芳名録に名前と住所を書かされたのか。
店内の飾り付けも凝るが、アトラクションにも趣向をこらす。
地元ロック・バンドの演奏あり、最新のポップスやレゲエ、ダンドゥットなどをBGMにガンガンかけるDJあり、バリ舞踊からモダン・ダンスまで飛び出すバンジャールもある。今は、バリ・ポップがかかっている。ヒット曲なのか、デサ嬢も口ずさんでいる。
ビールが運ばれてきた。冷えていない、生ぬるいビールだ。冷たくないビールも、飲み慣れれば、こういうものだと納得できるから不思議だ。デサ嬢に、飲み物をすすめたが「わたしたちは、飲むわけにはいかないのです」と言って断った。

料理が運ばれ、雑談しながらつまむ。デサ嬢は「私たちは、もう食べました」と言って、これも断った。わたしが何度もすすめるので、デサ嬢は、渋々サテをひとつ、つまんだ。美味しそうに食べたところを見ると、実は、お腹が空いているのではないかと、心配になる。日本のホステスのように、客にたかって売上げに協力するようなことはしないように、決まっているようだ。
わたしはこのところ、アルコールをひかえているので、あまり飲むことができないが、売上げ協力でビールを数本追加した。奥のテーブルで、知った顔のグループが盛り上がっていたので、ビールはそこへ差し入れした。数人から手が振られた。
途切れることのない客に、青年団のメンバーたちは忙しそうに立ち振る舞っている。
夜9時をまわって、わたしたちは席を立った。このあと、バザールはディスコ・タイムとなり、最終日には、朝まで盛り上がるという。

最後までハッピーに盛り上がってくれればいいのだが、バリにもやはり血の気の多い若者はいる。たまにだが、泥酔した兄ちゃんが刃物やら割れたビンやらを振り回すこともある。つい最近、ウブド近郊のバンジャール“K”で、止めに入った若者がウデをザックリと切られてしまったという話を聞いた。「昔は、こんな物騒なことは起こらなかったのに」と、バンジャール“K”の青年はなげいていた。
ともあれ、初めてバンジャールのバザールを体験した友人は「楽しかった」と喜んでいた。素朴な手作りの雰囲気が気に入っていたようだ。
バンジャールの青年団諸君、村のためとはいえ、3日間の無料奉仕は大変だろうが頑張ってください。売上げ目標が達成されて、バンジャールの生活環境が保全されることを期待しています。

次の日、デサ嬢は、眠そうな顔をして「昨日はありがとう」と挨拶にきた。今夜と明日の夜も、デサ嬢は、バンジャール・バザールの2番テーブルで、ホステス役をつとめるのだろう。

※近年、このバンジャール・バザールを催す村が減ってきた。飲食券を前売りし、当日ビールなどのアルコール類の販売で売上は上がるが、青年団の労働負担が大きいのだ。変わって現れたのが、食券を前売りし弁当を配って廻る。弁当がハンバーガーという村も多い。利益は少ないが目標は立てやすい。弁当を配るシステムを「バザール・クリリン(keliling)」と言い、バンジャール・バザールを「バザール・ドゥドゥ(duduk)」と呼ぶようだ。クリリンは廻るでドゥドゥは座るという意味。




Information Center APA? LOGO