「極楽通信・UBUD」



ポトン・ギギ (Potong gigi)儀礼





ポトン・ギギ


4月の吉日、友人マデのポトン・ギギに招待され、出席することにした。儀礼が行われる友人の実家は、バリ西部ジュンブラナ県のマラヤ村(Melaya)だ。最西端の港町ギリマヌクにまで、あと9キロの地点にある、ウブドから車で3時間はかかるという遠距離だ。
儀礼は、早朝4時から始まるという。前夜に、ジェゴグワヤン・クリッが上演されると教えられ、これを見逃す手はないと前日から行くことにした。

ポトンとは「切る」の意で、ギギは「歯」のインドネシア語。直訳すれば歯を切るとなるが、そんなことをしたら大変だ。これは前歯の上6本をヤスリ(鑢)で削って平らにする儀礼だから、歯を削って平らにすると表現したのがよいだろう。辞書で調べたところ適当な言葉は、カンナで削るという単語のmengetamしか見つからなかった。これとて適切ではない。
バリ語では、スドラ階層はムサンギー(Mesangih)、上位3階層はムパンダス(Mepandas)と言う。わたしは、バリ語で表現することにした。日本語では、削歯(サクシ)儀礼とか鑢歯(ロシ)儀礼と表現している。日本ではない習慣なので、なじみのない言葉だ。

インドネシア周辺のいくつかの民族にも、この儀礼習慣は見られる。歯を尖らせる民族もあると聞く。マレーシアのマラッカに旅した時、訪れた博物館に世界の7奇習を展示するコーナーがあった。なんと7奇習に、バリのムサンギー(=ムパンダス)が含まれていた。ほかは、てん足(中国)、長頭族(?)、首長族(タイ)、刺青(日本、アフリカ、その他)、コルセット(ヨーロッパ)、唇、耳に取り付けるアクセサリー(アフリカ)だった。

このムサンギー(=ムパンダス)は、主に性的成熟期から結婚までの間に行われることから、成人式のようでもある。
バリ人が一生のうちに通過していく数々の儀礼は、マヌシオ・ヤドニョと呼ばれ、出産に伴う儀礼(妊娠6ヶ月、出産直後、へその緒がとれた時、生後12日目、生後42日目、生後105日目、生後210日目、乳歯が抜け終わった頃)、村の寺院の成員となった報告の儀礼、初潮時や変声期の儀礼、結婚儀礼、そして、削歯儀礼などがこれにあたる。
特に女性の場合は、結婚前に削歯儀礼が済まされていることが望ましいとされているが、絶対というわけではない。男性の場合は、かなりルーズで、中年男子が息子たちと一緒にしたり、死後火葬儀礼前に簡単な削歯の儀礼をすることもある。

削歯の目的は、動物のキバのように尖った歯を削り平らにすることによって、人間的な歯並びとなり獣性を無くすというものだ。バリ人にとってキバは、獣や悪魔などの穢れたものとみなされ忌み嫌われる。また、人間の持つ6つの敵サド=リプ(Sad Ripu)である、強欲(tamak/loba)、欺瞞(suka menipu)、怒り( murka/kroda(suka marah))、ほめられたい(suka dipuji(moha)、人や生き物を傷つける(menyakiti sesama makhluk)、誹謗中傷する(suka memfitnah)などを減じるために削るともいわれている。

儀礼は、バリの暦から、マヌシオ・ヤドニョに適した日が選ばれ、各家庭の屋敷寺と儀礼用の建物で執り行われる。削歯は、屋敷中央にある儀礼用の建物、バレ・ダギン(bale dangin)で、ブラフマナ階層のサンギン(削歯師)と呼ばれる人物によって、神々、ブト・カロ、人々の面前で執り行われる。

削歯は、ある状態から新たな状態へと移行する境界的な状況になるため、きわめて危険だと考えられている。サンギンを介さず、自分で削歯をした人が、歯がなくなるまで削ってしまったという話も聞いた。バリ人は「悪霊が憑いたのだ」という。日本にいれば、信じがたい不思議な事も、バリならありそうな話だと、素直に思ってしまう。

村人のゴトンロヨン(相互扶助)によって、儀礼は準備されるが、供物や客をもてなす宴に費用がかさむため、親近者だけでなく遠い親戚の者までが一緒におこなったり、家族の結婚式と合わせて行うこともある。地域によっては、ガベン・マサル=Ngaben Masal(合同火葬儀礼)のように、村民合同で行われる「ムサンギー・マサル(合同削歯儀礼)」もある。ムサンギー・マサルは、(ン)ガロラシンと言われ、ガベン・マサルの12日後の儀礼と同日に行われることが多い。Ngarorasinはバリ語で、roras(12)が語源。


ポトン・ギギ
《(ン)ガロラシン風景》(クデワタン村)


削歯の儀礼を受ける人数は、奇数を嫌い、必ず2名ないし4名などの偶数で行う。友人マデの削歯儀礼では、女性2名と男性6名の合計8名だった。儀礼が午前の10時頃までに終わる必要があるため、人数の都合上、始まりが朝4時と早くなったようだ。これは12時という時間(深夜0時も同様)が、境界的な状況になるため、それを避けるためだと言われた。結局は、バリ時間で朝6時に始まったのだが。


ポトン・ギギ


あたりが白け始めた頃、マデはバレ・ダギンの高床にのぼり、山側を頭にして臥した。
口を半開きにするために、サトウキビの細い幹を奥歯に挟んだ。緊張しているのか、両手に力が入っている。両側から家族がマデの身体を押さえている。
サンギンが細くて短い半円型のヤスリを手にし、歯を削り出した。マデは、痛いのかウーウーとうなっている。
ヤスリで削る音は、歯を磨く時のゴシゴシという音とギシギシとが不気味に混ざった、歯の芯に響く鈍い嫌な音だ。興味本位に覗いていたわたしも、音に恐れをなして後ずさった。
仕上げは、砥石で磨く。この磨く行為をバリ語でニャンギと言うのを聞いて、ムサンギー(削歯儀礼)、サンギン(削歯師)の語源は、ここからきているのだとわかった。


ポトン・ギギ


儀礼の細かい流れの解説は省くとして、とにかく8名の儀礼が終わるのに、2時間をついやした。音は、いつまでも脳の片隅に巣くっていて、いかにも自分が削ったかのような錯覚をする。前夜は、ジェゴグとワヤン・クリッを鑑賞して、就寝は0時を廻っていた。就眠時間4時間の寝不足の頭に、削歯の音は気障りだ。
落ち着いたマデに、感想を訊いてみたが、どう表現していいか迷っているようだった。説明されたわたしも、よく理解できなかった、まあ、痛かゆいといったところか。削歯儀礼を終えて、大人としての自覚を持たなくちゃというところは、日本の成人式の感想にも似ている。
あと味は、3日から1週間ほど抜けないそうで、その間は熱い物や冷たい物は歯に浸みるので避けなくてはいけないそうだ。5年前に削歯儀礼を済ませているマデのお兄さんは、ルジャック(甘酸辛い?ソースをかけたフルーツ・サラダのようなもの)を食べて、跳び上がるほど痛かったと、失敗談を語ってくれた。
カランガッサム県から迎えた高僧プダンダの儀式が滞りなく終了する頃には、雨期は去ったかと思われる晴天になった。


※写真:1と2枚目は、アパ?スタッフ・ワヤン君提供。3と4枚目は、ワヤン君のムサンギー(Masangih)風景です。




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