バリを訪れたツーリストが、まず最初に興味を惹くのは、いたるところに置かれている、色とりどりの花を盛ったお供え物だろう。
バリ人は、神々の力に対して感謝を捧げつつ、人間と共に存在している眼に見えないパワーも信じている。
そんな力の存在に、彼らは心からお供えを捧げる。
彼らの信仰するヒンドゥー教は、供物を不可欠としている。
供物を使わない祈りだけの宗教行為もあるが、ほとんどの場合が供物がともなっていると言ってよいだろう。
「供物」はバリ語でバンタン(banten)、インドネシア語でサジェン(sajen)/スサジェン(sesajen)と言う。供物を「捧げる」はマトゥル(matur)/マトゥラン(maturan)で、「マトゥル・バンタン」で「供物を捧げる」となる。
バンタンには、さまざまな種類がある。
チャナン(canang)もチャル(caru)もスガン(segehan)も、毎朝のサイバン(saiban)もオダランの時のグボガン(gebogan)も、みんなバンタンの一種だ。
いくつかのバンタンが積み重なって、異なった名称のバンタンになることもある。
特別なものを含めると、その数は百種類以上になるだろう。
バンタンの飾りは、哲学的な意味を含んでいると言われている。
一般的な意味は変わらないが、形状や名称は地域によって異なっていることがある。
チャナンは、椰子の若葉で作られたチュペール(ceper)と呼ばれる四角の容器に、まず小さなポロサンというパーツ(かみタバコ、石灰、びんろうじゅがほんの少量ずつ木の葉に包んである)、薄くスライスしたバナナを置く。
これらはヒンドゥー教の三大神、ブラフマ、ウシュヌ、シヴァを象徴していると言われる。
ここに黄色く染めた生米を入れることもある。
スガンは、椰子の葉で小さなV字型にかたどったパーツを5個ずつひとまとまりにし、各V字型に少しずつのごはん、赤タマネギとしょうがを刻んだもの、そして塩をのせていく。
その5カ所のごはんをそれぞれ、黄、赤、黒の色粉で染め、白いままのご飯と、その4色のミックス、形5色に彩ることもある。
バンタンには、おおきく分けて2種類あり、どういう時に、どのバンタンを捧げるのかも決まっている。
ひとつは天界にいるとされる神(dewa-dewi)や祖霊神(betara-betari)に捧げるもので、これは必ず台や祭壇の上に置く。
もうひとつは、ブト・カロと呼ばれる鬼神あるいは下界の神々に捧げるもので、これは必ず地面の上に直接置く。
バンタンの中には、同じものが神に対してもブト・カロに対しても(置く場所は別)捧げられるというものもあれば、神に特有、ブト・カロに特有のバンタンもある。
ブト・カロは、匂いのする食べ物を好むとされ、にんにくやタマネギ類がバンタンに使われる。
また、生きた動物の血や、酒の類もブト・カロ特有のバンタンだ。
なお、神に捧げたあとのバンタンのお下がりは食べてよいことになっている。
こうしたお下がりをルンスラン(lungsuran)と言う。ただし、自分よりカスタ階層が低い人が神に捧げたお下がりは、もらうことも食べることもしない。
ブト・カロに捧げた地面に置かれたバンタンのお下がりは、あまり食べない。
そして、一度供えたバンタンの材料を、再び使いまわしすることは決してない。
一度も供物にしていない、かつ人間の食べ残しでない清浄な供物の材料は「スクロ」と呼ばれ、供物を作る時は必ずスクロの材料でなければならない。
例えば、供物に使うご飯は炊きたての一番最初に取り分けたものでなければならない。
バンタンのおもな素材は、花、植物の葉(椰子の葉は多様な用途がある)、米、ご飯、スパイス、果物、菓子、肉や脂身、アラック(椰子の蒸留酒)やブラム(ライスワイン)、飲み物、布など。ほかにタバコ、シリー(タバコに似た伝統的な嗜好品で、口に入れると口の中が真っ赤になる)も重要なバンタンの材料となる。
バリ人は、バンタンをつくるとき、より美しいもの、たとえば果物なら色や形がよくて見栄えのするものを選ぶ。
また、きれいで見栄えのいいものになるようにと、細部にまで工夫を凝らす。
神は美しいものが好きだと信じる彼らは、捧げ物に美を追究するのである。
もちろん、見た目だけが美しければよいというわけではない。
清浄な心がともなっている必要がある。真心をこめてバンタンを作り、神に捧げる。
これがバリ人の宗教美学のようだ。
バリの宗教が豊かなお供え物に彩られている背景には、こうした美学を貫こうとするバリ人の姿勢があるようだ。
ガムラン音楽、バリ舞踊も、神々への捧げ物だ。
(2009/9/19)
※参考文献:「バリ宗教ハンドブック」吉田竹也・著(影の出版会・APA?で扱っています)