トペン・レゴン(Topeng Legong)

トペン・レゴン.jpg Photo by Rio Helmi

 

この舞踊は、ロマンチックにも、ある王の夢から生まれたという。

 

スカワティ王家の所有する『ババッド・ダレム・スカワティ』というロンタル(椰子の葉に刻まれた古文書)に、この話はある。
スカワティ王家初代王の長男、デワ・アグン・マデ・カルナ(Dewa Agung Made Karna 1775-1825)が王座についた。
王は瞑想が好きで、よく、クテウェル(Ketewel)村のヨガン・アグン寺院(Pura Yogan Agung)に出掛けては瞑想をしていた。
ある日、瞑想中の王の脳裏に、眼にも麗しい2人の少女の舞う姿が写し出された。
それは、黄金の冠をかぶり、煌びやかな衣裳に身をまとった美しい天女が舞う優美な姿だったという。
瞑想から覚めた後も、夢に見、踊りを忘れることができません。
王は、なんとかしてあの天女の舞を再現したいと考えます。
クテウェルの村長に、夢で見た天女に似た少女たちを集めるように命じます。
村の娘たちを集めて踊らせてみるが、あの天女の美しさにかなう娘は、いくら探してもみつかりません。
王はしかたなく、天女の面(トペン)を彫り、それをつけて踊らせようと考え、村長に、天女の美しさを表現するための面を創作するように命じた。
つり目顔のジャワ風トペンが完成すると、王は踊り子に踊りを伝え、楽団に曲を伝授した。
こうして、トペン・レゴンは生まれたとロンタルにはある。
トペンは神聖なものとして、ヨガン・アグン寺院にススオナン(ご神体)として祠に保管されている。
ヨガン・アグン寺院のオダラン(寺院祭礼)や特別の儀礼の際に、トペンは祠から出され奉納される。
ウブドのチャンプアンにあるグヌン・ルバ寺院のオダランでも、このトペン・レゴンが奉納される。
この両寺院でしか見ることの出来ない貴重な舞踊だ。
この踊りが[レゴン]と呼ばれる舞踊の最初だと言われている。

 

トペン・レゴンは、ふたりの少女によって踊られる。
奉納舞踊のさい、付き人は、カゴから白い布に包まれた面を取り出し、面に直接手に触れることなく、踊り娘の顔につける。
踊り娘も面に触れることはできない。
いくつもの面が取り替えられ踊る。
面は、通常バリで使われているゴムで掛けるタイプではない。
口でくわえるジャワ・タイプだ。
2人の踊り娘は、鏡に映したように同じ仕草で踊る。
踊りはシンプルな振りの繰り返し、曲も短いフレーズの繰り返し動きのある踊りではない。
私には、それが返って神秘的に映った。
トランスしているようにも見受けられる。
こんなところからトペン・レゴンは、サンヒャン・レゴンとも呼ばれている。
マンダラ翁からの聞き書き「踊り島バリ」99ページには、トペン・レゴンはサンヒャン・レゴンと呼ばれたとある。
サンヒャンとは神、または神聖なという意味

 

※奉納舞踊は儀礼性の強いものから順に、ワリ(Wali)、ブバリ(Bebali)、バリ・バリアン(Balih-Balihan)の3つに分類されて呼ばれる。
ワリは儀礼の一部でジェロアン(奥の境内)で演じられる。
ブバリ(中庭)は、ワリより少し儀礼性が後退する。
バリ・バリアンは、儀礼と関係なく娯楽としてジャボ(外庭)かバレ(建物)で演じられる。
トペン・レゴンは神聖な舞踊でワリと呼ばれジェロアンで奉納さられ、通常のレゴンはバリ・バリアンと呼ばれている。

 

※参考図書:「踊り島バリ」(PARCO出版)


※ヨガン・アグン・クテウェル寺院とグヌン・ルバ寺院のオダランは、どちらもSINTA(第1週)のBuda(水曜日)KliwanのPagerawasiの日が初日。
ヨガン・アグン寺院は撮影禁止。グヌン・ルバ寺院は写真撮影が許される時もある。