ジャンゲール(Janger)

ジャンゲール

 

ジャンゲールは、ジョゲッ・ピンギタンができた1902年よりあとに登場した芸能のようだ。
正確な時期も創作者もわからない。[踊る島バリ](PARCO出版)によると、ジャンゲールは東ジャワの影響を受けてできたもので、熱狂したのは30年頃だといわれる。
その頃は、女の子はスカート、男の子は半ズボンにワイシャツ姿でアクロバットのように人間ピラミットを作っていたという。

 

ジャンゲールは通常、10数人の若い男女グループによって演じられる。
男性グループと女性グループとにわかれ、ゆっくりとした行列で登場する。
女性グループはジャンゲールと呼ばれる。
ジャンジャン♪ジャンゲール♪という歌に特別の意味はない。
男性グループはケチャと呼ばれ、ケチャの振り付けで唄う。
ふたつのグループは、お互いに応えるようにして、踊り、唄い、向かい合ったり、2列縦隊になったり、交差したりとした動きがある。
踊りに技量が要求されるようには見えない。
歌謡の内容は、アルジュナ・ウィワハ、スンダ・ウパスンダなどの古典を題材としている。
恋歌のことが多いようだ。

 

現在のようにガムラン伴奏でバリ舞踊の衣裳になったのは、40年代に入ってからだと言われる。
第二次大戦やインドネシアの独立戦争で、ほかに娯楽のなかった時代に人気を集め、インドネシア独立直後には、バリ島全土で大流行したと言われる。
時には、小学生くらいの子供たちも演じる。
2002年のPesta Kesenian Bali (P・K・B)=バリ・アート・フェスティバルでは、熟年グループが登場し、観客を多いに湧かしたそうだ。

 

ジャンゲールは、娯楽性が大きく形式にとらわれないため、それぞれの地方で独特の舞踊や歌謡にアレンジされている。
タバナンのジャンゲールは、ダグと呼ばれる将軍の衣裳をつけた踊り手がジャンゲールとケチャの号令を出す役目をする。
バンリのジャンゲールの場合は、ジャンゲール・ムボルボール(Janger mebor-bor)と呼ばれ、舞台の終盤に踊り手たちがトランス状態になってしまう。
ガムランの伴奏で唄って踊るわりには、派手さのない芸能だが、バリ人の民衆の間では根強く残っている。
記念式典などでは新作が披露されたりして、オダラン(寺院祭礼)に奉納されることもある。