クビヤール・レゴン(Kebyar Legong)

クビヤール・レゴン。こんな名前の舞踊を知っていますか?
これはタルナ・ジャヤ (Teruna Jaya) の元となった踊りです。
タルナ・ジャヤはご存知のように、女性によって踊られる”若者(タルナ)の勝利の踊り”で、激しく、ダイナミックな振り付けが印象的な舞踊です。
踊り手には、非常にエネルギッシュなガムラン演奏を身体で表現できる強さが要求される。

 

それでは、タルナ・ジャヤのルーツであるクビヤール・レゴンの歴史を調べてみよう。
1915年の北部バリで「稲妻」を意味する「Kebyar(クビヤール)」という新しい形態の音楽が創られた。
この音楽は非常にダイナミックで、急に音が止んだかと思うと、また始まるという、聴く者をいつも”ハッ”とさせるものであった。
これまでのルランバタン(Lelambatan)と呼ばれるクラッシック・スタイルの音楽(寺院祭礼などで演奏される、テンポの遅い曲)とはたんへん異なっていた。
クビヤールはバリ人の気質にマッチしたのか”アッ”という間にバリ島全域に広がっていった。
この時代、多くの旧式ガムラン、スロンディン(Slonding)、アンクルン(Angklung)、グンデル(Gender)、ゴン・グデ(Gong Gede)、スマロプグリンガン(Semara Pegulingan)などが、クビヤール・スタイルの演奏のできるガムラン・スマロダナ(Semara Dana)に造り替えられたそうだ。
こうして、こんにちガムラン音楽の一般的スタイルとして耳にするようになった。

 

1938年のシンガラジャ・Bengkala村。 I Wayan Wandres という男性が、今までの古典レゴンとは違うクビヤール・スタイルのガムランに合わせて、ふたりの若い女性のための踊りを創造した。
それは強くて大胆な動きを基に、顔、特に眼を使った表現を駆使するものだった。
その頃のBengkala村のガムラン・グループは、15人のメンバーしかいなかった。
ガムランをフル編成するために、一行は Jagaraga村に移った。
Wandresが振付をしたその新しい舞踊は、レゴン・スタイル(ふたりの若い女性の踊り)とクビヤール・スタイルの両方から名を取って「クビヤール・レゴン」と命名された。

 

その後、Wandresの弟子のひとりであった Gede Manik が、この踊りをさらにアレンジし発展させた。
その結果、クビヤール・レゴンはタルナ・ジャヤとレゴンという全く違った踊りを組み合わせた2部構成のような形となった。
26分と長い曲だ。
Gede Manikのクビヤール・レゴンは、北部バリで有名になっていった。
この新しい踊りを Gede Manik から学んだ、第1世代の踊り子のひとりが Sawan 村の Ni  Nyoman Kasning で、第2世代が、Ni Luh ManikとNi Ketut Kasning(1928年生まれ)である。
クビヤール・レゴンの前半17分のパートが、タルナ・ジャヤとして知られ、後半のパートは、レゴン(正確には、レゴン・クンティールの真ん中の部分)と、ジャウッの要素が取り入れられている。

 

◎さて、時は1930年代。
バリを愛したドイツ人画家ヴォルター・シュピースが北部バリで始めて見て、聴いた、クビヤールと、その伴奏で踊られるクビヤール・レゴンのことを「Dance and Drama in Bali」という本で書いている。
その文章がとても素晴らしかったので、ここで紹介しよう。

北部バリの各村は、昔からガムラン演奏が有名だった。
村々では、それぞれのガムラン、そして踊りのスタイルを持っていて、互いに競い合っていた。
北部の人々は、古くからある伝統的な習慣を守る一方で、時折、異端的で新しい試みをすることも好きであった。
そんな中でガムランの新しいスタイル、クビヤールは生まれたのだ。
村の踊り子のグループは、すべて幼い少女たちで結成されていた。
村々を散歩すると、ワンティラン(共同体の集会所)で子供、若者、年寄りがワイワイと集まり熱心にガムラン演奏の練習をしているのを見かける。
その演奏は、原始的で烈しい気質を持っていて、眼にも止まらぬほどの速さである。
猛々しいリズムからは、壮烈さ、華麗さ、興奮が表現される。
それは、クラッシック・スタイルのガムランしか知らなかった南部の人々(特にガムラン奏者)にとっては衝撃あった。
そして、同時に絶賛された。
クビヤールの曲を聴いていると、時々、わかりやすいメロディの断片が、激動の中に押し流され、消えてゆき、そして再び表面に浮かび上がってくる。
かと思うと、ひとつの非常に澄んだ響きがこぼれ落ちる。
ひとつ、ふたつ、そのうちシャワーのように落ちる。
多くのグンデル(鍵盤楽器)の完璧な調和の中でメロディがぽっかりと浮いているようだ。
それがチェンチェン(小さなシンバルがいくつもついた楽器)によってふいに途切れ、その複雑なリズムによって崩されるのである。
そして、踊り。
ふたりの若い女性の踊り子は、動き、振付、表情によって、このダイナミックなガムランの音を表現する。
踊り子は、ランセルという幕(カーテン)を激しく振るわせたかと思うと、ほんのかすかな笑みを浮かべ、眼を輝かせてランセルから現れる。
はじめは、ゆっくりと、そして柔らかく優しく頭と身体を傾けて首を振る。
足は、地面の上で遊んでいるように軽くステップを踏んでいる。
突然、チェンチェンの音に合わせてシェークし、非常に速い速度で半円を描きながらまわる。
かと思うと今度は急に、ハッとするほどソフトに動く。
膝をつき半分座った姿勢で身体を震わせる。
その間、踊り子の視線は矢のように、稲妻のようにあちこちへと飛ぶ。
彼女たちは、遠く、激しく、ササッーと狭いスペースを端から端へと移動する。
それでいて、木の葉が風に舞っているような軽やかさなのだ。
ガムランの激しさは、言葉に言い表せない。
演奏者の顔に、興奮の表情はない。
妙なくらい無表情に見える。
しかし、彼らの身体は楽器を演奏しながらブルブルと震え、その動きは、あたかも彼ら自身が楽器となって振動しているかのようだ。
激しく演奏する時は、いまにも彼らが楽器を壊してしまいそうなくらいだ。
ある時、北部バリのクビヤール・レゴンの踊り子ふたりとガムランが南部のMenjali村で公演を行ったのを観た。
暗いテントの下は端から端まで人で埋め尽くされていた。
演奏が始まった。
踊り子ふたりは、幕を少し揺すぶったかと思うと、すぐに舞台に現れた。
彼女たちは、紫色と金色の布の帽子をかぶり、深紅と金色の長袖のタイトな服の上から、胴に帯を締め付けるように巻いている。
透かし彫りの入った金の首輪をつけ、腰に巻いているカマン(腰布)は輝く素材の黒い布だ。
ターコイズと金の腰飾りには銀色のへりがついている。
踊り子ふたりは、陶酔したような顔つきをしたかと思うと、カッと眼を見開く。
その時の眼は、黒眼が完全に真ん丸く見えるまで、非常に大きく開けられている。
口元は、少し尖らせ気味だが、時折、微かな笑みを見せる時、上唇を少しだけ上げる。
すると、1本だけ金歯にしている前歯がチラッと見える。
北部バリでは、前歯の1本だけ金歯にすることは、踊り子の少女たちにとって、なくてはならない装飾であった。
暗いランプのもとで踊っている彼女たちの衣裳のかすかな輝き、金の首輪、腰飾りの銀色のきらめきが彼女たちの顔とともにぼんやりしたり、浮き上がったり見える。
それは、たとえようもなくファンタスチックな光景であった。
以上が、ヴォルター・シュピースが、クビヤール・レゴンを眼にした時の感想である。
正確には本文と多少違うところがありますが、友人の吉田ゆかりさんに翻訳してもらったものをもとに、書き直したものだ。