レゴン(Legong)

レゴン
写真提供:田尾美野留氏

 

バリの伝統舞踊の中で、ツーリストに、よく知られているのは【タリ・レゴン(Tari Legon)】だろう。

 

蛇足だが、少しインドネシア語の文法の説明をしよう。
「踊り手=Penari」という単語は「tari=踊り」という基語に、前接辞「Pe」をつけた構成語となっている。
その場合、「tari」の「t」は「n」に変化する。ちなみに「Tari-tarian」と基語を2回続け、最後に後接辞「an」を加えると複数形、つまり「いろいろな踊り」となる。
このように、少ない基語でも、さまざまな前接辞や後接辞をつけることによって、語義を発展させて、多くの構成語となるわけである。

 

話しをタリ・レゴンに戻そう。
語源は「Leg」という”美しい”または”優しく揺れ動いて、伸び縮みする”という意味と、ガムランの意味を持つ「Gong」の2つの単語の合成語だと言われている。
起源には諸説あり、スカワティ王家の所有する『ババッド・ダレム・スカワティ』というロンタル(椰子の葉に刻まれた古文書)では「トペン・レゴン(Topeng Legong)」が最初のレゴンと言われている。
またこれが通説でもある。
トペン・レゴンはサンヒャン・レゴンとも言われてもいる。
しかし、現在レゴンと呼ばれる舞踊とは、少し違う。
詳しくは、芸能解説「トペン・レゴン」を見て欲しい。
トペン・レゴンのあと、さまざまなレゴンが創作されたが、面をつけるレゴンはその後作られていないようだ。
トペン・レゴンはふたりの少女によって踊られる。
【レゴン・ラッサムには、侍女(チョンドン=condong)役が加わる】
そんなことで、その後、創られるレゴンも踊り子はふたりだ。
そして、振り付けのルーツは、ガンブー舞踊劇の舞踊からと言う説が通説だ。
この頃から、舞踊に物語性が取り入れられ、パントマイムと表情で物語を演じた。
レゴンの特徴は、影絵芝居の人形のような無表情なふたりの踊り子の対峙した姿が、まるで鏡に映ったように同じ動きであることだ。

 

チョンドン
チョンドン=condong
写真提供:田尾美野留氏

 

レゴン(Legong)の歴史は、芸能や舞踊が王の娯楽として王宮(プリ)内で催されていた時代に始まる。
バリの王国が9つ(のち8つ)に分割された時代だ。
各王国は競うようにして女性舞踊を創作したと思われる。
王国間の距離は、当時とすれば、まさに外国をイメージするほど遠かったはず。
一般人の交流も少なかっただろう。
各王国が女性舞踊を創ろうとするが、どう創ったものか。
誰かが、こっそり鑑賞に行き見聞きしたものを再現しようとしたのだろうか。
録音、録画の技術のない時代、盗作することもたいへんだっただろう。
今では想像もできない。
おのおのの王国は、王宮で演じられるレゴンを他に漏れることがないように注意したと思う。
レゴンは、王族の富と権力の象徴でもあった。
楽団は王宮の私有財産であり、舞踊は王宮内でのみ上演された。
他王国との交流のもてなしにも上演したと思われる。
この時代に創られた女性舞踊を総じてレゴンと呼ばれたようだ。
舞踊は、この時代から観賞用に創られるようになっていった。
時代が経過するうち、王の娯楽であった芸能は、寺院の奉納舞踊で催されるようになり、庶民の眼に触れるようになっていった。
宮廷舞踊は、寺院に奉納されるようになり宗教儀礼のひとつとして扱われるようになった。

 

その昔、レゴンの踊り子になるには、5歳くらいからレッスンを受けた。
5歳になる美しい少女たちが、村に集められ。
未熟な身体は厳しい練習から、よく訓練された柔軟な身体に育ち、繊細な動きを身につけていく。
こうして、優雅な舞踊が完成する。
8歳になると、踊り子として観衆の前で披露する。
生理の始まりとともに清浄でないとされ、踊り子としての役目を終える。
現在は、年齢的な制約はないようだ。
踊り子は、バリの伝統的な模様が金色の浮き彫りになった布を身にまとい、胸から一枚のラマック(Lamak)と呼ばれる金色の前飾りをつけている。
金色の冠には、新鮮なプルメリアの花の房飾りが左右についていて、首を動かすたびに小刻みに揺れる。

 

インドネシア国立芸術大学(ISI)にある資料に、次の15種が古典とある。
1:レゴン・ラッサム(Legong Lasem)
2:レゴン・プライオン(Legong Palayon)
3:レゴン・チャンドラカンタ(Legong Candra Kanta)
4:レゴン・クンティール(Legong Kuntir)
5:レゴン・クントゥール(Legong Kuntul)
6:レゴン・ジョボッ(Legong Jobog)
7:レゴン・グワマチョッ(Legong Guwak Macok)
8:レゴン・レゴッバワ(Legong Legod Bawa)
9:レゴン・タンギス(Legong Tangis)
10:レゴン・クプクプ・タルム(Legong Kupu-Kupu Tarum)
11:レゴン・ブムマラ(Legong Bremara)
12:レゴン・スマランダナ(Legong Semarandana)
13:レゴン・ガドゥンムラティ(Legong Gadung Mulati)
14:レゴン・ラジャ・チナ(Legong Raja Cina)
15:レゴン・カランオラン(Legong Karang Olang)

 

これらのレゴンがどこで制作されたか、ほとんどわかっていないので、9王国時代のどの地域でレゴンの創作に励んだかか確証できない。
私個人としては、ギャニアールを中心としてバドゥン、タバナンで主に創作されたのではないかと考えている。
王制崩壊(クルンクン王国がオランダ軍に征服された1906年)までの舞踊を古典とし、その後、創作された舞踊はクレアシー・バルと呼ぶことにしている。
New Creation、つまり「新しい創作」という意味だ。
クレアシー・バルでレゴンが作られることもある。
新しく創られる舞踊にレゴンと命名するのは、特徴ある舞踊構成と楽曲構成を取り入れる必要があるようだ。
また、衣装にも類似性を持たせる。
バリエーションは年々増え、5~6人で踊られものもある。
伝統芸能の古典が、現代でも進化し続けているのは、バリ芸能の素晴らしい特徴だろう。
今後、レゴンがどう変化していくかが楽しみだ。

 

参照文献:[ EVOLUSI LEGONG / DARI SAKRAL MENJADI SEKULER DALAM TARI BALI ] ASTI DENPASAR 1980 / OLEH I.MADE.BANDAM
:[ SINOPSIS TARI BALI ] SANGGAR TARI BALI ” WATURENGGONG ” DENPASAR 1979 / OLEH I.WAYAN.DIBIA

 

(2009/9/30)