バリス・チナ(baris-china)

バリス・チナは、バリ島南部ルノン村(Pura Dalem)とサヌール村(Pura Merta sari )にしかない舞踊だ。

バリス・チナの起源については、いまだにこれといった定説はない。
チナというのだから中国と関係があることだけは確かだ。

Photo_バリス・チナ

ひとつの説としては、いつの頃かわからない昔。
中国海軍が長い航海の間に破損した船の修理にサヌールの海岸に立ち寄った。
その時、バリの人々が海兵隊を見て、彼らの優雅な動作に憧れて踊りを考えだしたという。

 

もうひとつは、これもいつの時代かわからない昔。
不思議な力をもったバリの王様Sri Keseri Warmadewa が、海から侵略してこようとする中国船を出し抜いて難破させた。
その時の生存者と楽器を手に入れ、踊らせたというのがはじまりだとする説。

 

伴奏のガムランは、中国が起源といわれるゴン・ベリが使われている。
ほら貝、太鼓(日本の太鼓のように胴部分が膨らんだもの)ドラ(こぶつき、こぶなし)という構成だ。
ただひたすら連続的に激しく叩き、メロディはない。

 

ルノン村で見たバリス・チナの踊りの衣裳は、セーラー・カラーがついた袖口の大きく開いた長袖シャツとブカブカのズボンだ。
片肩にたすき布をかけ、腰ひもを縛っている。
つば付き帽子をかぶり、黒い衣裳の軍団と白い衣裳の軍団とにわかれて、サーベルを手に踊る。
全員が男性だ。
両軍の隊長はヒゲを長く伸ばし、衣裳も少し威厳をもったものである。
隊列を組んだ単調な振り付けの踊りで、われわれが想像するバリ舞踊とは随分趣の違うものだ。
伴奏のガムランのせいか、踊り手や観賞していた村人の数人がトランスしてしまう。

 

2003年のPesta kesenian Bali (バリ・アート・フェシュティバル)で、サヌール村(Br.Semawang)のを見た。
ルノン村との違いは、ミリタリー調の上着にたすき掛けなのと、探検隊のかぶるような帽子くらいだ。

 

その昔、バリス・チナとゴン・ベリはバリ南部の村々で別々に演じられていた。
ところが、ゴン・ベリの行くところ必ず悲惨で不幸な事件がまき起こった。
そんなことからゴン・ベリはルノン村に戻ってきた。
以来、バリス・チナとゴン・ベリは霊力をもっていると信じられ、ルノン村の守護神として祀られている。
ルノン村とサヌール村では、バロンやバリス・グテと同じように、バリス・チナは善と悪の調和、小宇宙と大宇宙との調和を保つ力と人々に癒しを与える力をもっているとされ、今でも聖なる舞踊として扱われオダランで奉納されている。