「極楽通信・UBUD」



ジョゲッ・ピンギタン(Joged Pingitan)




1995年パダンリカ寺院(Pr.Padang Likat)で演じられた貴重な映像です。


ジョゲッ・ピンギタンの歴史をたどると。
1883年、芸能に理解の深かったギャニアールの王様が、ブラバトゥ村の芸術家たちに新しい舞踊を創らせたのがはじまりだ、と言われている。
創作された舞踊はガンドゥルン(GANDRUNG・現在消滅)と呼ばれた。
ガムランはスマル・プグリンガン、旋律はジョゲッをもちいた。
振りつけはレゴンから取り入れられ、衣裳もレゴンをアレンジしたものだ。
王宮内の余興として踊られ、踊り手は独りで、一連の踊りが終わると、次に観客の中からパートナーを選び即興的に踊る。
特徴的なのは、踊り手が女装した少年であることだ。


1884年、この形式で女性が踊る踊りがスカワティ村で創られた。名前をガンドゥルンガン(GANDRUNGAN・現在消滅)という。
演奏はティンクレック(竹筒製の木琴形式の鍵盤楽器)が数台に、太鼓とシンバルが加わり力強く覚えやすいメロディを奏でる。
この踊りは、王宮外で娯楽として演じられた。これが今日観られるジョゲッ・ブンブンの原型だ。


ガンドゥルンガンは急速に流行し、ギャニアール地方以外の村にも広まっていった。
この時一部の村では、ティンクレックの変わりに竹板製の木琴形式の鍵盤楽器で演奏をした。
これがジョゲッ・ピンギタンのはじまりで、舞踊とガムラン(楽器形態)の名称になっている。


ジョゲッ・ピンギタンは、ジョゲッ・ブンブンとは違う経過で発展していく。
ジョゲッ・ピンギタンの上演では、しばしば踊り手がトランスしてしまうことが起こった。
村人は、冠に神聖な力が宿っていると考え、呪術的舞踊、神聖な踊りとして、寺院内で儀礼用として演じられるようになった。
1902年頃のことだ。


1937年頃には、チャロナラン舞踊劇で魔女役として登場し、ガムラン・スマル・プグリンガンの演奏で踊ることもあった。
チャロナラン舞踊劇を、ひとりで演じるジョゲッ・ピンギタンは、ジョゲッ・パジェガンと呼ばれる。
パジェガンとは、ひとりで何役をこなすことを意味する言葉だ。
この踊りで、ジョゲッ・ブンブンと同じように観客から男性を選ぶことがあるが、違いは礼儀正しい振る舞いと、踊り手の高度な技量が要求されることだ。
ガムランは13名の演奏者。音階は7音階。
現在、ウブド近郊の2~3の村で残っているが、儀礼用として踊られるのはスバリ村だけだ。


※スバリ村[ジョゲッ・ピンギタン]のチャーターは、アパ?で受け付けております。


■東ジャワのバニュワンギ(Banyuwangi)に、ガンドゥルン(GANDRUNG)が残っている。
若者が、汚れを知らない清らかな乙女への恋に落ちてゆく筋書きにそった踊りです。
この踊りの主役は純潔の少女が踊り、やがて一人の若者が出て来て共に踊りますが、若者は少女の身体にまったく触れてはならないことになっています。
この踊りの時に、身につける飾り物は高価な金で作られたものです。
男性が女性の身に触れてならないのは、礼儀正しい、しつけのゆき届いた、態度を表したものでしょう。
踊り娘のパートナーは、決まった踊り手が舞うのではなく、見物人の中から出たり、わざわざそのために参加したいと来た人が踊ります。
いつも踊るのではなく、村の安泰を願う祭りの日などに踊られます。
ガンドゥルンは踊りの名前ではなく、踊りの特徴を表すものだといわれます。
「チェリタ・ラッヤット(インドネシアの民話と地誌)」未来社:なみおあや著より抜粋
踊られている内容はジョゲッ・ブンブンと同じだ。
ジョゲッ・ブンブンはバリ全土に広まり、隣のジャワ島・バニュワンギに渡り、名前はガンドゥルンとして残ったのだろうと思われる。