|
おっきな自然(08/8/07)
阿佐ヶ谷の目抜き通り、中杉通りには、
道沿いに街路樹として、ケヤキの木が植わっています。
10メートル以上もある木々、今の時期は元気な葉っぱが青々と、
緑のトンネルとなって、暑い中、涼を与えてくれています。
先日、買い物の帰りにふと見ると、ケヤキの幹になにやら張り紙が。
「内部に腐った箇所があり、倒れる恐れがあるので、近日中に伐採します」
という内容のもの。
樹木医さんの診断結果が、細かく書いてありました。
18メートルも育った、おおきなケヤキ。
切るのは忍びないけれど、台風で倒れては大変。
やむない処置なのでしょう。
幹にそっと触れると、まだしっかり生きているのが伝わってきました。
「わたしたちの勝手で、切らなきゃいけないなんて。
ごめんなさい。今までありがとう」
と、語りかけたら、ケヤキはゆっくりと答えてくれました。
「気にすることないよ。大丈夫」
そして、優しい気配で包んでくれるのでした。
時は遡って3月のこと。
九州の阿蘇に、相棒である友人と出かけた時。
阿蘇に向かう途中、立野のあたりで、
気になる景色を友人が見つけ、急遽、行ってみることにしました。
小高い山の谷間へと車を向け、進んで行くと道は閉ざされていました。
車を止めて、徒歩でさらに谷間へ降りていくことに。
たどり着いた場所は、二つの川が合流する地点。
清流がとうとうと流れる川には、巨岩がごろごろしていて、
それは精霊たちが舞い踊る舞台のようにも思えます。
耳を澄ますと、きれいな空気の中、
懐かしいような、覚えておきたいけど覚えていられないような
音楽がかすかに聴こえてくる、美しい場所。
ただならぬ気配がします。
友人は言いました。
「これが、聖地だよ。
有名でもない、名前もついていない、ただの場所。
でも、古代の人はこの場所を知っていたはず。
そして、大切に信仰していたはず」
しかし、その谷間には、橋をかける工事のためか、
崖を補強するためか、人に荒らされた痕跡もありました。
今や、この場所は、大切にされている気配もなく、
昔ながらの自然は人間の都合で姿を変えられています。
友人は続けます。
「人間は、無骨なことをしてしまったものですね。
あなたの姿をこんな風に変えるなんて、って、
この場所に伝えてみたんだ。でも、答えはこうだったよ。
わたしにも、なってみたい姿があるんですよ。
人間の手を借りて。だからなんでもないことです。って」
そして、惜しげもなく、わたしたちに
持っている力を与えてくれるのでした。
自然は、そしてそれに宿っている存在は、ほんとうに大きい。
わたしは、ただちっぽけな子供のように立ちすくんで、
「ありがとう」しか言えませんでした。
この聖地も、
阿佐ヶ谷のケヤキも、
人間のすることなど、とっくのとうに包み込んで、
おおきな視点で存在しているみたいです。
そんな自然に、わたしたちができることは、どれほどのことだろう。
結局、いっつも与えられている。
湧いてくるのは感謝の思いだけなのでした。
|