「極楽通信・UBUD」



「ゴトンロヨン(Gotong royong)」



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インドネシアには、ゴトンロヨン(Gotong royong)と呼ばれる奉仕活動がある。
国内全域でみられる相互扶助(mutual assistance/mutual aid/mutual help)活動だ。
ビジネス用語でWIN_WIN Situationという言葉があるが、WINは勝つで、ふたつ続けて、双方に利益があるときに使われる。
持ちつ持たれつ・双方にとって好都合な相互利益のこと。
相互扶助は、社会・組織の構成員同士が互いに助け合うことで、無料奉仕だ。
村単位で関わる道路や公共施設の建築、維持、管理に参加する。
かつては日本にもあった慣習だろうが、都市化するうちに無くなってしまったようだ。

バリには、バンジャール(Banjar)と呼ばれる、バリ特有の最小単位の村組織がある。
ゴトンロヨンは、バンジャールの人々の重要な役割で、バリ人社会の基盤でもある。
バレ・バンジャール(バンジャールの集会場)や道路などの公共施設の建築、維持、管理。
村人が、必要な労働力を求めるときに参加する。
家屋の建築、改築などは、村人の手によって行われていたのだろう。
そのうちの何人かが、いつのまにか大工として生計が成り立っていった。
ガムラン・グループのスカ・ゴン(Sekeha Gong)や、田植えや収穫、田んぼの水利を管理する組織スカ・スバック(Sekeha Subak)などもバンジャールに関わっている。
ゴトンロヨンは、カーストや貧富に関係なく平等に役目を担うことになっている。
有名なギャラリーのオーナーが道路掃除をしているのを見かけて、感心したことがある。

このゴトンロヨン以外にも、バリには特殊な奉仕活動がある。
ンガヤ(Ngayah)&ンゴーパン(Ngopan=Ngopen)と呼ばれて、根強く残る。
ンガヤは、プラ(寺院)の維持、管理、オダラン(寺院祭礼)の運営に対する奉仕、
プリ(王宮)・グリオ(高僧の屋敷)など対する奉仕活動に使われる言葉。
ンゴーパンは称号を持たない階層の言葉で、ンガヤを丁寧語として使い分けている。
プラやプリ、グリオに関する奉仕活動はンガヤだが、それ以外はンゴーパンと言う。
パンチョ・ヤドニョ(Panca yadnya)と呼ばれる5つに分類された儀礼に対する奉仕活動もある。
5つのヤドニョ(儀礼)には、
*デワォ・ヤドニョ(Dewa yadnya)=神の儀礼
 寺院祭礼
*ブト・ヤドニョ(Beta yadnya)=ブトカロの儀礼
 寺院祭礼
*マヌソ・ヤドニョ(Manusa yadnya)=人間の儀礼
 結婚式、削歯儀礼、子供の誕生日(=Oton/Ngotonin・オトン) *ピトロ・ヤドニョ(Pitra yadnya )=死者儀礼
 火葬儀礼を含む葬儀
*ルシ・ヤドニョ(Rsi yafnya)=司祭になるための儀礼

バリ語には、Ngayah&Ngopan、Ngaben(火葬儀礼)のように、Ngで始まる言葉がある。(インドネシア語にもある)
日本語には無い言葉なので、発音が難しい。
ちなみに、私は発音できません。

日頃ンガヤ&とンゴーパンに参加していないと、いざ自分の家での儀礼、葬式、火葬式などの時、ほかのメンバーの奉仕が得られず困ることになる。
儀礼のための準備や供物作りは何日間もかかり、大勢の人々の協力がなくてはできないものだ。
もし奉仕が受けられない場合は、バリ人がもっとも大切とする「浄め」の儀礼である葬儀や火葬式ができなくなってしまう。
バリ人の宗教観である「輪廻」(火葬された霊は浄化され、祖霊神となって帰ってくる)が実現できなくなってしまうのだ。
ンガヤ&とンゴーパンを怠った家の墓が掘り起こされたり、死体が移動されたという話や火葬式の当日、死体を火葬場に運ぶバデと呼ばれる御輿が投げ捨てられたという恐ろしい話もよく聞く。
こんな結果をもっとも恐れるバリ人は、必ずンガヤ&とンゴーパンに参加するというわけだ。
高名なセラピストが寺院祭礼の手伝いをするのもうなずける。

アパ?のスタッフ、ワヤン君の家で、事件が起こった。
この日は、ワヤン君の村は合同火葬儀礼の日。
ワヤン君の以前亡くなった家族も出棺した。
そして、ワヤン君家族のバデは、火葬場に行く途中の道端に置き去りにされた。
その夜、ワヤン君の家に村人の襲撃があった。
投石により窓ガラスは割られ、駐車してあったワヤン君の車は壊されてしまった。
恐怖におののく家族はギァニヤールの親類の家に逃れた。
怪我はなかったが「怖かった」とワヤン君はその時のことを語った。
ワヤン君の家の場合は代々王族に仕えていたため、村のンガヤ&とンゴーパンを怠りがきにして王宮に奉仕に行くことが多かった。
先祖代々からの村人の妬みが、今頃になって火葬式の御輿置き去りとして現れたのだ。
王族だからと言って安心していてはいけない。
ワヤン君と同じ時期、バトゥブラン村の近くの村の王宮の火葬式で、バデが投げ捨てられたという事があった。
これも王族が日頃、ンガヤ&とンゴーパンに参加していなかったことが原因らしい。
先に書いた、ンガヤ&とンゴーパンにカーストは関係ないということを証明する事件だった。
ワヤン君の家族の火葬式は、その後サヌールにある外人墓地で執り行われ、家族が村に戻るにあたっては警察が介入し、村にいくらかの罰金を払って一見落着となった。
ワヤン君の場合は警察が介入したが、バンジャール内の事件やもめごとは、死人が出ない限りほとんど、バンジャールの慣習のもとで解決していく。
バンジャールは警察や裁判所の役割もする。
そういう意味では、独立自治区であり、小さな「国家」と考えてもよいかもしれない。

(2020/8/13)




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