「極楽通信・UBUD」



23「トランス・その2(集団トランス)」





トランスという言葉を辞書で調べると「霊的陶酔状態、全身硬直症的状態、昏睡状態」などとある。しかし私の目撃したトランスは、そんな一言では解決できないものだった。
バリ人に、トランス状態になることを何と言うのか訊ねてみた。バリ語でクラウハン(Kerauhan)。インドネシア語でDatang。つまり「来る」という意味だと教えてくれた。「神と合体して会話し、自ら神として行動し、無限の享受を味わう。神が憑依した霊的な状態」を言うのだそうだ。私が目撃した、トランスのひとつを紹介しよう。トランス・その1(喧嘩神輿) も、あわせてお読み下さい。

デンパサール・クシマン村のプングレボンガン寺院(Pura Pengerebongan)のオダランは、午後の明るい陽射しが照り返すなかで行われる。
午後4時、寺院前に到着した。
沿道には、たくさんの屋台や露店が出ていて賑やかだ。
割れ門(Candi bentar)から外庭(ジャボ)に入る。大きな屋根の下に、多勢の人だかりがしている。肩越しに中を覗くと、闘鶏の真っ最中だった。闘鶏場のまわりにも屋台や露店が出て、ここも多勢の人で賑わっている。寺院内で屋台や露店を商ってもよかったのか。新たな疑問を胸に、寺院の内庭(ジェロアン)に入る。
境内に、参拝者の姿はまばらだ。熱い陽を避けて、建物の影に隠れている人々もいる。
お祈りしては帰って行く人々が、絶え間なく続く。
しばらくすると、ノボリや槍、傘を持った人々を先頭に、バロンランダ、そのほかのご神体を頭上に掲げた正装の一団が入って来た。いくつかのグループが、次から次へと入って来る。
午後5時、寺院の3つの門がすべて閉じられた。もう誰も出入りできない。
境内は、足の踏み場も無いほどになっていた。ざっと見渡すと、200人ほどが座り込んでいる。最前列の祭壇の前には、バロンの演じ手とランダの面をつけた者数人が、腰を下ろしている。
ガムランの演奏が止まり、人々はお祈りの準備に入った。境内は、お香の微かな匂いで包まれた。
僧侶の鳴らす鈴の音が境内に響くと、人々は両手を額の前で合わせて、お祈りを始めた。南国の暑い陽射しの中ではあるが、お祈りの神聖な行為が暑さを静寂の隅に追いやった。
人々は静かにお祈りを続ける。

数分後、それは何の前触れもなく始まった。
お祈りの群衆の中から、静寂を切り裂く「ワーッ」という奇声がした。と同時に、多勢の人が、両手を前に突き出して硬直状態になっている。何かが弾けたように、一瞬の出来事である。コンマ何秒という瞬間に、多勢の人が同時にトランス状態に陥ったのだ。彼らに、同時に神が降りてきたのだろう。
奇声はあちこちから聞こえる。およそ20〜30人ほどがトランスしているだろう。トランス状態の人たちの中には、若い女性や子供も交じっている。子供のトランスを見るのは初めてだ。トランスした人々は、両脇から数人に取り押さえられている。境内は大混乱だ。
トランス状態になった人々が、両脇を支えられて、寺院中央のチャンディ・クルン(Candi kurung=屋根付きの門)からジャボ(外庭)へ連れ出されて行く。

クシマン クシマン

バロン、ランダ、そして、人々がそれに続いて出ていく。チャンディ・クルンの前で待ちかまえていたガムラン隊のシンバルが、激しく打ち鳴らされる。ジャボには、お祈りを終えた人々がラッシュアワーのような人だかりをつくっている。
トランス状態の人たちの眼は焦点が合わず、何かに取り憑かれたのようである。ランダのように、両手を振りかざしながら門から出てくる者もいる。門から出ると、トランス状態の人たちには、クリスが手渡される。彼らは、悪霊を身体から追い出すかのように、自分の胸に激しくクリスを突き立てる。なかには頭や額に突き立てる者や、他人に向かって振り回す者もいる。そして危険すぎたり、逆に落ち着いた状態になるとクリスは取り上げられる。トランスは伝染するのか、両脇で抱えている付き添いの者までもがトランスに陥っている。
ノボリや槍、傘を持った人々を先頭に、闘鶏場を廻る。廻りながらもトランスの叫び声は続いている。トランスの行列は、闘鶏場を30分ほどで3周して戻って行く。
続々と人々が、ジェロアン(内庭)に戻ってくる。正装が、土で汚れているのはトランスした人だろう。彼らは、すでにトランスから解き放たれたのだ。まだトランスから解き放たれていない人もいる。男の子が、トランスしたまま戻って来た。
女性たちが、ルジャンを踊りながら、チャンディ・クルンの高い階段をゆっくりと下りて来た。トランスした女性もまじっている。
トランス状態の人々は、祭壇の前に行く。僧侶から聖水をかけてもらうのためだ。そして不思議なことに、僧侶から聖水をかけてもらうと、早々にトランスから醒め正気に戻る。トランスを解かれた人々の顔は、さまざまだ。観察すると、精魂を使い果たしたように疲れ切った顔の人、何ごともなかったかのような顔の人、少し恥ずかしそうな顔をしている人といる。
この寺院のオダランは、トランス(クラウハン)することによって儀礼が終了する。
周囲はすでに黄昏時。人々は来た時と同じように、ノボリと槍、傘を先頭に御神体を従えて、夕焼けを背にして村へ帰っていった。


ウク暦の第14週(MEDANGSAI)の日曜日(REDITE PON)に行われるオダラン(寺院祭礼)です。
※日程は「オダラン情報」でご確認ください。
※ツアー有り:★料金:1名様20US$/ウブド発11.00am/




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