「極楽通信・UBUD」



68「バリ人男性( laki-laki orangbali )」





ウブドに25年滞在しているが、未だにバリ人を理解できないでいる。
理解できないのは、当然かもしれない。
これは年数の問題ではないだろう。
自分自身のことすらわかっていないのに、他人のことなどわかるはずがないのだ。
人には、それぞれ性格があり、違って当たり前。
十人十色、百人百色、千人千色、人の数だけあると言ってもよいだろう。
実にバラエティ豊かな人間性がある。
文化や習慣、社会構造が違えば、さまざまな価値観が生まれてくる。
挨拶の仕方、感謝の気持ちの表し方、約束の果たし方、ジョークの使い方、友だちとのつき合い方などなど、あげたらきりがない。
バリ島がオランダに領地された時代に形成された、バリ人の性格もあるかもしれない。
環境要因も加わり、また、年とともに性格は顕在化してくる。
ここで言うバリ人は、男性のことです。
女性に関しては “洋の東西を問わず” 、私には不可解な生き物なので始めから除外しています。



「国が変われば常識も変わってしまう」という話をします。
日本では常識でも、バリに来ると違ってしまう常識もある。
この常識が厄介者。
日本の常識が、世界に通用すると考えている日本人が多い。
「日本の常識は、世界の非常識」と言われることもある。
ほとんど通用しないと思って過言ではないだろう。
ウブドで私が最初に泊まった宿は「ロジャース・ホームステイ」。(「ウブドに沈没・ロジャース・ホームステイ」)宿主ロジャーの祖父には、2人の妻がいた。
バリ人の最初に知り合いになったのワヤン・カルタ。カルタの奥さんの祖父には3人の女性がいた。(「ウブドに沈没・ワヤン・カルタとの出会い」)
ウブドの王家、プリアタンの王家には、多くの奥方がいらっしゃる。
これ、日本なら驚きに事実ですよね。
一夫多妻は、ウブドでは常識だった。
バリ人の男女比は、圧倒的に女性の数が多いようです。
男女比が2対1の西部バリのある農村では、男性は2人以上の女性と結婚しなくてはならない掟があるそうだ。
この話を聞いた時には、驚いた。
「その村に移住したい!」と、不心得な発言をした日本人男性がいた。
私には、妻が2人いる生活が想像できない。
日本では、第一婦人以外は、妾とか二号と呼ばれる世間から日陰の身になってしまう。
バリ人は家系のつながりを重視し、一夫多妻は血筋を残すという意味でもあるようだ。

結婚したが子供ができない。
この場合、次の妻をメトルことが許される。
これは、バリが家父系社会で、特に男の子を持つことを重視することからきている。
女性にとっては、悲しい現実。
バリにできちゃった婚が多いのは、これが理由のようです。
「できちゃった結婚」というと否定的なニュアンスがあるが、バリ人の場合は「授かり婚(おめでた婚)」と言った方が正しいかもしれませんね。
日本にも『嫁して三年子なきは去る』と言われた暗黙のしきたりが私が幼少の頃まであった(ようだ)。
これは、日本の厳しい現実。
子供は生まれたが、女の子だった。女の子しか生まれない妻の場合も、男性は次の妻をメトルことができる。
第一婦人、第二婦人・・・・との間で承諾を得られれば、法律上では可能なのだ。
男子を産んだ妻は、第一婦人に格上げされるという。ブラックマジックは、こうした妻・女性の間で起こる嫉妬対策だと、私は考える。
前記した宿主ロジャーは、一妻の間で娘3人を授かり、4人目で待望の男子が誕生した。
丸坊主になって、男子誕生を祈願したそうだ。
4人目も女性だったらと思うと「清水の舞台から飛び降りるよう」な心境で決断したのだろう。
アルタティック、ユリアティ、ビダニのバリ舞踊家美人三姉妹のグスティ家も、4人目で長男が生まれている。そうそう、ロジャー家の三姉妹も美人の踊り手さんだ。

バリ人男性、特に私と交流があったウブド人の場合。
祖父ちゃん&父ちゃんの代まで、奥さんを何人でも娶ることができた時代を体験してきたウブドっ子。
そんなDNAが染み付いたウブドの男たち。
彼らに、妻は一人じゃないといけないという考え方は薄い。
日本では、一夫一妻が常識。
世界の常識が、一夫一妻とは限らない。
ウブド男性と結婚した日本女性に、たびたび不幸な出来事が起こるのは、こんな考え方の違いから生ずることも多い。
とは、言え時代は変わりつつある。
体外受精の手術を受ける家族もある。
子宝が女の子ばかりの場合、養子縁組をすることもある。
ウブドの若者にも、一夫一妻の考え方が主流になってきた。
一夫多妻でも幸せに暮らしている人もいる。
一夫一妻でも、不幸せなカップルはたくさんいる。
この常識、どちらがよいのかは私には答えられない。



これは常識の話ではない。
ウブドっ子の恋愛には、ゲーム感覚がある。
これは聞いた話。
海外からのツーリストが訪れるようになった1970年から1980年初頭にかけてのこと。
ウブドには、外国人女性ツーリスト相手に自由恋愛していたウブドっ子が数人いたと言う。
年に数回訪れるツーリストを相手に、恋愛ゴッコをしていた。
サーファーが訪れるクタ村に、まだジゴロのいなかった時代だ。
空港の出発ロビーのガラス越しで「さようなら、また3ヶ月後に合いましょう」と別れの言葉を送った足で、ジゴロは到着ロビーに出て来る彼女を迎えに行く。
ジゴロとは違って、お金目的ではない100パーセントの戯れの恋だ。
ウブドっ子は、定期的に訪れる彼女たちのローテーションに合わせて情を交わした。
飛行便の少なかった時代のこと、旅客機の到着する曜日は決まっていた。
連絡手段が乏しい時代だったが、訪れる日程はおよそ予想がついた。
恋人がニアミスする場面では、仲間たちがかくまったり細工をする。
ウブドの男たちの不文律のように、見事な結束をみせる。
しばしば問題は起こったが、仲間が旨く立ち回って事なきを得ている。
姫子・イン・バリ」著者:有為エンジェル(昭和62年発行)には、そんな時代が映し出されている、興味深い一冊だ。
1990年初頭に発売された平島幹・著の「ジャングル・ラブ」「タン・ナピ・ナピ」には、二代目ウブドっ子たちのありそうなエピソードが綴られている。

ウブドっ子は、外国人との恋愛に学歴や家柄などのバックボーンをこだわらない。
結果的には、結婚しないだろうと考えているからだろう。
結婚していようが子供いようが、彼女たちから聞かれない限り自分からは打ち明けない。
家族ぐるみで、隠すこともある。
彼女たちは、彼を愛して行くうちに、家庭の事情が聞きにくくなる。
開けてビックリの話も多い。
そして、結婚はちゃっかりバリ人としている。
結婚に繋がるバリ人同士の恋愛なら、カーストを気にかける。
外国人はカースト外。カースト外だから、結婚も容易だということも言える。
こんな自由恋愛気質が、ウブドっ子に代々受け継がれていると考えられる。
お叱りを受けそうなので、私が関わったウブドっ子というお断りをいれておきます。
ツーリストがウブドを訪れる理由が、まったくわからなかったウブド人。
英語が話せれば自由恋愛ができた。
それは、楽しそうに思えた。
旨くすれば、ガイドの仕事にありつける。
1995年頃から日本人ツーリストが増加し、日本語が重宝するようになった。
語学が身を助ける。
1990年初頭、ウブドの若者のサクセス・ストーリーは、外国航路の旅客船スタッフになることだった。
英会話を習得し、なおかつ貯金ができる。
彼らは、船から降りると起業する。
旅客船に乗るサクセス・ストーリーは、今も続いている。
外国人女性との結婚が、サクセス・ストーリーになった時代もあった。
この出世物語は、ウブドっ子の間では崩壊している。
なんか暴露記事みたいになっちゃったね。
まあ、この際だから書いてしまえ。
この際って、なんの際?言いたかったことは「ウブドっ子は、恋愛ゴッコがお好き!」ということ。



ここまで書くと「ウブドっ子に純粋な恋愛はないのか?」と疑問を持たれた方も多いと思う。
いえいえ、そんなことはありません。
彼らは純粋に恋愛をしていますよ。
バリ人男性に嫁いだ日本人女性に、総スカンを受けそうなので、言い訳をしておきます。
しかしである。恋愛に対する熱が、私の想像するより低いのではないかと感じているのは確かだ。
ウブドっ子の恋愛が、私の考える恋愛とは少々違うのではということを考察してみました。
と書き出してはみたが、えらいことについて書き始めてしまったと後悔している。
満足な恋愛も経験していない私には、荷が重かった。
ウブドっ子の恋愛感情は、お互いに恋や愛だけでは成り立たない。
なぜなら、ウブドっ子の結婚は、本人同士の意志以外の要素が多分にあるからだ。
そういった意味では、純愛ではないかもしれない。
彼らは、まずは家族の幸せを考える。
恋を貫くことで家族に不幸を及ぼすことをためらう。
血縁家族を重視する彼らの考えに、打算があることは間違いない。
言い切っていいのか、と天の声。
自信がありませんが、私はそう思っている。
だからと言って、いい加減な恋愛をしているわけではない。
恋人同士は付き合いは始めると、両家を訪ねて両親に紹介する。
両親の承諾を得た、潔白な付き合いである。
ウブドっ子は、無意識のうちに、恋愛の終着駅を結婚と考えているところがある。
よくは知らないが、日本人の多くも結婚を前提にして恋愛をする男女が多いらしい。
ウブドっ子は、結婚を前提にしているのではなく、結果的には結婚するんだと承知している。
“ 授かり婚(おめでた婚)” は、そんな意味から大歓迎なのだ。
女性からすれば、計画的な “ できちゃった婚 ” かもしれないが、男たちはそんな策略には気づかない。
もう少し2人の付き合いを続けたいと思っている男性からすれば、だまし討ちだ。
日本人男性なら経済的な理由から計画出産をするところだが、優しいウブドっ子は彼女たちの策略を無条件で受け入れる。
全てのバリ人は、どこかのバンジャールに関係している。
バンジャールの一員でない人は、バリ人ではないとも言える。
男性は、結婚するとバンジャールの成員となる。
結婚は、家族・親族が認めると同時に、バンジャールの承認を得る必要がある。
家、そして村との共存が、結婚の目的のひとつ。
他の村人との結婚の場合、これは村同士の結婚とも考える。
それは、彼らの信じる宗教と慣習に関係があるようだ。
それらを無視した生活は、考えられない。
バンジャールの関係を怠ると、バリ人の最も重要と考える通過儀礼のひとつである火葬儀礼が遂行されない。
女性は、結婚すると家族の一員になって、毎日供物作りに励む。
村が違えば、方言もあり儀礼の方法も供物の作り方も違ってくる。
肩身の狭い思いをしたくない女性は、同じ村の男性の家に嫁ぐことを望む。
同じバンジャールの男女の結婚が多いのは、そんな理由からだ。
恋愛は自由だが、いざ結婚となるとカーストが問題になってくる。
バリのカーストは、現在、名称と少しの宗教儀礼に残っている。
90%のスドラ層には、あまり問題はないようだが、10%にあたるトリワンサ層の女性はたいへんだ。
称号を持たないスドラ層の女性が称号のあるトリワンサ層の男性に嫁ぐときは「ジェロ」と呼ばれレベルアップする。
逆に、スドラ層の男性に称号のあるトリワンサ層の女性が嫁ぐときは、レベルダウンのイメージがある。
先祖霊が違うことで、嫁ぎ先の家寺でのお参りができなくて、外から悲しげに眺める女性の姿を見たことがある。女性の心理はまったくわからないが、慣習とは言え、そうやすやすと納得できることでもないだろう。
カーストの束縛はルーズだが、それでも、できることなら同じカーストの人と結婚したいと望んでいる。
幸福は、制約の中でも見つけられる。
家族や親族が反対しても突っ走る恋愛もある。
そんな時は、最後の手段「駆け落ち婚」という手がある。
村の若者総出で、駆け落ちの手助けをするのがユニークだ。
慣習に従った “駆け落ち婚” をすれば、カーストも貧富の差も問題なくなる。
こんな背景の中で、純愛を貫き通すのは難しいだろう。
戦前の日本にも、バリに似た歴史はあったと聞いている。
バリ人の結婚観も将来は、変化していくはずだ。
それが、良いのか悪いのか、結論を出すのは難しい。

成人した男たちは、集落組織・バンジャールの影響が大きいようだ。
環境によって培われた性格や生まれ持った気質が混ざりあって、今のバリ人を作っている。
育って行く過程で形成される性格・人格と言った方が正しいかも。
バリの民族音楽「ガムラン」に、目立たない精神が集約されている。
「ガムラン」には、決まったリーダーがなく、どのパート楽器も重要で、どの一つが欠けても音楽は奏でられない。コンダクター(指揮)役としてクンダン(太鼓)やガンサ(鍵盤楽器)があるが、これもソロとして目立つ存在ではない。
どれかが目立ってはいけないのだ。
目立ってソロを奏でる者は嫌われため、テクニックを見せびらかすことはしない。
調和が、素晴らしい音楽を創っていく。
すべてが同じ力で演奏されることによって音が調和する。これは、人間社会の協調性と同じだ。
舞踊も同じだ。同じレベルで、踊ることが重要である。
技量の優れた人が、他の踊り手の技量に合わせる。この協調性が、バリ人の性格を形作っている。
彼らは同じような絵を描いたり、同じような商品を作ったり、同じような商売をする。
これも、同じことをすることで他人より目立たないとする、彼らの気持ちの現れだろう。
同じ村で、同じ商品を創っているのも、バリ人のそんな性格が原因のように思われる。
石彫のバトゥブラン、竹細工の村のボナ、銀製品のチュルク、木彫のマス、ウッド・カービングのテガララン、アタ・バッグのトゥガナンなどがそうだ。
バンジャールの活動も協調性が重視される。
ある日本人が「彼らに、創造性が乏しいからだ」と言った。
確かに、そんな一面もあるので反論はできない。

ひとくくりにするのは強引だと思うし、それをバリ人の性格として押し込めてしまうには無謀だろう。
わかっています。ここでは「私が接したウブドっ子の多くはこんな感じでした」と、一塊にしてみることにした。
ウブドっ子は「他人より目立ちたくない・みんなと同じが良い」という考え方を持っている。
よく言えば〈奥ゆかしい〉、悪く言えば〈日和見主義〉。
他人より目立つことを嫌う。
他人と争わない。他人より抜きんでることが好きではないようだ。
某レストランで、勤続年数も長く勤務態度も良い統率力のある男性に統括主任を任命しようとした。
しかし、彼は「みんなと同じでいい」と断ってきた。ウブドでは、よく聞く話だ。
そんな考えが、チョットくつがえされる事件が起きた。
ふらっと入った、プリアタン村にある知人のワルン。
知人はいなかったが、奥さんが店番をしていた。
コピ・バリを注文して、長椅子に腰をおろした。
背中に視線を感じて振り返ったら、そこには見たことのある顔があった。
壁の大きなポスターに、知人の顔が写っていたのだ。
無いはずの前歯が、写真修正で綺麗に揃っている。
何で、こんなものが壁に飾ってあるんだ!どういう趣味だ!
思わず叫びそうになった私に、奥さんの笑顔が冷静さを取り戻してくれた。
彼は、どちらかというと個性的過ぎて、見方によっては怖い顔だ。
この写真で、顧客が増えるとは想像できない。それなのに何故?
サテ・イカンのワルン《マデ・ロイ》の入り口にも、主人の顔写真POPがある。
自分の写真を伸ばして店に飾る神経が、わからない。
〈他人より目立ちたくない〉と言いながら、この矛盾する行為。
バンバンやマデ・ロイさんが、特別の人ではないと思う。
バリ人って、自己愛が強かったのかな。
一層、バリ人が理解し難くなっていったのである。

最後にもう一つ付け加えておきます。
バリ人は、プライドが高い民族ということ。
さらにウブドは、称号を持つ階層・トリワンサが多く住み、プライドが高い村人が多い。

中途半端だが、取りあえず書き留めておくことにした。
対面での会話だと旨く説明できるのに、文章にすると旨くできない。
説明が不足で誤解を招く恐れが多分にあるが、未熟者のことお許しください。
読みづらい点は、お許しください。


(2014/12/10)


※「伊藤博史のブログ|生涯旅人・ウブド村徒然記」の原稿をここでも掲載させてもらいました。




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