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■バリ・アガ・コレクション



バリ南部の繁華街クタで、爆弾テロ(2002年10月12日)が起きてから、1ヶ月が過ぎようとしていた時だった。
爆弾テロは、イスラム教アルカイダ派のアメリカ政府に対する報復だと言われるが、地元インドネシア人と多くのツーリストが巻き添えとなって亡くなった。
許し難い行為に、バリ島民の多くとツーリストの怒りはおさまらない。
クタでは平和を訴える、さまざまなイベントが催されていた。
ウブドの住人の中から、ウブドでもイベントをしようという声があがり、11月9日と10日の2日間に渡りウブドのサッカー場で「平和と団結を考える集い」のイベントが行われる事になった。
多くの西洋人が参加するというのに、ウブドに滞在する日本人が参加しないのは恥ずかしい。
そう思っている矢先、出演する話が持ち上がった。
「居酒屋・影武者」はチャリティーに料理を提供し、わたしは演奏グループに加わることになった。

そして練習日。
練習場はウブド在住ミュージシャンの道郎さん家。
10人ほどの日本人が集まって、各種楽器に挑戦。
わたしは、慣れないガムランを叩いて、緊張気味だ。
練習がそろそろ終わりに近づいた頃、中肉中背の欧米人がひとり部屋に入ってきた。
見るからに長期滞在者という風貌だ。
顔の広い道郎さんのこと、きっと彼の知り合いだろうと、わたしは眼で挨拶をした。
彼は、練習風景を笑顔で見ている。道郎さんも、彼をかまうわけでもない。ミュージシャンの道郎さんのことだから、いつもこんな感じでいろんな国の人が訪ねてくるのだろうと思った。
練習が終わると、彼がわたしに話しかけてきた。
「わたしの名前は、ワヤンです」
おいおい、お前はどう見ても欧米人だぞ。
どうして、ワヤンなんてバリ人名を名乗っているのだ。
わたしは、少しうさんくさく感じて「そうですか」とあいまいな返事をし、彼のそばを離れた。

練習が終わり、私は外へ出た。
「あなたは、バリ・アガに興味ありませんか?」
どこかの宗教の勧誘のような言葉に、戸惑いながら振り返ると、さっきのワヤンと名乗る欧米人が立っていた。
バリのことなら何にでも興味を持つわたしには、好奇心を駆り立てられる質問だ。
「わたしは、バリ・アガの博物館を作りたいのです」
わたしの顔に興味があると察したのか、さっそく本題に入ってきたようだ。
ツーリストにとってバリ・アガは、あまりにもマニアック過ぎる話だ。
博物館を作ってもお客が来ないだろうと思う。
「バリ・アガの木彫とクリス(剣)のコレクションをわたしは持っています。一度見てください」
「・・・・・・・・・・」
わたしは答えなかった。興味は引かれたが、わたしにはまだ興味のあることがたくさんあり、今はあまり彼に関わりたくなかった。
「わたしは、アバン山の麓にあるアバン村に2年、そのあとアバン村の奥にあるトルニャン村で1年、さらにその奥地に、原始のままの林を抜けると地図に名前の載っていない村がある、そこに4年住んでいました」
7年ぶりに山を下りたのだと言う。
この7年の間で、彼はバリ・アガのコレクションを手に入れたのだろう。

アバン村もトルニャン村もバトゥール湖畔にある。
トルニャン村は風葬の習慣が残るバリ・アガの村として特に名が知られているところだ。
湖岸沿いの道は、バイクでも危険だといわれる程の悪路と聞いている。
普通、ツーリストは船で風葬場だけを見学して帰る。
村人のタチが悪いという評判で、村に上陸したり滞在するツーリストは皆無と言ってよいだろう。
そんな恐いところで、彼は長期滞在していたという。
信じがたいことだが、彼の風貌からは可能だと思われた。
近いうちに訪ねるからと、その気もない返事をして別れた。
「平和と団結を考える集い」のイベントは、インドネシア人、ツーリスト、地元の人々を巻き込んで盛大に終わった。当然の事だが、ほとんどの人が、テロに憤慨をあらわしていた。

数日後、ワヤンがわたしのバンガローに訪ねて来た。
そのあと、ブンブン・カフェカフェ・アンカサ でコーヒーを飲んでいる時に出合い、しつこく誘われだ。
うさんくさいが、悪い奴とは思えないので、1度は顔を出しておこうと彼の家を訪ねることにした。
彼から聞いていた家は、わたしが以前に滞在していたところに近くあった。
コレクションと写真を見せてもらった。
コレクションは、3〜40センチほどの着色された素朴な木彫とクリスだった。
これが本物のバリ・アガのものか、わたしには判断できなかった。
わたしには、コレクションより彼の話のほうが面白かった。
彼は今、地図に載っていない村に楽園を建築中だと言う。
アバン山の山奥にある低い山をまるまるひとつ借り、瞑想センターを作る計画らしい。
計画図面には、丸太小屋の宿泊施設と、川には水浴場、丘の頂には瞑想スペースがあった。
ガウディを思わせる奇妙な形をした建築中の建物が写真におさまっていた。
村人たちも、どことなく土俗的で神秘な顔つきに写っている。
泉が豊富に湧く、すばらしいパワーのある土地だと説明した。
彼は本気のようだ。
探し当てた土地は、かつて神々の住んでいた所だと彼は言う。

彼の説はこうだった。
昔々、バリには4,000メートルを遙かに超える火山があった。
その山の裾に湖があり、神々が住んでいた。
ある時、火山は噴火し、3つの山が出来た。
アグン山、アバン山、バトゥール山だ。
その時に、湖はバトゥール山の麓に移動した。
もと湖のあった土地が、彼ワヤンの言うパワーのある土地だそうだ。
精神的に未熟な者には、その土地はパワーが強すぎて気が変になることもあると言う。
信じがたいことであるが、バリのこと、こんな話もあってもいいかなと、わたしは思うようになっていた。
一緒に村に行きませんかと誘われたが、トルニャン村を通るのが怖いのと奥地の村への道のりが4時間と聞いて、にの足を踏んだ。

しばらくして、ワヤンはウブドから姿を消した。
バリ・アガ博物館をあきらめたのか、それとも瞑想センターを作るために、再び深山に入って行ったのかわからない。
日本にも住んでいたことがあるという、イタリア人のワヤン。
またそのうち、ひょっこりとわたしの前に現れることだろう。
ワヤンにとってもわれわれにとっても、バリ島生活は平穏だった。
今回の爆弾テロでバリは安全だという神話が崩れたと言われる。
s バリ島ばかりでなく地球上でテロ行為のなくなることを祈るばかりだ。



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