「極楽通信・UBUD」



ビンギン (Bingin)





バリの道路は、車でスイスイというわけにはいかない。
対向車は反対車線を突っ走ってくるし、バイクは車体ぎりぎりにすり抜けて行く。
よくこれで事故が起きないものだと感心する。走行はままならないが、窓外の景色はバリ情緒たっぷりだ。
時々、そんな景色の中に、豊かな緑をたくわえた入道雲のような大きな樹を見かけたことはありませんか。
かなり遠くからでも見えるほど高くそびえた樹は、枝がたわむほどの豊富な葉をつけ、太陽の陽射しを遮ぎっている。
暑い陽射しの日中には、大樹の涼しげな陰は、午睡にはもってこいの場所だ。


ビンギン


この樹はバリ名をビンギン、インドネシア名をブリンギン(Beringin)という。
英語名はバンヤン(Banyan)で、別名ベンガル菩提樹。
ガジュマルの一種でヒンドゥー教の聖木でもある。
インド原産のクワ科の常緑樹だ。
樹幹は太く、生長力が強い。
大きなものは樹高30メートルにもなり、枝は広い面積を覆う。
インド西部には、周囲600メートルも日陰にしてしまうほど巨大なビンギンがあるそうだ。
バリでは、生命力のあるビンギンから採れる樹液は、人々の生薬として今でも使われ、呪医師バリアンが呪薬としても用いている。
ビンギンには必ず祠があり、バリに樹霊信仰が残っていることがわかる。
人々はこの樹の下で、瞑想を楽しんだという。
バトゥブラン・テガルタム村のダラム寺院にあるビンギンは、気根の束に畳3枚ほどの洞があり、内の祠の前で祈りができる。
2004年8月のオダランに行った時に、ビンギンは無かった。強風で、なぎ倒されたのだそうだ。残念なことだ。
この樹の特徴は、横に伸びた枝から凧糸ほどの気根が幾重も地面を目指して垂れ下がってくるところだ。
地面に到達した気根は、やがて、成長して幹のように太くなってゆく。
一本の木が林のように見える。
密度の濃い気根の向こうは、あたかも別世界でも存在するような無気味な闇だ。
バンリのクヘン寺院で見たビンギンは、胴回り220メートルはあった。
ウブドにも幾本かのビンギンがそびえている。
ウブドの十字路北西にあるカントール王宮、チャンプアン橋の近くにあるダラム寺院(Pura Dalem)、チャンプアン橋の袂にあるグヌン・ルバ寺院(Pura Gunung Lebah)、パダンテガル村ハヌマン通りのプナタラン・クロンチィン寺院(Pura Penataran Kelocing) 、モンキー・フォレストのダラム寺院(Pura Dalem Agung)、プンゴセカン村のダラム寺院、プリアタン村王宮のある十字路、テガス・カンギナン村のダラム寺院などだ。
モンキー・フォレストのブリンギンは、垂れさがった太い気根を利用して、あやとりで作った橋のような吊り橋があった。現在は、コンクリート製になっている。
ウブド以外では、テンガナン村やテガララン村ペジェンアジ寺院のビンギンがわたしのお気に入りだ。
こうしてみるとビンギンのあるところ、必ずといってよいほど、近くには王宮か寺院が建っている。
これは王宮や寺院が、ビンギンのパワーにあやかろうと近くに建物を構えたのだろうとわたしは考えている。
遠くからでも見つけることのできるビンギンは、村の中心である王宮か寺院の位置を教えてくれる。今でいう、ランドマークとしての役割を持っていたのだ。
また、村人に情報を伝える、丸太をくり抜いたクルクルが、枝間や樹上ロッジのような小屋に吊られている。
王宮からの呼び出しや寺院の祭礼の招集などの時、棍棒でコンコンとうち鳴らす。
叩かれる数や音の間隔などには取り決めがあり、村人にはそれで招集の内容がわかるという。


ビンギンには、いたち(バリ語Lubak、インドネシア語Musang)やふくろう(バリ語celepuk、インドネシア語burung hantu)が棲んでいる。
夜行性のふくろうは夜活動し、ねずみなどを捕らえて喰う。
大きな眼が樹間から輝き、啼き声も無気味で、この光景を体験したバリ人の知人は、身の毛がよだった(seram)と表現した。
それほど怖いというわけで、インドネシア語でブルン・ハントゥー=妖怪鳥という名前がついているのだろうか。
バリ人は、ふくろうが啼く時は、人が死んだり赤子が誕生する時だという。
一昔前、ウブドの南プンゴセカン村に3人組の泥棒が入った。
村人に追い詰められた泥棒は、ビンギンに上り枝の茂みに身を隠した。
時間が経てば泥棒は観念して下りてくるだろうと、村人は、樹の下で待った。
しかし、1昼夜が過ぎ、2日3日と過ぎても泥棒は下りてこない。
結局、そのまま姿を現さなくなった。村人たちは口々に、この樹に棲みついているハントゥー(妖怪)に喰われてしまったのだと噂する。
このハントゥーは、夜な夜な樹から下りてきては鶏を食べてしまうそうだ。
顔は狼、身体は猫、尻尾は長く、足は犬のようだが3本しかない、という奇怪な動物だそうだ。
なんにせよ、この不思議なビンギンは、初めてバリを訪れた者にとっては畏敬の念を抱かせるほど存在感がある。
この樹に宿る精霊は、おそらく何100年も、その地の人々の生活や時の移り変わりを見てきたに違いない。
そして、これからのバリがどんな風に変化していくかも、黙って見守り続けていくことだろう。