「極楽通信・UBUD」



71「イエ・プル=YEH PULUのレリーフ」



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ウブドの東6キロほどのところに、「イエ・プル=YEH PULU」と呼ばれる遺跡がある。
場所は、ペジェン郡ブトゥルゥ(Bedulu)村。
ペジェンは、バリの王国(ワルマデワ)があった地域。
ワルマデワ王国は、ジャワのマジャパイト系王国に支配される14世紀まで400年間ほど続いた。
イエ・プルの遺跡は、14世紀の後半に彫られたレリーフ。
ペジェンに王国があった時代に残された、彫刻だと言われている。
高さ約3メートル、幅およそ25メートルの帯状の岸壁に彫られている。
マジャパイトの末裔が移り住み、都をバリ東部に移すと、ワルマデワ王国は忘れ去られた。
王国は痕跡も残さず姿を消し、多くの遺跡が埋もれてしまった。
イエ・プルは、水を意味する ”YEH” と容器を意味する ”PULU” からなっている。
「石の器から湧き出る聖水の泉」から付いた名称だろう。

「ウブッド十字路の番人〜バリ島今昔譚〜・霧の探訪者」の巻末に、レモンイエローのページがある。
マディ・クルトナゴロ 著・武内邦愛 訳。
ここに「トーキング・ストーンーイエ・プル」の話が載っている。
記憶が薄くなっているので再確認のため、20年ぶりに訪れることにした。
雨季の晴れ間を狙って、行ってみた。
ウブドからだと「ゴア・ガジャ」の遺跡を通り越してしばらく進むと、ギャニアールとペジェンを結ぶ幹線道路の十字路に出る。
真っすぐ進めば「サムアン・ティガ寺院」。
十字路を右折する。
500メートルほど進むと、左に大きくカーブする道路が交差する十字路がある。
ウブドの王宮のある変則十字路から、ここまで4キロほど。
バイクで、20分(渋滞に引っ掛からずに)。
イエ・プルへは、真っすぐ。
ここからは、ブトゥルゥ・ Batulumbang村。
さらに10分ほど走る。
イエ・プルの小さな看板を左折すると、道は行き止まり、料金場が見える。
バイクを止め、入場料を払って、階段を下りる。

■入場料:Rp15,000(大人)/Rp7,500(子供)
■駐車料金:Rp5,000(車)/Rp2,000(バイク)
■営業時間:10.00am〜6.00pm


バンガローに続くエントランスのような細道を、水田を左手に見ながら進む。
沐浴場を通り越し、樹々に囲まれた細道を、さらに進む。
清潔なトイレも設置されていた。
細道に寄り添うように流れる川のある、絶好の散歩道。
記憶には、この風景が残っていない。
あの頃、普通にあった景色なので、覚えていないのだろうか。
ウブドで見かけることの少なくなった、貴重な風景に感動している。
木々の林を抜け、目の前に水田が広がると、すぐそこはイエ・プル遺跡だ。
10分ほど歩いて、レリーフの入口に到着した。


イエ・プル
純朴な男

イエ・プル
トゥアック売りと美女

イエ・プル
老婆

イエ・プル
司祭とその娘と婿

イエ・プル
小太りの少年

イエ・プル
騎手

イエ・プル
戦い

イエ・プル
さらなる戦い

イエ・プル
カエルとヘビ

イエ・プル
ガネーシャ


レリーフの解説は「ウブッド十字路の番人〜バリ島今昔譚〜・霧の探訪者」を読んでください。

ガネーシャの奥の岸壁は、修行僧が瞑想したと思われる洞穴だ。
洞穴の正面に、イエ・プルの由来である、石の器から湧き出る聖水の泉がある。
不思議なことに、この場所は記憶に残っている。
以前は、池から顔を覗かせた直系40センチほどの円筒から、清水が湧き溢れていた。
今は、湧き水が少なくなったのか、池に水は満たされていない。
水は、脇から出ているパイプから流れている。
あの時は、女性のプマンク(僧侶)から聖水を頂いた。
今日は、寺守の老婆から花をもらい、お祈りをさせてもらった。
老婆に許しを得て、洞穴に腰をおろしてみた。
いにしえの修行僧の気持ちにはなれなかったが、気持ちがいい場所だった。

(2017年2月16日更新)


※イエ・プル=YEH PULUのレリーフ(撮影:2017年2月5日)




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