「極楽通信・UBUD」



「ウブド奇聞」


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■前世があると信じますか?



ウブドの午後3時。
今日は特別に暑い。
雨期だというのに、この3、4日まったく雨が降っていない。
降り続く雨には、早く雨期が明けて欲しいと願うが、人間とは勝手なもので、こう暑いと水を打って欲しいと思う。

わたしは、遅い昼食を摂りに、居酒屋・影武者ののれんを押し開けた。
店員の「いらっしゃいませ」の声を右耳で受け止めながら、お気に入りのテーブル席に向かった。
わたしの定位置は、入り口に1番近い座敷だ。
昼食時間はとっくに過ぎている。
入り口から3つ目の長テーブルに、客はひとりだけだった。
そのたったひとりの客が、本を読む手を休め、わたしの方に視線を送った。
「ここ、いい店ですね」
よく通る声で、話しかけてきた。
「わたしも、そう思います」
答えながら、わたしは彼の容貌を注視した
うしろで束ね長髪と作務衣のような服装に、どことなく素浪人風バックパッカーだなと思った。
深いシワのある浅黒い顔が、年齢不詳にさせている。
「この席にはエナジーがありますね。素晴らしい気が流れていますよ」
素浪人風の客は、その3つ目のテーブルを指さした。
「はあ」
わたしは気のない返事をした。
こういう話をする人物は、どことなくうさんくさい奴が多い。
だが、少し興味をそそられる風貌ではあった。
鈍感なわたしには、まったく感じられないが、3つ目のテーブル席に良い気が流れているという話は、霊感が強いと言われる人物が来店すると異口同音に言う言葉だ。

ずーっとあとになって、ここは精霊ロ・ハルスの通り道だということがわかった。
良い気が流れているから精霊が通るのか、精霊の通り道だから素晴らしい気が流れているのかわからないが、奇しくも霊感の強い人物には、そんな気を感じるようだ。
彼は、長い間かかってチベットで気功術を修得し、日本に帰る途中、骨休みにバリに立ち寄ったことを話した。
スピリチャルなエナジーがここにはある、と言う。
ウブドには、よくこんな輩が立ち寄る。
どことなく、悟ったような彼の話しぶりに少し嫌悪感を覚えたが、話が長くなりそうなので、わたしは囲炉裏席の彼に近いコーナーに席を移した。
彼は、日本で、気功術道場を開く計画があるのだと言う。
あとは、自分がどんなに素晴らしい人物かを語った。

入り口ののれんが揺れるのを感じた。
わたしと気功師の視線が、のれんに向いた。
われわれの会話を、断ち切るかのように、小柄で小太りな男がのれんをくぐって入って来るところだった。
見ると、男は、杖をつき足を引きずっていた。
わたしは気功師の話に興味をなくしていたところで、これ幸いと素早く席を立ち、新しく入って来た足の悪い客に手をかした。
「こんにちは」と声を掛けると、彼は、顔をしかめて「取り合えず、座らせてください」よほど疲れているのか、急くようにして、囲炉裏席の床に腰を掛けた。
日中の日なたを歩いて、目眩でもしたのだろう。
額からは大粒の汗が滴り落ち、肩で息をしていた。
わたしは、庭に近いお気に入りの長テーブル席で、足の悪い客を少し気にしながら、単行本を読み始めた。
本当に、今日は暑い。
座っているだけで、胸もとから汗が滲みでてくる。
時々、流れ込む微風を受け止めようと、感覚を研ぎ澄ます。

「昔、お会いしているのを覚えていますか」
突拍子もなく、素浪人風の気功師から、杖の男に声がかかった。
わたしという、絶好な話し相手をなくした穴埋めに、今度は、杖の男に話しかけたようだ。
それも、本気とは思えない、かなり奇抜な質問だ。
こんな突飛なとっかかりは珍しい。
「わたしには、記憶がありませんが」
杖の男は、身体の具合でも悪そうな表情で答えた。
わたしには、関わりたくないという意思を含んだ答えのように聞こえた。
気功師は、そんな気持ちを知ってか知らずか、まったく動じる様子もなく話を進めた。
「あなたには、左足に持病がありますね」
それまで、空想家の戯れと聞いていた杖の男は、突然現実に引き戻されたような真顔になって「どうして、それを知っているのですか?」と驚きと疑いの混ざった顔で問うた。
「あなたとわたしは、前世で会っているのですよ」
気功師は、いとも平然とした顔で答えた。
「大塩平八郎の乱で、あなたとわたしは、敵味方で戦ったのです。その時、わたしはあなたの左足を切りつけました。その傷が原因で、あなたは生まれてからずーっと左足が痛いのです」

大塩平八郎の乱がいつの時代の出来事かは知らないが、魂輪廻説に傾倒しつつあるわたしは、前世の話にも興味があり、身を乗り出すようにして聞き耳を立てた。
(大塩の乱:天保8年/1837年。大坂東町奉行所の与力で陽明学者の大塩平八郎は、救民を叫んで幕府に対して大坂で乱を起こした。諸国で凶作が続き米価が高騰。暮らしの立たない窮民が溢れたことが時代的背景にある)
「誰の家臣になるかによって、自己の生死と将来が関わっていた時代のこと、あなたに個人的な恨みはないのです」
しかし、杖の男が足の悪いのは一目瞭然だ。
素浪人風気孔師は、見ればわかるようなことを言ったのか。
だとすれば、これは気の触れた男の戯言だ。
このあと、どんな展開になるか、そんなことを考えながら、わたしは杖の男の足を見た。
「わたしは、交通事故で複雑骨折し、完治しないので杖を使っています」
杖の男は、わたしに向かってそう言った。
「不思議なのは、骨折した足は右で、持病は左なんです。
だからどうして彼がわたしの持病がわかったのか不思議でなりません」
左足の太股あたりが持病の足なのか、杖の男は、しきりしそのあたりをさすりながら、つぶやいた。
そうだったのか、それで先ほど、鳩が豆鉄砲をくらったような顔つきをしたのか。
それにしても、どうしてわかるのだろう。
やは、りチベットで瞑想の修行をつんで来た人物にはわかるのだろうか。
素浪人風気功師はテーブル席を離れ、杖の男に近づいた。
「わたしは、あなたに罪滅ぼしするつもりで、ここで待っていたのです。あなたの病気を直させてください」
杖の男は、どう答えたものか迷っているようだった。
躊躇する彼を無視して、気功師は彼の左肩に右手の人差し指を立てた。
「あなたは、いつも足が冷たいですね。その原因を今から取り除きます」
杖の男は「そうなんです、事故のあと足がいつも冷たくて、こんな暑いバリでも靴下をはいています」素直に答えた。

その足が、だんだんと熱くなってきたと、杖の男がビックリするような顔で叫んだ。
「悪いパワーが出てきました」気功師は、小刻みに身体を震えさせて、そう言った。
突然、見えないものに邪魔されたように、気功師が大きく弾かれた。
杖の男の額からは、先ほど拭いたばかりだというのに、大粒の汗が噴き出している。
気功師は、何度も肩に指を立て、そのつど弾かれるように床に倒れた。
杖の男は座っているのが辛そうに「横にならせてくれ」と訴えている。
気功師は、右手に何かを掴んだ仕草から、それを外に向けて投げた。
投げた見えない塊が、気功師に向かって戻ってくるのか、気功師は大きなアクションで塊に弾かれる。
2度3度、見えない塊と格闘を続けると、気功師は両手でそれを掴んだ。
100メートルを全速力で走り抜けたように、呼吸を乱している。これが演技なら名パントマイマーだ。
気功師は、早足で店を出ていった。
閉じた両手は、何かを包んでいるように見える。
杖の男は、トランスしたように朦朧とした顔で、囲炉裏の床に仰伏した。
あえぐように高熱と吐き気を訴えた。
わたしは心配になり、濡れタオルを彼に額にのせた。
しばらくして戻って来た気功師の手は、もう開かれていた。
そして、彼の顔を清々しげだった。 「もう、大丈夫です。悪いパワーは地中深く埋めてきました」
見えない塊は、悪いパワーだったのだ。

わたしが杖の男の介抱しているうちに、気功師は会計を済ませて、何も言い残さず、店を出ていった。
「今のは、何だったのでしょうね」
杖の男は、狐につままれたような顔で起きあがった。病院に運ばなくてはと心配した熱は下がり、吐き気はおさまっていた。
「何だったのでしょうね」
わたしも、唖然とした顔でそう答えた。
気功師は、罪滅ぼしのために待っていたと言ったが、気功師も杖の男も、今日初めて影武者に立ち寄ったのだ。
それも食事時ではない中途半端な時間だ。
これがお互いに認識できることなら、もっと真実味がある話だが、一方にしか前世の記憶がないが残念だ。
しかし、一方通行ではあるが、前世で左足を傷つけた人物と傷つけられた人物が、再会したのも事実のようだ。
杖の男が「持病の左足が治っているようです。疲れたので今日は帰ります。食事には、また、来ます」と言って、店を去っていった。
2人がいなくなった居酒屋・影武者で、今の出来事は現実だったのか、とわたしは自問した。
でも、こんなことバリならあるよな。
こんな不思議な巡り合わせも、バリでは、ごく自然に納得できてしまうところがある。



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