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「ウブド奇聞」


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■神との交感



居酒屋・Kamakuraののれんを、初老の男性が両手で左右にわけ入ってきた。
開襟シャツ姿は、ネクタイこそつけてはいないが、商社を実直に長く勤め上げた元サラリーマンという感じだ。
顔に、どことなく憔悴したものが見える。
そのわりのは、動作は敏捷だ。
レジ・カウンターで、スタッフのニョマンに何ごとか訊ねている。
ニョマンは主人であるYosituneを指さした。
初老の男はYosituneの坐るテーブルに近づいた。
軽く会釈をし、尋ねたいことがあって訪れたことを告げた。
Yosituneは向かいの席をすすめた。
その男は、白いものの目立つ髪を右手でなすりつけると、話はじめた。

内容はこうだ。
3ヶ月前、スイスへ旅行に行っている娘から「これからインドネシアのバリ島へ行く」とただそれだけが書かれた、噴水のある湖の絵はがきが送られてきた。
いつもまめに手紙や電話をしてくる娘からは、その後、まったく連絡が途絶えてしまったということだ。
「バリ島に知り合いはいないので、日本人の集まりそうなところをまわって情報を集めています。領事館にも尋ね人として探してもらうことを頼んできました」
男性は娘の名前と年齢、そして特徴をYosituneに教えた。
ウブドに滞在する日本人女性のことなら、自分が1番よく知っているはずと自負するYusituneに、心当たりのない女性の名前だった。

「今までのところ、まったく情報がつかめず困っています」男は続ける。
哀願するような眼は、なかばあきらめているいようにも見える。
Yosituneは「もしかしたら・・・」と心でつぶやいた。
期待を持たせる言葉を吐いてはいけないと思ったのだ。
眼前の落ち込んだ男性の姿を見て、元気づける言葉を探し求め「とりあえず、私のこころあたりを当たってみましょう」と言ってしまった。
この一言に男性は勇気づけられたのか、ホテルのアドレスを書いた紙片をYosituneの掌に押し込み、感謝の言葉を述べて帰っていった。

かつてウブドには、インドの瞑想グループ・サニアシンのツーリストたちが多く滞在していた時代があった。
いわゆるヒッピーと呼ばれる人たちだ。彼らは楽園を求めて、この地に漂泊した。
北部バリ、シンガラジャの近くイエサニ村やバンジャール村に、瞑想スペースを持っていたこともある。
また、インドのクリシュナ教を信仰して、村人から閉め出されたバリ人がいた。
最近はサイババを信仰するバリ人もあらわれている。
サイババはガネーシャを崇拝していて、バリ・ヒンドゥー教と共通点があり許されているようでもある。
どちらにしても、インドからの影響が多い。
しかし、これらは新興宗教ではない。
Yosituneがもしやと思ったのは、最近、バリで新興宗教のようなものが流行っていて、そこに、日本人女性がいるという噂であった。
新興宗教といっても、新しいというわけではなく、逆に、アミニズムに近い古い宗教だ。
自然を崇拝し、儀式では神憑りにトランスするものが続出する。
これを目の当たりにした者は、この不思議な現象に信仰心をいだくという。
このグループは、アシュラムのような「合宿所」をアグン山の山深い所につくっている。
そこは、水と温泉が豊富に湧き、強い磁場に守られた、瞑想に適した土地だ。
少し前、そこで近くの村といざこざがあったと聞いた。
バリ人はバリ・ヒンドゥー教を篤く信仰している。
目と鼻の先で、よくわからない宗教を起こされてはたまらないと思ったのだろう。
村の組織が1団となってアシュラムの住民を追い出そうと、投石したそうだ。
アシュラムのメンバーも投石で応戦した。
警察が出動して鎮圧したが、冷戦は続いている。
インドネシアはイスラム、カトリック、プロテスタント、ブッダ、ヒンドゥーの5つの宗教しか認めていない。
がしかし、まだまだ島々には、アミニズムが残っている。
バリには、ヒンドゥー教が今のように確立する以前の宗教を守り続けるバリ・アガと呼ばれる集落がいくつかある。

Yosituneは、さっそくアシュラムに行ってみることにした。
そのアシュラムに行くには、途中いくつかの集落を抜ける。
行き止まりに見えるブッシュをわけると、獣道のような細い道に人の踏み込んだ跡がある。
いかにも人里から遠く離れているかのように見えるが、バリは、まさかこんなところにはと思う土地にも民家はある。
Yosituneは、アシュラムに侵入した。
信者たちは畑を耕し、30年ほど前に日本でも流行った運命共同体のような生活をしていた。
どちらかというと、ひと昔前のヒッピーの集まりのようでもある。
しかし、ロケーションはすばらしい。
小高い丘のある土地をひと山借り受けて作ったアシュラムは、山頂に神と交感する瞑想スペースがある。
川が流れ、岩陰のどこでも水浴ができる。
露天風呂の脇に、ログハウスのような丸太小屋が数棟並んでいる。
小動物たちが木々の間を自由に駆けまわっている。
池にはピンクの蓮が開き、絵画的美しさをみせている。
Yosituneの姿は、ヒッピー集団に溶け込んでいるらしい。
誰も、侵入者としてとがめられなかった。
彼女はすぐに見つかった。
欧米人、インドネシア人の中で、日本人女性は見分けやすい。
山の夜は早く訪れる。
太陽がアグン山に沈むと、Yosituneは、彼女をアシュラムから連れだした。
今夜は月の隠れる暗月。
白装束の信者たちが、地霊を鎮める儀式をおこなっている。
電気がないので、暗闇に紛れるのはたやすかった。
嬌声が聞こえる。早くも神憑りになった者があらわれたようだ。

下山するには少し骨が折れたが、満天の星が時々、ひとつふたつと流れるたびに足を止めた。
眼下の街の明かりが蛍の光のようだ。
その向こうは海。
水平線には、イカ釣り船の灯明がぼんやりと見える。
「スイスでフランス人女性と意気投合したの。私は人との出合いを大切にするようにしているの。心のふれあいを感じた時、私はその人を信じることにしている。その彼女が、ここの宗教のすばらしさを毎日のように話すので、興味があって訪れてみたわけ」

居酒屋・Kamakuraに戻ると、彼女が話はじめた。
「神憑りした信者のひとりが、私の両肩を強く押さえたの。そして私に『あなたもこっちの世界に来なさい』とでも言うように手招きしたの。覚えていないけど、その瞬間トランスに入ってしまったようでした。気がついた時は、私は聖水を浴びていたんです」
遠くを見る眼が浮遊している。思い出しているようだ。
神憑りした人は「どすん、どすん」という音がするほど、素足で地面を強く踏んづけるらしい。
地下の鬼神を鎮めているのだと言う。
これは相撲のしこを踏むのと似ているとYosituneは思った。
相撲は豊穣のための儀礼で、魂鎮めのものだった。
しこを踏むのは、邪を踏み破って豊作を祈るのだ。
「楽しかったけど、私、畑仕事好きじゃないし、それに、もう飽きちゃった」と彼女は あっけらかんと言う。
あんな山の中では、日本の両親に連絡の方法はなかったかもしれない。
理由はともかく、親が心配しているのに何を考えているのだ。
Yosituneは少しお説教したい気分である。
お父さんの泊まっているホテルのアドレスを、彼女の掌に押しつけた。
のれんを左右にわけて入ってくる客が見えた。
初老の男性だ。
偶然にしても、タイミングのよい入場だ。
娘の「お父さん」の叫びと、男の涙が同時だった。
数ヶ月後、その宗教集団の幹部が大麻栽培で逮捕されたニュースが流れた。
なんでも、バングリ県、カランガッサム県、シンガラジャ県の県境地帯は、黄金の三角地帯だったそうだ。
その数日後、宗教集団は崩壊した。(この話は、かなりの部分がフィクションです)



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