「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」




■7月・9)パスポートに偽造スタンプ


ウブドの生活は、ただただ驚きの連続だ。
日本人の感覚からすると、理解できないことが多い。
こどもが成長する過程で「何?」と質問するのにも似た、疑問がいっぱい浮かんでくる。
昨夜は、鶏の啼き声に悩まされた。どういうわけか、バリの鶏は深夜にけたたましく啼く。
夜中に啼くのは、雄鶏で家に不幸をもたらすと教えてくれたのは、誰だったけか。小学校の時に「韓国では、雄鶏の真似をして夜中に啼く雌鶏は、翌日、首を絞められて料理されるんだ」と言っていたのは、韓国人の悪友だった。
「バリでは、夜9時頃に鳴くのは、子供たちに寝る時間を報せ、深夜1時近くに鳴くのは、大人たちに『そろそろ寝るように』と告げているのだ」と教えてくれたのはカルタだ。
もちろん早朝4時には、鶏本来の役目である夜明けを告げる一声をあげる。
ロジャーズの鶏は、少し寝坊で朝8時に夜明けを告げる。

「クックルユー」
朝8時、時を告げる鶏の甲高い声で眼が覚める。
テラスに出ると、林間キャンプにでも来ているような清々しい朝の風が頬をなぜた。
お手伝いのワヤンが、テラスの前に立った。わたしに何か伝えようとしている。わたしは言葉が理解できなくて「やあやあ」といい加減な答えを曖昧な笑顔とともに返した。
ワヤンの姿が見えなくなってから、気がついた。ワヤンは朝食の注文を訊きに来たのだ。
ワヤンはよく見ると愛くるしい顔をしている。それに見とれたわけではない。外国語が苦手だという先入観から、わたしは相手の言葉をまったく聞いていないのだ。
ロジャースにひと月ほど滞在していたアメリカ人青年が帰国を数日に控えたある日、ワヤンに「アメリカに来ないか?」とプロポーズしていたことがあった。帰国してからも、数度ラブレターが届いていたようだ。ロジャーの家族は盛んに薦めていたが、ワヤンは困った顔をしていた。
アメリカ人にしては小柄だが、わたしには純情そうで清潔感のある好青年に思えた。ワヤンの国際結婚も悪くないのでは、とわたしは無責任に考えていたのだった。
そのうち矛先がわたしに向いて「イトサンに日本に連れて行ってもらえ」とロジャーが冷やかす。これにもワヤンは困っていた。もちろん冗談だともわかっているが、わたしは「それもいいかな」なんて想像して苦笑いしていた。
10分も待たないうちに、ワヤンが朝食をのせた大きなお盆を持って現れた。
パンをほおばり、コーヒーで流し込んだ。バリ・コーヒーは、2日目で虜になっていた。
バリ・コーヒーは焙煎した豆を細かく潰してパウダー状にし、それを直接お湯で溶かす。沈殿するのをしばらく待ち、上澄みを口にする。つぶし損なったコーヒーの粒は、舌の先で起用に取り出しペッと吐き出しておしまい。こんな仕草にも慣れてきた。
朝食を終えロングピースに火をつけたところで、ワヤンが顔を出した。食器を片付けながら「わたしはワヤンです」と言ってきた。
彼女が自己紹介してくるとは思っていなかったわたしは、授業中にいきなり指名された時のように慌てた。鳩が豆鉄砲を食らうというのは、こういうことを言うのだろう。すでにお互い名前は知っているはずなのに。わたしも自己紹介しなくてはとあせり、自分の胸を何度も指して「イトー、イトー」と連呼する。こういう場面で、鼻を指してはいけないことをわたしは知っている。意外と冷静な対応じゃないか。
ワヤンは手に持っていた紙切れを、無造作に差し出した。紙切れは、朝食メニューだった。
トーストかパンケーキ、卵料理はスクランブルエッグか目玉焼きかゆで卵、飲物はコーヒーか紅茶を選ぶ。新鮮な南国のフルーツ盛り合わせが、毎日もれなくついてくるのは嬉しい。
ひととおりメニューを試したあと、食べることにまったく執着心がないのと、めんどうくさがり屋の性格から、トーストとスクランブルエッグとコーヒーが定番となった。
はじめのうちワヤンは、わたしが起きてくるのを待って朝食メニューを訊きに来ていた。わたしは「サマ(同じ)」と一言。1週間ほどして、メニューがいつも同じだと気づくと、もう訊きに来ることはなくなった。こうしてわたしの朝食は、ロジャースを離れるまでの約1年間同じメニューが続くのであった。
ワヤンは、わたしの起きる気配を感じるのか、しばらく目覚めの余韻の中でうつらうつらとしていると、グッドタイミングでテラスから食器の音が軽やかに聞こえてくる。

朝食をすますと、洗面用具とタオルを手に水浴場に行く。
扉は下部が腐っていて、今にも崩れそうだ。
タイル貼りの水瓶の縁に洗面用具を置いて、便器の前に立つ。その日、放尿しようと便器を覗くと中にネズミがもがいていた。人間は、予期せぬことが起こるとうろたえるものだ。身体は固まったままである。
アリ地獄に落ちたアリのように、もがいてももがいても滑って出られないネズミは、必死の顔でわたしを睨んでいる。わたしに責任はないはずだ。
このまま用を足せばジュニアーをかじられそうな危険を感じ、出したいものも出さずに、出したものをしまってロジャーの家族を大声で呼んだ。イブ(奥さん)が「何事か?!」という顔をして駆けつけてくれた。
イブは、あたふたと便器を指差すわたしを壁側に押しのけて、おもむろに手桶でネズミをすくい入れ外へ捨てた。
「あれっ、殺さないの?」
ネズミは一命を取り留めたと言わんばかりに、一目散に庭の隅に逃げて行った。
殺さないのは宗教心からくる情けだろうか。そうだとすれば、ネズミは救い上げられたわけだ。
ネズミは蛇の次に嫌いだ。前回はオタマジャクシで、今度はネズミ。あまり受けたくない歓迎である。

顔を洗って歯を磨いてトイレをする。
この頃、トイレはインドネシア人と同じように、左の素手ですませるようになっていた。
初回に滞在した部屋が、紙の用意されていなかったので素手で始末した。その時の感触がよかったので、その後も素手が癖になっている。
トイレは日本と同じように、洋式便器と座り込み便器の2種類がある。しかし、どちらもボタンを押せば流れる水洗ではなく、水槽から手桶で水を汲んで流すとい手動式マニュアルタイプだ。
お尻も手桶の水で始末する。慣れると、これがトイレットペーパーを使うより心地よい。大きな声で言えないが、痔を患ったことのあるわたしにとっては、TOTOウォシュレットのようできわめて爽快なのである。紙を使わないので省資源になるし、お尻にも優しいと思う。
座り込み便器には日本のようなキンカクシが付いていないので、どちらを向いて腰を下ろしてよいかわからない。壁を向くと顔が壁につきそうに狭いし、扉に背中を向けるのも不用心だ。ということで、わたしは壁を背にすることにした。
しかし、問題は水槽の位置だ。左手は不浄な作業をするため、右手で手桶を持って水を汲む必要がある。水槽は、右側にある方が使いやすい。よって、水の汲みやすい位置に座るのがベストだろう。
そんなことでバリでは、不浄な左手で指差したり、物を渡したりは御法度だ。神聖な頭を、不浄な左手で触るのは、もう犯罪に近い行為だと教えられた。

さあ、次は洗濯だ。
ウブドは田舎の村。はなからクリーニング店はないと思っている。
洗濯は、1日の日課の大きな位置を占める。
洗剤を持っていなかったので、イブから借りた。貸してくれたのは固形の洗濯石鹸だった。タライも洗濯板もない。洗濯物は、タイルの床に広げてブラシでゴシゴシとしごく。これがバリ式だ。衣服が早く傷みそうだが、ジーパンはこの方が楽だ。絞るのが大変だが、これも運動不足で鈍る身体を鍛えるつもりでやれば苦でもない。
暑い国に出掛けるのだからと、持ってきた服は薄手のシャツと白いズボンが大半だ。洗濯をすると、白い服は日に日に黄ばんでいくし、服はたくさん持っていても使わずにしまっておくと、カビが生えたり虫に食われたりして使い物にならなくなってしまうだろう。ここでは、少ない衣服をローテーションよく着て、古くなったら買い替えるという方法がよさそうだ。
テラスの2本の柱に、ロープを渡して洗濯物を干していたら、イブに「それは止めなさい」と注意された。バリ人は、不浄な物の下をくぐらない。たとえ洗ってあったとしても、一度使った衣類(特に、下半身につけるもの)は不浄とされ、聖なる部分である頭の上に持ってきてはいけないようだ。イブたちが垣根の上や芝生に直接洗濯物を置くのは、そんな理由があったのだ。バンガローでもそんな風景をみる。
ホテルは州都デンパサールにあるクリーニング店と契約を結んでいるのだろうが、小規模な宿は従業員が洗濯をしているようだ。ハヌマン通りの外れにクリーニング店が開店したと聞いたが、停電が多いウブドでは翌日仕上げというわけにはいかないだろうし、乾燥機もなく乾燥はお天道様に左右される。
イブが、背の低い物干台を持て来てくれた。入り口を遮るようにしてロープが渡してあると、お手伝いのワヤンが困るだろうとの配慮かもしれない。
バリ人に部屋に入って来て欲しくない時は、洗濯物のロープがバリケードになると言うことだ。
洗濯物を干すと、11時近くなっていた。
水浴びをして、昼寝でもしよう。


                      

日を追って、ウブドの生活がおもしろくなってきている。
もうしばらく、ここに滞在して村の魅力を調べてみよう。できることなら、暮らしてみたい。そんな気持ちが、滞在日数が増すごとにつのってくる。
その村を知るには、最低10年はかかるだろうというのが、わたしの考え方だ。取りあえず、その10年を滞在してみようという想いが固まりかけていた。同時に、この村の人々が外国人を素直に受け入れてくれるだろうかという危惧もある。
移り住む外国人が増えることで、経済的には恩恵も受けるだろう。しかし、それが彼らの望むことなのかどうかはわからない。彼らの素顔を知りたい気もするが、知ったことで住みにくくなることもある。できれば、彼らの腹のうちを知らずに暮らせていけたら、それにこしたことはないのかもしれない。

インドネシアでの滞在日数が、あとしばらくで2ヶ月になろうとしていた。
出国するのが面倒で、できればこのまま出国せずに居座ってしまいたい。
オーストラリアのようにワーキングパーミットをとって、働きながら旅行をしたり文化を学ぶという制度もインドネシアにはないらしい。文化を学ぶための6ヶ月滞在できる学生ビザがあるにはあるが、わたしの年齢で学生は通用しないだろう。永住権は、外国人男性はほとんど取得できないと聞いている。今までに取得出来た人は、インドネシアの独立に貢献した人だけだという話だ。
こんな田舎の村なら、目立たずに住んでいられる。たとえ見つかったとしても、強制送還か再入国禁止ですむことだ。その時は、よその国へ行くだけだ。不良外人と呼ばれて、ほかの日本人に迷惑がかかるかもしれないが、それはわたしのあずかり知らないこと。
奥の手は、山奥の女性から名前を買って偽装結婚という手もある。そんな不謹慎な考えも浮かんだ。国籍がなくなった時は、その時だ。あとのことは考えない。
国籍が無くなるということは、どんなことだろう。国籍は人種をあらわすものでもなければ、民族をあらわすものでもない。単に帰属する国家が、それを証明するということだ。海外では、一冊のパスポートが自分を日本人だと証明する唯一の手がかりだ。パスポートは、紛失すれば日本領事館に再発行の申請をすればすむ。
よく考えてみれば、現実に国籍を失って、日常に困窮している人々が世界にはたくさんいる。わたしの考えは軽薄だった。軽々しく口にすることではないと反省した。

ロジャーが、母屋のテラスで欧米人ツーリストの女性2人と話をしている。
重要な話でもしているのか、ロジャーの表情が少し緊張しているようにみえる。
欧米人ツーリストはフランス人のレズビアンのカップルで、カジェン通り奥にある田んぼの中に別荘を建築中。以前、ロジャース・ホームステイに宿泊していたこのカップルに、ロジャーは自分の土地に別荘を造ることを提案した。今回の訪ウブドの際は、完成しているという約束だった。しかし、別荘は完成していない。カップルは、今回、すでに長期滞在の予定でウブドに訪れている。
ロジャーの表情が冴えないのは、カップルに申し訳ないという気持ちからだろうか。
暇なわたしは、そんな彼らの話に聞き耳を立てた。時折聞こえる単語に、パスポートという言葉が入る。どうやら、彼女たちはビザの延長をロジャーに頼んでいて、そのためにパスポートを持って来たようだ。 わたしも今、ビザの取得について悩んでいるところだ。
彼女たちが帰ったあと「何の話だった?」とロジャーに尋ねてみた。ビザの話だと承知していたが、ダイレクトに訊くには、はばかれる内容かもしれないので遠回しに訊いてみた。
カップルは、わたしの思った通り、ビザの延長をロジャーに頼んでいた。
ロジャーの話では、国外に出なくてもバリのイミグレーションで出国、入国のスタンプが押してもらえるということだった。もちろんこれは違法で、イミグレーションの悪質職員のアルバイトだ。ロジャーの顔が少し緊張気味だったのが、これで理解できた。違法行為の会話にしては、あまりにも大胆な会見だった。
「シンガポールは入国の時、スタンプを押さないから大丈夫だよ」とロジャーは言う。
シンガポールに行ったことがないわたしに、スタンプの有無はわからない。1969年〜1970年のヨーロッパ旅行で、国境越えの際、スタンプを押さなかったところもあったような気がする。ヨーロッパでさえスタンプを押さない国があるくらいだから、シンガポールでもあり得るか。
悪政がまかり通るのは、発展途上国の特徴。なんの不思議もない。追い出されるのを覚悟しているわたしには、助け船のようなおいしい話だ。さっそくロジャーに、ビザのスタンプを頼んだ。いざという時には、パスポートを紛失したことにして日本領事館に届ければいい。
数日してわたしの手元に戻ってきたパスポートには、6月24日出国の三角スタンプと7月2日の入国の四角スタンプが押されていた。そして、出国先のスタンプはどこにも見あたらない。これでいいのだろうか。


つづく




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