「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■7月・10) 芸能鑑賞の日々


ロジャーが、芸能公演のチケットを買ってくれと言ってきた。
今夜、王宮でロジャーが団長を務めるグループ「ビマ・ルマジャ」の公演があるのだ。
このホームステイでは、何かと客に売りつける。
先日は、道路に面したところで布を売る店を出している妹のニョマンから、布を買った。閉まっていることのほうが多く、板戸をパタパタと開閉するだけの簡素な作りの一見ガレージかと見間違える店だ。
「イトサンは友人だから安くしとくよ」との一言を信じて、布を言い値で買った。
市場の3倍の値段で買っていたことに、あとでわかった。
ニョマンは「もう1枚、友人価格で買うか?」と言ってくる。
「一枚あれば充分。もういらない」丁重に断った。
バリ人の“友達”発言は、くせ者だ。
こんな経験をしているのであまり買いたくはなかったが、芸能は1度観たかったので買うことにした。入場料は1人3,500ルピア、当時のレートで250円。
《ビィナ・ウィサタ観光案内所》でも、会場である王宮の受付でも、道のチケット売りから買っても料金は同じだ。ロジャーから買えば、手数料の幾らかが彼に入るのだろう。
王宮の前庭では、日曜日を除いて毎晩、観光客向けの伝統芸能が催されている。
公演前後の前庭は、村人のちょっとした夕涼み場所になっている。王宮お抱えのガムラン・グループが、近くある寺院祭礼の奉納のための芸能を練習をしていることもある。
夜7時30分開演。
王宮の前庭には、奥の屋敷に通じる門がある。門の前に赤いパンチ・カーペットが引きつめられ、左右にはガムランが2列づつ並べられている。客席近くの左右に、カーペットの舞台を照らすように木枠に囲われたケロシンランプの台がある。
今夜の演目は、インドの叙事詩ラマヤナ物語だ。
ラマヤナ物語は、マハバラタ物語と並びインドの2大叙事詩。このふたつの物語は、バリ芸能のモチーフになることが多い。
ラーマ王子と引き離されたシータ姫は、悲しみのどん底にある。
物語のあらすじは、まったくわからないが、シータ姫を演じる踊り娘の悲しげな表情に、今すぐにでも助け出してあげたいという衝動にかられた。これは彼女の迫真の演技というよりは、彼女の儚げな容貌に心惹かれたのかもしれない。これは、ツーリストの叶わない現実離れした憧れだ。
ケロシンランプの明かりが乏しくなると、団員がポンプを押して復活させるのが愉快だった。黒煙をあげていた時には、観ているわたしも慌てた。
シータ姫に見とれていて、ガムラン演奏にはまったく興味を惹かれなかった。
この踊り子が、初老の日本人男性が応援していると噂されている娘かもしれない。初老の男性は、将来性のある踊り娘に金銭的援助をするのが趣味だということも聞いている。
王宮の定期公演鑑賞に、浴衣姿で来ていた初老の日本人男性を見かけたことがある。犬を連れて、客席の前列中央に席を取る。この人物が、踊り子のパトロンだとわかったのは、この後ちょっとしてからだ。
教えてくれたのは、仲良くなったバンドゥン出身の画家だ。彼は「首輪をはめられて紐に繋がれたら、犬がどんな気持ちになるのか考えたことがないのだろうか?」と激怒していた。確かに、ウブドで紐に繋がれた犬は似合わない。
初老の男性は、独占意識が強かったようで、相手を縛り付けようとする。縛られるのが嫌になって、踊り子は縁を切ったということだ。(注:縛ると言っても、ロープを使った変態行為のことではありません)

当時のウブド王宮での定期公演スケジュールを報告しておこう。
月曜日:レゴン・クラトン/サダ・ブダヤ歌舞団/料金:3,500ルピア
火曜日:ラーマヤナ舞踊劇(以前は、ラジャパラ舞踊劇)/ビナ・ルマジャ歌舞団/料金:3,500ルピア
水曜日:スンダ・ウパスンダ舞踊劇/パンチャ・アルタ舞踊団/料金:3,500ルピア
木曜日:ガボール民族歌劇/パンチャ・アルタ舞踊団/料金:3,500ルピア
金曜日:バロン&クリスダンス/サダ・ブダヤ歌舞団/料金:3,500ルピア
土曜日:レゴン・クラトン/ビナ・ルマジャ歌舞団/料金:3,500ルピア
(サダ・ブダヤとビナ・ルマジャは、王宮所有のグループ。パンチャ・アルタは、ウブド・クロッド村のグループ) ※当時、王宮前からトゥグス村までのベモ(乗合バス)料金は、100ルピア。バトゥブランのバス・ターミナルまで、400ルピアだった。
余談だが、バトゥブランからベモを使ってウブドに来た日本人女性がいた。荷物分の追加100 ルピアが不満でもめた。もめにもめた結果、彼女は、運転手に殴られてしまった。病院代が、乗車料金の数倍になったと嘆いていた。値切るも、ほどほどにという話である。


                      

ある夜、王宮の前庭ではラマヤナの練習をしていた。
毎週公演していても、練習を怠らないとは見上げたものだ。それとも寺院祭礼が近づいているのだろうか。
前庭のあずまやで夕涼みをしながら舞踊の練習風景を見ていると、ひと月ほど前に屋台街でカルタに紹介された日本人女性に再会した。彼女も練習風景を見に来ていたようだ。
彼女は、モンキーフォレスト通りにある「パンダワ・ホームステイ」に泊まっていた。近くなので、よく来ているようだ。
「久しぶり、由美です!」の言葉で、わたしは彼女の名前を思い出した。
わたしが夕涼みに王宮にいることをカルタから聞いていて、今夜は、シンガポール土産を手にしていた。
昨日、シンガポールから戻って来たばかりで、日本製のスルメをいただいた。こういう気遣いが、滞在者の間では普通になっていた。
世話になった人の名前は、覚えるようにしている。彼女の名前も、わたしの記憶にインプットされた。
シンガポールはインドネシアの隣国。インドネシアでは外国人旅行者は60日間ビザ(査証)無しで滞在できるが、その期限が切れる前に国外に出なければいけない。
こちらに来てから知り合った日本人長期滞在者のほとんどが、シンガポールに一時渡航し、再びインドネシアに戻ってくる。由美さんも、そんな理由でシンガポールへ行って来たのだ。60日ごとに、これを繰り返して何年も滞在している人もいる。
シンガポールには、日本のスーパーマーケットが出店していて、土産のスルメはそこで買って来たようだ。
「第12回:バリ・アート・フェスティバル」が、州都デンパサールで開催されている。明晩は、県対抗ガムラン合戦でわれわれの地元であるギアニャール県が出場する。由美さんの知り合いのバリ人女性が踊るというので、鑑賞に行くことを約束をして分かれた。
スルメは、ロジャースに帰ってすぐに食べた。久しぶりに日本製に満足した。
このあと、ちょっとした問題が持ち上がる。
由美さんは、いつも夕食を食べる屋台に集う知人たちと一緒に食べようと思っていたようだ。
そんなことを知らないわたしは、マヨネーズがあったらもっと美味しく食べられただろうな、なんて感想を述べていた。
スルメは、彼女の大好物だった。
「食い物の恨みは恐ろしい」この後、由美さんのスルメの恨みは、この後、何年も続くのであった。


                      

ここでバリの芸能について、わたしなりの考えを少し記しておこう。
バリ人の生活は、宗教と慣習と芸能が三つ巴になって成り立っている。
バリの宗教には芸能が不可欠だし、芸能は村人の生活の一部であり、宗教はバリ人の日常になっている。どれ一つ欠けても、うまく機能しない。
絵画、彫刻、舞踊など、バリの芸能は、宗教儀礼から始まった神々への奉納だ。
おそらく、バリ舞踊の始まりは、神事における呪術師(シャーマン)の仕草からだったろう。土着信仰の強い古代は、神々と交感するトランス状態の踊りが主流だったと思われる。村人が神々の降座を、廻って舞った素朴なものかもしれない。
16世紀半ば、ゲルゲル朝の最盛期に舞踊は庶民の見せ物としての役割が加わり、娯楽性の強い舞踊が創作されていったのではないか、とバリの舞踊に詳しい長期滞在の日本人の知人が教えてくれた。
バリの芸能は、古くから伝わった芸能だと思いがちだが、意外と新作が多い。
1920年代後半に訪れた外国人の影響で、芸術に新風が吹き込まれた。これ以前を伝統芸能と呼ぶのは問題がないと思うが、この時代を古典とするかは、議論が残っているらしい。
バリ人は、絶えず新しい考えを外部から取り入れている柔軟で感受性に富んだ民族だ。物真似も上手いが、真似をいつのまにか自分たちの文化にしている。そして、絶えず進化している。
インドネシアの独立当初、初代大統領の奨励で、日常を素材にしたソーシャル・ダンスが創作された。
芸術専門大学の卒業制作や1978年から毎年開催されている「バリ・アート・フェスティバル(P・K・B=Pesta Kesenian Bali)」で、毎年、新作が発表される。
古くから伝わった芸能は、寺院の奉納から飛び出し、新たにアレンジ、創作されて観光客に提供される。新作舞踊や新作楽曲は寺院で奉納され、庶民の前に戻ってくることもある。こうしてこれらも、いつのまにか古典となって伝承されていくのだろう。
芸能、特に舞踊は、バリ観光の目玉商品の筆頭にあげられる。
観光資源化し、経済効果が期待されるイベントとしての性格が強くなると、本来の素朴さが失われ、観光客の期待に添うような形に変わっていくと危惧されるが、寺院で神々を前にして踊っても、ウブド王宮で外国人観光客の視線を浴びていても、イベントの余興におとしめられても、彼らの芸能に対する純粋な気持ちは、まったく変わらない。


つづく




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