「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■6月・7)再びロジャース・ホームステイ


バリに戻って、まっすぐに、気心知れたロジャース・ホームスティに帰ってきた。
ロジャースの家族は「戻ってきたか、よしよし」とでもいうように、喜びを全身にあらわして歓迎してくれた。故郷の実家か世話になった下宿にでも帰ったような、人の暖かさを感じる。
まさに、帰って来たと実感する。
誰ひとりとして知り合いのいない土地で、ひとり、また1人と、知り合いができていく。知り合いが増えるにつれ、孤独感が少しずつ薄れていく。
このあと何度も見る光景だが、ロジャースの家族は、数年前に訪れたと思われる旅行者の顔を覚えていて、再会の喜びを伝える。旅行者の方は、たった数日間の滞在で覚えてはいないだろうが、もしかするとと期待しながらロジャース・ホームステイを訪ねる。そして、覚えていてくれていたことに感激する。
ささいなことだが、無視されることが普通になっている日本人にとって、こんな待遇は嬉しい。バリ島に何度も訪れてしまう旅行者が多い理由は、意外とこんなところにあるのかも知れない。

ロンボクへ立つ前の1ヶ月ほどを世話をしてくれたお手伝いのワヤンの顔に、微笑みが見えた。少し、心を開いてくれたのかもしれない。
彼女が家族を扱うように、「こっちだ」と言って歩き出した。気心が知れたからか、わたしは彼女に好意を抱き始めたようだ。親子のような年の差では、好意以上のものにはならないだろうが。
茅葺き(アランアラン草)屋根の一戸建てに案内された。
前に泊まった部屋と同じように、ここにもテラスがある。ひとつの屋根の下に、寝室とテラスがセットになっている。バリ人の慣習と関わりでもあるのか、ちょっと気になる。
床が、ほかの建物より一段と高い。80センチはあるだろう。雨で洪水になるからか湿気を逃れるためか、バリの建物は高床式だ。といっても、高くてこの程度だ。レトロな味わいのある家屋だが、泥棒に入られやすそうだ。セキュリティする必要がないほど安全だということだろう。陽当たりもよく、声のとどく距離に、ロジャーの家族がたむろするテラスがある。
あとになって、この部屋が屋敷寺に続いて重要とされる建物で普通は家長が住むことになっている部屋だと聞いた。
背後から、ロジャーの大声が聞こえた。
「イトサン、長期滞在するなら、宿賃は1泊5,000ルピアでいいよ」と破顔で言う。この日を境にしてロジャーの家族は、わたしの名前をイトーサンとのばさずにイトサンと呼ぶようになっていた。
知り合いの密度によって価格は安くなっていく。どうやらこれが、バリのシステムのようだ。前回の宿賃8,000ルピアでも充分に安いのに、それが5,000ルピア(約350円)とさらに安くなった。ロジャースに泊まり、屋台で食事をしていれば、ひと月、日本円3万円ほどで生活ができそうだ。これなら収入がなくても、持ってきた全財産で10年間は滞在できる。
ロジャーは、反り返った長いまつげに、鼻の下に蓄えたヒゲと眉毛が濃い。どちらかというと、アラブ系の濃い顔だ。こんな顔立ちが、バリではハンサムだと言われる。宿賃を安くしてくれた、この時のロジャーの顔が、光り輝く映画俳優のように、一段とハンサムに見えたのは気のせいか。


お手伝いのワヤンは、わたし専用の水浴場兼トイレを教えてさがっていった。
水浴場は、別棟の壁にへばりつくように増築されている。トイレは、初回に滞在した部屋の座り込み便器と違って洋式便器だった。こんなところにあると、共同トイレのように他人に使われそうだ。日々、下痢&便秘を繰り返す私にとっては、困った事態に遭遇するかもしれない。少し不安だが、宿賃が安いのだから、これくらいは我慢することにしよう。我慢できるかな。


ロジャース ロジャース
(※写真撮影:2013年10月・昔のままだった)


階段で靴を脱ぎ、タイル貼りのテラスに上る。部屋の正面中央に、観音開きの扉がある。厚い1枚板で造られ彫刻が施されている扉は、狭く、高い框に低い鴨居のバリ・スタイル。この扉は、急いで框をまたぐと、鴨居で頭をしたたかうってしまいそうだ。頭(こうべ)をたれ、ゆっくりと出入りしなくてはいけない。そそっかしい人には、やっかいな扉だろう。自分のために、「頭上に注意」の張り紙を出す必要がありそうだ。
くぐるようにして内に入ると、部屋の両隅に、粗末な木製のシングル・ベッドが2つ、左右対称に置かれている。幅5メートル、奥行き3メートルほどの古くて薄暗い部屋だが、当分の間、やっかいになるつもりでいる。寝るだけのスペースしかない狭い部屋だから、くつろぐのはもっぱらテラスになるだろう。
ついでに説明しておくと、壁は竹を編んだものではなく、レンガを積んで白く色が塗ってある。色は煤け、ところどころ緑色の苔が生息している。
とりあえず、過ごしやすいように部屋の模様替えをしよう。
心は、ここで長期滞在をしようかと傾き始めてきている。
2本の柱に、日本から持って来た洗濯用ロープを張り、服が掛けられるようにした。段ボール箱を2つもらい、小さい段ボール箱には小物を整理し、大きめの段ボール箱はものを書くための机にした。ベッドのひとつは、物置として使おう。
模様替えは、あっという間に終わってしまった。もっともツーリストの身で、家財道具を持っているわけでもない。
部屋の模様替えが終わると、テラスに出て竹の椅子に腰をおろした。


                      

食事に出掛けるには、まだ時間が早い。
屋敷内を探索して時間をつぶすことにした。
そんなに広い敷地ではないが、足を踏み入れていないところもある。
ロジャーの家族にも少し慣れてきた。うろうろしていても、とがめられることはないだろう。
テラスから庭に下りた。
バリ人の屋敷は、どこもレイアウトが同じだといわれている。予算の都合で素材や豪華さは違うが、古くからの慣習で建物の配置が決まっている。彼らは、信仰する宗教と慣習から、それを忠実に守っている。
ロジャーの家族が寝起きする家屋とわたしの家屋との間に、儀礼のための東屋がある。東屋の奥が屋敷寺だ。こちらが聖なる方角なのだろう。屋敷寺は道路に面していて、年期のはいった祠がいくつも並んでいる。厳粛な空間は、バリの宗教にまったく知識のない、わたしの入場を拒む空気に包まれていた。
わたし専用の水浴場がある家屋の裏、右手にもう一棟客用の家屋が見える。ロジャース・ホームスティのルーツが、この部屋だったのではないだろうかと思うほど、かなりの古びている。
ひるがえって家屋の間を抜けると、台所の入り口が見えた。
台所棟の右手に進むと突き当たりになり、小川が流れていた。この小川がオタマジャクシが生息しているシャワーの水源だ。
ウブドは、水道の普及していない地域が多い。たいていの家庭は、まだ井戸だ。ロジャースのように、川の水を利用しているのは珍しい。井戸水を1度、屋根より高い位置にあるタンクにモーターで汲み上げ、貯めておく。その落差を利用して、蛇口から水が出る。時々、断水するのは、そのタンクの水がなくなるからだ。
こんなことで、蛇口から出てくる水も清潔とはいえず、バリ人は一度沸騰させたお湯を冷まして飲んでいる。免疫のない旅行者は、ミネラル・ウオーターを常備する必要がある。わたしも、大きな1リットルのペットボトルのミネラル・ウオーターを常に用意している。
台所に入ってみた。
煤で黒ずんだ壁の小さな窓から、スポットライトのように、一条の陽射しが射し込んでいる。中央の大きなテーブルに、朝に炊いたのだろう、プラスチックの蚊帳の編み目からご飯ザルが見えた。食事は、朝のうちに一日分を作っておいて、家族はそれを自分の好きな時間に食べる。
陽射しの射し込む小窓の下に、土で造られたかまどがある。
燃料は、薪のトラディショナル・コンロだ。3カ所に穴があるが、焚き口はひとつ。中央に薪を入れて火をつけると、火は左右の穴にまわる節約タイプ。かまどの上には、土鍋が2つとヤカンが1つのっている。使い込んだ土鍋と椰子の殻で出来たオタマが、骨董品のような風格をみせている。
かまどの端に立てかけてある、薪を掴む竹でできたハシがユニークだ。片方の端を裂いた2本竹板を、裂いたところを噛ませて麻ヒモで縛ってある。噛ませたところが、スプリングのようにしなって物が掴める。
いまだに薪を使っているのは、現金収入が少ないからだろうか。頭に乗せて運んでくる女性たちは大変だろうが、椰子の大きな葉や枯れ木や竹などの、薪になるものは豊富に落ちていて容易に手に入る。薪で湧かしたお湯やご飯が美味しいことは、料理音痴のわたしでも知っている。だから、ロジャースのバリ・コーヒーは美味しいのだ。
土鍋を覗くと、スープが入っていた。
食事がしたければ、いつでも台所に入って食べてもいいと、ロジャーの家族に言われている。自分で皿を取り出しご飯を盛り、碗にスープをよそった。スープの具は、バナナの幹を薄切りにしたものだった。
台所の中は暗いので、表のたたきに座り込んで食べることにした。もちろん、手で食べる。郷に入れば郷に従えだ。地元の人が普段食べている食事は好きだが、辛いのがちょっとつらい。それでも、“ふーふー”と言いながら完食した。
台所の必需品である冷蔵庫は、母屋のテラスに置いてあった。料理のための食材を保存や冷凍するためには、使っていない。活用方法がわからないのか、毎朝市場に出掛けるので買いだめする必要もないのか、冷蔵庫の中身は泊まり客に売るための飲物が入っているだけ。扉に鍵がかかるからか、大事な物を入れるために使っているようだ。
日本では、へそくりを隠すのに冷蔵庫が使われると聞いたことがある。書類や靴が入っていたこともある。所変われば、様々な使い方があるものだ。
そう言えば、電話も透明プラスチック製の箱に入っていて、南京錠がかかるようになっていた。 


                      

部屋に入り、壁に取り付けられた小さなスイッチを押すと、5ワット電球が灯った。
その途端、何故か突然に足元をすくわれるような浮遊感にとらわれ、慌ててベッドに倒れ込んだ。
ほんの数時間前に、自分の居場所ができた喜びを味わったばかりのこの部屋で、今は、帰る巣がなくなったような孤独感に襲われている。誰ひとりとして知り合いのいない異国での暮らしが、これからはじまる。この重圧に耐えられるだろうか。急に感傷的になった。まるで、悲しみが心臓をもてあそんでいるようだ。
ズボンのポケットからロングピースを取り出すと、箱はくしゃくしゃに潰れていた。中折れした1本を丁寧に伸ばし、火をつけた。紫煙が眼にしみたのか、悲しさからなのか、どちらともつかない涙が頬を伝った。
浮遊した頭脳が「5ワットの電球は少し暗いな〜。あとで買い物に出掛けて10ワットに変えよう。」なんて思考している。


つづく




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