「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」



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■6月・5)屋台街デビュー


わたしの目覚めは遅い。
ロジャースで食べる朝食は、昼食も兼ねている。
ホームステイで、夕食は用意されない。だから、夜は外に出て食べることになる。
さて、今夜はどこへ行こうか。

ところどころにワット数の小さな裸電球がぶら下がる暗い夜道を歩いていると、変則十字路を越えた方角に明かりが見えた。
ウブドに到着した時、バスから見た青空市のあたりだ。
コンクリート造りの2階建雑居ビルは市場で、その東隣には大きな樹が立っている。
大樹の枝葉の影で陽射しをさけるようにして、小さな寺院がある。
寺院の東は、テニスコートが3つほどできる広さの広場だった。
朝市は、この広場で開かれていたのだ。
近づくと、ブルーシートの屋根が幾つも並んだ屋台街だった。
屋台から漏れるケロシンランプが、うらぶれた、たよりない明かりを灯し、なにやら怪しげで危険な匂いを醸し出していた。
道路と屋台街の間には、幅80センチほどの堀割がある。
暗くて、足下がよく見えない。
堀割は浅そうだ。
足場は弱く、飛び越えると崩れ、泥の中に足をつっこんでしまいそうだ。
雨の日には、泥水のたまった堀割を飛び越えなくてはならないだろう。
奥は、暗くて眼が慣れない。
今日のところは、もっとも手前の屋台に入ることにしよう。
細心の注意をはらって堀割を跳んだ。
「おっとっと!」少し滑ったが、どうにか持ちこたえられた。
毎晩、これをするのかと思うと、ちょっと憂鬱になる。
屋台は、節約旅行の外国人でにぎわっていた。
幅の狭い、一枚板の長椅子に席を取った。
ほかの屋台の客は、地元の人とツーリストが半々といったところだ。
この雑然とした雰囲気がツーリストにとっては「これが東南アジアだ」と興奮させる観光名所のひとつになるのだろう。
テーブルの中央に、ビールやコーラ、それに名前の知らないボトル入り飲料が、向かいの客の手もとが見えない程度にズラーッと並んでいる。
ビールは、インドネシア国産のビンタンビール。
ビンタンは、星の意味。どこか、サッポロビールに似ている。
インドネシアはイスラム教徒が89パーセントを占める、アルコールの愛飲が御法度の国。
他の島では、こんなに簡単に手に入らないだろう。
コーラ は、コカコーラだった。
プラスチック製の円筒に、アルミのスプーンとフォークが入っている。
安価な紙ナフキンが三角に折られて、こちらもプラスチック製の円筒にささっている。
テーブルは清潔なフキンで拭かれていないのか、肘をのせるとべたついた。
ウエイターが、コピー用紙にラミネート加工したA4サイズのメニューを差し出した。
ウエイターは、片言の英語を話した。
メニューは、英語で書かれていた。
手にしたメニューは、初めから読む気がない。
どうせ、理解できないと思っている。
わたしは、ナシゴレンを頼んだ。
ナシゴレンは、焼き飯のこと。
「地球の歩き方」に書いてあった。
焼き飯は好物。
これなら世界中どこへ行っても、味に大差はないだろうし、炒めてあるから、食あたりの心配もないだろう。
頼んだつもりだったが、ウエイターは、わたしにメモ用紙とボールペンを手渡した。
これに書けということか。なるほど、これなら言葉が出来なくても注文できるし、間違いもないだろう。
メニューのスペルを見ながら“Nasi Goreng”と書いて、ウエイターに返した。
右隣の白人男性ツーリストが、ビールを注文した。
ウエイターが、テーブル上の冷えていないビールを取り上げ、テーブルの角を利用して栓を抜いた。
ツーリストが、ウエイターに何やら話しかけた。
しばらくして、氷の入ったグラスが出てきた。
ここで冷たいビールを飲みたければ、氷で割ることになるようだ。
わたしの前には、水の入った大きなガラスコップが運ばれてきた。
これは、湯冷ましの水。
この地で、生水を飲むのは危険だ。
ゴミの入った氷も、不衛生だ。

ナシゴレンの盛りつけられた陶器皿が、眼の前に置かれた。
味の素の赤いマークが、ケバケバしく印刷してある皿だ。
円筒から、アルミのスプーンをとった。
ビールの男性は、スプーンとフォークを使って食べている。
向かいに座っているツーリストは、右手の指で器用に食べていた。
廻りを見回すと、手で食べている客が多かった。
これが、バリ式かもしれない。
国が違えば、習慣も違うだろう。
所変われば品変わるもの。
日本人は、箸を使って食事をする。
フォーク、ナイフ、スプーンを使って、食事をする国もある。
世界中の国でサンドイッチやハンバーガーは素手で食べるし、日本人は高価な寿司と日本人の心ともいえるおにぎりを素手で食べる。
不潔だとも思ったが、考え直した。
素手で食べる民族がいても、悪くはない。
どれが正しいかという答えはない。
必ずしも、フォークや箸が清潔とは限らない。
手をよく洗えば、清潔さから考えれば同じような気がする。
スプーンなどの金属質が歯に当たるのが好きではないわたしには、素手での食事はピッタリの食べ方だ。
わたしも手で食べることして、スプーンを円筒に戻した。
左手でガラスコップを傾け、右手の指先に水をかけ簡単に洗った。
紙ナフキンで拭こうとしたが、指先をはじくだけでよしとした。
こんな単純な行為だけで、なんだか異国へ来ている実感がヒシヒシと湧いてくる。
指先に、ナシゴレンの温度と触感を得てから口に運ぶ。
手と食べ物との間に何も媒体がないということは不思議なもので、指先で味が感じられるように思えて、いっそう美味しい。
今まで、手で食べることは下品な仕草だと思い込んでいたが、優雅に食べている女性もいる。
ナシゴレンは、わたしの好きな焼き飯より少しベタベタしていたが、指先に馴染んだ。
この味なら、充分に許容範囲内だ。
ナシゴレンさえあれは、ここで生活していけるかもしれない。
下手くそな食べ方だったと思うが、初挑戦にしては巧くいったと自画自賛。
食べ終わると、水の入ったボールが出てきた。
食事前に、手を洗うボールだろう。
ウエイターは、わたしが手で食べるとは思わなくて、出さなかったのかもしれない。
指先だけをボールにしたしてゆすいだあと、紙ナフキンで拭いた。
誰ともしゃべったわけではないが、欧米人ツーリストに交じっての食事は緊張した。
始めてのローカル食堂デビューは、無事終了。
湯冷ましの水は、無料サービスだった。


                      

わたしがローカル食堂デビューを飾った屋台は、今夜も賑わっていた。
屋台街で、そこは一番人気のようだ。 奥の屋台も同じ料理のようだが、ここも満席に近かった。
昨夜は緊張で、ほかの店を見る余裕もなかった。
今夜は、ゆっくりと屋台街を隅々まで覗いてみることにした。
足下は、少しぬかるんでいて、ところどころに水たまりがあった。
足下に注意しながら、遠巻きに屋台をひやかしていく。
豚の丸焼き、山羊肉の串焼き、魚の唐揚げなどの一品料理店と、名前の知らない料理の屋台がある。
雑貨などの行商も店を広げている。雑貨屋では、椰子酒も売っていた。
シャツや布地を売る店、ジャムーと呼ばれるインドネシアの漢方の店などが、なかば傾いたバラック小屋で商売をしている。
広場を一周して、昨夜入った屋台に戻った。
長椅子は、ガタガタグラグラするので気をつけて座らないといけない。
特に、端に座る時には要注意だ。反対側に座る人の行動に気を配っていないと、シーソー状態になってあわや墜落ということになる。
尻餅をついたところが泥水という、悲惨な結果も待ち受けている。
今夜も、メモ用紙に“Nasi Goreng”と書いてウエイターに渡した。
皮膚病にかかった痩せて汚い犬が、餌を求めて屋台のそこかしこにいるのを、昨夜は気づかなかった。
物欲しそうに飢えた犬が、食べ残しをあさりに、客の足もとに集まってくる。
耳のとれかかった犬が、通り過ぎて行った。
食事をとりながら、見る光景ではない。
それでも食べてしまうわたしは、つくづく逞しいと思う。
ナシゴレンは好きだが、毎晩というわけにはいかないだろう。
ガイドブックで、ミーゴレン(焼きそば)とナシチャンプール(ご飯のまわりに各種のおかずがのったもの)を知った。
明日はミーゴレンにしよう。


                      

さて、翌日。
昨夜の誓いどうり、ミーゴレンを注文した。
ミーゴレンは、日本の焼きそばを想像するとガッカリするが、これもわたしの許容範囲内だ。
点数は100点満点の50点。
麺が違うのだから、我慢しよう。
皿の隅に、付出しなのか飾りなのか、きゅうりの大きな輪切りがのっている。
きゅうりの皮は白っぽい黄緑色で、半径は日本のきゅうりの2 倍はどある。
キリギリスじゃないのだから、こんな味気ない食べ方はできないよ。
それも、水気のまったくない、パサパサのきゅうりだ。
足下に、首にでっかい穴がぽっかりあいている犬が、潜り込んできた。
さすがのわたしも、これは見るに堪えなく、眼を泳がした。
泳がした先は、食器を洗う現場だった。
見てはいけないものを見た、と瞬時に悟ったが、恐いもの見たさでしっかり観察をしてしまった。
食器皿は、残飯が捨てられると数枚に重ねられて、水の張られた大きなプラスチックのタライにつっこまれる。
水は、何度も使われたと思われるほど泥色だ。
手のひらで軽くなぜるようにして汚れを落とすと、もうひとつのタライ(少し透明な水)に浸すように通し、最後に真っ黒なフキンで水気が拭き取られている。
予備のバケツが2つ並んでいる。市場の奥にある公衆トイレの脇にある水道から運ばれる水だ。
結構、不衛生なところで食べているのだ。
水道も井戸の設備もない屋台に、保健所の検査もないのだろう。
バリに、保健所が存在するのかも怪しい。
皮膚病のバリ犬にも動じず「美味しい! 美味しい!」と言って食べていた日本人男性ツーリストが、食器を洗う現場を見たとたんに吐き気をもよおし、お腹を壊してしまったのは、このあと数ヶ月してからだ。
舞台裏は見ないに限る。


センゴール1 センゴール2


ナシゴレン、ミーゴレン、ナシチャンプールの順に食べていたが、この3品だけでは、あまりにもバラエティーに乏しい。
なんとかして、ほかのメニューも開拓しなくては。
しかし、インドネシア語の料理名はまったくわからない。
そこで、名案が閃いた。
それは、メニューを上から順に網羅していくことだった。
サユールヒジョウ(緑野菜の炒めもの)とご飯、チャップチャイ(野菜炒め)とご飯、というようにメニュー順に組み合わせていった。
悲劇は、屋台街に通い詰めて数日後に訪れた。
メニュー順では、この日は、◯◯◯ゴレンとご飯の日。
◯◯◯は、何の料理だろう? 楽しみに思いながら、メモ用紙に料理と飲み物を書き込んだ。
◯◯◯ゴレンの価格が安いので、奮発してビールの小瓶を頼んだ。
覚え立てのエスバトゥー(氷)も忘れずに書いた。
わたしが珍しくビールを頼んだからだろうか?
ウエイターは、どことなく納得できないような顔をして注文用紙を持っていった。
氷の入った大きなグラスに、ビールを注ぐ。
威勢良く、泡がたった。生ぬるいビールは、気の抜けたように味だ。
ビール風味の麦茶でも飲んでいる気分だ。
そして、しばらくして出てきた皿の中には、将棋の王将ほどの大きさの、茶色い板状のものが10数枚盛られていた。
「? これが◯◯◯ゴレンか」
わたしは、1枚を口にして、ウエイターの不審な顔がやっと理解できた。
料理は大豆を納豆ように発酵させて固めたものを揚げただけで、何の味つけもしていない。
口の中が、カサカサになる。
ご飯との食べ合わせは、最悪である。
これは、テンペゴレンという料理らしい。
この時は、ケッチャップ・マニス(甘い醤油)をかけて食べると美味しいということも、知らなかった。
必死に食べているわたしを、まわりのバリ人は、不気味なものでも見るように見ている。
醜態を衆目にさらしていると悟ったが、いまさら、ほかの料理も注文できない。
やせがまんをして食べるしか、この場を切り抜ける方法はない。
それも、いかにも美味しそうにである。麦茶のようなビールで、なんとか流し込んだ。
この日から、嫌いな食べ物の仲間にテンペが加わった。


つづく


※《ウブドのセンゴール》を、参照しました。




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