「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■2月・27)ホームステイの訪問客


わたしのバリ滞在を知る日本の友人は、数少ない。
息子には、インドネシアに行ってくると伝えただけ。長姉夫妻には、取りあえずバリに行くと言ってきた。出発前にかかわった数人の友人以外、わたしの日本脱出を知らない。
だから、日本からの知り合いがウブドのわたしを訪ねてくることは、まずない。
ウブドでの知り合いは、ミユキを筆頭にして、屋台に集う短期・長期の日本人滞在者がほとんどだ。
カルタが「ロジャース・ホームステイ」に連れて来る日本人ツーリストや、ロジャースを訪れる日本人の知り合いが増えていった。
いつ知り合ったか忘れてしまったが、ロジャースで知り合った日本人を、ここでまとめて紹介したい。

プンゴセカン村の絵描きの家に、ホームステイしている女性がわたしを訪ねてきた。
ヨーロッパから東欧経由でバリに来たらしい。ウブドより、ポーランドのプラハの方が物価が安いと怒っていた。嫌なら、ポーランドに行けばいいのにね。この人のように、文句を言いながら滞在している人もいる。

クタに滞在しているサーファーのカップルが訪ねて来た時のことだ。
由美さんの知人でM子さんとJ君の夫妻だ。
話が盛り上がり夕方近くになっていた。由美さんの振る舞った手作りカレーライスがおおいに気に入り、夫妻は数日間ウブドに泊まってみたいと言う。
由美さんは、夫妻が新婚だということもあって、夜遅くまで喧噪の続くクタとは違うウブドの良さを体験をしてもらいたいと気を利かせ、ロジャーが経営する渓谷にある静かなバンガローを紹介した。
バンガローはロジャースのすぐ裏手にあるのだが、川をひとつ隔てているためウブド大通りのプリ・ルキサン美術館の入り口を通って対岸に渡らなくてはならない。
プリ・ルキサン美術館は、ウブド大通りから渓谷に架かる橋を渡った先にある。橋を渡り、すぐ右手に折れ、獣道のような山道を進んだ尾根にロジャースのバンガローが数件、急勾配にへばりつくようにして建っている。
ところが翌日早朝、夫妻は「暗いし、静かで怖い」と言って、早々にクタに帰ってしまった。
得体の知れない動物の鳴き声や、肌にひんやりする夜風に臆したのだろか。
「ウブドが好きな連中は、この静かなウブドが気に入っているんですよ」。わたしの言葉に、夫妻は《理解できない》という顔をしていた。
人間は皆、静かなところが好きだと思っていたが、騒がしいほうが落ち着くというタイプの人もいることを、この時、始めて知った。
この日の夜は、運悪く長い停電だった。

クマさんと出会った。
わたしと同世代のクマさんは、同じ時期(1970年前後)に世界旅行をしていた。
「どこかですれ違っていたかもしれないね」と話が盛り上がった。
クマさんは、その後も世界旅行を続けているという旅の豪傑だ。今は、結婚をしていて長男と長女を連れていた。長男はネパールで生まれ、長女はインドで生まれたと聞いている。
奥さんは、ネパールの馬小屋で天命を受けて人を治療する能力を授かった。出来過ぎた夢物語のようだが、わたしは信じた。
その後、アメリカ西部に渡ったものの施術が多忙になりトルコに移住した。現在は、トルコに居を構え、施術を行っているそうだ。高官がヘリコプターで施術を受けに来るというほどの人気だと言う。
長男は、たびたびわたしの部屋を訪れて絵を描いっていった。画用紙いっぱいに描く絵は、夢があった。感受性の強い素直ないい子だ。まだ幼い長女は、由美さんの影響を受けて、のちにバリ舞踊を習い始めた。
長男の描いた絵が10枚ほどになった3ヶ月後、彼らは姿を見せなくなった。トルコに帰ったのだろうか。それとも、また家族で、どこかの国へ旅立ったのだろうか。

女性4人がロジャースを訪れて来てくれた。
名古屋からの知り合いの訪問は始めてだ。
わたしがデザインさせて頂いた「ギャラリー&カフェ・This is It」で、知り合った女性たちだ。
オーナーのジャイシは、空港まで見送りをしてくれた一人だ。
この夜は、ジャイシの友人・斉藤哲生のライブがあった。
斉藤哲生が、♪君の瞳がピカピカに光って〜♪と、唄っている途中に入って来た彼女たちは、全員が赤いオーバーオールを着ていた。彼女たちは今、仕事を終えたばかりで、着替えもせずに駆けつけたという。オーバーオールはユニホームだった。
彼女たちはそれぞれがフリーのイラストレーターとグラフィック・デザイナーで、商店のシャッターに絵を描く仕事をする時はチームを組んでするらしい。この日は、シャッターにエアーブラシでイラストを描いて来たようで、オーバーオールにペンキが少し散っていた。
彼女たちの逞しい前向きな姿は、まぶしいほどだ。わたしのデザイナーのスタートもこんなに輝いていたのだろうか。
ジャイシが、わたしを彼女たちに紹介した。その中に「バリに暮らすらしい」という言葉か入った。オーバーオールのひとりが、バリから戻って来たばかりだったらしく、わたしに興味を持った。
そんな彼女たちが、「ロジャース・ホームステイ」に訪ねてきてくれたのだ。
20歳前半の可愛い子ばかり4人には、圧倒された。彼女たちは、かなりきわどい女性専科の会話を、わたしの前で平気にする。わたしに、異性を感じないのか。
彼女達と、キンタマーニ高原に行った時のことだ。
外輪から望むバトゥール山の雄大な風景に、わたしの瞼から涙が自然に溢れていた。バリで流した涙は、アノムのバリス・トゥンガル舞踊から2度目だ。
自然の大きさに比べ自分の身体の小ささを感じ、人間は自然の恵みに生かされているんだと感じ、自分の持つ欲望の狭小さを感じた。
彼女たちは、モンキーフォレス通りにあるバンガロー「プリ・ガーデン」に泊まった。その内の3人が金縛りにあった。犯されたという話をする。ひとりは、顔がハッキリしない男性に3晩犯され、何度も果てたと言う。「だから、身体がだるいのよ」
そんな金縛りなら、わたしも体験したい。しかし、どんな顔か見えないのは嫌だ。顔が見えたら、もっと怖いかも知れないが。


                      

ある日、甲高い声が、ロジャーの家族が住むのテラスから聞こえてきた。
以前に泊まったことがあるのだろう、ロジャーとの再会を懐かしんでいるようだ。
見ると、小柄な日本人男性のようだった。
彼はわたしと眼が合うと「こんにちは」と、頭の天辺から出ているような甲高い声を発した。
わたしは彼に近づき「日本の方ですか?」と、どう見ても日本人にしか見えない、日本語で話し掛けてきた男性にトンチンカンな質問をしていた。
「もちろん日本人ですよ。アイコーと言います。名前は外人みたいですがね」
ロジャーのテラスで話すうち、わたしの名古屋の知人・ジャイシの知り合いだということがわかった。
ジャイシもアイコーさんもインドの瞑想グループ「バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚)」の弟子で、サニアシン(完全放棄の修行者の意味)名を使っている。ウブドにはラジニーシの弟子が多く滞在している。
わたしも、バリのあとはインドに渡ると、ある女性と約束していた。この約束は保古になりそうだ。
アイコーさんは、日本で瞑想センターを主宰していて、北海道から沖縄まで多くのファンを持っていた。バリに立ち寄ったのは、台湾での瞑想セミナーの帰りだそうだ。
アイコーさんは、サクティにある建築中のわたしの家で、滞在者を集めてオショウの瞑想を施してくれた。
怒っている人、泣いている人、無表情の人といるが、たいていは涙を浮かべている。
瞑想中、幼年期の封鎖された記憶が戻り大きな声をあげて泣き出した娘がいた。アイコーさんは「今なら、お母さんの気持ちがわかりますね」と優しく諭している。「許してあげましょう」の声に、彼女はうなずいたようだった。
不思議な瞑想を体験をさせて頂いた。

渉さんもウブドに来るとロジャーに立ち寄るらしい。
インドのサドゥーのような風貌の彼は、鍼(はり)師だった。
来たときにはロジャーに鍼を打ってあげている。鍼を打ってもらうとロジャーの腰はすっかり良くなる。
そんな評判を聞いて、村人が施術をお願いしにくる。渉さんは、嫌がりもせず無料で治療していく。
病院に行けばお金もかかるし、それでも治るとは限らない。
こんな彼をロジャーは、神様のように崇めている。温厚な風貌は、まさに癒しの使者だ。
ロジャーは、「今度いつワタルは来る?」と、わたしの顔を見ると訊ねてくる。
こういった能力を持つ人が、ウブドには必要なのだろう。

名古屋の古くからの知人・中川さんは「ビーナ・トレーディング」という会社を経営していて、アジアン雑貨の仕入れをしている。
彼がどういった経過でわたしを訪ねて来てくれたのか、思い出せない。
中川さんに頼まれた木彫を受け取りにテガララン村に行った時のこと。突然、右手の森が開け、眼下に渓谷が現れた。渓谷の両側は、等高線のような曲線を描いてライステラスが続いていた。
この下に野外劇場でもあるかのように、一点を中心にして切り取られた等高線は客席のようだ。眺望がきくのは、幅200メートルほど。畦道が描いた渓谷の棚田は、箱庭のように美しい。
わたしの育った名古屋では観られることのない、絵画のような田園風景がそこにある。
カルタに「この景色が観たいから、ここで車を停めてくれ!」と叫んだ。
しかし、カルタは「こんな風景は普通です」と一言つぶやいて、通り過ぎてしまった。
カルタにしてみれば、何の変哲もないありふれた風景なのだろう。
木彫り屋で荷物を受け取って帰ろうとすると、店の主人がカルタを呼んだ。カルタは、お金を受け取っていた。これはコミッションだ。友人の仕事だが、カルタは手間賃はもらっている。それなのに、更にコミッション。コミッション分を差し引いてもらって、商品を安くしてもらうのがカルタの仕事だろう。日本人のわたしは思う。
カルタは、お金をわたしに見せて「もらってしまった」という。バリ人の間では,お客を連れて来てもらえば、必ず、相互扶助の精神でお礼を渡すのだという。
ところで、先ほどの美しいライステラスだが。カルタが車を停めてくれなかったので、わたしは後日、ひとりで自転車に乗ってもう一度来てみようと、心に決めた。(当時は注目する人も少なかったこのライステラスが、のちに観光名所になった)

こうして記してみると、ウブドを訪れる人は、旅好きはもちろんだが、インド系、精神世界系の旅人が多いように思う。バリ島もインドのゴアのように聖地のように扱われているようだ。
この他にも、おおくの知り合いができた。しかし、わたしにとって興味あるエピソードも、本人には屈辱的な事実かもしれない。公表するのがはばかれる話は、控えた。


つづく



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