「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■11月・22) ダラムプリ寺院の祭礼


サクティへ建築中の家を見に行くと、1階部分に赤煉瓦の壁が出来上がっていた。
2階に上る階段下には、畳4枚ほどの風呂場に、畳1枚分の浴槽を作る予定だ。浴槽は、バスタブのように浅くない、日本式に座って入れる深さにする。浴槽内には、階段を一段作って、長湯でのぼせたら、そこに座る。湯には、ゆっくり浸かりたい。
洗い場は、銭湯のように洗面コーナーの壁に鏡と温水・冷水の蛇口が取り付けられ、石鹸やシャンプーが乗せられるように一段高くなった床も作る。
半屋外の浴場にしようと考えていたが、用心が悪いとカルタに言われてあきらめた。
日本に未練があるとすれば、温泉に行きたいだけ。冬の温泉地で、雪景色を見ながら湯船で日本酒なんてのが老後の楽しみだ。

11月18日。
昼過ぎから、ロジャースの女性たちが、果物を重ねてピラミット状にした背の高い供物を作っているのを部屋から見ていた。そんなわたしに、イブが「イトサンもお参りに行くか?」と誘ってくれた。
一度は見てみたいと思っていたわたしは、「はい、連れていってください」。小学生のような元気な声で答えた。
寺院祭礼や宗教儀礼に参加するには、それなりの正しい服装をしないといけないと聞いている。
正装を持っていないわたしは、誰に借りようか悩んだ。こんな時は、ロジャーよりカルタの方が気安く頼める。わたしはカルタの家を訪ねた。
カルタは、相変わらず笑顔を絶やさず、喜んで正装を貸してくれた。そして着付けまで手伝ってくれた。
まず、布を腰に巻く。布は、ロジャーの妹ニョマンから買ったものだ。布はカマンと言うらしい。
身体の前で重ねられたカマンを、幾重にもひだを作る。しっかりと折り目をつけることを教えられた。
カマンの上にもう一枚、黄色の布を重ねる。この布はサプットと呼ぶらしい。
シャツは、ウブドでもっともお洒落なブティック「ミスター・バリ」の白いシャツを着ることにした。
頭には、白いはちまき。はちまきは、ウドゥンと教えられた。縛り方が難しくて、カルタに結んでもらった 。これがキリリとしていて身が締まる。
わたしも、できるだけカルタのように決めたくて真似をするが、どうしてもカルタのような格好よさにはかなわない。カルタは、おしゃれで素晴らしい着こなしをする。それでも、なんとかサマになったと思う。
ロジャースに戻ると、家族はもうすでに出発していた。彼らの言葉は、時として社交辞令だったりする。
しかたなく、わたしはひとりで出かけることにした。
屋台街の前を通り過ぎしばらく暗い夜道を進むと、ガムランの音が聞こえてきた。
広場には、ケロシン・ランプの怪しい灯の中で20近くのテント屋台が軒を連ねていた。祭り気分に溢れ、日本の村の鎮守の祭りにどこか似ている。
前日の雨で、足下は少しぬかるんでいる。サンダルを泥に取られないように注意して歩く。
祭礼は、スマラ・ラティの定期公演が催されている建物の奥。鬱蒼とした木々に囲まれた小高い丘の奥にある、ダラム・プリ寺院で行われていた。
ダラム寺院は死者のための寺院でプリは王宮の意味だから、ダラム・プリ寺院は王族系の寺院ということだろうか。バリはわらないことだらけ。明日にでもカルタに訊いてみよう。
寺院は、低い塀に囲まれた空間に、日本の五重塔を思わせる祠とあずまやがいくつかある。見たこともない生き物や動物の石彫が、壁に施されている。イスラム教のモスクやキリスト教などの教会の礼拝堂はなく、質素なものだ。バリのヒンドゥー教は、インドのヒンドゥー教をルーツとしているといわれるが、儀礼や祭礼のしかたに大きな違いがあるようだ。

境内は、正装の村人で埋まっていた。全員が地べたに直接座って、祈りをするところだった。
祈りをする姿は、敬虔で美しい。表情はみな一様に、信じる神を持つことの幸せを感じているようだ。自己を消し、ひたすら神の心身に近づこうとしているように見える。この一瞬に、すべての俗物的なものが解き放たれていくのだろう。
自然に聖なるものを感じ、自然と調和し、自然とともに生きようとしている。自然は神であり、人間はその一部として一体化する。天にも地にも密林の中にも岩にも、精霊や邪霊が棲んでいると信じている。
神を畏れ、神の加護を求めて生きている。太陽、水、火、土、風、バリのヒンドゥー教は、すべての自然を崇拝している。
表があれば裏がある。悪いことがあれば、いつかは良いことが訪れ、必ず穴埋めされる。逆に、良いことばかりは続かないので、注意するようにとも教えられる。2つの相対するものがあって、この世の均衡が保たれていることを、バリ人は知っている。
この村の人々は、精神的に豊かだと思う。その背景には、彼らの心に絶大な自信を持たせる宗教と文化があるからだろう。
わたしは境内の入り口付近で、祈りの風景を見ていた。
祈りを終えた人々が、境内を去って行く。
ロジャーの家族がわたしを見つけ「一緒にお祈りしよう」と誘ってくれた。
わたしは彼らの横に腰を下し、仕草を真似をして黙祷した。
祈りは、恋人がみつかりますようにという色欲やお金が儲かりますようにという財欲、といった自分勝手な願い事はしないらしい。
信仰は、助けを求めるものではない。バリの宗教に神頼みはない。
花を両掌に挟んで、額の上にかざす仕草を5回繰り返した。
僧侶の読経は、初めに祈りをすることを自然の神々に報告し、次に宇宙の平和を、そして、地球の平穏を、そして家族の安全を祈る、最後に、祈りが終わったことを神々に報告しているのだそうだ。
わたしは、バリ語が理解できないので、読経を聴きながら心を無にした。
祈りは、心を落ち着かせる敬虔な儀礼であった。瞑想的な感覚も味わえる。
宗教に無関心なわたしだが、この島の宗教は見ていて楽しい。
いただいた聖水は、香ばしいような甘い味がした。
ロジャーの家族と境内を出た。すでに気分はすっかりバリ人である。
この日のダラムプリ寺院の祭礼は1日で終わってしまうが、5日前にあったウブドのダラム寺院の祭礼は1週間ほど続いた。通常短くて3日間。30年ぶり50年ぶりの祭礼だと、1ヶ月も続くことがあるようだ。
ダラム寺院の祭礼では、影絵芝居が鑑賞できた。夜10時に始まり、深夜4時まで続いた。影絵芝居は、大きなスクリーンに人形の影を映し、ダランと呼ばれる語り部が人形を操りながら演じる。
スクリーンの前では50人ほどの村人が床に腰を下し、演じ手のいる裏には20人ほどの見物人が群がっていた。
バリでは、「楽屋」の観念がないと本で読んだのを思い出した。ダランのジョークに笑い声があがる。子供たちは親の膝で居眠りしていた。割れ門の上に昇る月が、美しかった。

境内を出ると黒山の人だかりがしていた。道路を占有した舞台で奉納舞踊が催されているようだ。正装をしていない人が多くいる。この村の住人ではなく、娯楽の少ない村から芸能を観に来た人々だろう。
わたしはロジャーの家族と別れて、屋台の長椅子に腰を下ろした。
コーヒーを頼んだ。ガラスのコップに入ったコーヒーは、めちゃくちゃ甘かった。
祭りは、人々が神々に感謝の意を捧げ、そして、己の存在を神々に知らしめて加護を願うために行う。供物や芸能は、そのために必要とされるもの。農民が、その年初めての収穫を供物とするのと同じように、芸能を奉納する。
芸能を鑑賞する村人は観客ではなく、参列者であり主催者でもある。われわれツーリストの眼から見たバリ人の観客は、エキストラでありエンターテーナーでもあるわけだ。神々と人間とがともに楽しみ、明日からの生きる活力を得ようとするのがバリの祭礼だろう。
今夜の奉納芸能は、チャロナラン劇。
チャロナラン劇は、月の出ないティルム(ダークムーン=暗月)と呼ばれる新月の前日で、15日ごとに巡ってくる霊力の強い日のカジャン・クリオンに上演されることが多い。今夜は、その日らしい。
チャロナラン劇は、善と悪の終わりなき戦いの物語。善は聖獣バロンを、悪は魔女ランダが象徴して登場する。物語では、チャロン・アランという未亡人がランダに化身する。チャロン・アランは悪霊の頭領で、墓場を掘り起こし死体を食べると言われている。
凄い人混みで、舞台の近くにいけない。
寺院の横手で、何人かの男たちの塊が数カ所できている。わたしは屋台を出ると、その人だかりに向かって歩き始めた。塊の一つを覗くと、サイコロ賭博をしているところだった。ひときわ人だかりの多いのは、麻雀に似た絵柄のカード賭博を開帳していた。
「わーっ!」
舞台の方で歓声があがった。
わたしは、急いで丘に駆け上り、小さな盛り土の上に立ち、人垣の肩越しに芸能を覗き込んだ。
たちまち、バリ人の強烈な体臭に包まれた。「この体臭がいいのよ」と言う日本人女性がいたのを思い出す。 目眩を堪え、前方を凝視する。
そこでは、トランス状態に陥った男たちが意味不明の叫び声をあげて、自分の胸に短剣を突き立る場面が繰り広げられていた。魔女ランダの魔術にかかってしまったのだ。
深夜0時は、霊力の強い時間だと言われる。0時を挟んで、トランス状態になることが多いと聞いている。
わたしは、もっとしっかり観ようとつま先立った。足下の柔らかい土が沈んだ。左右の人垣がわたしを遠巻きにした。
こんもりと盛り上がったところは「火葬前の死者が埋葬されている場所だ」と教えられた。なんとわたしは、その上を無造作に歩いていたのだ。
足下をよく見ると、札が立っている。
チャロナラン舞踊劇は、夜10時頃から始まり、深夜2時まで続いた。途中、喜劇のようなドラマがあった。バリ語なのでまったく理解できなかったが、ユーモラスな仕草では、わたしも笑うことができた。
帰り道、カジェン通りの入り口につくと、10メートルほど先にボーッと人影のような物体が、星明かりにシルエットで浮かんでいた。影は、以前、豚の解体現場のあったロータスの見える池の横を流れる小川の中に立っている。深夜2時過ぎに、水浴びする人もいないだろう。人間にしては、異様に太い影だ。もしかすると、生け贄たちの霊が立ち上っているのだろうか。
チャロナラン舞踊劇を観たばかりで、悪霊がいることを信じはじめたわたしには、得体の知れない物体が怖い物になっている。
影は小川の中で直立不動の姿勢のまま、こちらを見ている。
わたしは、前を通るのが恐ろしくなり後ずさりした。スウェタ通りに迂回してホームステイに帰った。
数日後の昼、物体がウブド大通りを歩いてた。物体の正体は、何枚も古着を重ね着した老人だった。


つづく



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