「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■11月・21) めしの種は、飯屋に限る


壁に掛かったカレンダーを見るとNOPEMBERとある。
日本と違って曜日が縦に並ぶバリ・カレンダーは、はじめは読みにくかったが、今はもうすっかり慣れた。
11月7日、日本を出てから半年が経つ。
故郷の名古屋からあまり出ることがなかったわたしは、今までの長期滞在といえば、20歳の頃の節約旅行で6ヶ月を過ごしたパリだけだ。サンジェルマン・デ・プレの小さな公園前にある「ホテル・グランド」の屋根裏住まいだった。
大学でフランス語を履修していたが、成績が芳しくない劣等生。そこで教授に「フランスへ行ったら単位をくれますか?」と交渉した。まさか本当に行くとは思っていなかった教授は「いいだろう」と言う返事をくれた。帰国して復学したわたしのフランス語の成績は、ちゃんと優になっていた。行って来るといっただけで、フランス語の読み書きや会話ができるようになって帰って来ると約束したわけではないので、教授は適切な処置をしたと言える。
恥ずかしい話、6ヶ月間も「アリアンス・フランセーズ」に籍を置いたが、まったく進歩することはなかった。自分の語学力の無さに情けない思いをした。
インドネシア滞在も6ヶ月を過ぎたが、未だ、インドネシア語はままならない。22年間忘れていた、語学の才能の無さを、再び認識させられている。
パリでの滞在日数を追い越して、バリ滞在日数は、今後、どんどん更新していくような気がする。

11月は雨季の始まる季節。
雨季について、この頃こんな情報が公然とあった。
バリの雨季は悲惨で、毎日毎日、雨は土砂降りで、どこへも出掛けられない。ベッドのクッションは、手で押さえると水が染み出てくるほどジメジメとしてくる。そして、衣服にはすぐにカビがはえてしまう。だからこの時期、賢いツーリストはタイ方面に逃げてしまって、ウブドなどはツーリストはからっぽになってしまう。 それがかなりいいかげんなデマだと言うことは、滞在していればすぐにわかる。
根も葉もない噂を信じて、雨季にバリに行くのは絶対嫌だという人がいるかもしれない。確かに、カビははえるが、すぐにというわけではない。クッションも、湿気を感じることもあるが、日中太陽に乾せば大丈夫。
雨が降ると、部屋に上がり込むアリの大移動があるので要注意。まあ、その程度のことはどこの国でもあることだろう。
ウブドは、バリの中でも雨が多いほうだと思う。ウブド近郊でも、地域によって雨の降る状況が違うのに驚かされる。北部の村では雨だが、南部では降っていないということは良くある。2キロも離れれば、天気も変わる。道一つ隔てて、違うこともある。
ツーリストにとって、雨は有り難くないものだろう。日本の寒い寒い冬を避け、ウキウキと心はずませて熱帯の楽園バリまで来たものの、毎日雨ではせっかくの旅も哀しいものになってしまう。3泊4泊の旅行で終日雨にたたられた、という話しも聞いたことがあるが、それは珍しいことだ。
ウブドでは、一日中雨が降り続くことは珍しく、たいていはスコールのような大雨が2、3時間ほど降り、あとは晴れることが多い。ずっと曇り空ということも少なく、梅雨のように毎日毎日降ることもない。晴、曇、雨とめまぐるしく天候が変わることはある。
晴れ間をねらって洗濯物を乾かすのが、雨季を乗り切る極意である。極意と言えば、この雨を2、3時間ジ〜と見て過ごすことができれば、ウブドを極めたも同然。こんなこともバリの素晴らしい一面だと考えれば、なんと楽しい旅ができることだろう。
雨季には雨季の良さがある。
雨に霞む景色も美しく、木々の緑は濃くなり、花々の色はいっそう艶やかになる。果物が豊富になる季節でもある。


                      

「ウブドに居ると、毎日が日曜日という気持ちになりますね」。ツーリストがよく口にする言葉だ。
わたしは学校も通っていないし、仕事にも就いていないので、日曜日とは違ったニュアンスの休みだ。と言って、長期休暇のバカンスと言うほど優雅なはずはない。毎日毎日、極楽とんぼのような怠けた生活を送っている。
定年退職したわけでもない43歳のまだ働き盛りのおじさんが、こんなことでいいのかと時々疑問がわいてくる。深刻ではないが、これ以上怠惰な生活をしていては、まともな人生を送っている人に、うしろ指さされそうで不安になることもある。
2ヶ月ごとの出国もせずに、あやしげなスタンプを押してもらい、出国入国を繰り返していることになっている。一度もインドネシアを出国することなく、6ヶ月の滞在を続けているのだ。
今のところ何も問題は起こっていない。常識で考えると違法行為だが、イミグレーションの職員が絡んでいるところをみると、発展途上の国では、これは暗黙の合法なのだろう。
ツーリストのわたしは、仕事をしていないのでもちろん収入は1銭も1ルピアもない。手持ちの全財産で、10年間の滞在ができると考えていたが、それは甘い考えだということがわかってきた。
たまには美味しいものも食べたいし、衣類も消耗してくるので買い換えなくてはならない。2ヶ月の1度の、あやしげな出入国スタンプの経費もいる。そして、あとさき考えず建てはじめた家の出費。
銀行の預金通帳の数字が、あっと言う間に減っていく。日ごと、持ち金が目減りしていくのが心細くなってきた。間抜けな話だ。なんとか今の持ち金で長期滞在できる方法はないだろうか。この期に、及んで考えはじめた。と言って、この村で相談ができる知人はいない。
ガイド・ブックに日本人経営のバンガローが2軒載っているが、経営者の日本人は、ほとんどバリにいないと書いてある。長期滞在者が数人いるが、仕事をしている日本人は、ひとりもいない。
わらを掴む思いで、日本領事館に勤める青年に相談した。以前、わたしの友人がロンボク島で旅行中に知り合ったという青年だ。きっと相談にのってくれるからと紹介してくれた。
デンパサールにある領事館に彼を訪ねると「よくいるのですよ、あなたみたいにバリに住みたいからと言って、相談にくる人」。歓迎されていない顔だ。「領事に相談するといいよ」と言ってくれたが、解答は推して知るべしだ。どうせ、嬉しい解答は得られないことは想像できる。わたしは面会を辞退した。
20歳の頃の節約旅行は、ソ連、ヨーロッパ、中近東、東南アジアと巡った。その旅の途中に立ち寄る大使館は、日本の新聞を読むか、大使館止めの郵便を受け取りに利用するだけの場所だった。
今回は誰にも頼らないと覚悟を決めた、寝床を探す旅のはず。なのに、この場におよんで弱気になっていたようだ。誰も頼る人がいないからと、それを嘆くことはない。「前途は、自ら切り開くしかない」と言い聞かせて領事館を去った。
マクドナルドがウブド大通りに大型バスを乗り付けてマーケティング・リサーチをした結果、出店をあきらめた村だ。この田舎でどんな商売が成り立つだろうか。
ウブドにもっとも必要なのは医師だろう。しかし、わたしには店舗デザイナーとしての経験しか持ち合わせていない。
そして店舗デザインは、ここではしないつもりでいる。もし頼まれれば、ウブドの環境に合ったデザインでよければという条件で無料で協力してもよいと考えている。
ロンボク島ギリ・トラワンガンではライブ・ハウスを考えていたが、ウブドには似合わないので持ち込みたくない。
自分が商売に向いていないことは、日本で何度も失敗していて重々承知している。新しいことに挑戦する心意気は、自分でも感心するほど素晴らしいとは思うのだが、いかんせんあきらめも早く、オリンピックのように4年に1度の割で商売替えをした。
23歳ではじめた手作りとリサイクル・ショップ「人畜無害」を皮切りに、ライブ・ハウス「コマンド」、仲間と共同で起こしたイベント会社やエアーブラシとバニングの「イング=ING」などをやってきた。赤字の時は、デザイナーの収入で補填していた。
日本を離れる間際まで、近所の子供たちを集めて学習塾をしていた。引っ越したばかりの息子に、友達を作らせようと始めた塾だ。遊びが中心だったので、子供たちは喜んで通ってくれた。
子供たちには「インドネシアに行って来る」とだけ言い残して出て来た。「帰って来たら、また塾やってくれる?」。幼い子供たちの声が辛かった。
息子は、幼稚園の徒競走で、転んだ友達を待っていてあげるほど優しい心の持ち主だ。勝負にこだわらない性分は、わたしと似ているかもしれない。
ほとんど勝つことはないが、わたしが勝って負けた相手ががっかりするなら、わたしは負けて相手が嬉しがる方を選ぶ。こんな性格だから勝負事は苦手だ。だから勝負事はしない。
友達はたくさんできたかな。皆と仲良くやっているかな。今頃になって、我が子のことを心配をしている。

怠け切った頭をフル回転して、まず考えついたのがコインランドリーだ。
旅行者は移動する輩。少なくて2日は滞在しないと洗濯はできないだろう。さいわいウブドを訪れる旅行者は、比較的滞在日数が多い。滞在日数があれば、洗濯をするはずだ。バックパッカーたちは、汚れに汚れた服をまとめて洗うだろう。
コインランドリーの横には、ホットシャワーかバスタブのある銭湯を併設する。このアイデアは、20年前に海外旅行をした時に、大きな電車のターミナルには必ず有料シャワーがあったのを思い出したからだ。日本の大きな駅にも銭湯があることは、帰国してから知った。
渓谷沿いの林の中にある銭湯。これが本当のジャングル風呂だ。洗濯も面倒だという旅行者には、洗濯とアイロンのサービスがあって、銭湯に入っている間に、洗濯物はアイロンがかかってできあがっている。なかなかのアイデアだと思った。
ウブドでは「環境に優しく」をモットーに滞在しようと思っている。
インドネシアで販売されている洗剤を調べてみたが、どの洗剤にも含まれる素材が表示されていない。成分のわからない洗剤を使うわけにはいかない。汚水処理も充分にできないウブドで、害のある洗剤を使うコイン・ランドリーは適さない。水シャワーしかないロスメンに泊まっている節約旅行者には、銭湯の需要があると思うが、こちらのほうは保留にした。
また、こんなことも考えた。
日本には放置自転車がたくさんある。
役所に保管されている放置自転車を買い受け、分解してインドネシアに輸入し、ウブドで組み立て販売するのはどうだろう。わたしも一台持って来ている。ウブドでは中国製の重たい自転車が主流だ。日本製というだけで、わたしの自転車を譲って欲しいという人がたくさんいる。放置自転車の処理とインドネシアに安い自転車が供給できるという、一石二鳥のアイデアはどうだろう。
モンキー・フォレスト通り〜ハノマン通り〜ラヤ・ウブド通りを循環するバスはどうだろう。ウブド循環観光バスだ。手をあげればどこでも乗車でき、ストップと言えばどこでも下ろしてくれる。これは歩いている旅行者には便利だろう。もちろん旅行者以外の現地の人もオーケーだ。
日本で、古家屋をレストランや喫茶店に改装したことがある。貸店舗より安く借りられ、おまけに民家というのがユニークだったせいか人気があった。そのアイデアを、ここで使ってみようと民家を物色した。バリの伝統的家屋を見学しながら、伝統音楽や舞踊、料理や供物作りを習ったりすることができる。ショッピング・エリアでは、絵画や彫刻や民芸品を売る。自分のアイデアに少し興奮気味。ところが、慣習的理由からか空き家は、まったくみつからなかった。
花屋というのも優美で楽しい仕事だろうと考えてはみた。しかし、こんなに豊富に花が庭に咲いている人々が、それを切ってまで部屋に飾るはずはないと断念した。
長期滞在者のための「なんでも貸します」やリサイクル・ショップ。
日本人男性の滞在者が多ければ、麻雀荘やスナックなども考えられるところだが、それもここではわたしにとって御法度ビジネスだ。
わたしの能力では、このくらいしか考えつかない。

わたしのウブドでの商売の条件は、2つある。
ひとつは、環境破壊につながるものは極力避けること。
もうひとつは、現地の人の仕事は奪いたくないこと。彼らの生活を脅かすような競合もしたくない。彼らにできない商売を考えなくてはいけない。できれば協力できる方法を探す必要があると思っている。
そう考えていくと、できる商売はほとんどなくなってくる。
レストランはどうだろう。これも現地の人ができる料理ではだめだ。そうなると日本食しかない。わたしの頭は、旅行者は外国に来たらその国の料理を食べるべきだとかたくなに思っているところがある。食はその国の文化。それは、その国を知る近道だと考えている。
1年間の節約旅行中、6ヶ月間アルバイトしていたパリの日本食料理店「さくら」で支給される“賄いご飯”はしかたがないとして、残り6ヶ月間は1度も日本食を食べていない。・・・なんて強気なことを言ったが、帰国直前に、タイのバンコックで焼きそばを食べたことを告白しておく。
そこで、バリ島にある、あちこちの日本食料理店ののれんをくぐった。
安い店は味が悪い。高級料理屋は高すぎる。バリの日本食料理店は、こんな状況だった。
相変わらず、わたしの部屋は駆け込み寺のように、地元料理が喉を通らない日本人ツーリストが訪ねてくる。
わたしも、インドネシア料理やバリ料理に食が進まなくなり、灯油コンロを使って簡単な自炊をするようになっていた。寒い夜には、入浴のための湯を沸かすのに灯油コンロは役に立っている。
バリのご飯の炊き方は、一度蒸した後、別の容器に移して湯を注ぎ、水分を吸収させてから、もう一度蒸して出来上がり。これでは、日本のようにふっくらした仕上がりにならない。ナシゴレン(炒飯)には向いているが、日本人にはもうひとつ馴染めない白飯だ。欧米でも、こんな方法で作っていると聞いたから、日本式が特別なのかもしれない。わたしは、鍋で日本式に炊いている。
自分も含めて、困っている人がいるのなら、日本食料理店は、必要かもしれないと考え始めた。
できれば、屋台街のようにさまざまな旅人が集い、情報を交換する店にしたい。料金も屋台と同じくらい安くやりたい。
ここでサクセスを望んでいるわけではない。10年間の長期滞在ができれば満足なのだ。サクセスしたいならヨーロッパかアメリカで挑戦するだろう。
日本人女性の経営する食堂が、ウブド大通りにある。
彼女の食堂には、メニューに数品日本食があるので、時々、顔を出している。小さな村のこと、競合する商品を出したくなかったわたしは、日本食料理店出店の意思を伝えに伺った。彼女は、快く承諾してくれた。


つづく




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