「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■10月・19) スマラ・ラティに感動


ウブドでの生活は、まったくのんびりしたものだ。
滞在日数が増すごとに、バリの底知れない魅力にとりつかれていく。そのひとつが伝統芸能だ。
毎週のように王宮で催されるバリ芸能を観ているが、まったく飽きないのが不思議である。
しかし、興味は惹かれるものの、のめり込むまでには至らなかった。
そんなある日、ガムランと舞踊との強烈な出逢いをした。

バリ舞踊を習っているシバキチ君が「先生の踊りを一度見て! 絶対、感動するから」と誘ってくれた。
そのシバキチ君に誘われるままに、トゥブサヨ村にあるダラムプリ寺院の集会場で行われている、毎週月曜日(開演:7.30pm)の定期公演に出かけた。演目は、ラマヤナ物語。
ダラムプリ寺院は、プラマ社のバスでウブドに最初に来た時に見た鎮守の森の中にある。
集会場には、1メートルほど高くなった舞台がある。屋内の舞台は、バリの芸能には適さない。その点で、王宮の屋外舞台は最高のロケーションにある。
客席は空席が目立つ。この観客入りでは、技量も期待できないだろう。
わたしは、意思消沈気味で椅子に腰を下ろした。
舞台の左右に、中央に向かってガムランが2列づつ並べられているのは、ほかのグループの公演と同じだ。すでにガムランの前には、20数名の演奏者たちが姿勢を正して坐っていた。

演奏者たちが、一斉に金槌型の木製バチを手にした。
この時、演奏者全員から強い『気』のようなものが発散されているのを、わたしは感じた。
むぅ! ひょっとすると演奏は期待できるかも。
バチを持った右手は、上がるが早いか一斉に振りおろされ青銅の鍵盤を力強く叩いた。
弾かれた音は、大小の黄金の鈴となって宙に舞いあがり、眩いばかりの光であたりを満たしくようであった。寄せては返す波、風に揺らぐ葉、炎の揺らめき、自然界の持つ旋律に似て心地良い。こんなガムラン演奏は今まで聴いたことがない。
予想した以上の、素晴らしい音が叩き出されていく。
わたしは、音の世界に没入したくて、軽く眼を閉じた。
閉じたまぶたの裏に、幻想的な世界が広がってゆく。
天界から、黄金色の光を放つ一尾の鳳凰が、しなやかな長い尾で書する一筋の光跡を残して舞いおりて来る姿が見える。薄桃色の蓮の華が咲き誇る池では、もう一尾の鳳凰が、美しい真珠色の輝きを放ち舞っている。つがいの鳳凰は、求愛するかのように、たがいのまわりを翔びかう。翼や尾の微妙な動きに、青銅鍵盤の音が煌びやかに反応する。優雅な音だ。
演奏者は、どんな表情でこんな素晴らしい音楽を奏でているのだろう。わたしは思わず眼を開けた。
網膜に、疾風のごとく鍵盤を操る演奏者のバチさばきが飛び込んで来た。これが人間技かと、瞳を全開にし固唾を呑んだ。
音のシャワーが、わたしの身体中の毛穴をひとつひとつを押し拡げ、風通しをよくしてゆく。興奮で緊張した肉体(からだ)から毒気が剥がれ落ち、肉体がどんどん軽くなってゆく。
一瞬、演奏者たちの表情が、いかにも満足そうな笑顔になったのをわたしは見た。彼らだけが共有できる感動を得た悦びだろう。
演奏曲が終わると、まばらな拍手が送られた。

シバキチ君の先生は、いつどの場面で出てくるのだろう。わたしは訊くのを忘れていた。
その時、舞台の奥中央にある開け放たれた扉から、みごとな刺繍のほどこされた短冊状の布を幾重にも重ねた衣裳に身を包んだ男性の踊り手が現れた。両手を左右にかざし、勇壮な登場だ。
指先から爪先まで、全身に神経を張りつめた隙のない動きだ。カッ!と見開いた眼は、瞬きひとつしない。瞳は小刻みに動き、しだいに充血していく。
冠に無数に散りばめられた貝殻片のようなものが、炎のように揺れ、閃光をまき散らす。短冊状の布は、激しい身体の動きにもかかわらず、しなやかにたなびく。
踊り手が演奏を指揮するかのように、音と動きがみごとに一体となっている。踊り手の発散するエネルギーが、彼の全身を包み込み、朝陽色に漂う陽炎が見えた。これがオーラというものだろうか。
わたしの意識とエネルギーが、彼の強い磁気に吸いこまれていった。
「凄い! すごい! スゴイ!」
心の芯で、わたしは何度も繰り返し叫んでいた。
やがて、吸いこまれていったわたしのエネルギーが、パワー・アップされて戻ってきた。
バリのスピリットが、意識の中に吹きこまれたようだ。
感動の波がどこからともなく沸き上がり、わけもなく眼球の裏上あたりにウルウルとした感覚がした。涙腺がどこにあるのか知らないが,それは涙となって瞳に溢れてきた。
踊りの技量についてまったく無知なわたしが、いったい何に心を打たれたのだろう。 「グループの名前はスマラ・ラティ。踊りはバリス・トゥンガル。ソロで踊られる戦士の踊りです。あの踊り手が、わたしの先生のアノムです」。シバキチ君は、そうつぶやいた。

ラマヤナ物語が演じられる前に、アノムのバリス・トゥンガルが踊られる。
これは、スマラ・ラティ・グループの目玉演目だ。アノムの踊りは、グループ結成前からすでに有名で、それだけを観るためにバリを訪れる旅行者もいると言う。
物語のあらすじは、相変わらず理解していないが、どの演じ手もすばらしかった。ハヌマン役の踊り手は特出していた。シータ姫役は、可愛さでグンマニに軍配が上がるかな。
わたしもシバキチ君同様に、このグループに魅了されてファンになった。
この日を境に、わたしはこの素晴らしいグループをどうしても紹介したくて、友人や旅行者に「これを観ただけでも、バリに来た甲斐があると思いますよ」。こんな誘い文句で、スマラ・ラティの公演を観るようにと率先して推薦した。そして、観た人の期待を裏切ることなく、いつも感謝された。
もちろんわたしも、毎週欠かさず出かけて行った。
毎回、今夜はどれだけの観客が入るか、自分のことのように心配した。客の入りを見て、一喜一憂する日々が続き、観客が少ないと、自分の責任のように落ち込んだ。そして、観客の少ない分だけ、人一倍大きな拍手をした。
「お客少なかったね」。さも、わたしの責任のようにアノムに話かけると、
「少なくてもいいんだよ。われわれの演奏と舞踊が好きな人が、ひとりでもいいから観てくれれば、われわれはそれで満足だ」と模範的な答えが返ってきた。
アノムは、16歳でバリ舞踊コンテストのバリス部門で優勝している。お父さんのコンピアンもバリス舞踊の名士だった。アノムはコンピアン父さんに厳しく指導されたようだ。その指導風景が外国の雑誌に載っているのを見たことがある。
後になってニュークニン村の「ガーデン・ビュー・コテージ」の中庭で、コンピアン父さんの上半身裸で腰布(カマン)だけで踊るバリスを観た。衣裳をつけていないと身体の動きに?がつけない。コンピアン父さんの裸の動きの美しさに感心したものだ。
この時、アノムとバトゥアン村の舞踊家ジマット氏もバリスで共演した。大御所3人のバリス揃い踏みは、それぞれに個性があり見応えが会った。日本人ツーリストの斬新な企画だった。


                      

バリの芸能は、神々に奉納されたのが起源です。
音楽・舞踊、そして絵画・彫刻がそうだ。
音楽を奏でるガムランは、村々が所有し、儀礼のために演奏された。
王族が所有するガムランは、王宮内で娯楽として催されていた。
そんな旧態依然の組織が、近年のガムラン界を支配している。
スマラ・ラティのリーダー、アノム氏は、今までのような古い習慣にとらわれないで、純粋に芸術性を求めて活動できる集団を創りたいと考えた。
奉納芸能を、芸術として確立したかったのだろう。
アノム氏の考えに賛同した芸術アカデミーの学生や卒業生、ウブド周辺の優秀なガムラン奏者と踊り手たちによってグループは結成された。
今から33年前、1988年10月28日のことだ。
結成されたのはいいが、その幕開けは苦戦が強いられた。
スマラ・ラティの台頭を快く思わない者がいる。
不快感を持つ村人は、スマラ・ラティに練習場を提供しなかった。
「どこの村に行っても、掌をひらひらさせて皮膚病の犬でも追い払うように扱われた」と、アノム氏は当時を語る。
屈辱的行為を受けている。
ウブド村から遠く離れた村で、隠れるように練習を重ねる日々が続いた。
メンバーに対しても、嫌がらせや邪魔が入り、練習ができないことが何度もあった。
そんな仕打ちに、グループを脱退して行く者も出た。
収入のないグループに、メンバーは手弁当で参加している。
そして1990年、念願の定期公演ができることになった。
旗揚げしたものの、ここでも苦戦を強いられた。
ウブドの観光案内所でチケットは扱ってもらえず、旅行者が訊ねても何も教えない。
アノム氏を中心にして、メンバー自らがチケットを売り歩いた。
まったく情報のない状態で、観客が集まるはずがない。
定期公演会場は、メンバーが誘った10人にも満たない観客が前列に座った。
メンバーたちは、いかにも楽しそうに公演している。
本当に、バリの芸能が好きな奴らだ、と感心する。
実力あるグループだからだろう、コチコミ情報が日本に流れるようになった。
一度鑑賞すれば、誰もが推薦したくなるグループだ。
スマラ・ラティの公演日に合わせて、旅行日程を決める人まで現れた。
こうして、1992年の日本公演を皮切りに、世界に羽ばたいていったのである。

※1986年8月7日・8日にラフォーレミュージアム原宿で行われたサダ・ブダヤ歌舞団ガムラン公演の記念冊子「芸術の島・バリ」(1986年8月1日発行)を見ると、踊り手の主要メンバー(アノム、アユ、アノムの妹オカ、クビヤールの名士・マハルディカ)と優秀な演奏者(舞踊家でもあるマデ・シジャ&グスティ・ラナン)の顔ぶれが、スマラ・ラティに参加していた。


つづく


※《「極楽通信・UBUD」神々に捧げる踊り》: 《プロローグ》を、参照しました。



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