「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■8月・15) 巡回映画に興奮


屋台街の食事が、3ヶ月も通うと飽きてきた。
ツーリストがよく利用する安めのレストランに行ってみる。
ウブド大通りにある「チチャク」は、中華系の奥さんが作るナシゴレンが美味しいと評判に店。
モンキーフォレス通りには、パンダワ・ホームステイ前の「アユズ・キッチン」、小学校前の広場横にあってユニークな手動リフトで2階に料理を運ぶ「ディアン」、その奥に田んぼを背景にして建つ「カフェ・バリ」。

カフェ・バリ

これらは、ひと夏だけで役目を終える海の家のようなオープンスペースの簡素な造作の店だ。
残念なことに、どの食堂もどこかセンゴールと同じ味がするような気がする。
椰子油のせいだろうか?
とにかくこのところインドネシア料理に、食傷気味だ。
屋台や食堂の前を通り過ぎるだけで、椰子油の匂いで気持ちが悪くなる。
ちょっとばかり重症だ。
こうなると、ツーリスト御用達の高めのレストランに行くしかない。
知り合ったツーリストから「美味しい店を見つけた」という情報を得ると、さっそく出掛けていく。
これも長期に滞在している者にとっては、楽しみのひとつだ。

「ノマド」「グリヤ」「ムルニーズ」「カフェ・ワヤン」など、有名レストランは数々あるが、わたしの日々の食事には贅沢な料金で近づけない。
今のところ、わたしの行きつけのレストランは、変則十字路の近くにある「ムティアラ」だ。
ムティアラの前身は、ホテル・チャンプアンと同じ時期(1955年)に一般ツーリストを泊めたウブド初期のホテルだそうだ。
主にジャカルタの旅行社から送られたツーリストが対象で、客室8部屋という小さなホテル。
1980年代まで営業していたようだが、今はない。
レストランといっても、インドネシア料理が欧風風味になるだけのこと。
ツーリスト御用達レストランは、少々値段が高いので現地の人はほとんど利用しない。
ムティアラ・レストランは、変則十字路を見渡せる位置にある。
道路に面したところがオープンになっていて、涼しい風が通り抜ける。
クーラーのいらない自然空調だ。
だだっ広い店内の大きなテーブルのひとつに席を取った。
客はわたしだけ。
手持ち無沙汰にしていたウエイトレスが近づいて来る。
腰布の足もとは裸足だ。
彼女の足は華奢だが、バリ人の足を見て、この指は大地を掴んでいると感心した覚えがある。
自分の足が、軟弱に見えて恥ずかしかった。 ウエイトレスはメニューをテーブルの上に置くと、注文を取る伝票とペンを手に、隣の席に腰をおろす。
「ここ座らないでください」と断るのも妙な気がして、わたしは何も言わない。
注文する料理はすでに決めてあるが、とりあえずメニューを見る。
ウエイトレスは、わたしの方を見るわけでもなく、外をぼ〜と眺めている。
通り過ぎたのが知り合いだったのか、大きな声でどなった。
日本では考えられない接客態度に、驚かされる。
ミックスジュースとナシゴレンを注文した。
「結局、ナシゴレンかい?」と呆れないでください。
わたしはナシゴレンが、好物なんですよ。

様々な人が、店の前を通り過ぎる。
変則十字路を行き交う村人ウオッチングだ。
もう何年も洗っていないと思われる長い髪が、かびかびの古雑巾のようになって頭上で折り畳まれて乗っている男性。
インドの苦行僧みたいだ。
バリもインドと同じヒンドゥー教だから、苦行僧かと思ったが、そうではないようだ。
こんな風体の人物を結構見かける。
こんな人が普通に生活しているのがウブドだ。
黒豚をつれて歩いている人。
100羽はいると思われるアヒルの群を、先に布のついた竹竿ひとつで誘導している人。
野良仕事帰りの百姓さん。
牛の親子をつれた子供。
椰子の葉でこしらえた帽子をかぶった老人。
闘鶏用の鶏を入れると思われる釣り鐘型のかごを、20ほど、天秤棒で運ぶおじさん。
前後10メートルほどの長さだ。市場に卸しに行くのだろう。

行商

鍋釜の修理屋。
靴、傘の修理屋。
自転車にこれ以上のせられないほどのせたオモチャ屋。
ジャムーと呼ばれるインドネシアやバリの伝統的漢方薬を売る人。
さまざまな物売りが通る。
濃密な南国のフルーツ・ジュースをストローで咽に運びながら、変則十字路を眺めていると「ここは外国なんだ」と実感する。
右片隅にあるマネーチェンジのカウンターに、白人の客が来た。
入り口で、履物を脱いでいた。
バリ人が、タイル貼りのテラスに上がる時に、サンダルを脱ぐのを見ることはあるが、ツーリストが脱ぐのを見るには珍しい。
長期滞在をしていて、習慣を理解しようとしているツーリストかもしれない。
「ムティアラ」の交換レートは、ウブドで一番いいと聞いている。
日本円からインドネシアのルピアに交換するわけだが、来た当時と比べて、今のレートが良くなっている。
懐かしい匂いを伴って、ナシゴレンが大きな皿にのって運ばれてきた。
ケチャップで味付けた店が多い中で、この店は中華風焼飯だ。
食欲不振のわたしには、たまに食べるレストランの味は美味しい。
冷蔵庫のあるレストランは少なくアイスクリームを食べたい時は、市場正面にあるレストラン・プリスバー(Puri's Bar)に行く。
プリ(Puri=王族の屋敷の総称)とついてるから王族の経営だろう。
名前はバーだが、内容はありふれたレストランだ。
パンケーキの上にアイスクリームをのせただけの物だが、これを食べる時は至福の時間だ。
アイスクリームはほとんどシャーベットの舌触り。
停電の多いウブドではしかたがないことだ。


                      

銀行・電話局・郵便局について触れてみよう。
わたしが持ってきた現金は、ウブドに滞在始めてまもなく銀行に預けた。
銀行の年利息が30パーセント以上というのは魅力だ。
これなら利息で食べていける。
しかし、そんな退廃的なことは、わたしは好まない。
インドネシアでは銀行の倒産も日常茶飯事だと聞いている。
この破格の利息ならうなずける。
銀行に預けるのは心配だが、ホームステイに置いていくのも持ち歩くのも、もっと不安だ。
地元の人たちは、銀行を信用せず金(22Kでできた装身具)を購入する。
金ならインフレもないし、いざという時には換金できるというわけだ。
といって、成金趣味のように金の指輪やネックレスを身につける趣味はわたしにはない。
どこかの銀行に預金する必要がある。
ウブドには、いくつかの銀行がある。
どこの銀行が安全かまったくわからない。
大通りに「バンク・セントラル・アジア」の看板があった。
日本語にすればアジア中央銀行。
ビッグな名前を信用して、ここに預けることにした。
この手の信用の仕方は、詐欺に遭いやすいタイプだ。
さっそく「バンク・セントラル・アジア」に出掛けた。
レストラン・ノマドの東隣に、2階建て貸し店舗がある。
2階に電話サービスが入っている店舗だ。
1階が3軒に別れていて、その真ん中が「バンク・セントラル・アジア」だ。
銀行名は立派だが、店舗は右隣のマネーチェンジの店と間違えてしまうほどお粗末だ。
扉を開けて中に入ると、3メートルほど向こうに高いカウンターがあった。
狭くて薄暗く陰気な雰囲気で営業している。
こんな銀行に預けて大丈夫だろうかと、尻込みしてしまう。
それでもとにかく預けることにした。 2階にある電話サービスは、「レストラン・ノマド」の経営だ。
国際電話ばかりでなく、日本からのファックスもここで受け取ることができる。
助かるには助かるのだが、どうも独占企業のようで対応が横着だ。
ウブドに公衆電話が少ないのと、あったとしてもことごとく壊れていて使えない。
ウブドの警察署斜め前にある公共の電話局は、怠惰で仕事をする気がない。
そんなことで、どうしてもノマドの電話サービスを利用する。
猜疑心の強いわたしは、ひょっとすると公衆電話の壊れているのはノマドのしわざで、電話局員が怠慢なのはノマドから小遣いをもらっているせいではないかと疑ってしまう。
反面、ウブドの郵便局の局員は皆、親切で優しい。
郵便局止めの手紙を受け取りに行くのは長期滞在者の楽しみのひとつでもあるが、誰にも居所を知らせていないわたしには、そんな楽しみは来ない。
それでも、時々顔を出すわたしの顔を局員は覚えていて「友だちに来ているから渡してくれ」と封筒を見せる。
カルタと同様に郵便局員も、ウブドに滞在する日本人は、みんなわたしの友だちだと思っているところがある。
数少ない滞在者なので、ほとんど知り合いなのは確かだが。
知人も自分で取りに来たほうが嬉しいだろうが、頼まれればしかたがない。
宛名は、よく知っている女性だったので、受け取って帰る。
そう言えばカルタは、郵便局で日本人女性に声を掛けることも多い。
ミユキの屋台に、日本人女性が4〜5人集まっていたことがあった。
そこへ顔を出したカルタに、ひとりの女性が「わたしカルタさんに、郵便局でナンパされたことがある」と発言した。
カルタの顔が少し引きつっていた。
ミユキが「カルタは、わたしにも声を掛けてきたわよ」と言うと、ほかの女性たちも「わたしも郵便局で声を掛けられた」と盛り上がってしまった。
そこにいた全員が、カルタにナンパされていたのだ。
カルタはいたたまれなくなったのか、そそくさとその場を後ずさっていった。
しかし、さすがカルタだ。それでも、笑顔は絶やしていなかった。
皆の前で、暴露してしまう日本人女性が怖いと思った。
「注意!注意!」わたしは肝に銘じた。



巡回映画に興奮した話。
夜は何もすることがない。
日本語の本が手に入ると、10ワットの裸電球の下でむさぶるように読みふける。
慣れてくると、この薄暗がりの中でも充分に本が読める。
日本にいる時は、読書の趣味のなかったわたしも、もてあます夜の時間を読書についやす。
ウブドには、新品の日本語の本を売っている本屋はない。
旅行者が置いていったと思われる古本を売る店が数軒ある。
古本屋にしたって、自分が読みたい本を選ぶほど在庫があるわけではない。
今のところ、旅行者が持ってくる本を貸し借りするのが現状で、どんな種類の本が手に入るかわからない。
旅行者が持って来る本は、精神世界の話やリラックスして読める旅行記ものが多い。
どんな本にしても、日本語の活字恋しさに、手に入る本を片っ端から借りて読む。
片っ端から読むと言っても、長期滞在の日本人は20人も満たないだろうし、知り合う日本人旅行者も少ない。
手に入る本の数もしれている。
バリのことをほとんど知らないわたしは、できればバリ関係の本を読みたいのだが、そんな贅沢を言ってはおれない。
本が底をつくと、次の旅行者が訪れるのを待つしかない。
今夜が、その底をついた日だ。

変則十字路角の二重屋根の大きな建物の壁に、映画の垂れ幕がかかっていた。
建物は村の多目的ホールのようで、たまに巡回映画の会場になるようだ。
今夜は、映画を見に行くことにしよう。
映画は、週2回上映されている。インドネシア映画がほとんどだが、時々、海外からの映画も上映される。
インドネシア映画が500ルピアで、外国映画は1000ルピア。今夜の映画はインドネシア物だ。
娯楽らしい娯楽のないこの村で、映画は村人の数少ない娯楽のひとつだろう。
手持ちぶさたな夜には絶好の時間つぶしだ。
建物は竹で編んだ壁に囲まれていて、中の様子を見ることはできない。
幅2メートル、奥行き1メートルほどの小屋が、道路に面した歩道に建っている。
チケット売りの小屋だ。小屋には、ワット数の小さな豆電球がひとつ、小窓を照らしてぶらさがっている。
どことなく、パチンコ店の現金引き換え場のような雰囲気だ。
数人の村人が近くにたむろしているが、映画を見に来た人かどうかはわからない。
小屋の前に誰もいないのを確認して、小窓に500ルピアを掴んだ手を突っ込んだ。
すぐに、左右から地元の若者の手が小窓に差し込まれた。
いつのまにか、集まっていたのだ。
お金を渡したのはいいがチケットを手にすることができるのか、不安になってくる。
チケットが手に入らなくても、言葉ができないので文句の一つも言えない。
心細くなったが、手は引っ込めなかった。
しばらくして、掌に小さなチケットがのせられた。
粗末なチケットを手にして、スゥエタ通り沿いにある入り口に向かう。
扉も、やはり竹で編んだ素材が使ってある。
素朴というよりは、これも粗末と言っていいだろう。
扉の前に立っている青年に、チケットを手渡した。
脇で大きな発電機が、村の静寂を破る無粋な機械音を出してうなっている。
青年はチケットをもぎり、半券を返すと扉を開けてくれた。
終戦直後のサーカスか見せ物小屋にでも入る気分だ。
中に入ると、左手の壁に取り付けられた大きなスクリーンが、風にかすかに揺れていた。
椅子は教会にあるような背もたれのついた長椅子だ。
どれもこれもが、どこか壊れている。
右手の3分の1ほどがステージのように一段高くなっていた。
その上には、重々しい竹の椅子が並んでいた。
開演の時間にまだ早いのか、5分の1の入りだ。
満員になれば、200人は入るだろう。
天井高く取り付けられた蛍光灯が青白い色を発し、場内にうらさびれた雰囲気をにじませている。
わたしは、ステージの前を中央に進み、壊れていない長椅子を選んで腰掛けた。
よく見ると、屋根近くの梁部分に壁がない。
すきま風が入るのだろう、正面のスクリーンが大きく揺れた。
なんとなく微笑ましく思われ、顔がほころんだ。
上映される映画は人気があるのか、しばらくすると場内は100人ほどで埋まった。
客は、小学生くらいの少年から30前の青年男女がほとんどだ。
少年たちは皆、タバコを吹かしている。誰もそれを咎めようとしない。
日本なら、警官か生活補導の先生に注意されるだろう。
場内はタバコの煙りが煤煙のように不健康に霞んでいる。
タバコを吸わない人にはもうしわけないと知りながら、他人の吐いた煙を吸うよりはましだろうと、わたしもグダンガラムに火をつけた。
日本から持ってきたロングピースが、2日前に底をついていた。
今は、インドネシアの庶民のタバコであるグダンガラム12をふかしている。
ロングピースに勝るタバコがインドネシアにあるとは思えなく、これを期に、禁煙しようかと考えていた。 自分が吸っている時に、周りの他人に薦めるバリ人気質のカルタがわたしに差し出したのが、グダンガラム12だった。
試しに一服したグダンガラム12が、辛口の好きなわたしの趣向にあった。
唇に甘さが残るのが気になるが、丁字(クレテック)の時々弾ける感触が気に入ってしまった。
そして、いつのまにかグダンガラム12の愛好家になっていた。
火はつけたものの、やはり、吸っていない人に対して罪悪感を感じ、指先で火をもみ消し箱に戻した。
隣りの王宮からガムランの音が聞こえてくる。
芸能のパフォーマンスがはじまったのだ。
発電機のまわる音が耳障りだ。
映画の内容は、まったく理解できなかった。
ひんぱんに蛇の出てくる恋愛物語だった。
フイルムは傷だらけで、映画は途中でよく切れる。
そのたびに観客は、ヤジをとばす。
時には、火のついたタバコをスクリーンに向かって投げつける。
前席の客の頭に、火のついたタバコが落ちたのを見た。
当たった人は、困った顔を見せたが喧嘩にはならなかった。
わたしだったら、どうするだろうか。
持って行く先のない怒りを、振り返って闇雲に睨み付けるだけだろう。
観客は映画の内容を期待しているより、この場の雰囲気を楽しんでいるようにみえる。
つまらない映画に嫌気はさすが、わたしもこの場に雰囲気を楽しむことにした。

※この巡回映画は、まもなく廃止になった。
なんでも、子供に与える影響を考えての措置らしい。
ウブドは芸能の村。
子供たちが、伝統芸能に興味を持たなくなってはたいへんだというのが、理由らしい。
もうすでにテレビが普及しはじめ、そんなことで歯止めはできないだろう。
州都デンパサールへ行けば、首都ジャカルタとはいかないまでも、かなり文明は入ってきている。
止めるのではなく、理解したうえで自分たちの芸能に興味を持って欲しいものだ。


つづく




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