「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■8月・13) サクティに家を建てる


この頃のわたしの目覚めは午前10時前後だ。
わたしは、起きるとまず重い木の扉を開け放す。これが「只今、伊藤は起床しました」という無言の合図になっている。絶妙のタイミングで、お手伝いのワヤンが朝食の用意してくれる。
日課となっている洗濯と水浴びを終えると、もうすることはない。

カルタの家族が所有する土地が、ウブドの変則十字路からスウェタ通りを北上したところにあると聞いている。何度もカルタに誘われているので、出掛けてみることにした。
「今、わたしのお父さんが田んぼの仕事をしているから見に行こう」。そう誘って、カルタは歩き出した。
歩きながら「わたしのお父さんは女好きなので “スケベ” というあだ名がついているです」。あまり褒められたあだ名ではないと思うのだが、カルタはそれが的を得ているとでも言うような顔で嬉しそうに話す。
バリ人には似た名前が多いため、あだ名で呼ばれることが多い。カルタの弟は、ドリアンをたくさん食べるところから「大食い」の意味で「カポ」と呼ばれている。末の弟は、ちょうど生まれた時にタイのボクサーが世界チャンピオンになったらしく、お父さんがバンコクとつけ、ニョマン・バンコックとなった。縮めてマンコ。自己紹介された時の、由美さんの赤面した顔が忘れられない。
「ノッポ」「デブ」と呼ばれているバリ人を知っている。そんな相手を傷つけそうな名前で呼び合っていて、喧嘩にならないのが不思議だ。
知識を披露するようで恥ずかしいが、バリ人の名前について、これまでに知ったことをもう少し書いておこう。ブラフマ・カーストであるイダバグースのプトゥー君はグストゥー、プトラ君はグストラ、ウエシャ・カーストのデワ・プトゥー君は、デワプとなどと縮められて呼ばれている。既婚の男性に対しては、通常バパと呼ぶが、高位カーストの既婚の男性にはアジがついて、アナックアグンはグンアジ、グスティにはグスアジと呼ぶようである。

話を元に戻そう。
なだらかな上り坂の道をしばらく歩くと、1キロの地点に中学校がある。このあたりは、ウブド村サンバハン集落だ。
サンバハンを抜けると、左手に棚田がひらける。右手は渓谷だ。ここからは、サクティと呼ばれる土地だ。サクティとは、超自然的な力や精神力、カリスマ性などを意味するサンスクリット語だ。
道路右脇に「ウブドまで2キロ」の道標が立っている。道標の右手の渓谷沿いが、カルタの家族が持っている土地だ。まわりにはまったく建物はなく、なだらかな棚田が広がっている。南方遥かかなたに、うっすらとクタの海岸が見えた。
畦道を下りた空き地の向こうが渓谷になっている。
「スラマッ・マカン」
カルタは、バナナの葉になにかが包まれていると思われる物をわたしに手渡した。
掌にのる大きさだった。開けると、おかずがのったご飯だった。バリの弁当、ナシブンクスだ。
わたしは、さっそく田んぼの脇にある小川で手をすすぎ、弁当を持って早足に椰子の木陰に向かった。椰子の木陰での休息は、南国の風物詩だろう。どこかでそんな写真を見た気がする。
腰を下ろそうとするわたしに向かって「そこは危ないです」とカルタが注意した。
「えっ!!」。何が危ないだろうかと幹を見ると、大きな赤い蟻がいっぱい徘徊していた。この蟻に噛まれると、すごく痛いのを経験で知っている。この赤蟻は、木の葉を丸めて巣を作って棲息する。このことを、カルタ君は注意してくれたのだろう。この椰子の木には赤蟻がいる、それなら、他に椰子の木に移ればいいだけだ。
カルタは、本当に優しい男だ。しかし、優しいカルタの指先は、天に向かっていた。
「椰子の実が、時々、落ちてきます。だからバリ人は、椰子の木の下は歩きません」。満面の笑顔で、そう言う。
「ヒャー!!」と叫び、わたしは木陰を離れた。
うしろで「ドスン」と鈍い音がした。1メートル先に大きな椰子の実が転がっていた。危機一髪だった。
ホテルや道端にある椰子の木は、熟して自然に落ちる前に、常に人の手によって実が落とされていて安全だが、こういうところに自然に生えている椰子の木からは、古くなった実や大きな葉が落ちてくる。
「頭の上に落ちてきて、死んだ人はいないのですか?」。わたしはカルタに、素朴な質問をした。
「います。でも少ないです。この前ここへ来た時も、この椰子の木の下を歩いていて、うしろ60センチに椰子の実が落ちてきました。あと1秒、遅かったら頭に直撃だったです」
わたしは「くわばらくわばら」と呪文のように繰り返しながら、椰子の木から離れ、青空の下の草むらに腰をおろした。
カルタのお父さんが、田んぼ仕事を終えて、われわれの近くに来て腰をおろした。
わたしは「この小柄な親父が“スケベ”と呼ばれているのか」と微笑ましい気持ちで会釈をした。
「今でも、遠くまで絵の行商に出掛けては、その土地土地で浮き名を流しているよ」。これもまた、カルタは嬉しそうに説明する。お父さんは、日本語が通じないので終始ニコニコ。
渓谷を見下ろし、バナナの葉で包まれた弁当を広げる。もちろん、指先で食べる。
カルタとスケベお父さんと一緒に、わたしは野趣豊かなピクニック気分を味わっている。
大きな赤いくちばしに色鮮やかな青い翼を持つ鳥が、風車をつけた弾丸のようにスーッと飛んでいった。猿の森で見たと同じ種類の鳥だ。ウブドは、世界の各地から愛鳥家がバードウオッチングに訪れるところだと聞く。特に、空飛ぶ宝石と呼ばれる「カワセミ」の生息地として、愛鳥家に知られているらしい。
食べ終わると、汚れた右手指先を小川ですすぐ。バナナの葉と食べ残しは、自然に帰るものだから草むらの隅にポイと捨てた。
目の前の椰子の幹に、カルタのお父さんが取りついた。両足に絡ませたロープを滑り止めにして、尺取り虫のように登っていく。椰子の実取りに登ったお父さんは、あっという間に椰子の実のある10数メートルの高さに到達した。“スケベ”お父さん、やるじゃん。わたしは声援を送る。
「ドスン」と濁った音を立て、椰子の実が地面に転がる。落ちてきた実は、大人の頭より大きい。こんな大きな物が頭に落ちてきたら即死だろう。全身に鳥肌が立った。
椰子の木陰に座ったわたしに「危ないですよ」と、注意してくれたカルタに感謝した。
「昔々、バリの人々は椰子の木の幹にお尻をなすりつけて、便を拭いていた。だから、バリ人は、地上1メートル以下の幹には、もたれないです」。カルタは、ナタを器用に使って椰子の実に穴を開けながら、そう教えてくれた。
こうしてわたしの憧れ「椰子の木陰で」は、ロマンチックな風景から遠のいていったのである。
カルタは椰子の実の穴のふちに削ぎ取った皮を差し込み、少し摘んでV字にした。その椰子の実を、顔から10センチほど離して持ち上げ、中のジュースを大きく開けた口に注ぎ込んでいった。なんとダイナミックな飲み方だ。これが椰子の実ジュースの伝統的な飲み方なのだろう。ジュースは一滴もこぼれずに、きれいに口の中に吸い込まれるように入っていく。カルタののどが上下した。
そして、「飲んでください」と、わたしに手渡された。
カルタの飲み方を真似して、椰子の実を持ち上げた。
飲み口に口をつけないのは、数人で回し飲みをするからだろう。天を仰がないと椰子の実の果汁は、口に注がれない。椰子の実を傾けながら、口に注がれる位置を探っていく。なかなか、こぼれ落ちてこない。落ちてきたのは、Tシャツの胸の上だった。慌てて持ち上げ直すと、今度は、鼻の頭めがけてこぼれてきた。孤軍奮闘、やっとのどに命中した。適度に冷えた果汁が、のどを通っていく。さっき食べた、カルタの奥さんが作ったという弁当の辛さが中和されていく。
自然と戯れる。なんとも楽しい経験だ。
白鷺の編隊が、逆Vの字を描いて頭上近くを飛んで行く。夕方5時頃になると、白鷺が、この上を通過する。キャンパスに規則正しく貼られた小さな銀箔が、風に揺られキラキラと輝いているようだ。
餌を求めてあちこちに散らばっていった白鷺たちは、夕方には巣のあるプトゥル村に帰る。1000羽はいると言われる白鷺たちの巣は、プトゥル村の並木だ。
プトゥル村はウブドの北東に位置し、サクティから近い。白鷺が帰る頃、農夫たちも農作業を終えて家路につく。白鷺の編隊が通り過ぎると、南の雲が薄いピンク色に変わった。しばらくすると、ピンクは紫色に、そしてオレンジ色のグラデーションで染められていった。


                      

月の出ない夜、サクティに来たことがある。
心細い明かりの灯る村を過ぎると、真っ暗な闇になった。まさかこんなに暗いとは思いもしなかった。あいにくと懐中電灯を持ってきていない。
闇は、黒の上にさらに墨を塗ったように深い。闇は人を不安にさせる。バリの地に第一歩を踏み入れた時のクタでの不安とは異なる、胸騒ぎを感じる恐怖だ。
昔々のこと、人々は、暗黒の世界に畏怖を抱いた。暗闇の世界には、鬼神が出没する。眼に見えないものに対する恐怖だ。
バリの宗教儀礼を見ていると、島は鬼神や妖精たちに支配されていて、日ごとバリ人はこの鬼神や妖精たちとの共存のために、供物をお供えしているように思える。屋敷前の道路に置く供物は、鬼神が家に入ってきてもらいたくないからだろう。
屋敷はバリ人の小宇宙だ。鬼は外、福は内というわけだ。十字路、T字路、橋の上、巨樹、森や渓谷に向けて、ことごとく鬼神や妖精たちへの供物を捧げる。
しばらく行けば、カルタの土地のはずだ。このつま先の前には、いったい何があるのだ。ひょっとすると底知れない溝が広がっていて、そこへ落ちてしまうのではないだろうか。足を一歩踏み出すのも不安なほど、暗い。
自分を勇気づけるようにして、右足を地にするように出した。次に左足。溝がないか確認するようにして、前に進んだ。突然、前方が明るくなった。
粉雪が舞っている。南の島で、そんなはずはない。
それは、無数の蛍が発する光だった。
暗雲が流れ、空に満天の星が描かれた。蛍の乱舞は、星空から星が舞い落ちてくるように見えた。
水の張った段々田んぼには、田ごとに月が浮いていた。地形を利用して造られた田んぼは、どれも三日月のような形をしている。その三日月形の田んぼひとつひとつに、下弦の月が映っている。空から眺めたら、魚のうろこが光っているように見えることだろう。
道路の真ん中で両手を広げ、この夜のものとは思えない幻想的な光景を満喫した。
甘い植物の香りがあたりに充満している。この香りは、男性を誘惑する木の精だから、気をつけるようにとカルタに言われている。香りを満喫したい欲望を払いよけて、息を殺した。
さきほどまでの恐怖が、いつのまにか消失していた。これも自然の成せる技だ。
ここに家を建てることができれば、こんな光景が毎晩のように見られる。

この頃、10年ほどの間、この村に住んでみようと考えていた。
家を建てることによって、村人が『こいつは腰を落ち着けるつもりだな』と思わせるだけで充分だと考えた。
そうすれば、通過するだけの旅行者とは違う接し方をしてくるだろう。それにしては大金をはたくことになるが、そんなところにあまり思慮深くないのが、わたしの特徴でもある。
そんなさまざまなことを考えて、渓谷沿いにカルタの土地に家を建てることにした。
プンゴセカン村にある葦ふき屋根のバンガローが、1棟100万円でできたと聞いて見に行った。2階建ての、1階部分がオープン・スペースと浴室になっていて2階が寝室。台所のないバンガローだ。
このバンガローより1.5倍大きい2階建てを「これだけの金で、家を建ててくれ」とカルタに頼んだ。
1階には台所と浴場。浴場は日本の銭湯のミニチュア版。渓谷を望む側は大きな窓。2階の床は板で、ひとつの広間にテラス付き。渓谷側とライスフィールド側の2面に、押し出しの窓をたくさんつける。こんな注文をして持ち金の半分以上を手渡した。
これで、たとえだまされたとしても、ここでは誰も疑わないと決めている。


つづく




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