「極楽通信・UBUD」



「神々に捧げる踊り」


極楽通信・UBUD神々に捧げる踊り≫プナタラン・パンデ寺院



■第二章 奉納舞踊の一年

 その六:プナタラン・パンデ寺院



バリには、パンデ(鍛冶屋)と呼ばれる職能集団がある。
その昔、神秘的な炎を操り霊力を持つ金属を細工し、クリスなど神聖な物を扱う仕事としたところから、バリの階層制度の中ではスードラ階層と同位置にありながら、階層外として特別に扱われている。多くの武器を手にできたところから、かつては、権力を持っていた集団だと考えられる。
バリ・ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院にも、パンデの寺院はある。僧侶もスリ・ウンプーと呼ばれる高僧が専属にいる。そんなことからか、パンデの人々のプライドは高く、それを証明するかのように、彼らは名前に必ずパンデの称号をつけ、パンデ・ワヤン、パンデ・クトゥなどと呼ぶようにしている。
パンデの職能集団はバリ島のあちこちに散在している。


                  


そんなパンデが所有する、スロカダン村のプナタラン・パンデ寺院で奉納舞踊することになった。
奉納舞踊の声をかけてくれたのは、パンデ・クトゥだ。
彼は、わたしの友人の店で働いていて、わたしがよく奉納舞踊にでかけているのを知っていて誘ってくれた。
「友達も誘ってください」と頼まれ、ウブドで踊りを習っている2、3人の日本人女性に声をかけた。
「オダランで奉納舞踊できるなんて、踊りを習っていたかいがあるわ!」と、彼女たちは快く引き受けてくれた。
心配なのは、彼の村のガムラン・グループがはたして彼女たちの踊りたい曲を演奏できるかどうかだ。踊りは地域によって特徴を持ったスタイルにアレンジされていて、彼女たちが習っているスタイルと彼の村のスタイルが違うことも考えられる。さらに、彼女たちが習っている踊りは、バリ・バリアンという種類で、宗教性がなく主に鑑賞用に創られた踊り。彼の村のガムランは、宗教儀礼の時にだけ演奏するグループ。観賞用の舞踊曲を演奏する機会もなく、練習さえしたことがないかもしれない。
そんな危惧から、わたしは彼女たちの踊りのカセット・テープをパンデ・クトゥに渡し、村のグループが演奏できるかどうか確認してもらうことにした。
バリの舞踊は、宗教儀礼に結びついたものが多いが、一方では、純粋に楽しみのため祭りの余興としてのものも少なくない。
神聖な儀礼の一部としてある舞踊は「ワリ」と呼ばれ、ルジャンやバリス・グデがあり、寺院の奥の境内で踊られる。トペン・パジェガンは、奉納としての舞踊で「ブバリ」と呼ばれ、中央の境内で演じられることが多い。娯楽のための舞踊である「バリ・バリアン」は、3つ目の境内で催される。寺院によっては、寺院前の道や広場が3つ目の境内になるのこともある。
数日後、パンデ・クトゥが持ってきた返事は、心配が見事に的中してしまい「演奏できない」だった。
そんなわけで、彼の村のオダランでの、日本人女性の奉納舞踊は実現しなかった。
演目は、わたしとコンピアン、新たにマデ・サディオがメンバーとして加しわりトペン舞踊劇をすることになった。
マデ・サディオはスマラ・ラティの一員で、やはりアスティ(ASTI)を卒業している。トペンの理想的体型といえる小肥りで、踊りはなんでも無難にこなす。特に道化は、はまり役。ひょうきんでとぼけた雰囲気がぴったりだ。


太陽が西に傾きはじめた頃、われわれは、プンゴセカン村を出発した。
村の中央に、ひときわ高くそびえ立つブリンギンの大樹から「カナカナカナカナカナ」とひぐらし蝉が一斉に、賑やかな声で鳴き出した。その昔バリでは、ひぐらし蝉が鳴きはじめると農作業を終えた。だいたい、夕方の6時ちょっと前に鳴く、このひぐらし蝉の声が、農作業終了の時報のようになっていたのだろう。ちなみに、6時以降に鳴くひぐらし蝉は「明日は雨になるぞ」と報せているのだという。
スロカダン村はギャニアール県に隣接するバンリ県アプアン郡に属し、ウブドから約20キロ。車で30分ほどのところにある山あいの集落だ。ギァニヤールの市街地をしばらく北上すると、もうそこはバンリ県だ。
街を抜けた頃には、あたりはすっかり夕闇に包まれていた。アプアン郡へ続く道は、幹線道路ではない。もちろん、観光ルートでもない。山間部へ向けて走るなだらかな上り坂は、車がすれ違うにいっぱいの村道だ。
村道に、外灯はない。嬉しいことに、この暗さがささいな明かりを目立たせ、夜の風景を引き立ててくれる。静まりかえった田の水面には、月がいくつも映し出され、飛び交う無数の蛍は、まるで星が吹雪いているようだ。
小さな集落を抜けると、左右は水のはった棚田だ。棚田を過ぎると、また、小さな集落に入る。眼を楽しませてくれる風景をいくつか通過して、アプアン郡に入った。
目印の大きなブリンギン樹を右折すると、パンデ・クトゥの村、スロカダン村だ。
スロカダン村の真ん中あたりに、彼の家はあったはずだ。1年前に彼の結婚式に招かれて訪れたことがあるが、記憶は怪しい。
バリ人の家は、どこも外観が似ていて見分けがつけにくい。特に田舎は、門構えを統一することもあって、なおさらわかりにくい。
有り難いことに、家の前にパンデ・クトゥが立っていた。待っていてくれたのだ。
彼の家でしばらく休憩したあと、彼のあとについて寺院に移動した。
寺院は、歩いてすぐのところにあった。
7、8段の階段をのぼり、割れ門から寺院に入る。
境内はひとつだ。
ぶらさがった裸電球の薄暗い明かりが、祭壇や建物をぼんやりと照らし出している。
心細い明かりの中でも、隅から隅までひとめで見渡せてしまうほど小さな寺院だ。
村人が数人、ゆっくりとした動きで供物の位置を変えたり祭壇に布を飾りつけている。
1番奥の小さなあずまやから、ガムランの音が聞こえてくる。わたしは、あずまや見回し、素早く今夜の演奏者をチェックした。数人の老人とその息子と思われる若者たちがガムランを叩いていた。よほど練習する機会がないのか、何度も同じフレーズを繰り返し確認し合っている。時々、受け持つ楽器が入れ替わる。これでは日本人女性の踊りたい曲が演奏できないのは無理もない、と納得できた。ガムランは、見るからに古くからここにあるという存在感を持つ、彫刻も彩色も施されていない簡素なものだった。


パンデ1


われわれは、隣にあるあずやまに案内された。
パンダンの葉で作られたティカールと呼ばれる小さなゴザが1枚、ざらついたコンクリートの上に敷かれてある。
祭壇に向かうようにして、ティカールに腰をおろした。
トペンと冠の入った籠を、脇に置く。
演奏者の村人たちと眼が合い、軽く会釈した。
時計は、8時半を少しまわっていた。
さっそく、甘いコピとお菓子、そして、タバコのもてなし3点セットが皿にのって運ばれてきた。こんな時のタバコは、決まってグダン・ガラムだ。遠慮なく封をとき、グダン・ガラムに火をつけた。
寺院に灰皿は用意されていない。吸い殻はあたりかまわず投げ捨てるか、近くにあるあらゆる物、例えば、コピやお菓子がのっていた皿や食事のあとの残骸に突っ込む。バリ人は、ところかまわず捨てる代わりに、こまめに掃除もする。これで、バランスがとれているのだろう。
寺院にはトイレがない。寺院の内に、不浄なものを造れないからだ。
もよおした時は、寺院の外に出てすみやかに、そして、なにげない素振りで人気のないところを探して用を足すのだ。間違っても寺院に向かってしないこと。神聖なものに向かって不浄な行為をすれば、あとでたいへんなことが身に降りかかってくるかもしれない。
男性がふたり、踊りの衣裳が入っていると思われる籠を手に、われわれの坐っているあずまやに上がり込んできた。パンデ・クトゥから、ほかの踊り手が来るという話は聞いていない。
コンピアンとマデ・サディオが彼らと挨拶している。彼らはバンリの踊り手で、今夜踊る予定になっているということだ。世間話をまじえながら、みんなで今夜の演目について打ち合わせをしているようだ。バリ語のできないわたしひとりが蚊帳の外だ。
演目は、アルジョ舞踊劇に決まった。
こんな風にして、はじめて合ったばかりでも、共演できてしまうのがバリ芸能のよいところだ。 バンリの踊り手は、ひとりが道化役を、もうひとりは女形役を演じるのだそうだ。マデ・サディオは、はまり役の道化で出演することになった。
ところで、バンリの踊り手は、はじめ何を奉納舞踊するつもりだったのだろう。われわれは、トペン劇を奉納するつもりでいた。彼らはふたりで、アルジョ劇をするつもりだったのだろうか。
境内では、相変わらず、ゆっくりした動きで村人が儀礼の準備をしている。
いつのまに現れたのか、祭壇の近くのあずまやで着替えをしているふたり男性がいる。赤と黒の横縞スボンをはいたところをみると、バロンの踊り手のようだ。このあと、足首に数個の小さな鈴を巻き付ける。踊ると鈴は、シャンシャンと可愛い音を発する。
「彼らの到着が遅れて、開演が遅くなった」。パンデ・クトゥが申しわけなさそうに説明する。
10時、グボガンを頭にかかげた女性たち、そして、正装の男性たちが境内に入ってきた。小さな境内は、またたくまに村人でいっぱいになった。村人が集まったところで、そろそろ奉納芸能のはじまりか。
屋根のない境内に、女たちは正座で男たちはあぐらで坐り、お祈りがはじまるのを待っている。 お祈りは、時には暑い陽差しの中で、時には小雨の降る中で、準備が整うまで数時間待つこともある。
僧侶の鳴らす澄んだ鈴の音が、小さな寺院を満たした。お祈りのはじまりだ。
われわれ踊り手も境内におり、お祈りに加わった。
小松左京に似たおじさんがいる。学生時代の友人に似ている青年がいる。どことなく日本人の顔だちに似た人たちの間に混じって身を沈める。自分ではしっくり融け込んでいるつもりだが、まわりのバリ人から見れば肌の白い異国人として異質に映っていることだろう。
境内一面に立ちこめるお香の白煙と、ともに焚かれる白檀の甘い薫りが鼻を刺激する。僧侶の唱えるマントラは、神々に降臨を願うかのように、遠く遙かなものに向って詠っている。
両手を額の前で合わせ、静かな仕草でお祈りする村人の姿が眼に入った。同じように、わたしも両手を額の前で合わせた。
お祈りを終えると、村人たちは浄められた各々のグボガンを頭にのせ、寺院から去っていった。


                   


夜11時を過ぎた。 寺院に着いてから、すでに2時間半が経過したことになる。これがバリ時間というものだ。こんな待遇も、もうすっかり慣れてしまった。
今夜は、村人たちの去った静かな境内で神に向かっての奉納舞踊か。それも、悪くない。
寺院の外から、ガムランの音が聴こえてきた。
飾られた小さな鏡からはミラーボールのような眩い光をまき散らしながら、バロンが村人たちによって寺院の外へ運ばれて行った。舞台は、寺院前の道路のようだ。
しばらくして、演奏はバロンの伴奏曲になった。
マデ・サディオとバンリの踊り手ふたりが、アルジョ劇のための化粧をはじめた。眼が慣れたとはいえ充分に暗い電灯の下で、小さな手鏡を頼りに白粉を塗り、頬紅をつけ、墨で髭を書く。練り歯磨きを使って、こめかみの白い模様を描いているのをはじめて見た。3人とも手慣れたもので、あれよあれよと言ううちに化粧は終わってしまった。
コンピアンとわたしも、着替えをはじめた。
今回から、衣裳の下にTシャツを着ることにした。シャツを着ていると、肩紐が肉に食い込まなくて痛くない、とコンピアンから教えれた。衣裳はつけるだけで暑い、踊ると暑さはさらに増す。それなのに、シャツを着ている踊り手がいるのを、前々から不思議に思っていたが、こんな理由からだったのだ。
バロンの踊り手が、戻って来た。


さて、われわれの出番だ。
トペンと冠の入った籠を手に、割れ門に向かった。
階段には、大勢の村人が肩を寄せ合うようにして坐り込んでいる。
「パミット(=失礼します)」とバリ語でと肩越しに声をかけると、振り返った男性がひとり、われわれを見て声を張り上げた。
「踊り手が通るぞ」と言ったかどうかわからないが、一瞬のうちに村人たちの背中が左右に割れ、ひとりが通ることのできる隙間道が一直線に道路まで続いた。花道が開かれたような、爽快な気分だ。
道路に下りると、すぐ右手に道を遮って幕が張られている。左手10メートル向こうには、ガムランがやはり道を遮って幕に向かって陣取っている。
幕のうしろにまわると、踊り手のために用意された縁台は村人に占領されていた。今にもこぼれんばかりに、ひしめき合って上がり込んでいる。誰かが注意したのか、村人がゾロゾロと下りると、そこに、2メートル四方の縁台が現れた。
縁台に籠を置き、腰を下ろした。
まわりは人の山だ。正装姿の村人以外に、普段着の人も多い。彼らは、芸能を娯楽として観賞に来ているのだろう。テレビが普及したと言っても、やはりバリ人はバリ芸能が好きなのだ。こんな観衆なら、日本人女性が踊るバリ舞踊を見て、新鮮なショックを受けただろう。返す返すも残念だ。
トップ・バッターは、今日もわたしだ。
幕開け前はいつも、今日の観衆はどんな反応をするだろうかと、期待と不安で感情が大きく揺れる。観衆も同じように、何が飛び出すだろうかと期待しているはずだ。予想もつかない未知は、演者の力量と観衆の包容力しだいで素晴らしく楽しいものになる。スロカダン村の人たちは、どうだろう? 今夜はいったい、どんな結果になるのか楽しみだ。
縁台は、踊る時には椅子になる。
縁台に腰掛け、幕を力強く揺すった。ガムランに準備OKの合図だ。それに反応して、太鼓が激しく叩かれた。続いて、鍵盤から音が弾かれた。わたしは聞き耳を立てる。練習の成果か、それとも実力なのか、無難にトペン・パテの曲が流れ出した。
しかし、旋律が今まで踊ってきたのとは少し違う。これがこれまで、この村で続けられてきた演奏なのだろう。
トペン・パテには、3パターンの旋律があると聞いている。大きな違いはないと言うが、聴き慣れていないものにとっては戸惑ってしまう。
試すように、幕を揺する。なんとか音を掴むことができた。
静かに幕を開けてゆく。
真正面にガムランの演奏者の姿が見えた。ガムランのうしろも人の山だ。道路の両側は1段高くなっていて、ちょうど良い観覧席になる。そこにも村人が大勢いる。山あいの村道に、200人ほどの村人があふれている。日本人が踊っているのを知ってか知らずか、観衆の眼差しは好意的だ。
わたしは踊りながら、1歩1歩前に進み出る。
片足をあげたところで、道が上り坂になっているのに気づいた。
気づいた時にはすでに遅く、上体がふらつき前に出なくてはいけないところで、よろけるように1歩さがってしまった。観衆はバリ人、失敗に気づいただろう。それでも、踊りが終わると大きな拍手を送ってくれた。反応がすばらしく暖かく、踊っている者を楽しい気分にさせてくれる。


パンデ2


わたしは縁台に腰掛け、つぎに踊るコンピアンの準備を手伝った。コンピアンは、ゴンブランとトゥアを踊った。
コンピアンが踊り終えて幕に引っ込むと、道化プナサール役が幕の裏に立った。独特の節回しで謡うように語り、舞台に出て行った。
続いて、もうひとりの道化ウジル役のマデ・サディオが、同じようにして出て行った。観衆が大笑いしている。マデ・サディオが、おどけた仕草をしたらしく一段と歓声があがった。幕のうしろでは、見られないのが残念だ。
道化といっても、サーカスのピエロとは違う。臣下役で物語のあらすじを語り、時にはタイムリーなニュースをまじえて劇を進行してゆく。ふたりの道化の掛け合いは、ボケとツッコミの漫才だ。
女形役が、幕の裏でよくとおる澄んだ高い声で台詞を謡いあげたあと、幕から出ていった。
アルジョ舞踊劇のはじまりは、役者の1人ひとりが、こうして幕の裏で謡ってから舞台に出る。
3人の掛け合いは、しゃべりと謡うような語りでミュージカルのようでもある。
しばらくすると、コンピアンが再びトペンをつけて舞台へ出ていった。
突然、幕が取り外され、縁台がかたづけられた。
劇は、まだ終わっていないというのに、どうしたことだ。わたしは衣裳を着たまま、籠を手に観衆にまじった。
割れ門から、大きな箱を頭にのせた村人が出て来た。箱は3つ、数人の村人に守られるようにして階段を下り、幕の張られてあった位置に立ち止まった。
3つの箱から、ふさふさの長い白髪におおわれた、魔女ランダのお面が取り出された。頭上にかかげられると、観衆が慌ただしく坐り込んだ。
そんなまわりの状況にお構いなしで、劇は続いている。
僧侶が坐り、ご神体であるランダにお祈りをはじめた。
いきなり僧侶のうしろにいた村人のひとりが、咆哮をあげた。獲物に襲いかかる怒り狂った獣のような声だ。同時に、観衆の中から何人かが咆哮をあげて道に飛び出してきた。これは、トランスだ。トランスは、何の前触れもなくやってくる。
そんな混乱した状況の中で劇はしばらく続けられていたが、収拾のつかなくなった状況に演者たちは戸惑いを見せながら、劇を切り上げて寺院に入っていった。
ガムランが、単調で激しいリズム叩く。
トランスした5、6の人々が、踊り、叫び、走りまわる。クリスを、頭や胸に突きつける者。ひよこを、むさぼり生かじりする者。生卵を、幾つも呑みこむ者などが現れる。若い女性がひとり、クリスを胸に突き立て狂ったように大声で喚いている。30分ほど、阿鼻叫喚の地獄絵が繰り広げられた。
ランダのお面が箱に収められた。儀礼は終わった。
大勢いた観衆は、蜘蛛の子を散らすように去って行った。
舞台になっていた道路は、何事もなかったかのように本来の姿に戻った。
わたしも寺院に戻った。
時計はもう少しで1時だ。深夜0時に、トランスしやすいという話は本当だった。
踊り手たちは、すでに着替えをすませ食事をしていた。奉納舞踊の時は、ほとんど食事がもてなされる。こんな待遇も、わたしは気に入っている。
食事はもちろん、ナシ・チャンプールだ。スプーンもフォークもない。アクアで軽く流した指先で食べるのだ。食べ終わって汚れた指先は、やはりアクアで流す。ナフキンなんて上品な物はない。カマンの先が、こんな時には汚れた口や指先を拭くナフキン代わりになる。時には、タオル代わりにもなる。これバリ人の常識。
アクアは、バリ島を中心として販売しているミネラル・ウォーターのメーカー名だが、先発メーカーで普及率が高かったことから、バリでは、ミネラル・ウォーターの代名詞になっている。
「さっきは凄かったね! たいへんなもの見てしまった」
マデ・サディオが、よほどトランスが怖かったと見えて、興奮気味に話かけてきた。わたしにしたって、まさか自分たちの奉納舞踊の最中に、トランスが起こるなんて想像もしなかった。
「奉納舞踊、本当に有り難う。村人もお礼を言ってました」
パンデ・クトゥが、ねぎらいの言葉をかけてきた。
彼は20歳という若さだが、結婚しているのでバンジャールの一員として、また親族集団の構成員としても認められ、急がしそうに境内を走りまわっていた。わたしは、お礼を言われたことよりも、若い彼が寺院で奉仕する頼もしい姿が嬉しかった。
深夜2時、われわれは寺院をあとにした。
バンリは、やはりトランスが多いところのようだ。
帰りの車の中は、さきほどのトランスの話で盛り上がっている。
「蛍がきれいだ」。そんな洒落たことを言う余裕もなく、から元気で怖さを払拭しようとしているのは、わたしだけだろうか?




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