「極楽通信・UBUD」



「神々に捧げる踊り」


極楽通信・UBUD神々に捧げる踊り≫ダラム寺院



■第二章 奉納舞踊の一年

 その八:ダラム寺院



「スマラ・ラティが明晩奉納芸能するから、お前も来い」アノムから半命令的に誘われた。
それにしても明日だよ。わたしにまったく予定がないと思っているのか、わたしのまわりのバリ人は、イベントの報告は、ほとんど前日ということが多い。
明日だろうが、今からだろうが、わたしは踊りたい。そんなわたしの心を、彼らは見透かしている。
オダランは、ウブドの北隣りラプラパン村のダラム寺院だ。
ウブドから向かうと、右手に寺院、左手が谷川になる。谷川の崖っぷちに、火葬場がある。
この火葬場は、妖怪ガマンが出没するという噂のあるところ。何度か訪れたことのある寺院だが、妖怪ガマンの話を聞いてから、夜、寺院の前を通ることは控えている。


                   


奉納舞踊は、プレンボン舞踊劇。
プレンボン舞踊劇は、トペン・パジェガンと同様、パンジ王子の物語を題材にしている。道化と庶民(ボンドレス)の登場する場面を残して、アルジョ舞踊劇の一部を中盤に入れたものだ。
夜8時にはじまるからと伝えられたが、わたしは、8時に寺院に到着した。
今までの経験から、はじまりはたいてい9時か10時だ。バリ人には30分というのが半端な時間に感じるのか、8時半とか9時半などという開演時間はない。
ワルンが、火葬場の入り口に軒を連ねていた。
衣裳バッグを車に入れたまま、舞台の下見に寺院に入ってみた。
かなり大きな規模のオダランで、飾り付けが大がかりで豪華だ。
雲ゆきがあやしくなってきた。ひと雨来そうな雰囲気だ。
舞台は、雨の心配のないワンティランの中。1段高くなった舞台には、すでにガムランが用意され、数人のスマラ・ラティのメンバーの顔が見えた。
わたしは、舞台最前列の椅子に腰掛けた。
坐りながら「高い位置にある舞台は嫌いだな」。なんて物思いにふけっている。
理由は、踊り手と観衆が隔てられて一体感が感じられないからだ。わたしが好きなのは、演奏者も観衆も地面に直接座り、舞台裏とは幕1枚隔てただけという、屋外の舞台だ。これだと、四方からそそがれる観衆の視線が、舞台の中央で凝縮されて、ホットで踊りやすい空間を作ってくれる。そして、反応も手に取るように感じられる。もちろん、奉納舞踊で舞台の好き嫌いを言うべきではないのはわかっている。ただ、外の方が心地良いなと言うのが、素直な感想だ。
マデ・サディオが「舞台裏で待つように」と伝えにきた。彼は踊り手だが、スマラ・ラティでは下働きもする。
「衣裳を取ってくる」とマデ・サディオに断って、わたしは席を立った。
門に向かう途中から、小粒の雨がポツポツと落ちてきた。
割れ門から、衣裳バッグを手にしたバリ人の男女数人が入ってきた。
どこかで見た顔ぶれだ。すれ違いざま、わたしは軽く会釈し、雨をよけるように足早に通り過ぎる踊り手たちを見送った。見送ったあと、彼らがプレンボン舞踊劇の踊り手たちと気づいた。
衣裳バッグを車からおろし、寺院に戻った。
舞台裏の入り口付近に、先ほどすれ違った踊り手たちの姿が見える。
メインの踊り手なのに、どうして落ち着くはずの奥へ行かないのだろう。彼らが遠慮するとは考えられない。何の意味もなく、ただ空いているところに坐っただけなのか。それとも、入り口付近のほうが踊りに便利なのか。
それにしても、困った。
舞台裏の通路は狭く、彼らと顔を合わせずに通り過ぎることは無理だ。
わたしは踊れるといっても、習い出したばかりで駆け出しの若造(これは経験が浅いという意味で、歳はきっと彼らの方が若いだろう)が、人間国宝のような踊り手たちの前を通るにはかなりの勇気がいる。
衣裳バッグを手に、いつまでも躊躇しているわけにもいかず、勇気を出して舞台裏に入っていった。
緊張で引きつった顔を満面の笑顔で隠し、彼らの前を通り過ぎようとするわたしに、女性の踊り手から声がかかる。
「踊るのか?」
声をかけてきたのは、アルジョ舞踊劇のパンジ王子役で有名な女性だった。彼女のセリフに、観衆は涙することもあると言われるほどの名優だ。
声がかかるのは嬉しいが、こんな場面では困惑する。
「勉強中ですが、奉納させていただきます」
頭を低くしながら答え、そそくさと通り過ぎた。
舞台裏の一番奥で立ち止まり、ほっと肩の力を抜く。
10メートルにも満たない通路が、異常に長く感じた。
隅に衣裳バッグを下ろし、へたへたと座り込んだ。
プレンボン舞踊劇のグループは「トペン・テゲッ・チャナン・サリ」。グスティ・ヌラー・ウィンディ氏をリーダーとするプロの集団で、芸能に興味ある者にとって見逃せないグループのひとつだ。
演目や出演者によっては、観衆側にまわって観たい時もある。共演してしまうと、思う存分に観ることができないのが残念だ。とは言え、たとえ前座にしても、こういう一流の踊り手と、自分が同じ舞台に立てるというだけでも光栄だ。
彼らの視線が、わたしを射しているような気がする。何かわたしについて話しているような気がしてならない。どこかのオダランで、楽屋を覗くわたしを見知っているのだろう。踊り手が覚えてしまうほど、頻繁に楽屋を覗いていたのは確かだ。
これまで観客としてしか観たことのないグループとの共演。
今にも、舞い上がりそうになる心身を押さえ、この状況が現実のものであることを、自分に言い聞かせるのに苦労した。
舞台の片隅で、ほっぺたをつねってみるという古典的な行動をとってみた。かすかな痛みが伝わった。使い慣れた衣裳バッグを開けながら、わたしはほくそ笑んでいた。
ガムラン演奏がはじまると同時に、風にのって雨の匂いが流れ込んできた。
雨足が早くなってきたようだ。
日本なら、あいにくの雨といったところだが、バリでは、浄化のための聖なる水となる。


                   


開演時間は、わたしの予想した通り9時だ。
わたしのほかに、日本人女性がふたり踊る。
トップ・バッターは、やはり、わたしだった。
スマラ・ラティの演奏では、はじめてのトペン・パテだ。
太鼓奏者のチャタールに助けられて、大きな失敗もなく何とか踊れたといったところか。
舞台を下りると、脇から「踊り、よかったよ」と女性の声がかかった。
見ていなかっただろうが、先輩の有り難いおほめの言葉は、そのままに受け取ればいい。
可もなく不可もないわたしの踊りの解説は、ここでは割愛しよう。
2番手は、日本人女性の踊るタルナ・ジャヤだ。
この踊りは1930年、北部バリ・ブンカラ村のワヤン・ワンドレスによって創られたクビヤール・レゴンの前半部分を、弟子グデ・マニッがアレンジしたものだ。
タルナ・ジャヤの踊り手は、この曲のエネルギッシュな演奏を、振りつけ、手の動き、表情によって表現することを要求される。
勇者をリングに煽り出すかのような激しい前奏に、嫌がうえにもテンションが上がる。踊り手は颯爽と登場し、挑戦的に踊る。身体をいっぱいに伸ばしたかと思うと、一瞬にして沈み込む。身体にスプリングがついているような瞬発力で、小刻みに、またダイナミックに躍動する。潔い終わりに、余韻が残る。踊りも素晴らしいが、曲も名曲だ。
スマラ・ラティがこの曲を演奏する時は、いかにも、腕の見せどころだとでも言うように、ほかのグループの追従を許さないほどのハイ・テクニックを駆使してくる。
彼女のタルナ・ジャヤは、バリ人から観てもかなりのレベルに達しているようだ。わたしと同じように、幾度もオダランで奉納舞踊している。違いは、彼女の場合は踊りが巧いから招かれていて、わたしは、自分からお願いして奉納させてもらっているというところだ。
しかし彼女は「ちっとも巧くならない」と謙遜する。
3番手も日本人女性だ。彼女はオレッグ・タムリリンガンを踊る。
これは、マリオが創作したと言われる踊りで、蜂の求愛をイメージしたものだ。
彼女は、習いはじめたばかり。これまで2度ほど初舞台のチャンスはあったが、いずれも招待側の都合によりキャンセルになってしまった。
今回は、夢叶って、スマラ・ラティでの初舞台。
かなり緊張していた様子だったが、初舞台にしては上出来だったと思う。
彼女自身は、思い通りに踊れなかったようで、ションボリしている。これは、踊り手の誰もが味わう、通過儀礼でもある自己嫌悪だ。
わたしの世にも哀れな初舞台は、すでに「第一章 バリ舞踊に挑戦」で書いた。
通過儀礼も、わたしのようだと割礼に近い。思い出すたびに、冷や汗が出る。
今ではイメージができあがってから合図を出す、踊り手優先のガムラン演奏でないと踊れない。なんて、10年も早い台詞をはいている。


                   


チャナン・サリのメンバーは、全員が言葉少なく坐っている。
舞台裏は静かだ。
学芸会ではないので、騒々しいわけもないが。
踊り手は自分の出番が近づくまで、じっとしているか、うたた寝している。中には、いびきをかいて寝ている豪傑もいる。はたから見ると、ウダウダしているように見えるが、いつはじまるかわからないバリ時間では、これがもっとも良い方法だ。
自分の出番が近づくと、おもむろに化粧や衣裳替えをはじめる。決して慌てる様子はない。
準備も整い出番間際になると、意識の集中をはかっているのだろう、どこを見るでもない眼で中空を見つめている。
そして、いざ舞台に立つと、水を得た魚のようにはつらつと演技をし、観衆を感動させる。この極端な変わりようには驚く。今まで、静かだったのはパワーを温存していたのか、それとも、舞台の演出に思考を巡らせていたのか。
チャナン・サリの若手による、トペン・パテがはじまった。
プロの芸を盗もうと、わたしはトペンの衣裳のまま舞台の袖に坐り込んだ。袖からは、踊り手が幕から出る前と、幕から出たあとの舞台を覗くことができる。
トペンは、幕から出る時が勝負だと言われるほど、この時点で技量が評価される。さすがにプロだ、幕の開け方ひとつとっても感心するほど丁寧に、そしてそつがない。観衆をたっぷりと引き付けておいてから、幕から出て行った。
続いて、若手はトペン・トゥアを踊った。
トペン・パテは、力強い大臣。トペン・トゥアは、威厳を持った老大臣。もちろん、どちらも非のうちどころのないものだった。
「よく、観ておくように」とわたしのために踊ってくれた。そんなふうに思えるほど、違いを見せつけられた。
幕の裏で、道化プナサールが浪々と謡いはじめた。鍛えに鍛えただみ声は、マイクがいらないほど大きい。
プレンボン舞踊劇のはじまりだ。
わたしは急いで正装に着替えて、客席にまわった。
出演した時は、最後まで会場にいることにしている。その日の出演者は、全員でひとつのグループだ。自分の出番が終わったからといってサッサと帰ってしまうことは、はかの出演者やガムランの演奏者に失礼だ。と言っても、わたしの場合は、ほとんど自分が観たいから残っているようなものだが。今夜も、最後まで席を立つことはできないだろう。
プナサールが踊りを終え、物語のあらすじを語っていた。
もうひとりの道化ウジルが登場した。ウジルは、滑稽な仕草の踊りで観衆を笑わせる。
プナサールとウジルは、舞台を右に行ったり左に行ったりしては、立ち止まり話す。舞台を1周しては話し、ぐるぐるまわっては話すのは、遠くまで歩いていることを現している。
話し上手なプナサールと間抜けなウジル。ふたりの息はピッタリで、熟練の漫才コンビのようだ。
パンジ王子が登場して、物語が本筋に入った。
王子は、女性が演じる。
煌びやかなサップト姿にクリス(剣)を背中の帯に刺しているところは、トペンの衣裳に似ている。違いは、白装束にレゴン舞踊につかわれる冠をかぶっているところだ。
カマンの先をはしょって、うしろの帯に挟んだ姿は勇ましく、宝塚歌劇団の男役スターのように格好いい。
今回は、彼女のセリフに涙する人はいなかったようだが、さすがに、観衆は聴きいっていた。
女性の踊り手がふたり加って、舞台はコントのようになっていった。
観衆は、抱腹絶倒している。おばちゃんたちの、遠慮のない大きな笑い声。子供たちまでもが、大声でキャーキャーと騒いでいる。
突然、思い出したように大笑いするおばちゃんが、笑い過ぎて咳き込んでいる。それを聞いて村びとが、笑い出す。それをまた、踊り手が茶化す。観衆を巻き込んでの、爆笑コントだ。
爆笑コントが終わると、チャナン・サリのリーダー、ウィンディ氏とトペンを踊った若手の踊り手のトペン舞踊劇がはじまった。
ふたりはトペンをつけ変えるごとに、見事にキャラクターになりきる。言葉がわからないわたしでも、無条件に面白い。
観衆側にまわって、充分に鑑賞できた。
結局今夜も、最後まで席を立つことができなかった。
芸能が終わると、ワンティランは潮が引くように人がいなくなる。わたしも村人に続いてワンティランを出た。雨は上がり、星空がのぞいていた。
このまま帰ってしまうのが、もったいないような気がして、わたしは、寺院の外のワルンに向かった。もう少しオダランの雰囲気を満喫したかったのだろう。
ワルンがある広場は、妖怪ガマンが出没するといわれている火葬場だ。
深夜零時もまわり、数軒のワルンは店じまいしていた。
開いているワルンの客もまばらだ。
ベンチに腰掛けてミルクを飲んでいるアノムの姿を、1軒のワルンで見つけた。アノムはコピを飲まない。
わたしを呼び止めて椅子を進めた。
眠そうな顔をしたイブに、甘くないコピ・バリを頼んだ。
これを機会に聞いてみたいことがある。
「わたしの踊りは、劇がはじまる前に観衆を集めるための呼び込み役のようなものかな」
わたしの質問に、それまでニコニと微笑んでいたアノムの顔が、真顔になった。
「それは、大きな間違いだよ」
そう言って、少しの間をおいたあと話を続けた。
「イトサンの踊るトペンは前座ではないよ。プレンボン舞踊劇やトペン舞踊劇にはなくてはならない踊りで、特にトペン・パテとトペン・トゥアは劇の一部に含まれるものだ」
わたしは、先生にさとされる小学生のように首を縦に振ってうなずいている。
「それに、バリの踊りには、前座だとか、あってもなくてもよいというものはない。すべての踊りは、その日の重要な奉納舞踊なんだ」
それを聞いて、気分を良くして帰ろうとするわたしをアノムは引き止めた。
「イトサンのトペン・パテに、3つの間違いがある」
アノムはわたしの踊りを見ていてくれたのだ。
「次に踊る時、演奏者に恥ずかしいから教えてあげる。家に来るように」と続けた。
人に踊りを教えることのあまり好まないアノムが、こんな発言するとは珍しい。
しかし、わたしは嬉しいというよりは、どちらかと言えば「困ったな」というのが本音だ。
訪ねれば、歓迎してくれるのはわかっている。だが、どうしても敷居が高くて腰が引けてしまう。
アノムから、踊りを習いたいとは思っているのだが、なかなか勇気がでないのだ。
友人でもあり素晴らしい踊り手と認めているアノムからどうして習わないのだ、とよく訊かれる。理由はこうだ。
アノムは、わたしにとって雲のうえのアーチスト。踊り手として、天才だと尊敬している人物のひとりだ。そんな天才の手を、煩わすのは申しわけない。それに、わたしの物覚えの悪いのと運動神経の鈍いのが知れて、幻滅されるのはもっと悲しい。そんなことになっては、恋人に振られてしまったように、身の置きどころがなくなってしまう。こんな気持ちでは、とても緊張して習えたものではないだろう。
アノムの第一印象は、非常に取っつき憎いところがある。そんなところから、実力を鼻にかけていると誤解されやすい。もともとの性格は、人見知りに加えて感情が表に出せない不器用な男だと思う。これがいざ踊りとなると、感情移入が抜群で素晴らしいものになる。
親密になってくると、彼本来の顔が見えてくる。実は気さくでユーモアがあり、頼られると嫌とは言えず、親身になって相談にのってくれるタイプだ。そして、彼も男性、女性の話や下ネタも大好きだ。ここまで、アノムの性格を知り尽くしていても、なお、彼の家を訪ねるのには勇気がいる。
近いうちに訪ねることをアノムに約束して、ワルンを出た。
衣裳バッグを取りに舞台裏に向かった。
もう誰もいない。
バッグを肩にかけ、アノムの言葉を反復する。
教えてくれると言われても。
知り合って、かれこれ8年になるが、知った時の感動があまりにも強烈だっただけに、今でも、気安く話すことができない。彼にしてみれば、どうしてもっと気軽に来ないのだろうかと思っているだろうが。
ワルンに、もうアノムの姿はなかった。




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