「極楽通信・UBUD」



52「ギリ・トラワンガンの旅(Gili Trawangan)」


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★「極楽通信・UBUD」は、ウブドを中心とした話を心がけているのですが、今回はちょっと足を伸ばして隣りの島「ロンボク島」の旅です。お付き合いください。


朝7時40分、10分遅れでピックアップの車が「日本料理店・影武者」前に横付けされた。
車には欧米人の男女が、すでに6人ほど乗っている。
今日はこれから、10数年ぶりにギリ・トラワンガンに行く。
同伴者は、日本から訪ねて来てくれた知人だ。知人は男性です。(別に、断りを入れることもないか)

ギリ・トラワンガンは、ロンボク島北西部に並んで浮かぶ、3つの小さな島のひとつ。
ギリとは、ロンボク島先住民のササック族の言葉で小島を意味するらしい。バリでは、小島のことはヌサと言う。
本島に近い順から、ギリ・アイル、ギリ・メノ、ギリ・トラワンガンと並んでいる。3島の中では、ギリ・トラワンガンが一番大きく、もっとも早く観光化した。
これまで10数回ロンボク島に渡っているが、すべてプラマ社のシャトルバスを利用したフェリーだった。
高速艇が就航しているのは知っていたが、転覆が怖くて乗らなかった。今回は勇気を出して、高速艇に乗ってロンボク島に渡る。
高速艇会社は数社あり、今回は「ギリ・キャット」が満席のため「オーシャン・スター」のチケットを購入。


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バリ島側は、パダンバイ港から出航する。
高速艇はかなり揺れると聞いていたので、船酔いが心配なわたしは、キャビンの最後尾に席を取るつもりだった。
しかし、キャビンに入らず室外機の近くの外の席に腰をおろすことにした。ここなら外気が吸えるし、去り行く景色が見えて、ベストの選択だろうと思い直したからだ。これが大きな過ちだったと気づくのは、就航してしばらく経ってからだった。
60席ほどの船室は、満席。座席が足りなくて、屋根に乗せられるツーリストが10人ほどいた。自ら好んで屋根に上った者もあったかもしれない。
「オーシャン・スター」は、定刻より20分遅れの10時50分に出航した。
みるみるパダンバイ港の景色が遠く離れていく。バリ島の島影が美しい。
ビンタンビール小瓶2万ルピアを注文して、喉を潤す。快適な船旅だ。
海峡に出たのか、波が少し高くなってきた。波しぶきも大きくなった。霧のようなしぶきが顔に掛かる。これも旅の一興だと、知人と笑顔を合わす。(この頃は、まだ余裕のよっちゃん)
しかし、しぶきの量が、半端じゃなくなってきた。
顔は、すでにベタベタ。上着も濡れてきた。帽子を深くかぶり、リュックを抱える。
時折、バケツをひっくり返したような水が落ちて来る。
スボンも濡れてくる。
知人が、リュックから雨合羽を取り出した。これには感謝。もっと早く出してもよかったのにとも思った。
雨合羽を横に広げ、前部をガードする。隣席のカップルにも、雨合羽のお裾分け。
屋根に登っていたツーリストが水着姿で下りてきた。屋根の乗客も、大変なことになっているだろうと想像できる。


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約1時間半で、ギリ・トラワンガン(ロンボク島)に到着。
直接、砂浜に下りる船着き場は、以前と変わっていない。
本島バンサル(Bangsal)港からの乗合船も、昔と変わらず運行しているようだ。
浜辺は、船待ちのツーリストでいっぱいだった。一日に何人のツーリストが、入島するのだろう。
宿泊予定の「コイ・ギリ=Koi Gili」のスタッフが、わたしの名前を書いた紙を掲げて、迎えに来ていた。
わたしたちは、握手を交わし宿に向かった。
陽射しが熱い。空気は、ウブドと違ってカラッとしていた。
欧米人ツーリストにすれ違う。インドネシア人のツーリストも多い。かなりの滞在者がいるようだ。
高速艇会社とツアー会社のオフィスが目立つ。ATMもある。クーラーの室外機が見える。Wi-Fiの看板も。
船着き場から、島を一周している海岸沿いの道を左手に進み、内陸側に向かう一本の道を入った先に、友人の経営する宿「コイ・ギリ=Koi Gili」はあった。


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「コイ・ギリ」一泊朝食付き30万ルピア(2名様)ちょっと塩っぽい水シャワー付き


ゲスト・ハウスに荷物を降ろし、さっそく浜辺に出ることにした。
約5メートル幅のメインストリートは、両側にホテルとレストランが軒を連ねている。
エントランスに小さなプールの付いたホテルが多い。ダイビング・ショップも兼ねているようだ。海側は、ホテル経営のレストランとなっている。
水着姿で闊歩する人々は、ビキニ姿の女性が多い。
馬車が、道いっぱいに、すれ違う。自動車&バイクは持ち込み禁止のため、島内の交通手段は馬車=チドモ(バリではドッカルと呼ばれる)と自転車。
「葉っぱ、葉っぱ」の声が掛かる。 「マジック・マッシュルーム有ります」の看板がある。
カフェ・ワヤン系列のホテル「アラム・ギリ」を見つけた。
宿とレストランが途切れたあたりから、引き返すことにした。
日本食料理店「漁師」(直営ではないらしい)など、バリからの出店も眼につく。
歩き疲れたので、海岸沿いのパラソルのあるレストランに入って休憩。
日陰に入ると、涼しかった。海風が身体にベタつかないのは、含塩量が少ないからなのか。
海に入ってみた。
最初に訪れたのは23 年前だった。その時、見渡す限り続いていた海底の日本庭園のような珊瑚群は、10数年前に訪れた時には、半減していた。今、目にする海底は、死骸ばかりで、珊瑚は絶滅寸前だ。
町並みの変化は表面の変化だけだが、珊瑚は死滅すると2度と還ってこない。
ウブドの町並みが変っても文化は残るが、珊瑚は自然の消滅を意味する。
ギリ・アイルとの海峡を泳ぎ過ぎるイルカの群れは、今でも見られるのだろうか。


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宿に戻って、休憩。
夕方5時30分、再びメインストリートに出る。
チドモで島一周。45分から60分で15万ルピア。値段交渉をしなかったので言い値だ。
途中、海に沈む夕陽が望めるスポットを通過した。オレンジ色の大きな太陽が、水平線に落ちて行く。ここには、もう一度来ようと誓った。
夕食は、シーフードのレストランに入った。
砂浜のテーブルに席を取り、魚、エビ、イカの料理を注文。灯油ランプの灯りの下で食事。これは、ロマンチック。男ふたりのディナーにはもったいないくらいだ。料理は、以前と比べると格段に美味しくなっている。
灯油ランプの灯りを避けると、見上げた空は満天の星だった。まさに星屑のようだ。天文の知識は乏しいが、宝石箱からさそり座を探すことができた。
夜光虫が見られなかったのは残念。
夜はチドモの数が減り、往来は遊歩道となり、人々は道いっぱいに広がって歩いている。
船着き場近くの広場では、ツーリストの集まるナイト・マーケットが活気のあるエネルギーを発散していた。昔々のウブドを彷彿させる風景だ。


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朝5時30分に起きて、夜明け前の海岸に出る。
霊山リンジャニの峰々から昇る朝日が印象的だ。
朝食を済ませて、9時30分にチェックアウト。
昨日オーシャン・スターのオフィスで、10時30分までには受付を済ませておくようにと言われたので、早めに宿を出た。
出航までには、まだ時間がある。ガゼボのあるレストランでトロピカル・ジュースを飲んで時間をつぶす。
11時に、船着き場に戻った。
セキュリティーのプリントの入った制服の男性が話し掛けてきた。
島の経営するセキュリティーだと教えてくれた。
島に派出所はあるが警察官が在中していないので、セキュリティーが島を守っている。
「事件が起きない限り、大麻もマジック・マッシュルームもOKだ」と言う。(真偽のほどは定かでない。念のため)
土地の境界線でもめているとの電話連絡で、彼は自転車に乗って調停に行った。
11時30分出発予定は、大幅に遅れて12時40分に出航した。
帰路は、キャビンの席を確保した。
1時間40分で(14時20分)パダンバイに到着。
ウブドまでは1時間。
久しぶりにバックパッカーの血が騒いだ、1泊2日のショートトリップでした。
(※注意事項:途中、他の島に立ち寄ることがあり、発着時間は正確ではない)


トラワンガン


(2012/7/14)


《「極楽通信・UBUDウブド沈没》: 《6)ロンボク島の夢破れ》は、1990年のギリ・トラワンガンの話です。


※アパ?では「ギリ・トラワンガンの旅」のお手伝いをしております。
《高速艇の往復料金》
GILI CAT=120万ルピア
BLUE BEACH EXPRESS=90万ルピア
BLUE OCEAN=90万ルピア
EKA JAYA=90万ルピア
GILI GILI=90万ルピア
SEA MARLIN CRUISER=90万ルピア
《ホテルの料金》
Villa Ombak=Rp1500.000〜
Alam Gili=55US$〜
★予約をお待ちしております。




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