「極楽通信・UBUD」



51「ウブドの十字路(Simpang Empat)」





ウブド村は、北の山側から南の海側に向かって流れる2つの川に挟まれた尾根伝いにあり、王宮を中心にして南北に村が形成されている。
王宮の北は、王族関係が多く住むウブド北村。
南は、市場のあるウブド南村。
プリ・アグンと呼ばれる王宮は、たいてい十字路の一画に位置し、他の一画には市場が開かれる場所や大きなビンギン樹がそびえている。
王宮の市場に面した角には、王宮の境界を示すバレ・パトッ(ク)(bale patok)と呼ばれる休息場がある。
バレ・パトッ(ク)は、王のあずまや式の物見台となっており、夕涼みをしたり、市場の盛況を見て経済を推測したりしたらしい。


バレ・パトッ(ク)
バレ・パトッ(ク)


ウブドは、東南角に市場、西北にデサ寺院ウブドがあり、ビンギン樹には王宮から村人に連絡するためのクルクルが設置されている。


クルクル
王宮のクルクル


東に、プリアタン村のプリ・アグン(王宮)が控えている。
プリアタン村に行くには、途中、川を越えてパダンテガル村、さらに川を越えトゥブサヨ村、さらにもう一つ越えてなくてはならない。
これらの各村も、やはり北から南に流れる川に挟まれた尾根伝いに村を形成している。
西は、小高い丘にあるウブドのダラム寺院に続く道がある。
これで、昔のウブドが少しでも想像できただろうか。


チャンプアンの吊り橋開通と同時に切り拓かれた道路は、ウブドのダラム寺院と墓地を隔離した。
現在、吊り橋は、鉄筋コンクリート桁の橋梁に現役を譲っている。


チャンプアンの吊り橋 チャンプアンの吊り橋
チャンプアンの吊り橋


パダンテガル村、トゥブサヨ村、プリアタン村の3村を結ぶ道が、今のウブド大通り。
北村(現在のバンジャール・カジョ)の道は、独立戦争の英雄の名前が冠されスゥエタ通りと呼ばれ、ベントゥーユン村に続いている。
南村(バンジャール・クロッド)にある市場横の道は、1キロ先の猿の森に続くためウタン・クラ通り=JL.Hutan Kera(通称:モンキーフォレスト通り)と呼ばれている。
モンキーフォレストは、パダンテガル村の領域。
パダンテガル村から不浄の方角(海側)であるモンキーフォレスト内には、パダンテガルのダラム寺院が建立されている。
スゥエタ通りとモンキーフォレスト通りは、正確には十字路ではない。
少しずれた鍵型だ。


変則十字路
村役場の2階からスゥエタ通りを見る

変則十字路
バレ・パトッ(ク)からモンキーフォレスト通りを見る


ウブドを歩いていて、面白いことに気づく。
十字路がないのだ。
村道が拡張されて十字路になった道もあることはあるが、ほとんどが少しずれているかT字路だ。
直進しかできない悪霊を迷わすために、意図的に造られているという。
突き当たる場所には、必ず祠が建っているはず。
バリの一般家庭の屋敷門をくぐると、正面に背の低い壁・アリンアリン(Aling-Aling)があるが、これも悪霊避けだ。
ウブドの変則十字路やT字路で、供物を捧げる姿を見かけることがあるが、彼らは、この場所に悪霊がたまっていると考えるからだろうか。
火葬儀礼のバデやプトゥラガンやニュピ前夜のオゴホゴが、道路の交差地点でグルグル廻るのも地鎮の意味があるのだろうか。
夜中に、犬たちが道路の交差する地点にたむろするのは、悪霊と共感しているのかもしれない。
ァ〜怖い怖い。


※バリ関係・推薦本【「ウブッド十字路の番人・バリ島今昔譚」マディ・クロトネゴロ著・武内邦愛訳】に、文明が入り始めた頃のウブドの模様が書かれている。


(2011/5/6)




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