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「極楽通信・UBUD」



55「映画 “Puputan Margarana“ 出演」





2013年8月17日は、68回目のインドネシア独立記念日。
1949年に「連邦共和国」、1950年に「共和国」として完全独立を果たしたのだが、インドネシア国家は1945年8月17日を独立記念日としている。
1942年3月から1945年8月15日までの3年5ヶ月、日本軍の占領統治があった歴史を、我々日本人は忘れてはならい。

毎年、この時期になると思い出すことがある。
それは1995年のことだ。
インドネシアが共和国として独立するために立ち上がったバリ人ヌグラ・ライ(Gusti Ngura Rai)を主人公に、当時を再現した独立戦争物語「仮題:ププタン・マルガラナ(Puputan Margarana)」の映画撮影がバリ島の各地で行われた。
インドネシア独立50周年を記念しての映画。
日本の敗戦(1945年8月15日)の2日後(17日)、スカルノ初代大統領はインドネシアの独立を宣言する。
再び植民地化を目指すオランダに対して、アンボンを除くインドネシアの各勢力は各地で闘争に入った。
バリ島も激戦地となり、のちにマルガラナ村(タバナン県)で終焉を迎える。
全員が撃ち死んだことから、バリの王国時代、オランダ軍と戦った王族の「死の行進=ププタン」のイメージを重ねた仮題「ププタン・マルガラナ」がつけられている。
独立戦争の英雄となったグスティ・ングラ・ライ将軍は、ムングイ(Mengwi)の北にあるチャナンサリ(Carang Sari)王宮の子息。
彼の名前は、バリの国際空港に冠されている。
残留日本兵が、この闘争に協力した話はバリ人も知っている。
20数名の元日本兵がバリ義勇軍を指導し、その多くが戦死した。
思い出すのは、当時ウブドに滞在していた友人たちと、その映画に出演した時のことだ。

「居酒屋・影武者」の掲示板に、インドネシア語のチラシが貼られた。
「インドネシア人女性とイタリア人男性のカップルが来て、貼っていった」と影武者のスタッフ、ワヤン君は言う。
内容は、インドネシアのテレビ局がテレビ映画撮影のため、日本人アクターを数名募集しているということだった。
撮影期間中は、出演料+軍隊お墨付きの滞在ビザ(4ヶ月)がもらえるという魅力的な話だ。
まず、カズ君が参加したいと表明した。
内容の詳細はわからないが、私もインドネシアへの日頃の恩返しと好奇心とで出演してみよう考えていた。
チラシに特技の覧がある。
私は、特殊メイクの経験がある深谷さん(漫画家)と、家具デザイナーの鈴木さんを誘うことにした。
場面によって随時募集しているようだ。

☆7月31日
4人は、それぞれのバイクに跨がり、デンパサール・レノン地域にある事務者へ出かけた。
事務者は軍隊と関係する建物のようだ。
映画のスポンサーは、陸軍だとのこと。
軍のPRにもなるという趣旨かもしれない。
軍隊は、さまざまなアルバイトをしていて、裕福だと聞いている。
ロビーには、大勢のインドネシア人がたむろしていた。
その一人に出向いた旨を伝えた。
しばらく待たされたあと、スタッフと思われる若者に、助監督だと言われる人物を紹介された。
小柄で自由人という風貌の人物だった。
シーンを3つこなして150万ルピア(6万円)。(この頃のレートは、1円⇒Rp25-)
出演料の半額を手付けとしてもらい、残金はクランク・アップしてからという契約だった。
カットごとに、受け取りは5万ルピア。
シーンとカットがどのくらいあるのかわからないが、とにかく、いくらかのギャラはもらえそうだ。
軍隊がバックなら安心だろうと、出演の意志があることを助監督に伝えた。
契約書類に記名している間、助監督は我々の風貌を覗き見ている。
役柄とを照合しているのだろう。
そして、オーディションもなく即合格。 きっと、暇な日本人なら誰でもよかったのだろう。
ローマ字で書かれた日本語の台本一部を手渡された。
台本から、バリを舞台にした戦争映画だということは理解できた。
ところが、台本の日本語が意味不明。
助監督にそう伝えると、「そうですか。それでは直しておいてください」と笑顔で答えた。
ストーリーの全容がわからないが、とりあえず、日本語として意味の通じる台本にしよう。
頼まれたからでなく、こんな不明瞭な日本語では、内容を把握できない。
私としては、セリフを覚えておきたいので加筆訂正することにした。

☆8月1日
「影武者」の前にモスグリーン色の軍隊専用バスが停まっていた。
カズ君は、コテツ君(現:カフェ・アンカサのオーナー)を伴って現れた。
残念だが、鈴木さんは出演を辞退した。
インドネシア人のエバァさんは映画コーディネータースタッフで、イタリア人のロベルトさん(現:ピザ・バグースのオーナー)は役者として出演する。
エバァさんは、簡単な自己紹介を終えると、わたしたちをバスに誘導した。
護送車に似た軍隊のバスに乗せられた我々は、デンパサールの事務所に向けて出発した。
この日は衣裳合わせのようだ。
事務者の裏に、小道具の製作場がある。
チョコレート色の軍服が手渡された。
飾りのポケットがついた簡素な軍服は、縫製が悪いのか身体にシックリこない。
私に合う寸法の長靴が見つからず、オーダーとなった。
わたしたちの役は、残留日本兵。
私は秋山大将、カズ君は平良定三、それぞれに役柄が振り分けられた。
実在した人物なので、できるだけ風貌、背丈の似た出演者を決めたようだ。
小さな長靴を履いた軍服姿で、スチール写真を数枚撮られた。
実感はないが、取りあえず役者としてスタートしたようだ。

☆8月2日
デンパサールのクシマン王宮で記念式典が催されることになり、わたしたちも招待された。
拿捕(だほ)された捕虜ようにして、軍隊専用バスに乗り込む。
王宮の内庭に併設してある、独立戦争当時の写真や軍機の展示コーナーを見学した。
欧米人キャストと合流。
筋肉質でワイルドな個性のポルトガル人。
やたらと陽気なドイツ人。
その他大勢の日本兵エキストラは、中国系インドネシア人の学生が演じる。
彼らのピストル暴発で、深谷さんの片眼が不自由になった事故は、このあと一週間後だ。
インドネシア兵には、現役の軍隊が出演する。
記念式典に出席する前に、男性キャストの断髪があった。
ウブド滞在以来、床屋に行くのが面倒でのばしていた、私のトレードマークである長髪は潔く切られた。
メーキャップ・スタッフはジャカルタから来ている男たちだが、全員がオカマちゃんだった。
カズ君はその後、彼(彼女)らと何度も撮影現場で顔を合わせるうち、強烈なアタックを受けたそうだ。
白襟が縫い付けられた濃紺の軍服姿で、記念式典に列席。
気分はアクター。ちょっとウキウキ。
バリ州知事の挨拶、来賓の挨拶のあと、主演男優と女優の紹介があった。
ジャカルタから来た有名な俳優さんらしい。
申し訳ないが、インドネシアの映画事情に興味のない私は、存じ上げていなかった。
会食の余興は、バリらしくトペン・ボンドレスが披露された。
バリ州知事イダ・バグース・オカ氏と軍最高幹部の人物と並んで写真を撮らせてもらった。
この写真を「影武者」の目立つところに貼っておけばイミグレーションも文句を言わないだろう、な〜んてセコイことを考えている小心者のitosan。(結局、何の役に立たなかった)
会食のあと、いよいよクランク・イン。
屋敷内の一角で、ングラ・ライと数名の独立軍による作戦会議シーンの撮影された。


映画 映画 映画


☆後日談
軍隊お墨付きの滞在ビザは、シンガポールまで出掛けて行ったが取得できなかった。
監督とエバァさんに談判したが、らちがあかない。
欧米人の多くが「話が違う」と言って止めていった。
そして、映画は資金不足で中止となる。
どうやら、使い込みをした悪党がいたようだ。
残りあと少しだったというのに、残念なことだ。