「極楽通信・UBUD」



2「フィットネス時代」





ウブドにフィットネス・ジムがあると聞いて、「?・?・?=何故・なぜ・ナゼ」とたくさんの疑問符が頭上を飛び交った。
私には、ウブドでフィットネス・ジムに通う人の気持ちがわからない。よく調べもしないで発言するのは私の本分ではないが、今回はあえて調べもしないで客観的な推測で勝手なことを言わせてもらう。なぜ、あえてかと言うと、調べに行きたくもないほど拒絶しているのだ。
ジムに通っているのは、バリ人の若者たち。そして、より所を求めてバリにやって来たツーリストも通っていると聞く。彼らがどんな生活をしているか知るすべもないが、これは、金と時間にゆとりがないとできないことだ。

通う理由を、私なりに考えてみた。
まず「健康のため」だ。これ以外に、ジムに通う理由がみつからなかった。
しかし、健康のためならなにも金を払ってまでジムに通わなくても、ほかにいくらでも方法はあるはずだ。(もし、腰痛などの持病に悩む人や病弱な人に効果があるというのなら、無知の汚名をあえて受けなくてはならないが。)
それよりも健全にスポーツをしたらどうだろうか。バレーボールにサッカー、バトミントンにテニス、卓球に水泳など、いくらでもスポーツはできる。自転車に乗るのもよし、歩くのも走るのもいいと思う。
スポーツで汗をながすのならわかるが、何が楽しくて、金を出してまでフィットネスで汗をながす必要があるのだろう。フィットネス・ジムは、賃金が期待できる労働ではなくたんに汗を流すだけの所。汗を流すなら、日頃から肉体を作っていればいいことであってジムに通うこともないだろう。もっとも言いたいことは、マシンを使った健康作りはウブドでは似合わないということだ。
ルーム・ランナーで走るくらいなら、自然の中を歩くか走る方がどれほど健康的か知れない。重量挙げをしたければ、畑仕事で無農薬野菜でも栽培したらどうだろう。
「そういうことは、明るい時間しかできないじゃないか」と反論もあろう。確かに、暗くなっては畑仕事や自然を歩くことはできない。仕事をしていて夜しか時間がないと言われれば、それもそうだ。
ジムに通う人は、自由に時間が取れない仕事をしている人が多いのかもしれない。ウブドもそんな時代に突入してしまったのか、という思いだ。先進国の仲間入りと同時に、彼らもストレスを抱える民族になってしまうのだろうか。ひょっとすると、ストレス解消のためにジムに通っている人もいるのかもしれない。ふと、そんな気がした。

せっかく、こんな素晴らしい環境のところに暮らしていて、ストレスを抱えてしまってはつまらない。外国人諸君! 初心に返って、バリに求めていたものを取り戻してはいかかですか。まあ、人それぞれ生き方があるか。それにしても、私から言わせれば「カッコ悪い」の一言だ。
50年前、将来、金を出して走ったり重い物を持ったりする時代がくるだろうと予言した人がいた。それは、先進した国のことだと思っていた。それが、発展途上のインドネシアにすでに存在したとは恐ろしいことだ。
ちなみに数年前の私は、バリ舞踊をしていたので体力つくりはそれで充分だった。今は毎日、疲れ切るまで肉体を使うので、あとは熱い湯にゆったりとつかりたいほうだ。しかし、それだけではバランスが良くない。ちょっとそこまで出かけるにもバイクに乗ってしまう私は、足の衰えを防ぐために縄跳びをすることにした。足を鍛えておけば健康に良いし、縄跳びなら、朝でも夜でも、そしてどこでもできる。

余談だが、70才という高齢でエベレストに登頂したプロ・スキーヤー三浦雄一朗を見習って、スケールは月とすっぽんほど違うが、60才になったらバトゥール山(1717メートル)に登ろうと計画している。そのためにも足腰は鍛えておかなくてはならないのだ。
なかには、ボディビル・ジムとして利用している人もいるかもしれない。
ボディビルは、己の筋肉を芸術的に造りあげることと理解している。カガミに映った自分の肉体を見て楽しむなんてナルシストな趣味を持ち合わせていない私には、これに関して発言する言葉が見つからない。

ひとつ思い出して欲しい。バリ人の筋肉がスジ金入り(スジに、ほどよく自然の筋肉が少しついた感じ)だから好きだった人も多いと思う。これがボディビルで鍛えた人工的キン肉マンになってしまっては、バリ人のアイデンティティがなくなってしまう(ちょっと大袈裟か)。ブヨブヨ白豚も嫌だが、ムキムキ・キン肉マンがケチャをしている姿を想像しただけで、興ざめだと思いませんか。
バリ人の、生活からできた筋肉は衰えることはないが、スポーツやマシンで鍛えた筋肉は、鍛えることを止めると、すぐに衰えてしまう。

バリスの踊り手のアノム、ケチャの踊り手のリノ、バロンの踊り手のデドなど、それぞれ個人で体力作りをしている。アノムは好奇心からマシンを買ったが、使ったのはほんのしばらくの間で、今は埃をかぶっている。リノのメリハリのある筋肉は、ブロンズ彫刻のように美しい。デドなどは、ニュピ祭日以外は毎日踊っているので体力作りをする必要もない。彼らは、きっとジムに通うことはないだろう。

バリの女性たちも、エアロビクスにうつつをぬかすようになった。誰しも、均整のとれた肉体を望む。特に女性は、欲望の一つでもある。ようするに美しくなりたいということだ。
1995年、ウブドのあちこちの集会場でエアロビクスをするのが流行った。これは、今までとかく家にこもりがちだったバリの女性たちが、より健康に、生き生きと人生を楽しむようにと、政府主催による体操コンテストに向けて練習だ。この時は、ミスマッチの微笑ましさがあった。
(聞きかじりの知識だが、エアロビクスとは有酸素運動のこと。米空軍病院の医師、ケネス・H・クーパー氏が、宇宙飛行士の基礎トレーニング法として考案したもので、ダンスの中に力強い呼吸法を組み入れ、体内の酸素消費量を増大させ細胞の活性化を促し、肉体の持久力を向上させるのが目的だ。)

現在ウブドにあるエアロビクス教室に通うバリの奥様方はほぼ皆、贅肉のたっぷりついた、そして髪も化粧もいかにも金持ち風、そして現代風にハデな女性たちだ。(あくまでも、私が見た限りでの話だが)
それよりも、化粧もせず陽に焼けて、うしろで簡単に結った髪にジュプンの花をひとつ挿し、ボロ・シャツにサルン姿で働く市場のおネエさんや奥様たちの方が、どれほどしまって美しい身体をしていることか。
エアロビクスに通う奥様たちは、もう普段から重いものを頭にのせて運んだりしなくなったに違いない。日本では、金持ちのお嬢のことを「箸より重いものを持ったことがない」と形容するが、バリでは箸を使わないから日本のお嬢たちよりバリのお嬢の方がワガママになりそうだ。

頭上に物をのせることが習慣になっているバリの女たちの、背筋がピンと伸びたプロポーションは、昔からツーリストの憧れだった。それが、エアロビクスによって作られたものだとしたら夢も希望もない話だ。いや、エアロビクスだけでは、あんな美しい身体はできっこないぞ。
また近年、モデルのような体型の背の高いやせ型の娘たちが増えてきた。バリ舞踊の踊り子は、あまり背の高い女性は向かないと思うし、ただスリムなだけで踊りにバリ舞踊独特の力強さが感じられないのはどうかと思う。
 もし、私が訪れた1990年にフィットネスやエアロビクスがあって、皆こぞってそこへ通っているのを見たら、きっと、長期滞在しようとは考えなかっただろう。

「ケーキが食べたい」のコラムでも書いたが、少なくとも、モダンな店やフィットネス・ジムを利用しているツーリストに「ウブドは変わってしまった。昔のウブドのほうがよかった」と言う資格はない。もちろん私も含めてだが。
われわれ外国人が、ウブドの先進国化に加担している。さまざまな滞在の仕方があることは、頭の固い私にもわかるつもりだ。がしかし、われわれツーリストはバリ人から見れば、あくまでもおじゃま虫だ。おじゃま虫にはおじゃま虫のルールがある。それは、常に「ウブドらしさ」を心がけて生活することだ。




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