「極楽通信・UBUD」



15「ボレー(Boreh)」





わたしが滞在し始めた1990年のウブドは、車もバイクも少なくて、ブラブラと散歩をするのに適していた。わたしは、ほとんど毎日のように村を歩き回っていた。
今でもウブドの主要道路は少なくて、手相にも似たシンプルなものだ。主な道路を制覇すると、わたしは次に脇道の探索を始めた。この先はどこへ通じるのだろうと、犬に吠えながら恐る恐る進むと袋小路だったりする。しかし、そんなところにバリ人の日常生活がある。

ある日わたしは、いつものように地図にも載っていない路地を入っていった。人影が見えない。いつの間にか、家々の門には犬どもが立ちふさがって、見かけないツーリストに吠えかかってくる。
奥まった道路脇に、竹で作られた粗末なあずまやがあり、数人の男たちがあぐらをかいていた。全員が上半身裸で、全員が水牛の水浴びあとのようにドロまみれだ。上半身裸の男はよく見かけるが、ドロまみれの男は初めてだ。異様な姿の男たちの視線が、少し恐ろしく感じた。
このドロがバリに古くから伝わる生薬「ボレー」だと知るのは、このあとかなり経ってからである。そして、それが今では、自分もドロまみれになっている。カルビーのカッパえびせんじゃないが、ボレーは、やり出したら“止められない止まらない”のだ。

そんなわけで、今回はボレーの話です。
まずは、わたしの体験談から。
わたしの健康のためにと、ダドンは、ボレーを作って塗ってくれている。実際に、どんな時にボレーを塗るのか、わたしは知らない。「ダドン」は「おばあちゃん」という意味のバリ語で、ここで登場するダドンは、「極楽通信・ウブド」にしばしば登場するので、説明は省きます。
ダドンが用意した、今日のボレーの材料は、ばんうこん、にくずく(ナツメグ)に、丁字だ。これらは、すべてスパイスである。一番簡単なボレーは、生米とばんうこんをつぶしたものだそうだ。生米は、皮膚につきやすくするために入れるようだ。
ダドンは、持ってきたスパイスを石臼にのせた。それを、10センチほどの石で叩きつぶしていくのだ。石臼がない場合は、口に含んで唾液で水分を足して歯で噛みつぶし、よくつぶされたら、そのまま人の背中や足に勢いよく吐きつけるらしい。ダドンに、この方法でされたら、わたしはきっと卒倒してしまうだろう。
ダドンに命令されると断れないわたしは、慣れない手つきでスパイスをつぶし始める。これが、見ているよりは難しい。力加減が難しいのだ。力を入れ過ぎると飛び散るし、力を入れないとつぶれない。
もたもたしているわたしを見かねて、お前がやれと命令したはずなのに、ダドンは、わたしから石を取り上げ、自分でし始めた。見る見るスパイスはつぶれていく。
ある程度つぶれると、今度は少し水を加えて、石を手前にこねるようにして、すりつぶしていく。今度は、わたしがダドンから石を取り上げて同じようにしてみる。しかし、うまくいかない。それにも見かねたのか、ダドンに再び石を取り上げられた。

ダドンのボレーには、うこん(インドネシア名・クニット=Kunyit)/英名・ターメリック=Turmeric)が入ったり、時にはシナモンが入ることもあり、まちまちだ。
この原稿を書きながら気がついたが、ダドンのボレーが日によって変わるのは、気まぐれではなく、わたしの身体の具合を見ているのかもしれない。つま先の冷えている時、身体が疲れている時、肌にできものがある時など、スパイスの効能に合わせて調合しているのかも。
30分くらいで、スパイスはカレー粉のような色をしたペースト状になった。ダドンは「いい匂いだろう」とでも言うように、ペースト状のボレーをわたしの鼻先に持ってくる。丁字の香ばしい匂いがする。
まずは、こめかみ、眉間、耳の裏に、小梅くらいの量を盛り付ける。ピリピリと痛いほどしみる。今回のボレーには、ジョウガが入ってやしませんか。
残りは、水を加えて身体に塗る。全身ドロに包まれたようになる。風の強い日には肌寒いが、しばらくするとホカホカと暖かくなってくる。そして、身体全体がヒリヒリとする。なんとなく、健康になりそうな気がする。
乾燥すると、仕上げは垢すりのようにして取る。マッサージにもなる。

時々訊ねてくる友人が、わたしの泥んこになった身体を見て驚く。それを見てダドンは「お前もやるか」とすすめる。友人が尻込みするのを見て、大声をあげて笑う。勇気をだして、額にボレーを塗ってもらった加藤さんは、日本に帰ったらカサブタになっていたとメールしてきた。ショウガでも入っていたかな。
手軽にボレーを試してみたい人は、村のワルンで、すでにすりつぶしものを小さな袋に入れて売っていることがあるので探してみよう。塗り方のコツは、適度なペースト状になるように水分を調節すること。初心者は膝から下、次に額(特に額に塗ることを、テレッとかムテレッとかいう)です。上級者は、加えてのど、背中、胸と全身に塗っていく。
塗ってから水分が完全に乾いてカサカサになるまで、じっと座っていること。じんわりと暖かくなってくる感触を堪能したら、固まってたくさんこびりついている所だけを適当に手で払ってから床につくなり、服を着るなりする。ボレーを落とさずにシャツを着ると、白いものは黄色に変色してしまうこともあるので注意しよう。
あとは、水で簡単に落ちるから心配はいらない。勇気のある人は、ムテレッのまま外出すれば、確実に笑いがとれる。それは手っ取り早く村の人気者になれるチャンスかもしれないが、ほんとうは「変な日本人」と言われているだけかもしれないので、悪しからず。
取り合えずわたしは、作業場にあるマンディ場でボレーを軽く落とす。家でバスタブに浸かると、バスタブの底には砂のようにボレーの粉が残っている。

それでは、ボレーの由来はというと。
どうも古代から伝わるジャワのジャムーからきているらしい。ジャムーとは、植物を利用した生薬、またはそれを調合したもののこと。かのボロブドゥール遺跡にもジャムーを調合する人の姿がレリーフになっていたりするので、歴史は相当古いものと推測できる。
ジャムーの生薬のことを調べていくと、インドのアーユルヴェーダ(Ayur Veda)と共通することが多々あるらしいので、ボレーの元祖はインドかもしれない。インドのアーユルヴェーダからジャワへ伝わってジャムーと呼ばれ、バリに渡ってボレーと言われるようになったということか。

このボレー、バリ人が一般的に使う材料はほんの1〜3種類ほどだが、バリアン(呪医師)が患者に処方する時には、各々の症状に合わせて多種多様の生薬を調合するらしい。その処方箋は、ヒンドゥーを基盤とするバリ古来の治療学「Usada=ウサダ」の一項として、今までも聖典(ロンタル)に書かれているそうだ。

ボレーにまつわる、こんなエピソードを聞いたことがある。
バリでは、お年寄りが身体の具合が悪くなり医者に診てもらったり、薬を飲んでも、なかなか回復しない時「ひ孫に、ボレーをもらうと治る」という、なんとも微笑ましい言い伝えがある。
知り合いのおばあちゃんが、体調を崩して長いこと床に伏せっていた時の話。
歳のせいもあるだろうが、医者で薬をもらって飲んでも、いっこうに良くならず、「もうダメかねえ」などと家族に言われていたのだが、その家の嫁が思いついたように言い出した。「おばあちゃん、そう言えば、あそこの家に赤ちゃんが生まれて、もう半年になるわね。おばあちゃんのひ孫に当たる子だから、ぜひボレーをもらいましょう」と言って、すぐに受話器を取った。
その日の午後、連絡を受けたおばあちゃんの孫夫婦が、赤ちゃんを連れてやってきた。何もわからない赤ちゃんの手をお父さんが横から添えてやって、ようやく寝床から起きあがったおばあちゃんの背中に、申しわけ程度のボレーを塗ってあげた。おばあちゃんの相好が崩れたのが、たやすく想像できる。
その夜、おばあちゃんはピンピンして歩き始めたという。
老人にとっては、自分のひ孫にボレーを塗ってもらったということが、とりわけ嬉しいのだろう。病は気から。気付け薬とはよく言ったものだ。

そんなわけで、ボレーを愛用しているのは、もっぱら老人たちだ。
効用があることは知っていても、若い人には、ボレーのドロ湿布は人気がない。近い将来、ボレーの習慣もなくなってしまうのだろう。しかし、それもしかたがないことだ。でもわたしには“止められない止まらない”のであった。


※付録:ボレーに使われるスパイス
(日本名--インドネシア名--バリ名--英名)
○ばんうこん--クンチュール(Kencur)--チュコー(Cekuh)--ガリンガレ(Galingale)
 植物学から見ると、カゼ、咳、発汗、解熱などの薬効があり、身体を適度に暖め、体力を回復する作用があるとされる。しょうがのように過度に熱くならないので、子供にも湿布ができる。
○丁字--チュンケー(Cengkeh)--チュンケー(Cengkih) --クローブ(Clove)
 丁字には多量の精油が含まれ、その成分であるオィゲノールは、東洋医学や西洋医学でも数々の薬に処方されている。特に、歯科医で痛み止めに使われる。痛む虫歯の穴に粗めにつぶした丁字をつめておくだけでも効果がある。暖効性の麻酔効果、鎮痛、吐き気止め。
○にくずく--パラ(Pala)--ブガルム(Begarum)--ナツメグ(Nutmeg)
 不眠症、神経衰弱、鎮痛などに効く薬効が認められ、鎮痛効果が高い。インドのアーユルヴェーダでも熱、咳、嘔吐に適用する。精油は、リューマチの薬として各国で処方されている。
■取材協力:ダプール・バリ(料理教室)http://www.dapurbali.com




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