「極楽通信・UBUD」



34「バリの犬(Anjing)」





バリを訪れて、カルチャー・ショックであったものの1つに「犬」がある。
バリの犬は放し飼いで、それが犬にとって良くもあり悪くもあるように見えた。眼に触れたバリの犬は、日本で見慣れた犬の姿ではなく、何か別の生き物のように感じた。
皮膚病でほとんど毛が抜けてしまい、しわしわの皮膚だけになってジーッとしている犬。眼が窪み、あばら骨や腰骨が出てしまって情けなさそうに歩いている姿には、生気がなく、まるで抜け殻だ。頭や耳のうしろに傷を負い、それがぱっくり口を開いてハエにたかられているもの。車がしきりなく走る大通りを頭から血を流して死んでいるもの。呼吸するのがやっとの犬を見ると、悲しくなる。

バリ人の犬に対する感情は、我々とは違う。ペットとして飼うという感覚はないようだ。最近、わざわざ山間部の村キンタマーニで生まれた犬を買って、可愛がる人も増えたようだが、それもペットを呼ばれるほどでもない。可愛がるのは小犬のうちだけで成犬になると、いつものパターンをたどる。バリには「あの子は犬のようだね」と例えることがある。小犬の時は可愛くて人気者だったが、大きくなったら特に可愛いわけでもない。特別視されないという意味だそうだ。
以前は今ほど暮らしが豊かではなく、犬に与えるエサなどなかった。多くの犬は飢えていて、人間の食べ残しや汚物を食べていたそうだ。そんなふうにして共存している犬を、バリ人は追い払うわけでもなく、住み着いたらそのままで、いなくなろうが死のうが別に驚かない。
昔から、犬は汚いという観念が強く残っているバリ人は、犬をそばに近づけたがらない。人が物を食べている時、犬がそばに座ったり吠えたり、手を掛けて催促しようものなら「チェッチェッ」と叱られ追い払われる。
家では、隅に追いやられて脇役の犬。そんな彼らにも、昼と夜の顔がある。
昼は暑いので、できるだけ涼しくなろうと、日影のコンクリートの上やワルンの長椅子の下で昼寝を決め込んでいる。夕方は、友達の犬と遊んだり、食べ物を探してゴミをあさっている。そして涼しくなった夜は、人通りも減るし、犬たちにとってはハッピーアワーだ。道路は、犬たちの社交場になる。強気になった犬は、ゴンゴン(日本はワンワン)とはしゃぐ。

ウブドを訪れ道を歩いていて、犬に吠えられた怖い思いをした経験は誰にも一度はあるだろう。一匹が吠えると、次から次へと犬は門前に現れて吠える。犬は、テリトリーがあるかのように飼い家の前で吠えて、道行く人を威嚇する。通り過ぎれば、吠えるのを止める。
何匹かで吠えたてて向かってきたり、自転車やバイクで通る人を追いかけたりすることもある。バリの犬は、吠えるだけで決して噛みつかないと言われているが、そんなことはない。実際に噛まれた人もいる。ひとりの時に囲まれると、結構怖い。

それではここで、バリ犬と遭遇した時の対応策を考えてみよう。
ひとつは、石を投げたり棒を振り回して撃退する方法だ。
犬どもより優位に立てば、おとなしくなるという考え方だ。「こいつは強い」と思わせるわけだ。しかし、犬どもも賢く、ヘタをすると集団で復讐される恐れもある。撃退されたことで凶暴になって、他の人を襲うことも考えられる。
もうひとつは、パンなどの食べ物を与えて手なずけるという方法だ。友好的な手段だが、手なずけるまで度胸と根気とお金がかかる。
結論として、もっとも良い方法は無視することだろう。多くの人がこの方法で、バリ犬からの危険を切り抜けているようだ。
あなたは、撃退派、手なずけ派、それとも無視派。


◎バリ犬雑学
インドネシア語でAnjing、バリ語ではチチン(Cicing)、バリ語の丁寧語でアス(Asu)と言う。子犬はバリ語でクルッ(Kuluk)と呼ばれる。
バリ犬のルーツは、小さく逞しい身体が特徴のカチャン(豆)犬だと言われている。バリ島で人間の営みが始まると同じ頃から、カチャン犬は人間と共存していたようだ。
バリ・ヒンドゥー教の儀礼には、赤茶色の毛並みに、鼻先と尻尾の先が黒い子犬が神への生け贄として捧げられる。それは、一番可愛くて手放しがたい時にも、執着を捨てて潔く神に捧げることが大切だという意味が込められていると言う。
キンタマーニ犬と呼ばれる、バリ島中央部バトゥール周辺に生息する毛足の長い犬は、12世紀から16世紀にかけてバトゥール地域にやってきた中国人が持ち込んだチャウチャウ犬とカチャン犬の混血したのが起源だと言われている。
この他に、バリ・ダルメシアン犬と呼ばれる、白い毛並みに黒い斑点を持った犬がいる。この犬は、クタに居住していたデンマーク人、ヨハンセン・ランゲ(1839年に居住、1856年死去)がバリに持ち込んだダルメシアン犬がカチャン犬と混血したと考えられている。ダックスフンドのように脚の短い犬もよく見かける。これも混血だろう。

1990年、デンパサールの友人の家を訪ねた時、彼女が悲しんでした。聞くと、愛犬が警察に連れていかれたと言う。当時、インポートの犬は、生態系を変えるからと没収されていた。現在、多種の犬がペットとして持ち込まれている。今後100年もすれば、バリ犬の生態系はまったく変わるだろう。カチャン犬が日本の柴犬のように貴重種となる時代になっているかもしれない。

○犬を使った諺
「インドネシア語ことわざ用語辞典」(大学書院)に、犬に関する諺は、約40個あると書かれてある。特に代表的なものを、ここで4つほどあげてみた。
1)"Seperti anjing dengan kucing"「犬と猫のようだ」(犬猿の仲)
2)"Seperti anjing berebut tulang"「骨を奪い合う犬のようだ」(財産を奪い合う欲張りな人)
3)"Bagai anjing menyalak di ekor gajah"「犬が象の尾に吠えるようだ」(負け犬の遠吠え)
4)"Anjing menyalak tak akan menggigit"「吠える犬は噛みつかない」

イスラム教では、犬は、豚と同様に不浄の動物とみなされている。そんな理由からなのだろうかインドネシアの諺の中で、犬はかなり「さげすまれる」扱いを受けているようだ。豚のように毛嫌いはしないが、特に犬の鼻、濡れた身体は触らないと聞いている。確かな情報ではないが、イスラム教徒は、犬をペットとすることはないという話を耳にしたことがある。