2004年12月31日:大晦日
2004年も、あますところあと数時間となりました。貴方にとって、今年はどんな一年でしたでしょうか。きっと良い年だったことでしょう。新しく迎える2005年は、いったいどんな年になるのか、今から胸をときめかせている人もいることでしょう。バリ旅行を楽しみにしていたのに、残念にも、今年バリを訪れることが出来なかった方には、是非来年は、来バリ出来ることを祈っています。また今年、幾度も来バリを果たした方には、末永くバリを愛していただけることを祈っています。大晦日のウブドは、あちらこちらでバザールが開かれて賑やかになることでしょう。それでは良いお年を。
2004年12月30日:デワ・ニョマンのワンマン・ショー
12月29日夜、クビヤールの星、デワ・ニョマンのワンマンショーが、アルマのワンティラン・ステージで行われた。数多くのバリ島内舞踊コンテスト第一位に輝くデワ・ニョマンが、受賞作品をメインに、一人で6曲をこなした。100名近い観客が、彼の華麗なバリ舞踊に魅了されていたようだ。バリ芸能の将来を担うと思われる彼の、今後の活躍を期待したい。
2004年12月29日:レストラン・オープン
プンゴセカン通りのスーパー・ホレホレ前に、ビーチ・リゾート地にでもありそうなブルー色の目立つレストランがオープンした。店名を「ワルン・エナッ」。ワルンというから値段も安いと入ってみたら、なんと・・・・。モンキーフォレストにある高級レストラン・ラマックの姉妹店と聞いて、値段に納得。店舗のデザインがウブドにマッチしていないと感じるのはアパ?のスタッフだけなのかな?
バリはこの日、パグルワェシ祭日。グヌン・ルバー寺院(ウブド)ケヘン寺院(バンリ県)のオダラン(寺院祭礼)が始まる。
2004年12月28日:スマトラ島に大地震
スマトラ島の地震で、アチェが津波などで死者の出る大被害となっているようです。バリはまったく影響がありませんが、ウブドに滞在する日本人旅行者に安否を気遣う連絡が国元から入っているようです。被害者の冥福を祈るかのように、バリは一日中雨が降っています。
2004年12月27日:スマラ・ラティ特別公演
バニュピナル祭日と満月が重なった26日。各家々の玄関前の道端には、たくさんの供物が供えられた。スマラ・ラティ特別公演 “Seniman Tua”(高齢の舞踊家で人間国宝のような人達)は、お参りに訪れる正装のバリ人が行き交うウブド・ダラム寺院で公演された。最高齢者は79才のイブ・チニックさんと女性バリス・ダンサー、マデ・アニスさん。男性ではクビヤール・ドゥドゥクの名声を得たイダ・バグース・オカ・ウィルジャナ氏の75才が最高齢だった。60才70才で元気に踊る姿に、観衆は惜しみない拍手を送っていた。
2004年12月26日:バニュ・ピナロ祭礼日
今年のクリスマス(25日)は、バリの祭礼日サラスワティと重なりました。サラスワティは学問の女神。書物にお供えをします。この日は神様に感謝する日で、書物を読んではいけません。バニュ・ピナロ祭礼日には、バリ・ヒンドゥー教徒は泉や海に行って身を浄めます。
2004年12月25日:メリー・クリスマス
日本の街では、ジングルベルの軽快な音楽が流れ、イルミネーションが煌めくクリスマス。ウブドのクリスマスは、まったく普段と変わらない。わずかにライブミュージックのあるレストランが、少し賑やかなくらいだ。ウブドに滞在するキリスト教徒のツーリストは、クリスマスをどうやってすごしているのでしょうね。
2004年12月24日:”DANCING OUT OF BALI”再販
アルマで「DANCING OUT OF BALI」John Coast 著の再販記念の催しが23日開かれた。1954年の初版から実に50年ぶりの再販だ。当日、1953年9月21日に撮影されたオレッグ・タムブリリンガンの貴重なフイルムが上映された。オレッグ・タムブリリンガンは、1952~53年の欧米公演のために、マリヨによって創作された舞踊だ。踊り手は、12才のグスティ・ラカ嬢と青年サンピ。クンダン(太鼓)は、アナック・アグン(グンカ)とマデ・ルバだ。もちろんグループは、プリアタン村のグヌン・サリだ。書籍代は138,000ルピア、詳細はwww.johncoast.orgへ。
2004年12月22日:割安航空券に長期滞在者殺到
只今ウブドの長期滞在者の間で、マレーシア・クアラルンプール行きがブームだ。原因は、2004年6月に告示され8月5日からバリ~クアラルンプール間を就航したエアー・アジア(マレーシアの航空会社)の格安航空券だ。エアー・アジアの航空券はインターネットで購入するか空港にあるオフィスに直接行くかの、どちらかだ。アパ?では、航空券購入を代行しています。
格安魔術は、経費カットにある。航空券は、A4サイズの領収書で代用され、乗務員はスチュアデス(スュチュアート)が3人。パイロットは通常だと思いたい。きわめつけは、ドリンクや軽食の機内サービスがない。キャンディのひとつも出てこない。ワゴン販売のドリンクやスナックが、スチュアデスによって運ばれ、ひととおり販売が終わると、スチュアデスは今度、大きな黒いゴミ袋を手に、ゴミの回収を始める。到着する前にゴミを収集するのだ。徹底した経費節減だ。
2004年12月17日:ウブドの十字路の街路灯
ウブドの十字路付近がコンクリートブロック敷きになって、しばらくして、街路灯が設置された。黒塗りの鉄柱にヨーロッパ・スタイルの2灯のランプ。デザインもウブドにマッチしていないが、今までの街路灯の明るさで、まったく役にたっていないように見える。どんなコンセプトで街作りが計画されているのか全く理解ができない。安全と憩いのある街作りを期待したい。
2004年12月16日:新・影武者になって1ヶ月
影武者が奥に移転して、早1ヶ月が過ぎた。さすが老舗だ。危惧していた客足もまったく落ちることなく、毎日盛況だ。旧店舗より店内が明るくなって清潔感がある。椅子席もあり、これまで座敷席で困っていた客にも評判がいいようだ。これからも、訪れるツーリストに、美味しい料理を提供して欲しい。
アンドン交差点の中央にそびえ立った、総高5メートルほどの真っ白い彫塑は、インドの叙事詩「マハーバーラタ物語」の主人公パンダワ5兄弟のひとりアルジュナ王子の像だ。モンキーフォレスト入場口前道路の左右の大きな猿の彫塑といい、バリ人はPatung(彫刻)が好きなのか、なんと今度は、ニュークニン村デサ寺院の前でも何やら彫りだしている。ニュークニン村のデサ寺院では、15日から18日までオダラン(寺院祭礼)です。バリ・ヒンドゥー教の宗教儀礼にふれてみたい方は、訪れてみてはいかがですか。もちろん正装で。正装はアパ?でレンタルしています。
2004年12月14日:アントニウス・コウのギャラリー
ネカ・ギャラリーをしばらく北上したあたりの東側に「WINA」という看板のギャラリーがある。ここがアントニウス・コウのギャラリーだ。絵画と彫刻を手がける彼の作品には、たくさんの顔や眼が独特の彩色で描かれている。どことなくユーモラスで、ホッと落ち着く作品が多い。11月23日から12月17日まで、ジンバランのフォーシーズンズで個展したあと、12月26日からは6人展をレギャンにあるホテル・パドマで2005年1月2日まで開催する。6人展には、ウブドに在住の家具作家・Sumio Suzuki氏も出品する。ネカ・ギャラリーのあるサンギンガン村は今、新進気鋭の作家のギャラリーが増えている。バリ絵画に食傷気味なら、散歩がてら立ち寄ってみてはいかがですか。
2004年12月10日:「深谷 陽」文庫開設
カフェ&バー・アロンアロンに「アキオ紀行バリ」などの著者として有名な、漫画家・深谷陽さんの著した本が全巻蔵書されました。蔵書名:「アキオ紀行」「アキオ無宿ベトナム」Vol.1~Vol.2、「運び屋ケン」上・下、「楽園夢幻奇譚・ガディスランギ」「レディ・プラスティック」「踊る島の昼と夜」。是非、一読ください。
2004年12月07日:整備されるモンキーフォレスト
ハヌマン通りから行って、モンキーフォレスト入場口前道路の左右に、大きな猿の彫塑が台座に乗った門が完成した。モンキーフォレストは、パダンテガル村が所有する森。そのため正面入口は、ハヌマン通り側からということになる。道路も同時に、ウブドの十字路と同様コンクリートブロックが敷設された。バイクの人には、どちらも走り難い道だ。旧駐車場前に、崖にへばりつくようにあった土産物店の長屋が取り壊され、現在コンクリート作りの店舗を建設中。ウブド大通りからのハヌマン通り入口とウブドの十字路に続いて、旧式の長屋店舗が姿を消した。外灯もなく狭くて急な坂を上り下りして通り過ぎた深夜のモンキーフォレストで、火葬場のある林のあたりから薄明かりが見えた時は、心臓が飛び出しそうに恐ろしかった。窪地には気が溜まると言われるが、モンキーフォレスト前の道は霊気漂う道だった。どんどん整備されていく最近のモンキーフォレストに、もう怖いと思うことはなくなりそうだ。
2004年12月06日:ノンアルコール専門のバーがオープン
プンゴセカン村方面からハヌマン通りを北上し、レストラン・ベベ・ブンギルを通り越した辺りに、トゥブサヤ村に向かうT字路がある。その北東角に新しい店がオープンした。Bar & Art Gallery のネオン文字が外壁にブルーに輝いている。店名はSG ( Style Group )で、バーとギャラリーが併設した店だ。カウンター・バーで忙しそうに働く若い女性の姿が、大きなガラス張りの窓から見える。バーと看板は掲げているが、飲み物はすべてノンアルコールだとのこと(食べ物は無し)。ネオン看板もノンアルコールのバーも、ウブドで初めてことだ。こういう店が、今後ウブドに増えていくのでしょうか?
2004年12月02日:Tamanのケチャ 続報
11月24日のこのコラムで紹介したTaman Kaja村のケチャの定期公演を見てきました。ほぼ定刻通り始まった「ケチャ」は、ボナ村からグル(指導者)を呼んで習ったそうで、声がよく出ていてケチャ隊のやる気と熱意、またこの公演に対する村人の思い入れが十分感じられる迫力ある物でした。公演は寺院の中で行われ、雨が降っても濡れないようにテントが張られた客席は、見やすいように後方に行くに従って高くなるように台が設置してあったり、お客さんに楽しんでもらおうとする姿勢が随所に見られました。表の通りも車の往来があまりないので騒音で邪魔されることも少なく集中しやすかったです。このテンションがこのまま続いてくれれば、すばらしい「ケチャ」の定期公演になりそうです。ちなみに、この日の観客数は50人以上と時期と周知期間の少なさから考えると十分以上の結果を得ていました。終了後のお客さんの顔が、この公演の成果を雄弁に語っておりました。
2004年12月01日:アパ?のサイト,リニューアル
今年も余すところ、あと一ヶ月となりました (ウブドは相変わらず暑くちっとも年末気分が盛り上がりませんが)。この忙しい?時期に 「アパ?」のWebサイト(ホームページ)をリニューアルしてしまいました。(この為にしばらく更新が出来ませんでした。すいません。)まだ、リニューアル途中ではありますが、とりあえず公開することにしました。基本的な構成は今までと大きく変わってはいませんが、少しは見やすく・使いやすくなったのではないでしょうか?(ただし、スタイルシートを多用しているため、Netscape 4.x や小さい画面をお使いの方には非常に見づらいサイトになってしまったかも…) ご意見、ご感想は掲示板 「Web版自由筆記帳」 まで。お待ちしております。(ところで皆さんの環境でインラインフレーム(写真のところ)は表示できますか?)
2004年11月28日:Angkasa
ちょっとお休みしていたアンカサが今日から再び open しました。
2004年11月26日:Dedalu(ドゥダルー)とチャンドラ・ワティ
雨が降ることが急に多くなった最近のウブドですが、満月のこの日バリ語でDedalu(ドゥダルー、インドネシア語では laron:ラロン)と呼ばれる羽虫(カゲロウの一種?)が大量発生しました。この日は久しぶりに雨が降らなかったからなのか、夜7時ぐらいからランプの明かりに誘われてこのDedaluが集まって来ていました。1-2時間くらいでいなくなるのですが、路上だろうと家だろうと、とにかく明るいところに集まってきて、すごいときには前が見えなくなることがあります。そして、朝にはテラスなどに大量の羽が。。。こう言って何ですが、かなりうざったい虫です。(雨季の風物詩ではありますが)
ウブドのサラスワティ寺院でチャンドラ・ワティというグループによる「ジャンゲール」を元にした新作芸能のお披露目がありました。まだ日時は決まっていませんが、ゆくゆくは定期公演にしていく予定だそうです。参考:「極楽通信・ウブド、乱立するウブドの定期公演」
2004年11月24日:Tamanのケチャ
12月1日よりTaman Kaja村のプラ・ダラムでケチャの定期公演が始まるそうです。前回のオダランのときにやって好評だったそうで、Taman Kaja村の村人が総出で参加するそうです。オーソドックスなスタイル(ラーマーヤナ物語を取り込んだ)のケチャとサンヒャン・ジャランとが演目で、毎週水曜7:30pmからだそうです。Taman Kaja村のプラ・ダラムの場所は、Jl.Raya Ubudのレストラン「NOMAD」の斜め向かいの北に行く道( Taman Warung がある通り)を100mくらい行った所の右手です。パダン・テガルのグループ同じ日に同じ演目でやるようですが、さて…
2004年11月14日:Selamat Idul Fitri
イスラム歴の1425年Syawal月1日(元日)にあたるイドゥル・フィットリです。約1ヶ月に渡るラマダン(断食)月が空けるおめでたい日なのですが、ウブドではイスラム教徒が少ないのでいつもとあまり変わりませんでした。ただ、この日は多くのワルンがお休みになっていました。デンパサールでは炎天下の中、広場でお祈りが行われていた模様です。
2004年11月03日:「影武者」プレ・オープンのお知らせ
11月06日(土)、ちょっと時間がかかりましたが、いよいよ新「影武者」がオープンします。といっても駐車場周りの工事が完全には終わっていないので”プレ”・オープンです。(駐車することは可能です。)お近くにお越しの際はぜひお寄り下さい。
2004年10月21日:新大統領就任
10月20日 インドネシア初の国民による直接投票の大統領選で選ばれたスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の就任宣誓式がジャカルタの国民協議会議事堂で開かれ、第6代大統領に就任した。副大統領はユスフ・カラ前調整相。21日午前、閣僚の就任式がジャカルタの大統領宮殿で行われユドヨノ内閣が正式に発足した。汚職撲滅や経済再建、テロ対策などで斬新な政策を打ち出す事が期待されている。
2004年10月18日:「影武者」
10月17日が「影武者」(旧)店舗での最終営業日となりました。現在お店は一時お休みの状態ですが、新店舗は開店に向け着々と準備が進んでいて、来月初旬にはオープンしている予定です。新店舗は旧店舗(建物自体は残っています)の横の道を下りていった先に出来ます。詳細が決まりましたらまたお知らせいたします。[参考]「お疲れさまでした、居酒屋・影武者」
2004年10月10日:インドネシア語講座
9月27日より開設された「ランギン・スンバダ先生のインドネシア語講座」。わかりやすく、自信がつく指導で、聴講生からの評判は良好。あなたも参加しませんか? 詳細はアパ?推薦情報。さらに詳しく知りたい方は、直接アパ? apainfo@indo.net.idまで連絡をください。
2004年10月4日:盆踊り大会
10月2日、恒例のバリ日本人会・夏祭り盆踊り大会が、ヌサ・ドゥアの日航バリ・リゾート&スパ特設会場にて催された。子供はもちろん大人も楽しみにしている年に一度のイベントで、今回で14回を迎えた。年々盛況となり、今年はなんと1000人の入場者があったそうだ。
9月20日は、現大統領メガワティとスシロ・バンバン・ユドヨノの決戦投票日。開票結果は、がぜんスシロ・バンバン・ユドヨノが有利な展開を見せている。果たして大統領は、誰に。
2004年9月19日:ヴォルター・スピース
9月18日、アルマ内のワンティランで、ヴォルター・スピースの手記をもとにしたパフォーマンスが上演された。ドイツ人アーチストによる、映像を中心にした演劇と舞踊が、3時間にもわたって熱演された。
2004年9月18日:スーパー・マーケット
ウブドの西、チャンプアン橋を500メートルほど行ったところに、スーパー・マーケットが9月9日オープン。スミニャックにある大型スーパー「ビンタン」の出店だ。既存店スーパー・マーケット・「デルタ・デワタ」との価格競争で消費者が恩恵にあずかれるのが楽しみだ。
2004年9月6日:チャロナラン
トゥブサヤのプラ・ダラム・プリ(ダラム・プリ寺院)でチャロナランが奉納されました。夜の10時ころより始まりましたが、8時ころからもう待っている人がいて始まるころにはウブドやプリアタン地区から多くさんのバリ人が見物に訪れていました。通常は定休日のアロン・アロンもこの日は臨時営業していてツーリストが一息つきに来ていました。
ちなみに、このアロン・アロンの2階で、9月27日より日本語による解説のインドネシア語講座が開催されます。
2004年8月17日: Hari Kemerdekaan インドネシア独立記念日
59回目の独立記念日。各地の式典は例年より盛大に行われていた模様。ウブドでもモンキーフォレスト沿いのサッカーグランドで2日間(3日間?)にわたってバリ舞踊や地元?バンドのコンサートなど各種イベントを含む式典が行われました。また、各地の式典はTVで紹介されていて、プリアタンの模様がバリTVで放映されていました。
2004年8月16日:大文字
毎年8月16日夜8時から行われている京都の大文字の送り火と時を同じに、ウブドのビンタン・パリ・コテージで1990年より行われている「小さな大文字」と題した催しが今年も行われ6回目となりました。たくさんの長期滞在者が見にきてました。
2004年8月11日:ガルンガン祭礼
ガルンガンは、210日を1年とするバリ・ウク暦の祭日です。今年は2度ありました。2002年10月12日、クタの爆弾テロから数えて4度目のガルンガンです。日本のお盆休みと重なり、ウブドは今、久しぶりに活気を取り戻しています。
2004年7月27日:スロンディンとジェゴグのコンサート
バリに住んでいても滅多に聞くことが出来ないスロンディングと、今ではいろんなところで聞けるようになったかつての幻のガムラン、ジェゴクの特別公演が行われた。怪しい空模様の中始まり、スロンディン・ジェゴグそれぞれが約1時間づつ演奏された。スロンディンの次回公演は今のところ未定だそうだが、ぜひまた演ってほしいものだ。
2004年7月25日:火葬儀礼
今世紀に入って最大規模と言われる、ウブド・サレン王宮の王族(Ida Tjokorda Istri Muter 享年94歳)の火葬儀礼が行われた。遺体を運ぶ塔が墓地に到着した時には、観衆の大歓声と拍手で迎えられた。 20メートル近くあると思われる塔は、天空を貫く、黄金のクリス(剣)のようであった。
2004年7月18日:バリ風結婚式
この日、日本人カップルの結婚式が、スマラ・ラティのリーダー、アノムの家で行われた。バリ・フリークの両人が、是非バリで結婚式を挙げたいということで、アパがアレンジした。好天にも恵まれ、素晴らしい結婚式が滞りなく終わりました。ご夫妻に、幸多かれと祈る。
2004年7月17日:サンヒャン・ジャンゲール・ムボルボール
3年ぶりに行ったサンヒャン・ジャンゲール・ムボルボールを見るツアーには、10人の参加者がありました。全員が口をそろえて「これは凄いものを見た」と唖然としていました。バリの芸能は奥深いのだ。近いうちに芸能解説に載せる予定です。
2004年7月12日:コテツ君、ウブドの戻る
《ウブドnoニュース》3月11日に「日本に出稼ぎ」で登場したカフェ・アンカサの主人コテツ君が、7月9日、4ヶ月ぶりに元気な姿で戻ってきました。とうぶんの間アンカサは「出稼ぎエピソード」の話で盛り上がることでしょう。
2004年7月1日:ブンブン2・オープン
ゴータマ通りにあるレストラン「ビアビア」前に、ブンブン2号店が開店しました。7月の1ヶ月間は、50%ディスカウント・セールです。8月からは、新製品で登場します。
2004年6月30日:アルマ・アート・フェスティバル閉幕
グループ「アート・ポイント」の主催したアート・フェスティバル。音楽あり、舞踊あり、演劇あり、絵画ありと、もりたくさんの催し物がアルマを会場として繰り広げられた。他国、多民族との文化交流によって、バリの伝統的な芸能、芸術が、いくらかでもバリ人アーチストに刺激を受け、より世界的なものになってくれることを願ってのイベントだった。PR不足もあってか、バリ人の観賞者が少なかったことを残念がっていました。次回はバリ人が多く参加してもらえるようにPRにつとめます。
2004年6月21日:バリ・アート・フェスティバル始まる
大統領メガワティの都合により、予定より1日遅れて6月20日開催。正式には、Pesta Kesenian Bali (通称P・K・B)と呼ばれている。スケジュールの詳細はwww.bali-artsfestival.comに。
2004年6月12日:トゥンプック・ランドップの日
Landep(ウク暦第2週)Saniscara(土曜日)は、トゥンプック・ランドップ。この日は、クリスや槍などの武器、さらに大工道具などの鉄製品に供物を捧げる。特にパンデ(カーストのひとつで、鍛冶職人の集団)は、盛大な供物を捧げで祈る。現在は、バイクや自動車にも飾り物がつけられる。
2004年6月6日:アパ?より連絡
メニュー「カルチャー体験」「オリジナル・ツアー」「アクティビティ」「快適滞在メニュー」が統合され「アパ?」の名称となりました。
2004年6月5日:UBUD情報社会の渦中に!?
2月のウブド村ホーム・ページ開設に続いて、6月にはフリー・ペーパー「Ubud Info」ができた。将来FM・UBUDが開局する予定あるという噂も聞いている。
2004年6月2日:パグルウェシ(Pagerwesi)の日
鉄製品に感謝の供物を捧げる日。Sinta(ウク暦第1週)Buda(水曜日)Kliwonの日が、ハリ・ラヤ・パグルウェシだ。
2004年5月30日:雨日より
今朝まで丸三日、雨が降り続いた。おかしな天候だ。このところ毎日曇っているし、朝夕は、肌寒い。常夏のバリとはとても思えない、今日この頃です。
2004年5月29日: サラスワティ(Saraswati)の日
学問の女神・サラスワティに感謝をする日。この日は、本を読んではいけません。書物に、1年に1度、休んでもらうというわけです。Watugunung(ウク暦第30週)Saniscara(土曜日)、ウク暦の最終日がハリ・スチ・サラスワティだ。
2004年5月17日:アパ?より連絡
「バリ島見聞録」ファンの方には申し訳ありませんが、メニューの煩雑さを改善するため、「バリ島見聞録」を「極楽通信・UBUD」に併合させていただきました。今後ともご愛顧を。
2004年5月5日:男女双子の誕生は、バリでは邪悪
4日、全国放送のTVで、バリ北部ブレレン県シンガラジャで、男女の双子が誕生したのを放映していた。バリでは、双子の出産は、動物的で邪悪なものとされ慶ばれない。村では、大きな厄払いの儀礼(ムチャル)を行ない、両親と赤子は、人里離れた山中で生活しなくてはならない。地域によってことなるが、シンガラジャでは3ヶ月隔離されるそうだ(ウブド近郊では42日間)。儀礼、隔離の手伝いは、村人のゴトンロヨン(相互扶助)で行われる。両親は、誕生1ヶ月ほどの赤ちゃんを抱いて、当惑した顔でTVのインタビューに答えていた。
2004年5月1日:ウブドに活気
日本がゴールデンウイークに入り、バリにツーリストが増えたようだ。その内の数%がウブドに訪れている。ピーク年に比べると、まだまだ少ないが、去年の閑散としたウブドに比べれば、活気が取り戻された感がする。お盆、夏休みは、もっともっとツーリストが訪れると予想される。
2004年4月30日:バンバンの消息
身内のニュースで恐縮です。一部の人にとっては、このうえもない懐かしい人物、居酒屋・影武者の元従業員クトゥト・バンバンの嬉しい噂。なんとワルンを開店していたのです。プリアタンの王宮前にあった小学校が立ち退き、そのあとが広い空き地となった。それが、運良くバンバンの実家の真裏にあたり、今まで虐げられていた裏(これは言葉のあやです)が、いきなり表舞台に格上げされたのです。バンバンは、そこにワルンを開店していました。屋敷内には、家族が出資して建てた3階建のバンバン・ファミリー・ギャラリーが開店間近でした。懐かしいので是非会ってみたいという方は、覗いてあげてください。
2004年4月25日:ブンブン・カフェ2号店OPEN予告
ブンブン・カフェ2号店が、ゴータマ通りワルン・ビアビア前に、8月オープン予定。稲葉のぞみ嬢の個性あふれる照明器具、アクセサリー、袋物、バナナ紙による商品群を中心にした商品構成に、ご期待ください。
2004年4月17日:アパ?からのニュース
ゴールデン・ウイーク期間中、オダラン(寺院祭礼)体験ツアーを企画しました。バリ・ヒンドゥー教寺院で、お祈りをしていただきます。正装レンタル、供物、送迎が付いてウブド近郊(Rp100,000-)です。遠距離の場合は追加料金となります。5月3日までの寺院は、未定です。5月4日~14日までは、サムアン・ティガ寺院。夜のオダランは、奉納芸能を鑑賞することができます。ウブド地域以外から参加の方は、帰りの足を確保するのを忘れないでください。■お問い合わせの時、昼か夜かの希望を伝えてください。アパ?のトランスポートを利用することもできます。ご相談ください。
2004年4月17日: 地震
17日早朝2時30分:ウブドで震度2~3程度に感じる地震がありました。ニュースの取り上げられなかったところをみると、大きな被害はなかったものと思われます。まずは、一安心です。
2004年4月16日:書き込み殺到!!
Web版自由筆記帳に、書き込み殺到。ウブド熱愛症候群たちの情報バトルが過熱気味。
2004年4月11日: アパ?からのニュース「サービス充実」
バリ・テレビ常時放映。近日オープン:アパ?のホーム・ページが無料で見られます。&、インターネット(有料)が利用できます。
2004年4月5日:インドネシア国会議員の選挙
Selamat Hari raya Nyepi Saka 1926
2004年3月20日:明日はニュピだ
21日は、ニュピ。バリ島中が静寂に包まれる日です。昨日は海、川、湖でご神体を浄める日でした。今日は、地の霊をしずめる儀式があります。例年なら夜、オゴホゴが練り歩くのですが、今年は中止で静かなニュピ前夜になりそうです。
2004年3月16日:人気レストラン移転
デウィシータ通りのレストラン・TUTMAKが西に30mほど移転。プラマ社の隣りにあったピザ・バグースは、同じポンゴセカン通りを南下して移転。
2004年3月15日: ウブドの銀行にパンク魔出没
タイヤに細工をしてパンクをさせ、タイヤ交換してるスキに荷物を持ち去るという手口のパンク魔。空港の専売特許だと思っていたが、今年に入ってウブドの銀行を出たところで被害を受けた人がいたと聞く。空港だけでなく、どんなところでもパンク魔には注意しましょう。
2004年3月11日: Kotetu日本に一時帰国
知る人ぞ知る、ウブドにあるカフェ・アンカサの主人コテツ君が、日本に出稼ぎに出発した。「新たな経験もしたいし、良い機会だ」と言って、すがすがしい顔で出掛けていった。どこで働くかは今日までのところは決まっていませんでした。何でも“出稼ぎ日記”をアンカサのホームページに連載するそうなので、その後の情報はそちらで。身体に気おつけて、気張ってらっしゃい。
2004年3月6日:オダラン
タマン・カジョ村ダラム寺院のオダランが3月6日~20日行われます。1世代に1回行われるという大きなオダランで、村人は、この大事な儀式が滞りなく行われるために最前の努力をしています。ツーリストの参加を歓迎しながらも、心配もしています。くれぐれも礼儀をわきまえて参加しましょう。ツーリストが鑑賞できる奉納芸能は、10日以降との情報です。
2004年3月5日:イダ・バグース・ラーメン閉店
アンドンの交差点近くにあった、イダ・バグース・ラーメンの看板が消えた。餃子愛好者にとっては、悲しい名物店の閉店です。日本料理のカンパイ、エンジェル・カフェ、レストラン・ブンガブンガなど、馴染みの店が消えてしまったのも残念なことです。
2004年3月2日: 無料《絵》勉強会 IN アルマ
アルマでは、毎週日曜日午後2時から5時まで、モデルをつかった絵の勉強会をしています。誰でも無料で参加でき、プロの画家も参加していますので、指導を仰ぐこともできます。道具は各自持参してください平日も、絵を描く人には、入館料無料で自由に解放されています。受付で《ARTIST PROGRAM》を入手すれば一日中ミュージアム内を散策し絵を描くことができるはか、コーヒーか紅茶の無料サービスも受けられるようです。
2004年2月29日:ブンブン・カフェ60日間だけの店・OPEN
《ブラン・マドゥー》デウィ・シータ通り店を、ブンブン・カフェが3月1日から4月末までの60日間だけ間借りして開店。ガレージ・セールの感覚で、大安売り。
2004年2月25日:ニュピのオゴホゴ中止か??
今年のニュピは3月21日。前夜には、オゴホゴと呼ばれる張りぼて人形のおみこしが村を駆け回るのが恒例だ。これは悪霊を追い払う儀式だが、今年は中止になりそうだ。大統領選挙を控え国民が興奮しがちなので、刺激しないというのがバリ州政府の理由のようだ。以前(1995年)、ギャニアール県だけ縮小を強制したことがあった。それはその前年に、お祭り騒ぎが度を越して喧嘩が始まりで死者が出たのが原因だった。しかしウブドは、警察に隠れてオゴホゴ行列は例年通りに行われた。さて今年はどうなるのでしょう。
2004年2月23日:コンサートで死人
インドネシアの人気ポップグループ[SHEILA ON 7]のコンサートで、死者5名とけが人多数が出た。彼らのコンサートでは毎年、必ずといってよいほどけが人が出る。それほどの人気だと言えるが、今後、これまでずさんだった主催者側の観客管理が問題となるだろう。
2004年2月21日:[ Ubud is A Mood ]
ウブドをこよなく愛する長期滞在の外国人数名とバリ人によって、ウブドの本[ Ubud is A Mood ]がウブド村組合から出版された。英語コメント入りの写真集でRP150.000-。
同時に、ウブドのツーリズムが末永く続くことを希望して、ホームページ www.ubudvillage.comが立ち上げられた。ウブド熱愛症候群の人には、これは嬉しい事態です。
2004年2月20日: 全島あげて厄払い!!
大雨による洪水と崖崩れ、鶏のインフルエンザ、そしてデング熱の発生など、このところ相次いで悪いことが起こっている。バリでは今日、ガルンガンのペンジョールが新たに飾り直され、全島あげてお払い(Labuh Gentuhの儀式)をした。これで平穏が訪れてくれれば嬉しい。
インフルエンザにかかった鶏の廃棄処分の時、ガベン(火葬式)の儀式をした。ガムラン演奏とともに、僧侶によって聖水が鶏に振りかけられる、バリらしいシーンをテレビのニュースで見た。
2004年2月14日: Walter Van Oel展開幕
ニョマン・グナルサ氏とのコラボレーションによるアクション・ペインティングで、展覧会は開幕した。漢字を取り入れた作品は、どれも渋い色調で落ち着いた重厚感があり交感が持てたが、アルミ箔をさざ波風にエンボスした作品のチープ感には、眼を背けてしまった。
2004年2月10日:ついに、インドネシア短期観光ビザの実地
1年ほど前から噂のあった、インドネシア短期観光ビザが、ついに2月1日から実地された。 そして、これまで60日間の滞在が可能であったのが、30日と短縮された。長期滞在目的の観光客には、痛い制度だ。空港では、今のところ手続き業務が不慣れのため、入国時にかなり混雑があるようです。
2004年2月1日: レストラン「ノマド」復活
昨年2月18日付けの《ウブドnoニュース》で、老舗「ノマド」が消えたと載せた。ところが今年になって「ノマド」は再開していた。どんな事情があったのか、ノマドのあとで開店していたレストラン「ちゃんぷ~る」は1年で消えた。
2004年1月13日:ガルンガン祭礼
アパ?では、13日プナンパハン、14日ガルンガン、15日マニス・ガルンガンの3日間、休ませていただきます。ガルンガンは、210日を1年とするバリ・ウク暦の祭日です。この日は、バリ人にとって新年であり、また祖霊が還ってくるお盆でもある。13日には、家々の門前にペンジョールが飾られ、新年を迎えるハレの雰囲気となる。
2004年1月12日: アパ?の掲示板《Web版自由筆記帳》登場!!
みなさまの要望に応えて、Web版自由筆記帳がお目見えした。バリ旅行の感想や情報をどしどし書き込みください。みなさまの情報交換の場として利用いただければありがたいです。もちろん、アパ?への意見も熱烈歓迎です。アパ?スタッフからの回答はございませんので、了承ください。管理人より。