「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■5月・2) ウブドへの道のり


熱帯の強い陽射しで、眼が醒めた。
生成りのカーテンの隙間から、一条の光りが射し込んでいた。時間は、すでに昼近くになっている。
庭に面した大きなガラス扉を遮っていたカーテンを押し開くと、ガラスの向こうに椰子の木が高くそびえていた。風にそよぐ長い葉が『ここは南国だ』と教えてくれる。
ガラス扉をスライドさせると、直射日光とともに、心地よい風が頬を優しくなでていった。
昨夜は、ベッドにもぐったものの深夜遅くまで寝つかれず、今回の旅について「これでよかったのか」と自問した。人生はやり直しがきかない。あの時、しておけばよかったと後悔だけはしたくない。この歳になって甘いと言われるかもしれない。しかし逆に、この歳だから言えるのかもしれない。
「初志貫徹・やるしかない」これが、昨夜の結論だ。
ロビーに向かう途中、清々しいスカイ・ブルーの水を満たしたヒョウタン型のスイミング・プールが眼に入った。飛び込みたい。泳ぎたい。きっと爽快な気分が味わえるだろうな。今の自分はリゾートに来たのではないと言い聞かせ、陽光の照り返すプールを横目にチェック・アウトの手続きを終えた。
寝るだけにしては、贅沢な一泊だった。


ホテルの大きなエントランスを抜け、表通りに出ると、いきなり「暑い」と感じた。40度近くはあると思われる体感温度だ。
通りの両側には、シーフード・レストランと土産物店が、ひしめき合うように軒を連ねている。すれ違う人々は、アロハシャツのようなカラフルな服か肌も露わな姿の白人ツーリストがほとんどだ。ビーチに近いせいか、水着で歩いている男女も多い。
排気ガスが鼻を刺激する。狭い道路に、車があふれていた。日本製の車とバイクがやたらと眼につく。日本という国を凄いと思うよりは、1942年から45年までの3年間、日本がインドネシアを侵略していた時代があったということを忘れてはならないとキモに命じた。風光明媚な心安らぐ風景の下に、軍靴によって踏みにじられた戦禍の傷が残っている。今度は経済侵略かと、胸が痛んだ。
ウブドに行くには、乗り合いバスを何度も乗り換えるか、プラマ社の直通バスを利用するか、タクシーをチャーターする方法がある。慣れない土地で地元のバスを利用するのは不安だし、車のチャーターの値段交渉も面倒だ。
わたしは行き交う観光客の人混みをよけながら、ウブドへの直通バスが出るプラマ社のオフィスに足を運んだ。
プラマ社のオフィスは小さく、待合室も狭かった。
さまざまな国から訪れたと思われる西洋人のバック・パッカーたちが、古びた木の長椅子に隣どおし肩もつかんばかりに腰掛け、見るからに暑苦しそうだ。待合室には入らず、かろうじて風の通る入り口付近に立った。
しばらくして、中型バスがオフィスの前に止まった。
バスのボディは、紅白のツートン・カラーに塗りわけられている。わたしの住んでいた地方の私鉄バスと同じカラーが、妙な親近感を抱かせた。インドネシア国旗は、上半分が赤で下半分が白の2色だ。赤は勇気で、白は純潔を意味する。プラマ社のバスは、それを意識したのだろう。


                     

運転席のうしろに席を取った。進行方向に向かって右側の席だ。ここだと海岸線が見えるということをガイドブック「地球の歩き方・インドネシア編」で見知っていた。ガイドブックは出発前、しばしの別れを告げに訪れた長姉の家で、その晩バリ旅行から帰ってきた義兄から譲り受けたものだ。
バスは、長旅の途中であろう、汗臭いツーリストでいっぱいになった。
予備知識を得ようとガイドブックを開いた。
クタの喧噪を抜けると、バスは片側2車線の広い道路に出た。
窓外に、椰子の並木と白砂のビーチが見えてきた。サヌール海岸だ。右手にバリで一番背の高いと言われるホテルが見える。この地域が、バリでもっとも早くリゾート開発されたところだ。
右手に続く白砂のビーチのかなたに、三角帽子のような山の頂が雲の上にぽっかり浮かんでいる。この島で一番高い山・霊峰アグン山だ。椰子の木がなければ、富士山の風景に似ている。ここからは見えないが、アグン山の中腹には、バリ人の信仰するバリ・ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院があるという。
移り変わる車窓の景色を興味津々に見入る乗客と、とにかく、目的地までは休憩しようと居眠りしている乗客とを乗せたプラマ社のバスは、順調に目的地を目指しているようだ。わたしは、窓ガラスに顔をつけんばかりに、窓外の景色を食い入るように見ている。
サヌールを過ぎると、道路が再び狭くなった。バイパスが終わったのだろう。そして、緑が増えた。バティック(ジャワ更紗)と書かれた看板のある店の前を通り過ぎた。駐車場に、大型観光バスが数台止まっていた。
バスは右折左折を繰り返し、石彫の村、銀製品の村を過ぎ、木彫の村に入った。木彫の村に入ったあたりから、それまでよく見かけた観光バスが姿を消していた。すれ違う車も極端に減った。
バスが山間部を目指していることは、なだらかではあるが上り坂を進んでいることでわかる。道沿いの家並みの背景には、豊富な緑が生い茂っている。
次は、絵画の村といわれるウブドだ。バリのリゾート地は、ほとんどがビーチ沿いにある。唯一ウブドが山あいのリゾート地として注目を集め始めている。ウブドは、バリの伝統的な絵画や芸能を身近に触れられることが人気で、多くの観光客を引きつけているという。


                      

バスがメイン道路をはずれて左折した。
眼の前にあらわれた風景は、大きな樹々に囲まれたジャングルだ。
道はジャングルの奥へ続いている。いったん深くくだった道は、渓谷に架かる橋を越えた。バスは次に、切り開かれたと思われる左右の高い崖に囲まれた坂道を上りはじめた。崖の上からは、大きな樹々の太い枝が道にかぶさるように張りだしている。重なり合う葉が、昼なお暗いトンネルを作っている。
長い首の恐竜を連想させる曲がりくねった巨木が、今にも飛び出してきそうな勢いだ。鬱蒼としたトンネルは、すぐに途切れた。ジャングルだと思っていたのは、寺院の鎮守の森だった。森を抜けると家並みがあらわれた。
アスファルトの道は、埃を舞い上げていた。木立の間から、藁葺き屋根の平屋家屋が顔をのぞかせている。前庭をもった大きな門のある家の前を通り過ぎた。テーブルがいくつも並んだレストランがある。思っていたより、ウブドは拓けた村だ。
行き交う人々が多くなった。
バスのスピードが落ちた。
頭に荷物をのせた婦人たちが、雑踏をスイスイとすり抜けてゆく。人だかりを見ると、そこでは、青空市場が開かれているようだ。市場は、人と物とでごったがえしていた。裂いた竹で編んだと思われる畳ほどの大きさの板状のものが、ところ狭しと、広場を埋め尽くしている。1本の竹で支えた、日除け傘。傘の下は露店だ。
バスの中から、露店商が扱っている品物が見えた。野菜、果物、雑貨が目立つ。雑然としたこんな雰囲気が、わたしは好きだ。竹ざるに、魚が仲良く頭を並べているのを、目ざとく見つけた。山あいの村で、魚にありつけるとは嬉しい。焼き魚を肴にいっぱい、なんてこともできるかもしれない。顔が、自然にほころぶ。鮮度のほうは、おおいに心配だが。
人々が、車道と歩道の見分けもつかない道路にあふれている。
バスは、その人混みの中に止まった。
乗客が降ろされた。
クタよりかなり涼しい。
ぞろぞろと降りた乗客たちは、思い思いの宿に向かって歩き出し、散らばっていった。
わたしは、眼前の2階建コンクリート造りの雑居ビルを見上げている。1階には、間口の狭い店がいくつも並び、店先には雑多な商品が山積みになっている。2階は回廊になっていて、天井から布や衣服がところ狭しと吊ってあるのが見える。
雑踏を避けて道路に出た。
市場の前を通り過ぎると、道の向こうに、ハーモニカの吹き口のような間口の狭い店が連なっていた。日用雑貨屋と荒物屋が数軒、銀製品を売る店と飲み物を飲ませる店と右端には自転車の修理屋があった。
変則十字路を渡った。
通りの角にある自転車修理屋の前に立つと、正面に赤レンガの高い塀に囲まれた屋敷の門が見えた。これがウブドの王宮か。
王宮の向かいに、二重屋根の講堂のような大きな建物がある。裂いた竹で編んだ壁で囲まれ、内部は見られない。二重屋根の建物の先には、道をおおいかくすほどの豊富な緑をまとった巨樹が、大きな影を落とし、広い日陰をつくっている。その先には、ジリジリと照りつける5月の南国の太陽が陽炎をつくっていた。


つづく




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