時代は急速に変化している。
地球の存続も危ぶまれている。
否。私が言っているのは、そんな大袈裟なことではない。
私のまわりの急変は、バリ人がスマートフォンを持ったことです。
もちろんウブド人も。
世界は同時発生的に進化しているようだ。
電話の話だが。
私が生まれて始めて手にした電話機は、ダイヤル式だった。
電話をかける仕草は、グーにした左手を耳に近づけ、右手の人差し指でダイヤルをジーコジーコと回す。
受信音は「リーン リーン リーン」と鳴った。
重厚だが無骨な黒色電話は、しばらくして、番号を押す明色のプッシュホン式に変わった。
ダイヤルは回すのではなく、人差し指でピッポパと軽快に叩く。
人によっては小指でピッポパかもしれない。
ポレットベルと呼ばれる、所在探知機のような機械を携帯するようになったのもこの頃だ。
監視されているようで、私は持たなかった。
続いて、携帯電話が普及を始める。
日本の初期の携帯電話はショルダーフォンと呼ばれ、写真のようになんと3キロという大きな代物だった。
私が携帯電話を持つようになったのは、ウブド滞在を始めてからだ。
「アパ?情報センター」を始めて数年してからだと記憶している。
不測の事態が起こった時に連絡が取れるようにと、アパ?スタッフの名前が最初に出るように設定してくれた携帯だった。
ウブドの電話開設は、1984年。
所有第一号は、ウブド王宮だと言われている。
車、テレビ、ほとんどの第一号は、ウブド王宮だ。
私が訪れた1990年頃のウブドは、ホームステイやレストランでは電話を所有していたが、一般家庭の電話普及率は少なく利用者もごくわずかだった。
公衆電話も少なく、あったとしてもことごとく壊れていて使えなかった。
記憶も記録もないので曖昧だが、フード付きの公衆電話はRp100コインで利用できたと思う。
商店や一般家庭で、気安く電話を借りられない。
電話機には、鍵の付く透明プラスチック製のカバーが付いていた。
長距離電話に使われて、膨大な使用料を請求されるのが心配なのだ。
私がウブドで最初に見た電話機は宿泊先の「ロジャーズ・ホームステイ」で、やはりプラスチックのカバーが付いたプッシュボタン式だった。
ツーリストが国際電話を必要とする時は、アンドン地域警察署前(現在のスーパーマーケット・デルタデワタ西横)にあった公共の電話局か、ウブド大通りにある「レストラン・ノマド」が経営する料金の高い私設電話サービスに出掛けなくてはならない。
私設電話サービスは「レストラン・ノマド」の東隣にある2階建て貸し店舗2階にあった。
公共電話局の局員の態度は、仕事をする気がなく怠惰で横柄だった。
猜疑心の強い私は、ひょっとすると公衆電話が壊れているのは「ノマド」のしわざで、電話局員が怠慢なのは「ノマド」から小遣いをもらっているせいではないかと疑っていた。
選択肢は、嫌々「ノマド」の電話サービスを利用するしかなかった。
(写真:BreadLife)
1994年、テレフォンカードが使える電話ブースがウブド市場前に設置された。
頻繁に故障するため利用者は少なかったように、記憶している。
相前後して、「ワルテル=WARTEL(Warung Telephone )」と呼ばれる私設電話サービスが多数開店する。
1996年、電話局がアンドン交差点のウブド大通り沿いに移転した。
固定電話機の普及は遅々として進まない。
レストラン、ホテル、などのツーリスト向けのビジネスが増加したからだろう。
私の滞在するギャニアール県では、ある年から電話回線が満タンで増設が出来なくなっていた。
電話機の設置をお願いしても、近くに鉄柱がないと、数件まとまるまで待つか、自己負担で立てなくてはならない。
30メートルに立てる鉄柱が一本につき100万ルピアかかった。
賄賂を払って、難しくなった。
いつまで待たされるかわからない電話機の設置。
こんなタイミングに携帯電話が発売された。
特権階級の贅沢品だと思われていたのが、年々価格が下がり、たちまちのうちにバリ人へ浸透していった。
親子電話、コードレス電話でさえ便利だと思っていた私には、個人個人が電話を持ち歩く時代が来るとは考えもしなかった。
電話の普及していなかったウブドでは、大雨が降ると連絡ができなかったと理由で遅刻、欠席は当然のように認められた。
携帯を持つようになって無断の欠席、遅刻はできなくなった。
これと言って急ぎの用事のない私にとっては、不便な機器である。
1997年、携帯電話の普及と並行して、インターネットの布設が始まる。
まだ、パソコン持参のツーリストは少なかった。
携帯電話とシムカード販売の専門店が雨後のタケノコのように開店した。
ネット・カフェのインドネシア版である「ワルネット=WARNET(Warung Internet )」が開店して、E-mailサービスが受けられるようになった。
free Wifiのホテル、レストランが増えると、ワルネットは衰退し子供のゲームコーナーに転向した。
ネット回線状況は年々、よくなっているようだ。
近年に、光ファイバー通信になるらしい。
村人は、携帯電話から一足飛びに、スマートフォンを持つようになった。
あくまでも私のまわりのウブド人の話ですので、念のため。
今では、デジタル文字を触れるだけのスマートフォンだ。
カメラ内蔵で写真の保存・送信もでき、音楽を聴けて、ゲームなどもできるさまざまな機能がついている。
Skype、Twitter、Lineの横文字は、さっぱりわかりまへん。
わからないことは、説明も難しい。
良い(E)メイルはあれば悪いメールもあるのでは、と信じていた私のこと。
ファイヤー・ワイヤーは、火縄のことかな、ひょっとすると「てんや・わんや」かなと思ったし。
ショートカットは髪を短くすることだった。
USBはアメリカのバスケットチームの名前かな、なんてこじつけたり。
ネット系はインターネットのネットだとばかり思っていたら、寝癖を防ぐために頭に被るネットをする人のことだと知ってボーゼンとした。
パソコン関係の言語は、まったく理解不能だ。
文明の発展に、身も心もついていけないだらしない自分がいる。
こんな状態では、私がスマートフォンを持つことはないだろう。
(2014/3/20)