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バリ人と瞑想会(09/02/08)

先日、とある場所で開かれているヨガクラスに参加してきました。
近年、バリ島はヨガブーム。
とはいえ、このごろはブームを過ぎ去って、
定着してきた感の方が強いかな。

わたしが参加したのは、現地人、
つまりバリ人を対象に開かれているクラス。
まわりのバリ人でも何人かヨガをやっている人がいるのは
知っていたけど、
思っていたよりたくさんの人数が参加していたのにびっくり。
しかもその多くが「ずっとやってます」みたいな熟練度。
そして、さらに驚いたのは、
ヨガクラスの後に開かれている瞑想会に集まってきた人々の多さ。
広いスタジオがぎゅうぎゅう詰めになっちゃうくらい。
そのみんながバリ人。

いろんな瞑想グループがバリにあることは聞いていたけど、
実際、その盛況ぶりを目の当たりにして、軽くショックでした。

バリっていえば、
神々の島、生活と信仰が解け合った場所、
目に見えない存在を信じてて、自然とちゃんとつながって生きている
っていうイメージがありませんか?
信仰心が根付いていて、平穏に暮らしている、みたいな。

でもね、やっぱりバリ人であろうと、迷っているんですね。
みんな個人的なアクションを通して、
何か救いを求めている。

と、なると、
暮らしに息づいているバリ・ヒンドゥー教ではあるけれど、
本当の心の平安と世界とのつながりを導く教義として、
庶民の中でちゃんと生かされているのかどうかは、ちょっと疑問。

それと、直接的な関係があるかどうかは別として、
とある、ちっちゃな村の谷間にて、
これまたちっちゃい祠を見つけました。
その粗末な祠に祀られていたのは
デウィ・ドゥダリ。天女さん。
かつてその谷間に降り立って、
傍らのわき水で水浴していただろう天女の姿が思い浮かびます。
わき水が流れ出していた石像は古く、
首が取れていましたが、いっぱい手がある女性の神様像でした。
これらはきっと、とても古くから祀られていたもの。
いわば、土着の信仰からうまれた祠だったのでしょうね。
忘れ去られているわけではなく、
今でも祠として機能はしていますが・・・
いわゆるプラ・プセ、プラ・デサ、プラ・ダラムといった
後にバリ・ヒンドゥー教が整えられた後に
メインとされるようになった寺院の立派さとは、
対局にあるものでした。

宗教というものについてはうまくモノが言えませんが、
わたしにはどうも、土着の神様や精霊たちが、
もの言いたげに見えてしかたありません。

そして、瞑想会や信仰団体に集うバリ人だけじゃなくて、
わたしたちみんなも、
太古の昔に感じていた何かとのつながりを、
心の奥底で求め始めているんじゃないかな〜、
なんて、思っています。
おっきな安心感と、世界との一体感をもたらしてくれる、
「何か」との。

Feb.08.2009


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