バリには、西暦とバリの伝統的な暦であるサコ暦(Saka)とウク暦(Wuku=バウコン暦とも言われる)の3つが、共存している。
と言っても、バリの人々の暮らしに密接なのはウク暦で、サコ暦の祭礼日であるニュピ(Nyepi)とシワラトリ(Siwaratri)以外の主要な宗教的儀礼は、ほとんどウク暦に基づいている。
インドが起源と考えられているサコ暦は、西暦78年(79年という説もある)が元年とされ、「釈迦」に由来するとも言われる。(例えば、今が西暦2016年だどとすると、78を引いた数、1938年がサコ暦となる)
サコ暦は、太陽と月のサイクルを組み合わせたもので353日、355日あるいは356日の1年で巡ってくる。
西暦と同様に、1年が12のサシー=月(sasih)に分かれている。
ひと月は、約29日半なので、数年に1度のうるう月がある。
1年は、12のサシー=月(sasih)に分かれている。
うるう月では足らないので、何年かごとのうるう月を設けている。
2016年には13月あった。
第11番目の月・Sasih Jiyestha(雨季の終わり)と、第12番目の月・Sasih Sadha(乾季の始まり)の間に、「Sasih Mala Jiyesta」が増えていた。
月が隠れる・暗月(ブラン・ティラム・bulan tilem)の翌日から新しい月が始まり、次の暗月までをひと月とする。
満月と暗月の日には、普段より多めに供物が捧げられる。
サコ暦は太陰暦で月の周期に合わせた作られ、農業や漁業に参考になるよう暦として使われている。
西暦と同じ1月から、第1番目のサシーが始まるわけではない。
「サシー・Sasih」とは、月を意味するバリ語で、特に暦を言う時に使われているようだ。
ウブドの近くペジェン村にある有名なプナタラン・サシー(Penataran Sasih)寺院は、月の御所という意味で、そこには欠けたお月様の一部がゴング(大きなドラ)となって残っていると言われている。
空に見える月のことは、バリ語・インドネシア語ともにブラン・Bulanと言う。
余談だが、バロン・ダンスの会場となっているバトゥブラン(Batu-bulan)村は、月(ブラン)の石(バトゥ)という意味で、名前の通り石彫の村として有名だ。
バトゥブラン村の石工たちは、ジャワ島ジョグジャカルタにある世界遺跡ボルブドゥールの石工の末裔だとの説もある。
真偽は只今調査中。
話をサコ暦に戻そう。
サシーは、月が隠れる日・暗月(ティラム・Bulan Tilem)の次の日から新しい月が始まる。
満月(プルナモ・Bulan Pernama)に向けて月が満ちていく前半と、月が欠けていく後半からなる。
ガイド・ブックでは、ティラムを新月としているが、バリ人のティラムは”闇”を意味する。
満月と同様にパワーの強い日として、多くの供物が供えられる。
ティラムには、タクス(神から授かる力)があるとされ、名前に使われることがある。
マス村の彫刻家で有名なイダ・バグース・ティラムさんがそうだ。
ジャワ語&スンダ語では”死ぬ”と訳し、英語ではDark Moonとなる。
私的には、暗月と訳している。
人々は、ティラムとプルナモの日には、寺院へ供物を持って、お祈りにいく。
それぞれのサシーの変わり目は、必ず、ティラムの翌日となっている。
そして毎年、第10番目の月Sasih Kadasa の第1日目が、ニュピになる。
サコ暦では第1月目の初日が新年ではなく、このSasih Kadasaの初日、つまりニュピが新年として祝われる。
新年と言っても、日本の正月のような行事はなく、ニュピの一連の儀式があるだけだ。
バリは、1343年にマジャパイト王朝によって征服された。
16世紀のゲルゲル王朝時代に、ジャワ・ヒンドゥー文化の影響を強く受けるに従って、ジャワ・バリ暦と言われるウク暦が中心となっていったと思われる。
ジャワ・ヒンドゥー文化の影響を受ける以前のバリは、サコ暦に従っていたと、私は推測する。
ジャワ・ヒンドゥー文化以前に建立された寺院の多くは、サコ暦に従って祭礼が行われている。
北部バリの多くの寺院も、サコ暦に基づいている。
また、ジャワ・ヒンドゥーの影響をあまり受けず、伝統的なアダット(習慣)を強く守り、独自の社会が保持され続けている集落・バリ・アガの多くもサコ暦に基づいている。
ウブド近郊では、11世紀のバリ王国・ワルマデワ王朝時代に栄えた、ブドゥルからタンパクシリンにかけての地域に残っている寺院が、サコ暦に基づいてオダラン(寺院祭礼)が行われている。
サムワン・ティガ寺院(ブドゥル村)、ゴア・ガジャ寺院(ブドゥル村)、プナタラン・サシー寺院(ペジェン村)、グヌン・カウィ寺院(タンパクシリン村)、ティルタ・エンプル寺院(タンパクシリン村)などがそうだ。
ではここで、12あるサシー紹介しよう。
第1番目の月(西暦の6月頃)・Sasih Kasa (カソ)
寒くなり始める
第2番目の月(西暦の7月頃)・Sasih Karo (カロ)
もっとも寒い
火葬儀礼が行われるのはこの頃。
第3番目の月(西暦の8月頃)・Sasih Katiga (カティゴ)
空気が乾燥して風が強くなる
凧揚げのシーズン
第4番目の月(西暦の9月頃)・Sasih Kapat (カパッ)
花が咲く時期
第5番目の月(西暦の10月頃)・Sasih Kelima (カリモ)
気候は涼しく、ランブータン、マンゴの美味しい時期
第6番目の月(西暦の11月頃)・Sasih Kanam (カナム)
雨が降り始め、暑くなる
第7番目の月(西暦の12月頃)・Sasih kepitu (クピトゥ)
本格的な雨期に入る
第8番目の月(西暦の1月頃)・Sasih Kewulu (カウル)
強風をともなう大雨が降る
第9番目の月(西暦の2月頃)・Sasih Kasanga (カサンゴ)
強風をともなう大雨が降る
第10番目の月(西暦の3月頃)・Sasih kadasa (カダソ)
稲の収穫に良い時期
ニュピの祭礼日
第11番目の月(西暦の4月頃)・Sasih Jiyestha(ジェスタ)
雨期が終わる。田植えの時期
第12番目の月(西暦の5月頃)・Sasih Sadha (サド)
乾季に入る。田植えの時期
サコ暦とウク暦を、バリ人は使い分けている。
農耕儀礼は主にサコ暦に準拠し、気候の移り変わりをサシーををもとにして言い表す。
日本が夏季の時、バリは寒くなります。
と言っても、熱帯のこと、体感的には秋季。
この秋季とも言えるSasih Katiga (カティゴ)のある日、陽射しの暑い日になった。
バリ人友人が「暑いね!Musim Kemarauだからね」と挨拶をした。
Kemarauの意味は不明だが、こんな時に使う言葉だとは理解できた。
第7番目の月(Sasih kepitu)のティラム(Bulan Tilem・暗月)の前夜からティラムの日にかけて行われる祭礼。
「瞑想と断食」で過ごし、現在の、また前世を含めた過去の行いを反省し、神に近づく(悟りを開く)といった意味合いをもつ日。
「12時間の沈黙、36時間の断食」というのが「シワラトリ」を迎える「正しい過ごし方」らしい。
この日、信仰深いバリ人たちは、日が暮れてから沐浴をして正装に身を整え、お寺に詣で、祈りを捧げる。
昨今のバリでは「この晩は家に帰らないでもいい」日と認識されているようで、若者たちにとっては格好のデート日和となる。
とっておきの正装姿でお寺でお祈りしたあとは、恋人たちの時間というわけだ。
(ウブド極楽生活=http://blogs.yahoo.co.jp/meguubud「シワラトリの日」から抜粋)
もう一つ、友人からシワラトリの情報です。
ご本家インドのシヴァラートリの記事を転載。
シヴァラートリとは「シヴァの夜(ラートリ)または吉兆の夜」という意味です。
シヴァラートリは、毎月、満月から14日目の夜にあたります。
しかし、特にパールグナ月(2月〜3月)のシヴァラートリは、マハー・シヴァラートリと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。
この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。
シヴァラートリは、月が満月から新月へと変化する境目です。
充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。
シヴァラートリの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。
この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。
またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。
シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。
シヴァラートリの日には、さまざまな言い伝えが残されています。
パールヴァティー女神とシヴァ神が結婚した日は、このマハー・シヴァラートリの日であるとも言われています。
またシヴァ神がタンダヴァの踊りを舞い、宇宙を創造したのも、この日であると言われています。
猛毒ハーラーハラが世界を焼き尽くそうとしたとき、神々の願いに応え、シヴァ神はハーラーハラの猛毒を飲みほし、世界を救いました。ハーラーハラは、シヴァ神にとっても強大な猛毒であったため、シヴァ神の首が猛毒で青くなり、このためにシヴァ神は、ニーラカンタ(ニーラ[青]カンタ[首])と呼ばれるようになった話は有名です。
毎月行われるが、年に一度のマハー・シヴァラトリがとりわけ重要。
おそらく、バリではこれだけがシワラトリの日になったのでしょう。
(2019年3月5日:訂正更新)