「極楽通信・UBUD」



バリ島滞在記「ウブドに沈没」





■5月・3)ロジャース・ホームステイ


宿はガイドブックに載っていた「ロジャース・ホームステイ」と決めている。
どんな部屋に案内されるかまったく想像もできないが、与えられた部屋をそのまま受け入れるだけだ。
わたしは、あちこちと宿を探しまわる煩わしさが嫌いで、たいていは1軒目で決めてしまう。
よほどのことがない限り、どこでも住めば都と考えている。
変則十字路を渡り、二重屋根の建物の前にきた。
ここまでくると、往来の人々はまばらだ。
二重屋根の建物の壁に、男女の絵が描かれた大きな垂れ幕が風に揺れている。
映画館で見かける垂れ幕に似ている。
垂れ幕は予告看板だろうが、この建物が映画館とは考えられない。
映画館としての形態をとっていないし、村人の娯楽のためにしてはあまりにも粗末な建物だ。
建物に沿ってバスが来た道とは反対の方角に歩き出した。
寺院と思われる大きな門の前を過ぎると、右手に土道があった。
車がすれ違うことのできないほど狭い道だ。
ガイド・ブックには、カジェン通りと出ている。
道角にある小さな看板が、この先に数軒の宿があることを案内している。
ロジャース・ホームステイの看板はないが、情報ではこの奥のはずだ。
右手は寺院を囲む緑の木立、左手には浅い小川が流れている。
小川の向こうに池が見える。
池には豊富に水がはられ、水面からは長い細茎が適度の間隔をおいて、まっすぐに伸びている。
その先には、大きなピンクの花弁の花が咲いている。
実に美しい。
極楽に往生した人が座るといわれる蓮華の座。
生まれてはじめて見る蓮の華だ。
4〜5人の上半身裸体の男たちが、小川の流れの中にふくらはぎまでつかり、何やら忙しそうに洗っている。
涼を求めての水遊びには見えないが、見る眼には涼しげだ。
腰に巻いた布を、ショートパンツのようにまくりあげている。
頭に鉢巻きのように巻いた布を額の前で縛り、その布の端がピンと上を向いていて、おしゃれで、それでいて勇ましい姿だ。
道に水たまりができている。
水たまりは、赤く染まっていた。
わたしは、赤い水たまりをヨイショとまたいだ。
バックパックが肩にくい込み、ザックが大きく揺れる。
目の前に、黒豚が横たわっていた。
赤い水たまりは、黒豚が流した血だ。
ナタを持った男が、もう一頭の豚を解体し、肉塊の山をいくつも作っている。
小川には、長い腸が空気の抜けた風船のようになって漂っている。
土着宗教の生け贄か、それとも食用なのか。
いきなりのカルチャーショックで、かるいめまいを覚えた。
蓮の花といい、これからは毎日が生まれてはじめての経験の連続になるだろう。

バスを降りてから、すでに10分ほど歩いている。
大きな荷物を持っての移動は、骨が折れる。
めまいは、暑さと背中に背負ったバックパックと手に持ったザックの重さのせいかもしれない。
豚の解体現場を過ぎてすぐ左手の民家のレンガ塀から、小さな青色の看板が張り出している。
「あった!」。濃青に白の縁取りのあるのローマ字で「Rojas」と書かれた看板だ。
道のりは、まだ長いだろうと覚悟をしていたが、こんなに早く見つかるとは嬉しい。
肩の荷が、一瞬、軽くなったと感じたのは都合の良い思い過ごしだろう。


ロジャース


門柱に貼り付けてある10センチ角の青いプレートに、白字で数字の1が書かれてある。
1番地という意味だろう。カジェン通りに入って1軒目の家が、ロジャーズ・ホームステイだ。
人ひとりが、やっと通ることができるほどの狭い門。
肥満体の人には、自分の太さを認識させられてしまう拷問のような門だ、といらぬ心配をしてしまう。
中国寺院に似た屋根がのっている。
門には2段の階段があり、それを、上り下りして屋敷の中に入った。
正面に、ついたてのような低い壁が立っている。
狭い門といい、行く手をはばむついたてといい、バリの建築は、何かを拒んでいるかのように閉鎖的だ。
壁を回り込んで、木々や花々に囲まれた中庭に入る。
テラスで、女性たちがたむろしていた。
片耳に白い花をさし、しっとりと艶やかな長い黒髪の女性たちが、いっせいにわたしを見た。
「ハロー」「ルッキング」「チープ」「ジャパニーズ」と矢継ぎ早に英語の単語が連発された。
この程度の英語なら、わたしも大丈夫だ。
わたしは、笑顔を見せながら女たちに近づき「空き部屋はありませんか」と英語で訊ねた。
たむろする女たちから離れて、ひとりテラスの隅に腰掛けていた大柄で丸顔の少女が立ち上がった。
古風な日本人顔の少女だ。
化粧っけのない素朴な顔が、わたしを招いた。
わたしは、少女のあとに続いた。
腰高のヒップ・アップの後ろ姿が、先を歩く。
長いスカートの下から、褐色の脚が力強く輝いている。
少女は、素足のままだ。
少女は、屋敷内の1番奥にある、
陽当たりの悪い平屋の建物にわたしを案内すると、無言で下がっていった。
愛想のない娘だ。
それとも、すれていないだけのことだろうか。
きっとすれていない娘なんだろう。
人を見る眼があると自負するわたしには、そう見えた。
ホーム・ステイといえば、大家さんと同じ屋根の下で暮らすという下宿のようなものと思っていたが、そうではないようだ。
屋敷内には、小さな建物が点在している。
その建物のひとつを貸すのだから、ホーム・ステイと言えばいえるのかもしれない。


                         

案内されたのは、一戸建を2部屋に区切った右手の部屋。
部屋の前は、タイル貼りのテラスになっている。
テラスがそのまま玄関の役目もしているようだ。
次からは、ここで靴を脱ぐが、今は疲れているのでこのまま部屋に入ることを許してください、と靴も脱がずにドアーを押し開け、部屋に入った。
白いシーツの掛かったシングルベッドがふたつ、左右の壁にへばりつくようにあった。
バックパックとザックを、左側のベッドにおろした。
この村に、エアコンのある宿はひとつもないと、ウブドを訪ねたことのある知人から聞いている。
扇風機があれば、御の字だそうだ。
この部屋には、空調設備はもちろん扇風機もない。
さいわい、裂いた竹で編んだ壁が、空調の役目をしていて日中の暑さを感じさせない。
高温多湿の風土の適した通風のよい作りだ。
自然の空調ならそれにこしたことはない。
右側のベッドに腰をおろし、トレッキングシューズの紐をといた。
ソックスを脱ぐと、靴から解放された素足が、自由になった喜びと床のタイルの冷たさに満足している。
トレッキングシューズの中に、汚れたソックスをまるめて突っ込んだ。
それを、かかとでベッドの下へ押し込んだ。
部屋の突き当たりに、扉がある。
開けると、そこは一段低くなった部屋だった。
畳が3枚ほど並ぶ広さの、半分屋根のない部屋だ。
片隅に、日本古来の座り込み式便器がある。
その横に、青いタイルの貼られた小さな水槽が作りつけられている。
シャワーが壁についているところをみると、ここは水浴場兼トイレなのだろう。
この1年間、残り数年で立ち退き解体されるという、戦前に建てられた長屋のひと部屋を借りて住んでいた。
周囲にビルが建ち並び、陽当たりのまったくない四畳半の部屋は、じっとりと湿気を含んで陰気だった。
そのことを思えば、この部屋は充分に安らげる。
この部屋に満足し、微笑みを浮かべた。
日本から持ってきた愛喫のロングピースに火をつけると、ベッドで横になった。
ベッドは、中学校の体操の時間に使っていたマットのようなもので、人型に窪んでいた。

開け放したドアーから、少女の姿が見えた。
右手にお盆を持ち、左手には鯉の絵が描かれた中国製のレトロなポットをぶらさげている。
わたしはテラスに出た。
少女は、竹製のテーブルの上にカップを2つとティー・パックをひとつ置くと、やはり無言で戻っていった。
竹製の応接セットも少女の初々しさも気に入った。
ロジャーズ・ホームステイの宿泊代は、朝食つきで、1泊8,000ルピア。
1円が14ルピアのレートだから約570円だ。この値段で、このサービスは嬉しい。
タバコを手にして竹製の椅子に腰をおろした。
緑に囲まれた落ち着く庭が、眼の前にある。
大きな赤い花がいくつも咲いていた。
これが南国の花、ハイビスカスか。
草花や木の名前をまったく知らないわたしでも、これだけはわかる。
テーブルの上のカップのひとつには、すでに褐色の飲み物が入っていた。
手に取り、カップの中を覗いた。
コーヒーのようだ。
そう言えば、空港のラウンジで飲んだきり、日本を発ってから一度もコーヒーを口にしていない。
飛行機で「コーヒー・オアー・ティー」と聞かれたが、どうせ旨くはないだろうとティーにした。
日本で、毎日必ず3度は喫茶店に入り、ブラックコーヒーを飲んでいたわたしにとっては珍しいことだ。
自分が設計した店へ定期的に顔を覗かせるだけで、日に3件は廻ることになる。
そんなことから、いつの間にかコーヒー好きになっていた。
一流になれない、二流に限りなく近い三流の店舗デザイナーが、わたしの日本での経歴だ。
手に取ったコーヒーカップからは、コーヒー特有の香りがしない。
ひと口、すすってみたが、酸味がない。
はじめて体験する味だ。
舌を刺激する適度の苦味が、悪くない味だと感じた。
これが、バリ・コーヒーの特徴なのだろう。
口の中に、ざらっとした違和感がある。
大粒の粉が、舌先に残った。
指先でつまんで、灰皿に落とした。
コップの底に、どろどろとした、コーヒーかすが残った。
沈殿したコーヒーを、飲まないためには、少しだけコーヒー残す必要があるようだ。
砂糖をいれてかき回していたら、粉々のコーヒーを飲んでいたことになる。
ブラックで飲む習慣のわたしは、そんな惨めなことにならなかった。
昼下がりの静寂を、けたたましい鶏の鳴き声が破った。
三羽の鶏が羽をばたつかせ、首を前後に動かす独特の動作で、追い駆けっこをしている。
屋根から一羽の鶏が、中庭に滑空していった。
これも、のどかな風景といえばいえる。

身体が汗ばんでいる。
クタからプラマ社のバスに揺られてウブドに到着し、ロジャーズ・ホームステイに移動するまでに、かなり汗をかいたようだ。
飲み干したコーヒーカップをテーブルに戻すと水浴場に向かった。
水浴場の水槽の内積は、以外と大きい。
痩身の私なら、入ることができそうだ。
日本式に浴槽に入ってみることを想像した。
蛇口をひねると、力強い勢いで冷たい水が豊富に流れ出した、と言いたいところだが、壊れているのか詰まっているのか、水はボトボトと太いしずくとなってシャワーのふちから落ちてくるだけだった。
こんな頼りないシャワーは使えない。
クタのホテルでは、ホットシャワーだった。
ウブドでホットシャワーは望まないが、冷水でもよいからせめて勢いよく出て欲しい。
水槽に入ろうかと本気で考えたが、水槽の水を汚してしまったら、このあと水が出ないとすれば、顔も洗えないし歯も磨けなくなってしまう。
常識どおり、水槽に貯まった水を浴びることにした。
水槽の水は透明だった。
当然といえば当然だが、水道の普及していない国では泥水で水浴びということもある。
手桶で水を汲み、ほてった身体に浴びた。
水槽の水は、心地よい冷たさで身が引き締まった。


つづく




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